2 周『ガラス玉』
「昨日ぶりだね」
席を移動して僕の右隣に座っている彼方さんは僕の顔を見て微笑んだ。
「ちょいちょい」
今度は左に座っている近藤に呼ばれてそちらに顔を向ける。
「え? 周、仲良いの?」
何で彼方さんがいるのかよりもそちらの方が気になったらしい。
仲が良いのかと聞かれれば、その答えはNOだ。
何せ、昨日初めて話しただけの関係だ。
仲が良いも何も、僕は彼女の事を殆ど知らない。だけど、どうなんだろう一応テストの点数競ってるし多少なり話したし…。
僕は近藤からの問いに曖昧に首を振った。
「それ、どっちなんだよ…」
近藤が眉をひそめた。
「何話してるの?」
僕と近藤が小声で何かを話しているのが気になったのか、彼方さんが僕たちの方に顔を寄せた。
「ああ、いや、何で彼方さん夏休みも登校してるのかなって…あはは」
近藤は、普段は軽口がポンポン出てくる癖に初対面の人には軽口どころか口ごもってしまう所がある。
「あれ? 君に名前教えたっけ?」
そして、たまに墓穴を掘る。
「おい!」
「いやごめんって! 咄嗟だったから」
僕は彼方さんに聞こえないように小声で近藤の失態を叱責する。近藤は両手を合わせてわざとらしく片目を瞑って舌をだした。
「もしかして、周くんに教えてもらった?」
「そうなんですよぉ、可愛い子の名前を教えてもらったって昨日はしゃいでましたよ」
「はしゃいでないし、そんなことも言ってない」
早くも普段の調子に戻りつつある近藤の頭を軽く叩く。
「でも、可愛いみたいなこと言ってただろ」
「言ってない」
「いやいや、昨日自販機でジュース買った後にさ」
「もう、覚えてない」
「えー、でも絶対にそれっぽいこと――」
僕と近藤が漫才のような会話をしていると不意に彼女が吹き出した。
「ごめんなさい、二人が面白くって」
可愛らしく口元を押さえて笑っている姿は、普通の女の子そのものだった。
余計に、昨日近藤から聞いた話が嘘では無いかと思えてくる。
「それで、私が登校している理由は出席日数を誤魔化す為だよ」
笑いのほとぼりも冷めて涙を人差し指で拭いながら彼女は話題をもとに戻した。
「誤魔化す?」
「うん、私登校日数足りないから補習の日と追加で十日間夏休みに学校に来て一人で自習したり、プリント解いたりしなきゃいけなくて。それだけしてくれたら、一学期の成績は大目に見てくれるって」
「去年はどうしてたの?」
「去年は色々あってさ、学校側が配慮してくれたからなんとか進級はできたよ」
そんな会話をしていると、教室に昨日と同じ教員が入ってきた。
「あれ? 周、テストは昨日全部やったぞ。何か忘れ物でもしたか?」
「いえ、そうではなくて、今日は自習しに来たんです」
教員は「近藤も見習え」と言って近藤と彼方さんにプリントを配る。
近藤は苦笑いをした。
「じゃあ、先生は職員室に居るから。何かあったら呼んでくれ」
ピシャリと教室の扉が閉まる。
その瞬間、近藤が口を開いた。
「ねぇ、聞きたいんだけどさ」
僕は嫌な予感がした。基本的に近藤のことを信用しているが、その人になれてくるとこいつは人の心のエグい所を抉る時がある。
「なに?」
「一ノ瀬さんって、何で自殺未遂なんてしたの?」
僕の予感は的中した。ノンデリかます時が有るとは知ってたけど、まさかこんなにもどでかいのをかますとは。
「おい! お前馬鹿だろ!」
「何が?」
「お前、野球部の中で万年ベンチだけどどうして? 何て言われたら嫌だろ、それと一緒だよ!」
それと、これとでは規模が違うが。
近藤は僕の言葉を一瞬で頭の中で咀嚼していく。
そして、何かに気がついたように目を見開くとみるみるうちに顔が青ざめていった。
「ああ、今の無し! 忘れて忘れて!」
「気にしないで、なれてるから」
慌てて訂正する近藤を他所に彼方さんは眉をハの字に曲げて言った。
僕と近藤は顔を見合わせた。
僕はすぐに近藤と一緒に謝らないといけないと思った。
「早く、謝った方がいいよな」
「うん。えっと…ごめん」「ごめん」
「本当に大丈夫、皆に聞かれすぎてもうなれたから」
彼女は無理をしたような笑顔を僕達に向けた。
その顔がいたたまれなくて、僕は目を逸らした。
こんな雰囲気にした張本人もアワアワと視線を泳がせている。
「ほら、近藤くんプリントやろう。周くんも、課題やるために来たんでしょ? 早くやらないと終わらないよ」
彼女に促されるまま僕達はそれぞれ目の前の課題に当たることにした。
はじめは、気が散って集中なんてできなくてこれだったら家にいた方が幾らかマシだったなんて思いでペンを走らせていたが、やっていくうちに段々と集中が続くようになっていった。
「一旦、休憩しね?」
近藤が、勉強を始めて一時間程でペンを置いた。
確かに長時間問題とにらめっこしているのも疲れる。ここらで、休憩を入れるのがベストかもしれない。
「そうだな、五分くらい休憩しようか」
「よし、じゃ俺トイレ行ってくるよ」
「それが、目的か」
「ばれちゃあ仕方ねぇな…ちょっほんとに茶番してる暇ないわ」
余程トイレに行きたかったのか近藤は茶番を切り上げ素早く立ち上がって教室を出ていった。
「私も休憩しようかな」
彼方さんも同様にペンを置いて立ち上がった。
「んん、はっあ」
彼女は背伸びをしたり、体を捻ったりして疲れを解して、僕の方へプリントを持ってきた。
「少し良いかな」
「全然良いよ」
「ここ教えてくれない?」
差し出されたプリントの問題は確かに難しい。
「近藤のプリントとは違うのやってるんだな」
チラチラと近藤がちゃんとプリントをやっているのか見ていたから大体の内容は把握していたが、彼方さんがやっているプリントは明らかに近藤のやっているものよりもレベルが高い。
「まあ、私意外と勉強はできるし…」
差し出されたプリントの出来映えを見れば彼方さんが勉強できるのはわかる。
僕は早速、彼方さんが解らないところを教えた。
「ここの公式は、こう使うと良いよ」
「成る程…」
彼方さんは飲み込みがはやく僕が少し教えるとすぐにできるようなった。
「教え方上手いんだね周くん」
「いつも、近藤に教えてるからね」
近藤の場合何度も教えてやらないと習得しないため、僕は必然的にどんどん解りやすく教えるのが上手くなった。
「近藤くんとは、いつも一緒にいるの?」
「学校にいる時は殆ど近藤と一緒かな」
「そうなんだ」
どうしよう、話題がない。
日頃から近藤とばかりつるんでいたから話題を自分から作るのになれていない僕は、そこで会話を終わらせてしまったことを後悔する。
近藤、早く帰ってこい。
彼方さんの一挙手一投足がとても遅く見えた。
「周くんはさ」
たった数秒の無言を破ったのは彼方さんだった。
「私の事、どう思う」
僕は彼方さんの問いになんて答えれば良いのか解らなくて口ごもる。
「私、普通に見える?」
「それは、どういう…」
「たぁだいま!」
勢いよく教室の扉が開いて、近藤がトイレから帰ってきた。
近藤は自分がもといた席に座ると僕と彼方さんの方を見て咳払いをした。
「なんか近くね」
「え?」
近藤に言われ、僕は彼方さんの方を見ると確かに距離が近い。
「これは、プリントの解らないところを教えていただけ」
「ほんとかなぁ」
「逆にそれ以外に何があるんだよ」
近藤を適当にあしらって、僕達はまた勉強に戻る。
そこからは、一時間毎に五分間の休憩を挟んで教えあったり、雑談をしたりしていた。
気が付けば、時刻は六時で近藤も帰り支度を始めた。
「この後、先生にプリント出しに行ったら一緒に帰ろうぜ」
「ああ」
僕は鞄の中に机に広げていた勉強道具をしまう。
彼方さんはプリントを解き終えて持ってきていた本を読んでいた。
「彼方さんも一緒にプリント持ってく?」
「ううん、私は後で持っていく」
「解った、僕達はこのまま帰るよ」
「あの」
彼方さんが鞄をもって近藤と教室から出ようとした僕を引き留めた。
「周くん明日も来る?」
近藤が僕の脇腹を肘でつつく。
近藤の思惑通りになるのは少し癪だが、この視線に当てられて来ないといえる程度胸はない。
「うん、明日も来るよ」
結局僕は、明日も学校に来ることになった。
「あ、プリント出す前にちょっと部室よっていい?」
「全然良いけど、何か忘れたの?」
「ああ、いや少しな」
近藤は神妙な面持ちで目前の部室を見据えた。
部室は寂れていて、蔦が絡まっている倉庫のような場所だった。
僕は生唾を飲んだ。
一体、何を忘れたんだ。好奇心が部室のドアを開けろと急かしてくる。
キィと音がなり部室にはいるとバンッと大きな音を立てて扉が勝手に閉まった。
「何、忘れたんだよ」
「確かこの辺に…あった!」
近藤が右手に抱えていたのは――
「エロ本かよ!」
エロ本だった。しかも、熟女もの。別に人の趣味はとやかくは言わないが、近藤がいつもお勧めしてくるグラビアアイドルは胸の大きい華奢な女の子ばかりだったので、この手のものとは無縁だと思っていた。
近藤は僕の顔を見て目を細めた。
「これ、先輩が持ってきてて昨日回収しといてくれって言われたものだからな」
「え、ああ、うん」
野球部の奴らは普段どんな会話を部室でしてんだよ。
近藤は鞄の中にエロ本を仕舞って、部室の外に出た。
「うお!」
そして、よろけた。近藤の背中が僕の顔面に直撃し、僕は尻餅をついた。
「痛ぁ」
「すまん!」
謝る近藤の後ろには人影があった。
「大丈夫気にすんな、それよりその人は?」
近藤は後ろを振り返りぶつかりかけた女の人を見た。その人も尻餅をついていた。長い黒髪に、凛々しい顔つき。間違いなく美人の類いだろう。
「大丈夫!? ごめんね、部室から誰か出てくると思ってなくて」
女の人は立ち上がると思っていたよりも背が高く近藤よりもニセンチ程しか変わらない。
「ってあれ、近藤くん? 補習終わったの?」
「今日の分は何とか」
「部室で何してたの?」
「えっと、あの、いやぁ…」
流石の近藤でも女子の前でエロ本の事は言えないようだった。
「忘れ物してたみたいで」
咄嗟に僕が助け船を出してやった。
すると、彼女は視線を近藤から僕へと移すと目を見開いてえっ! と声を上げた。
「…どうかしました?」
近藤も僕も急に大声を出されて困惑していた。
彼女はハッと我に返った。
「ごめんなさい、何でもないです。私、これ戻しに来ただけなので」
両手で抱えたベースを棚の上に置いて彼女はそそくさと更衣室の方へ走っていった。
「で、近藤。今の誰」
「知らないのかよ。三年生で一番かわいいと噂の野球部のマネージャー、『野球部の』真島 歩先輩」
「野球部そんなに強調しなくて良いから…」
だって、言われても誰だかさっぱりわからない。
「一回だけ、周も話したことあると思うんだけど」
「いつ?」
「ほら、今年の春、俺がスパイク教室に忘れて周にダッシュで取ってきてもらった時」
「ああ、あん時」
ああ、確かにあの時いたな。
「でも、何か僕避けられてなかった?」
彼女は僕を見るなり、足早に更衣室の方へ行ってしまったのだ。
「まあ、周。あまり気を落とすなよ。俺は周の良いところ沢山知ってるからさ」
小麦色の肌から覗く白い歯がキラリと輝いたような気がした。何かウザイ。
取り敢えず、近藤の回収したいものも回収したので僕たちは職員室にそのまま向かった。
近藤と一緒に教員にプリントを出し終えて、昨日と同じように一緒に帰ることになった。
昨日よりも明るい空を眺めながら自転車を押して歩く。
「周さ、もしかして、一ノ瀬さんに惚れた?」
「はぁぁぁ!?」
「声でっか」
夕暮れに僕の声が響いた。
「なんで、そんな話になるんだよ」
「だって、妙に周が甘いっていうか。俺が頼んでも学校来るの渋ってたのに、一ノ瀬さんが頼んだら即答って」
「別に甘くないだろ、いつも通りだ。あと、即答はしてない」
「そうか、そうか」
近藤は立ち止まって手を額に当てる。
「…なんだよ」
「いーや、何もないぜ?」
近藤は必死に口角を上げないようにしているのか、唇の端が痙攣していた。
僕は深掘りすると面倒くさそうなので見なかったことにして、話題を無理やり変えることにした。
「なあ、今朝言ってたやつ見せてくれよ」
「どれだよ?」
「あれ、インスタで見つけたって言ってたやつ」
「あーね」
近藤はスマホの電源を入れて素早くフリックして画面を見せた。
「うわ、えっぐ可愛い」
「だろ?」
他愛もない会話をしながらぼちぼち歩く。
昨日よりは、暑さはマシなような気がするがそれでも夏だと強く感じる程に汗が出ていた。
「近藤、昨日の分のジュース奢ってくれよ」
「良いけど、まだ結構自販機まで距離あるぜ?」
「お前の荷物籠に入れて走れば速くなる」
「やっぱ周、鬼だろ」
「寧ろ良心的だ」
「だったら、自転車貸してくれよ。走るよりも絶対に速いから」
「確かに」
驚いた、近藤が僕より良い案を出すなんて。
「周、暑さで頭やられたんじゃねぇの」
「あり得る」
そんなことを言いつつ僕は近藤に自転車を渡す。
近藤は自分の荷物を備え付けの籠に入れた。
「マジ爆速で買ってくる」
「頼んだ」
近藤に対して僕は親指を立ててお願いと感謝を同時に伝えると、近藤は全力でペダルを漕いですぐに後ろ姿が見えなくなった。
近藤が帰ってくるまで少し休もう。暑すぎる夏にさらされて限界も近いので、日陰に座り込む。
僕は鞄を漁ってガラス玉を取り出した。何度、覗いてもあの時のように奥に何かが見えたりはしない。
「本当に、何だったんだろ」
その瞬間、ガラス玉が淡く光ったような気がした。
僕は沈みかけの太陽にガラス玉を翳す。
ガラス玉の中で何かが動いている。
よく目を凝らすと見えてきた景色は、
――葬式?
黒い喪服を着た大人と隣には近藤がいた。
視点が高くなった。
ゆっくりと誰かの遺影のある場所まで進んで行く。
ぼんやりと見えた遺影の影に目を凝らしたがよく見えない。
僕は更に目を細めた。この遺影に写っている人を僕は知っている。
突然、見えていたものは太陽の光に変わった。
「まぶっ」
僕はガラス玉を持っていた手を遠ざける。
「なにやってんの」
想定していたよりも早く帰ってきた近藤が眉をひきつらせて僕を見ていた。
「速かったな」
「え、そりゃあ自転車借りたし。それより、そのガラス玉…」
近藤が自転車から降りて籠に入れていたジュースを僕に差し出した。
「ありがと。このガラス玉は、拾ったんだ」
「拾った? どこで?」
「昨日、家を出てすぐの草むらで見つけた」
「ふーん、それで何でガラス玉を太陽に翳してたの、普通に眩しいだろ」
「綺麗だったからつい」
僕は近藤が買ってきてくれたジュースのペットボトルの蓋を開けて体に流し込む。
汗でどうにか下げようとする程上がった体温が下がっていくのを感じる。
僕は飲み口を唇から離した。
「近藤、最近葬式なんてあったっけ」
「どうした、いきなり」
「気になって」
「葬式なんて無いよ。どうしたんだよ、熱中症とかじゃないだろうな」
「ちゃんと飲めよ」と近藤もジュースの蓋を開けた。
「なあ」
「ん?」
ジュースをペットボトルの半分まで飲んだ近藤に声をかける。
「近藤にも、彼方さん見えてるよな」
「周、本当に熱中症なんじゃ」
「近藤」
「……見えてるよ。なあ、本当にどうしたんだよ」
近藤がため息混じりにそう言った。
「ごめん、変だったよな」
「そりぁもうすんごく」
近藤はジュースの残りを一気に飲み干して、自転車にまたがった。
「まあ、変になる時ぐらい誰にでもあるさ」
そう言って自転車を漕ぎ始める。
「え、おい! 俺の自転車!」
「昨日の仕返しぃ~」
近藤はそのまま自転車を漕いで常に僕の三メートル程先を進んでいった。
いつも通りの十字路で近藤に自転車を返してもらい、別れて帰路に就く。
その日はもうガラス玉の中に何か見える事もなく僕は眠った。
※
朝から僕の気分は最悪だった。
洗面台に向かう途中でドアの角で足をぶつけ、自転車は通学中に少し大きめの石を踏んでパンクした。
息を吸っておもいっきり吐き出す。
朝から自転車を手押しして結構な距離を歩いたせいで、僕の制服には汗が滲んでいた。
早く冷房の効いた教室で一息つきたい。
「あれ? 今日は遅いね」
僕が自転車を置いて鍵をかけ、漸く教室へ向かおうと立ち上がった時後ろから彼方さんの声がした。
「おはよう」
「おはよう、自転車どうしたの?」
「石踏んでパンクした」
「帰りはどうするの?」
「押して帰るよ」
思えば、最近は近藤と一緒に歩いて帰っているから手押しで帰るのも珍しくない。
帰りは夕方と言うこともあって蒸し暑いが、朝は直接的に暑い。
今まで、自転車で爽快に風を浴びていたから気が付かなかった。
「教室まで一緒に行かない?」
「いいけど」
僕は、彼方さんと一緒に教室まで特に何か話す訳もなく歩いた。
教室の扉を開くと誰も居らず僕は毎度同じの席に座る。彼方さんも同様に座った。
そこから僕はすぐに自習を始めた。
暫く経って昨日と同じ様に教員がプリントを渡しに教室に来た。
「あれ? 近藤はどうした?」
教員は不思議そうに僕の方を見た。
「え、解んないです」
「そうか、一応電話かけとくか」
そう言って教員は教室から出ていった。
それから更に一時間経ったが近藤が教室に入ってくる気配もない。
「近藤のやつ遅いな…」
僕は一応メールに『近藤、補習だぞ?』とは送ってみたが返事どころか既読すら付かない。
――何かあったのか?
僕の中に靄がかかっていく。
探しに行くべきだろうか。
いや、先生も電話をかけたらしい。あれ以来特に連絡が無いと言うことは電話が繋がったのではないのか。でも、やはり探しに行った方が。
堂々巡りの思考が僕の靄を加速させる。
「ねぇ、周くん気分転換に行かない?」
僕が焦っているのが見て取れたのか彼方さんはそんな提案をしてきた。
確かに、こんな状態だと思考は進まない。
少し動揺していたのもあって彼方さんの提案に乗ってみようと思い僕は小さく頷いた。
「じゃあ、決まりね」
立ち上がった彼方さんが僕の手を取った。
僕は引っ張られるまま上へ上へと進んでいく。
「彼方さん、これ以上は…」
これ以上は屋上。
そう言いかけた時、彼方さんが口を開いた。
「周くん運命は変えられると思う?」
「え?」
「例えばさ、私が死ぬはずだったとしてそれをねじ曲げた時私の運命は変わったと思う?」
僕は彼方さんの言っていることが全く解らなかった。
運命? 死ぬはず?
彼方さんの問いに答えられないまま屋上の扉の前まで来てしまった。
「彼方さん、屋上の鍵無いし教室に…」
ガチャッ
「鍵ならあるよ」
彼方さんは人差し指にかけた鍵をくるくると回している。
彼方さんが握っている僕の掌に汗が出てくる。
屋上から感じる陽射しは僕達の立っている場所をゆらゆらと揺らしていた。
この時僕は気が付いた。
あの、ガラス玉に映った景色の真相に。
今、僕の目の前の出来事が僕の考えを肯定している。あの時、ガラス玉に映った景色と今見えている景色が同じだ。
頭の痛くなるような夏の日。
僕はどうやら未来を予知できるようになったらしい。と言っても、漫画とかで良くある超能力とかいう部類ではなく。
ラムネ瓶に入っているような青色に光るガラス玉に瞳を翳すことで、数日先の未来を見ることができると言うものだった。
「周くんさっきの質問の答えを教えてあげよっか。それはね」
だとしたら、この後彼方さんは――
「運命は変わらない」
彼方さんが鉄柵に足をかけた。
僕の脳はその光景をスローモーションで僕に見せてくる。
解ってる、動かないと。解ってる、解ってるんだ。
彼女の姿がゆっくりと沈んでいく。
――運命は変わらない。
僕の体は気付いた時には宙に浮いていた。
ああ、馬鹿だな僕。たった二日一緒に居ただけなのに、いつからこんなにお人好しになったんだっけ。
僕は彼方さんを空中で抱える。
その瞬間、地面に衝突した。
全身の力が抜けていく。
視界が狭くなって――