6 近藤『電光掲示板』
母さんは俺が小学五年生の時に癌で死んだ。
とても冷え込んだ十一月だった。
当時の俺は母さんが居なくなった事に実感が湧かなかった。
だって、つい昨日母さんと話をしたんだ。
もうすぐで、六年生になるねなんて言った母さんは笑顔で俺はまだ母さんと一緒に居られるんだと本気で思ってた。
だから、父さんが泣きながら俺の肩を抱き寄せた日は何かの冗談じゃないのかと、父さんならここでドッキリ大成功とか言って笑うんじゃないのかと不謹慎でも良いからそうあって欲しかった。
僕は母さんの葬式には行かなかった。行く気になれなかった。
小学五年生の小さな俺はこの現実を直視してしまうのが怖かった。
あれから、五年経った今でも時折夢に母さんが出てくる。あの楽しかった日々が俺を苦しめる。
なあ、母さん。俺はまだ母さんに伝えたいことが山程あったよ。
※
今日はいよいよ周が家に来る。
父さんに今朝その事を伝えると
「父さん今日友達来るんだ」
「おう、そう…え?」
「料理教えてもらう約束してて…ってなんで泣いてんの」
「いや、ごめん、父さん嬉しくて…その子を一生かけて幸せにするんだぞ」
「え、いや、異性じゃなくて…」
「大丈夫だ。友達ってことにしといてやるから」
「いや、だから、この前話した…」
「父さん今日の夜は遅いから。それじゃあ少し早いけど仕事行ってくるな!」
いやいや、まだ高校生、未成年なんですけど。って言うか周はそういうのじゃ無いんですが。
そんなツッコミをいれる間もなく父は家を出た。
とまあ、こんな感じで俺は父親にとんでもない勘違いをされた状態で周を家に招き入れた。
なんだ、妙に緊張してきた。相手は男。そんでもって友達。そう、ただの友達。
深く息を吸って吐く。ラジオ体操はいつも誰よりも綺麗だと褒められるのが俺の唯一のと言っても過言な取り柄である。
「近藤? 深呼吸して何かあった?」
「え? いや、何も?」
「そっ、じゃあ早速やるか」
周は持ってきた鞄をリビングに置いて、その中からエプロンを二つ取り出した。
「はい、これ近藤の分な」
「え、良いの?」
「近藤にあげるために買ってきたんだから貰って」
俺は断れる訳もなくと言うか断る訳がなくそのエプロンを受け取って着た。
サイズは少し小さいようにも感じたがまあ着れないこともないので何も言わない。
「じゃあ、なにか作ろうか。丁度お昼だしお互いに作ったものを食べ比べとかにしようか。食材は心配しなくていいぜ、買ってきたから」
周の鞄から次々に食材が出てくる。
「え、周もしかして自腹…」
「そうだけど、気にすんなよ僕が僕のために買ってきたんだから」
周はそう言って我が家の台所に立った。
「なんか、新鮮だな」
「何が」
「俺と父さん以外の誰かが台所に立ってるのが」
周は俺の家庭の事を知っている。事前に伝えたからだ。
初め周はそんなことを聞かされてどういう反応をしていいのかわからないといった表情をしていたが、何かを納得したように軽く頷いて僕も同じようなものだからと言った。
前に周から聞かされた話だと周は別に片親と言うわけではない筈なのだけど。
「調味料とかどこに仕舞ってんの?」
「ああ、調味料はここ」
まあなんにせよ、周とこうして昼食を作り合っている今が俺にとって嬉しいことだからなんでも良いか。
それから少しの時間でお互いに料理を済ませてカレーライスをテーブルに並べた。
その頃には初めの緊張感は消えていつも通り、学校の時と何ら変わりない態度で互いに接していた。
「いやー、周やっぱ料理うまいな」
「そんなこと言ったら近藤だって上手く作れてるよ」
「周に褒められるとなんか照れるな」
周は俺の向かい側に座って、早速俺が作ったカレーライスにスプーンをつけた。
俺も周が作ったカレーライスを口に運ぶ。
温かい白ご飯と辛口のルーが良い具合にマッチしていてとても美味しい。やはり、周は料理のスキルが飛び抜けている。それでいて、勉学も学年順位が高いので本当に凄い。
そんな、小並感を抱きながらカレーライスと口を行き来するスプーンの速度がどんどん上がってすぐに皿の上のカレーライスは消えてしまった。
「ごちそうさま」
「はや」
周は驚いて持っていたスプーンが止まっていた。
周の前に置かれたカレーライスは半分程減っていた。
「まだ、二分も経ってないよ」
時計を見るとカレーライスを机に置いてから時間が殆ど変わっていない。
俺は、早食いと言う意外な才能を持っていたのかもしれない。
「そう言えば、近くのデパートでさ明日の映画のチケット当たったんだけどさ」
「へぇ~、良かったじゃん」
「それでさ、近藤も映画見ない?」
「え、行きたいけどチケット二枚あるのかよ」
「二枚当たったからな」
周はポケットから最近話題の国民的アニメの映画チケットを取り出した。
「行くだろ?」
「おう!」
周もカレーライスを食べ終えたのはこの話から五分後だった。
「ごちそうさまでした」
「周、スマブラしない?」
「ん、良いよ。その代わり負けた奴はジュース奢りな」
「良いぜ、でも俺ネット対戦でもそこそこ強いよ?」
「僕だって、伊達に帰宅部やってない」
お皿をシンクに出して部屋へ案内する。と、言ってもそこまで家は広くないので俺が先を歩いていただけだけど。
綺麗にした部屋に周を入れると周はここが近藤の部屋か案外綺麗なんだねと心外なことをボソッと呟いた。
俺はそれを聞こえていない振りをしてテレビの前に置いていたゲーム機を起動する。
「周はそこのコントローラー使って良いから」
「サンキュー」
そこから俺と周は色んなゲームを梯子しながら時間を潰した。
とても有意義だったと思う。周も友達とこんなにゲームをしたことないからと、とても楽しそうにしていた。
因みにジュースを奢ることになったのは俺だった。おかしくない? 俺結構自信あったのに殆ど負けたんですけど。周実は勉強しているように見せかけてゲームしてない?
周曰くゲームも時間と効率を求めれば上手くなるとのこと。
そんなに上手く行くもんかね。
あっという間に時間は過ぎて気が付けば、日は暮れかけていた。
「周、今日は泊まっていくか?」
「いや、帰るよ」
即答だった。まあ、そうですよね。
「それじゃあな」
荷物をまとめて周は玄関へと向かう。俺も後を追うように玄関へと向かった。
「じゃっ、また明日」
「明日はどこ集合にするよ」
「確かに、うーん学校とかが丁度良いかな」
「おけ、時間は?」
「映画が午後に放映だから、その一時間前くらいには集合で」
「わかった」
土日どちらも周に会えるとかどんだけ俺は前世で徳を積んだのだろう。
周が帰り俺は一人リビングに戻る。
「ふぅ」
シンクを覗いて皿を洗う。周は自分の皿を食べ終えた時に洗っていたので今洗っているのは自分の皿。周に序でに洗ってあげるけどと言われたが遠慮しておいた。
その時、近藤って変なところで遠慮するよなと不思議な目で見られた。
周と早く遊びたかったから出来るだけ周が皿を洗う時間を少なくしたかったのが本音。
皿を洗い終えて自分の部屋に戻る。
ついさっきまで周がいた跡が残っているのを見て寂寥感が背中にもたれ掛かる。
「あっ」
そう言えば楽しすぎて写真の事を聞くの忘れてた。
俺は机の引き出しから写真を取り出す。前に見たときと何ら変わりなくそこには今にも下敷きになりそうな周が写っていた。
「マジで、これなんなんだろう」
いつ撮ったのかも誰が撮ったのかもわからないこの写真。しかも、写真の時間を進めてしまえば周は――
写真を引き出しに戻して引き出しを閉じた。
朝、と言ってもお昼に限りなく近い朝。
俺は高校の正門で周を待っていた。
昨日の夜送られてきた詳細情報には今から五分後に高校に集合とあるので少ししたら周も到着すると思う。
「近藤! おはよう!」
「周!」
噂をすればなんとやら。
周の格好は昨日のようにラフな格好で、お洒落というか動きやすさに重きを置いているように見える。
斯く言う俺は緊張しすぎた結果いつも通りの休日と同じ服装を着てきた。やはり、落ち着くものを着るのが一番だとクローゼットの中の服を全部着て実感した。
「こっからバス乗るんだろ?」
「そうだね」
話しながら歩く。
「今回見る映画の情報俺一つも知らないんだけど周は知ってる?」
「うんん、僕も全く知らない」
「じゃあ、お互いに何も知らないんだな」
「まあ、予備知識ゼロで見る映画も楽しいから」
「それもそうだな」
バス停について時刻表を見る。あと、十分後にバスが到着する予定だ。
「そうだ、周さこの写真に心当たりない?」
俺は小さい肩掛け鞄から写真を取り出して周に渡した。
周はそれを受け取って首を傾げた。
「近藤、これなんにも写ってないけど」
「は?」
周から返された写真は全くの白紙で何も写っていない。
持ってくるのを間違えた? いや、そんな筈はない。だって、周を待っている間も何度かこの写真を見た。その時はハッキリと周が写っていた。
「近藤?」
「ごめん! 今の忘れて、間違えちった」
「そう? 別に忘れなくてもいいと思うけど…」
俺は取り敢えず写真を鞄に戻す。おかしい、絶対におかしい。いくら、俺の頭が残念だからと言ってさすがにここまで記憶と矛盾することは…テストでは良くあるけど! でも、これは違う。
「近藤、バス来たぞ?」
「ん?」
周に言われてからバスが停まっていることに気が付いた。
「考え事してただろ」
「え、なんでわかったの」
「だって、阿呆そうな顔してたから」
そこは、知的な顔してて欲しかったよ俺。
「で、なに考えてたんだよ」
「あーいや、そう言えば今日はグラビアの発売日だったなって」
「それなら、あの顔も納得だわ」
いやほんとに、どんだけ阿呆そうな顔してたんだよ。
俺は写真の事について深くは周に言わないようにした。言ったとしても信じて貰えないだろうし。それに、この写真元は周が電光掲示板に潰されそうになっている写真だったなんて、写真を見せて証拠があるならともかく、何もなしに周に言える訳がなかった。
考えはまとまらないままバスは次々にバス停に停まっていく。そうして
「近藤、着いたぞ」
目的の場所まで着いてしまった。
もう、ここまで来れば考えるのを止めて周との時間に集中した方がいい気がしてきた。
バスを降りて、映画館があるところまで少し歩く。
「なあ、時間あるから昼ご飯食べね?」
周がそう提案してきた。
俺達が住んでいる町は片田舎でバスの利用者が少なく人の居ないバス停はたまに停まらない時があって、思っていたよりもバスが早くに着いたお陰で時間には余裕がある。
「いいけど、なに食べるよ」
「僕はラーメンの口だけど、近藤は?」
「奇遇だな俺もラーメン良いなって思ってた」
トントン拍子に昼食が決まったので早速スマホで最寄りのラーメン店でレビューが良いお店を探した。
この辺りは映画館があったりするので割と栄えておりラーメン店だけでも結構なお店の量がある。その中から、周が提案したラーメン店に行くことにした。
そのラーメン店は、所謂家系ラーメン店で濃厚な豚骨醤油スープ、特徴的な中太ストレート麺、ほうれん草やチャーシュー、海苔といったものが特徴的なラーメン店だった。
店内はカウンター席と座敷の所があって俺達はカウンター席に座った。
人は休日の昼頃ということもあって多かった。
席に座ってすぐにメニューを開きどのラーメンを注文しようかと吟味する。
ここはやはり定番の豚骨かそれとも、久々に醤油も捨てがたい。
チラリと周の方を伺うと周もメニューをじっと見つめてどのラーメンを注文しようかと悩んでいるようだった。
「周は決まった?」
「僕は豚骨にしようと思う」
「じゃあ、俺は醤油にしようかな。別々のにしとけば食べ比べ出来るしな」
「わかった」
注文を済ませてラーメンが届くまでの時間は一瞬で圧巻だった。何せ目の前で湯切りをするところを見れるのだ。それはもう釘付けになる迫力だった。
周も若干興奮気味に注文したラーメンが出来るところを見ていた。
カウンターにラーメンが置かれると同時にお待ちと、漫画でしか聞いたことのない定番の台詞が聞こえて置かれた。俺はラーメンが光輝いているように見えた。
「周、これ、どうやって食べるのが正解なんだろうか」
「好きなように食べたらそれが正解だろ」
「出ました、周の名言」
「うっさい、早く食べないと映画の時間もあるからな」
「はーい」
これだと宛ら園児と保育士じゃないか。
そんなことは置いておいて、俺は目の前のラーメンをどう食べるかを考えていた。
周は好きなように食べれば良いと言っていたけど、それがまた難しい。
チャーシューから行くべきか、それとも麺から行くか、はたまたスープか。
思考はぐるぐると廻り廻る。
「近藤、食べ比べするんだろ?」
「え、ああ、うん」
「ほら、良いよ」
周が差し出した豚骨ラーメンを少しだけ貰う。
「うま!」
それがきっかけで俺は自分の注文した醤油ラーメンの味が途轍もなく気になった。
豚骨ラーメンがこれだけ美味しいんだ。
もう別にどれから食べても良いじゃないか。
俺はラーメンを漸く食べようと麺に箸をつけた。
「こっちもうま!」
やはり、ラーメンはインスタントのよりも店に行って食べるのが一番旨い。
「ところで、僕の分は?」
「え」
「え、じゃなくて近藤も醤油ラーメン少しくれよ」
確かに勢いのせいで忘れていた。
周には俺が麺から食べる勇気を貰ったしサービスでチャーシューつけといてあげよう。
「醤油も旨いな」
「だろ? 豚骨も充分に美味しいけど醤油も違った美味しさがあるよな」
二人で味の感想を言い合いながらラーメンを完食し、ここからがいよいよ映画館だ。
映画館も休日ということがあって人が多かった。
チケットを買ってポップコーンも買うかと周に聞かれたがラーメンを食べてお腹は満たされているので遠慮しておいた。その代わり飲み物はオレンジジュースを頼んで受け取り、予め決まっていた席に座った。
アルファベットがDの真ん中の席ということでスクリーンの全体が見えてとても良い。
「楽しみだね」
「そうだな」
友達とこうして映画に来るなんて何年振りだろうか。と言うかそもそも、映画を見に来たのも五年振りのような気がする。
確かあの日は母さんと一緒に来たんだっけ。
スクリーン以外の照明が暗くなっていく。
隣に居る周の顔がスクリーンの明かりに照らされて見えた。
ふと、周がこちらを見た。
「どうかした?」
「…いや、なんでもない」
「そう? あっ、始まるぞ」
スクリーンに映し出されたのは主人公とその仲間達。この子達はこれから起こるイレギュラーに挫けても立ち上がって立ち向かっていくのだ。
俺もそろそろ立ち直んないとな。
俺には、スクリーンの奥に居る主人公達が眩しいくらいに見えた。
「いやー良かったね」
「ラストの戦闘シーンマジで迫力凄すぎて俺仰け反ってたもん」
片田舎の寂れた駅のホームには人一人居ない。
一時間四十分の映画を見終えて、帰りはバスでなく電車を使うらしくその待ち時間に映画の感想会をしていた。
映画は国民的アニメの劇場版と言うこともあって老若男女問わず、なんならこの映画しか見たことがない人でも楽しめるよう内容だった。
初めは周と映画に来れただけでも満足だったのだが映画が面白くていつの間にかのめり込むように見入っていた。
楽しかった。嫌なこと全部を忘れる程に。そう、忘れていた。
『まもなく1番線に列車が到着します。黄色い線の内側までお下がりください』
アナウンスが流れて周は立ち上がる。
昼下がりの空の色は怖いくらいに青色で、今にも周が塗りつぶされてしまいそうだった。
「電車来るぞ!」
周は電車の扉が来るであろう位置に走っていく。
俺もそれを追いかけようとした。
コッ
足でなにかを蹴った。
視線を下に落とす。
俺の足の爪先から大体三十センチ先には部屋でアルバムと一緒に見つけたガラス玉があった。
そして、俺は思い出した。
「周!」
刹那、けたたましい音が駅のホームに響き渡った。
「近藤……」
「大丈夫か!」
「うん」
俺は周に覆い被さるようになっていた。
額には嫌な汗が滲み出ている。
危なかった。すんでのところで周を突き飛ばしていなかったら。
脳裏に過ったのはあの写真。
「近藤は大丈夫?」
「膝擦りむいたけどこれくらいは平気。そんなことより駅員呼んでこないと」
俺が立ち上がろうとした時に後ろから声が聞こえた。
音が外まで響いていたようで駅の係員が駆けつけてきたようだった。
「君たち! 大丈夫か!」
係員は俺達を見るや否や焦ったように少し待っていて下さいと言って救急箱を持ってきた。
暫くして、大勢の人達が集まりだした。
俺と周は事情を聞くために部屋に連れていかれて二時間程話をした。
どうやら、あの電光掲示板を留めていたネジが緩んでいたそうだった。
駅の係員は深々と頭を下げて何度も謝っていた。両親にも連絡をいれると言って電話番号を聞いてきた。
俺は父さんの電話番号を係員に伝えたが、周はどうしてもとそれを断った。俺達は漸く外に出た。
外の景色はあの不気味な青空から茜色になっていた。
駅のホームには来た時と違って多くの大人が、電光掲示板の点検と整備をしていた。
落ちた電光掲示板はとっくに消えていた。
ホームに機械的にアナウンスが流れる。
電車が着いて扉が開いた。中に入っても誰も居らず電車の中は閑散としていた。
適当な所に座って漸く緊張の糸が解けた。軽く息を吐く。
隣に座る周が俺の肩を叩いた。
「ん?」
「近藤、改めて言わせてくれありがとう」
「気にすんなよ、なんたって俺は周の友達だからな」
「そう言ってくれると少しだけ気が楽だよ」
「まあ、でもぉ? このお礼は返して貰わないとな。命の恩人って奴だしぃ?」
「なんでもするよ」
重たい空気をどうにかしようと茶化してみたのだけど、逆効果だったようで周は俯きながらそう言った。
周は気が付いていないけど、本当にお人好しだ。
「じゃあ、また今日みたいに遊びに誘ってくれよ」
「…そんなことでいいのか?」
「そんなことで良いんだよ」
電車に斜陽が差してその暖かさに微睡みが意識を奪っていく。
肩に周の頭が乗った俺は周の体温が混ざっていくのを感じながら瞼を閉じた。
※
「ただいまぁ」
「涼真!」
リビングから父さんが案じ顔で飛び出してきた。
「大丈夫か!?」
「うん、膝と腕擦りむいたけどそんなに大事にはなってないよ」
「そうか、よかった」
父さんはホッと胸を撫で下ろした。
「ご飯出来てるから。食べて風呂入って今日はゆっくり寝なさい。あと、明日学校だからな」
「へいよ」
テーブルには温かいご飯が並べられていた。
俺はそれを食べて風呂にも入らずに部屋に向かった。
あの時、ガラス玉は駅のホームにあった。だけど、帰り際にはなくなっていて整備をしていた人にもガラス玉が無かったかと聞いてみたが無かったと言われた。
俺は、ガラス玉を入れていた机の引き出しを開ける。
「…ない」
そこにはなにもなかった。
俺は鞄に入れていた写真も無くなったのかと思いそれを確認しに鞄の中を覗いた。
「写真は、ある」
その写真を取り出して確認した。俺は言葉を失った。変わっていたんだ。写真に写っている光景が変わっていた。その光景は俺が見知った場所だった。
あれから一年。
あの写真はあの日以来白紙になった。元から何もなかったように。
あの写真には初めはなかった光景と日付が付いていた。そう、日付があったのだ。
俺は忘れないように紙に日付と場所を書いたものを机の側に貼った。
その日は段々と近づいている。
去年の夏にあの事件があった時は冷や汗を流したが、そこに周は居なかった。代わりにそこにいたのは写真に写っていたもう一人の子だった。俺は調べた。全校の女子生徒を調べた結果、漸くあの時見た子を見つけた。その子は一ノ瀬 彼方と言うらしい。入学当初からかわいい子がいると話題になっていた生徒だった。なぜ自殺をしようとしたのか迄は流石に解らなかったけど。
だから、あの日補習があった日。俺は心臓が飛び出るかと思った。まさか、本当にあの写真は未来を写していたのだと思った。
この時期に周と一ノ瀬さんが出会ったからだ。
あの写真にあった日付は今年の七月二十三日。そして、場所はこの校舎。
そう、あの時見た写真には校舎の屋上から飛び降りる一ノ瀬さんと周の姿がハッキリと鮮明に色濃く写っていた。
しかも、補習の帰りに周はあのガラス玉を持っていた。勘違いかと思った。似たようなガラス玉なんて五万とあるだろうから。でも、どうしてか俺はそのガラス玉があの時と同じ物だと信じていた。なんでだろうな、直感的な何かが俺にあったのかもしれない。
周はガラス玉を覗いていた目を離して妙な事を俺に聞いた。
葬式があったかとか一ノ瀬さんが見えているかとか。
俺は確信した。あれは未来予知だ。周は、あのガラス玉を通して未来を見たのだろう。
多分だけど周は一ノ瀬さんの事を助けようとして落ちる。なんたって、周はお人好しだから。
今年の七月二十三日周は一ノ瀬さんと共に屋上から飛び降りる。
俺は電光掲示板の時の事を思い出す。
あれも、ガラス玉によって白紙に未来が写ったのだとしたら…全ての辻褄があう。あってしまう。
周がどんな未来を見たのかは解らない。
でも、俺は絶対に周を死なせない。大切な人はもう誰一人失いたくないから。
近藤、結婚しよう。
書いてて一番好きだったよ。マジで、本当に。