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10 彼方『始まり』

あれ以来、学校へは行かなくなっていた。彼女の連絡先はあの日の朝のやり取りから何一つ変わっていない。

夏休みに入る少し前、学校から私に封筒が届いた。その中身はこのままのペースで休んでいると進級が危ういとのことだった。

夏休みの間の三日間の補習でのテストと追加の十日間の登校で一学期の成績は何とか取ってくれると書いてあった。

夏の日差しが刺すように私の肌に降りかかるような日。私は学校へ来ていた。

教室までの階段をゆっくり上り補習生はこちらと書かれた張り紙を頼りに教室の前に立った。

中からは男の子の声がした。私は意を決して教室の扉を開いた。


「あーもう! 何回言えばわかるんだよ! 僕は! 貧乳派なの!!」


一瞬沈黙が流れたが、私は何も聞こえていない振りをして入ってすぐの机に荷物を置いた。

でも、そうかぁ。男の子って皆大きいのが好きだと思ってた。私は胸を撫でた。小さくは無い。

私がそんなことを考えていると男の子たちはまた、楽しそうに会話を始めた。彼らは私の事を知らないようだった。

彼らの会話はとても面白くて二人は仲が良いんだなぁと誰が見ても思うだろう。

ふと、坊主頭の男の子に周と呼ばれていた男の子と目が合った。


「君も補習?」


私は静かに首を振った。


「じゃあ、もしかして僕と同じでテスト受けるとか?」


僕と同じで、と言うことは彼も私と同じでテストを受けるのだろうか。

私が首を縦に振ると彼の隣にいた坊主頭で日焼けをしたまさに野球青年といった男の子がなーんだといじけた。

その頭を周くんがグリグリと撫でると、止めろってとその手を払っていた。その顔は満更でもなさそうだった。

ガラガラと私の右側の扉が開いた。大柄の教師が入ってきて、教卓の前に立ち咳払いをして私たちを一人一人見た。


「よーし、じゃあ先ずは先生から話がある」


それから始まったのは、坊主頭の男の子(近藤くんと言うらしい)への説教だった。どうやら、近藤くんは赤点常習犯らしい。

説教が終わると私と周くんと呼ばれていた男の子は先生に言われて別室に連れてこられた。


「お前たちは、ここでテストな。先ずは数学からやるから席に座ってくれ。できるだけ二人が近くにいると先生ありがたいから、真ん中二列の前二列に座ってくれると助かる」


私と周くんは真ん中の一番前の席に隣り合うように席に着きさっそく、机に置かれたテスト用紙を裏返した。

九十分。それが、私と周くんがテスト用紙とにらめっこをした時間だった。

一つ目のテストが終わり隣に座っていた周くんが大きく背伸びをした。私もそれに倣って背伸びをし、彼に声をかけた。


「ん、なに?」

「勝負しない?」


見ていて思ったが彼相当勉強が出来るのだろう。ペンが止まっていなかったから。カンニングはしてないよ? カンニング駄目、絶対!

そもそも、私はカンニングなんてしなくてもそこそこに勉強が出来るからね。


「テスト?」


彼はわざとらしく私に聞き返した。


「うん」

「いいけど、君は自信あるの?」

「私、休みがちだけど、頭には自信ある」


私には自信があった。どれだけ学校を休んでも教科書には目を通していたし、それなりに問題を解いていた。やめたくても勉強の癖は中々抜けなかったから。


「いいよ、やろうか勝負」


周くんは快く私の提案を受けてくれた。

テストは楽しかった。何にも邪魔されないで、私は目の前の問題を解いた。急遽、三日分の問題を解く事になったのは予想外だったけど、楽しかったから私としては良かった。

テストが終わる頃には外はすっかり暗くなっていた。

教員が教室からテスト用紙を持って出ていったのを見てから彼の所に駆け寄った。


「どうだった?」


私がそう聞くと彼は自信気に


「うん、割りとできたかな」


と胸を張っていた。


「ふーん、周くんってもしかして頭良いの?」

「普通だよ」


こんなことをいっているが頭が良いのはこの学校に通っている時点で決まっている。


「そっか、取り敢えず楽しみだね結果が」


そう言って私は荷物をまとめて持った。


「あっ、一つ良いかな」

「なに?」

「名前、聞いといて良い?」


名前。

急に言われたものだから思わず体が固まる。

どうしようかと思った。私の名前はきっとこの学校では有名だろうから、偽名をあの時のように使うべきだろうか。

いや、もしかしたら真島さんと面識があるかもしれない。


彼方かなた


私は彼に聞こえるか聞こえないか位の声で呟くように自分の名前を言った。


「えっと、じゃあ、彼方さんで良い?」


私は小さく頷いて逃げるようにその場を後にした。


夏の空は日が高く暮れるのが遅い。おまけにとんでもなく蒸し暑いときた。

額に伝う汗がうざったい。


――部屋に入ってみたら?


看護師さんの言っていたことを心の中で反芻する。

私が汗を拭い、顔を上げる。目の前の表札には一ノ瀬と彫ってある。

私はポストの下にそっと手を伸ばし固い感覚を手繰り寄せた。

合鍵。

いつもは使わないその鍵を使って私は扉を開けた。

廊下は暗く外とそんなに変わらなかった。

電気を点けて靴を脱ぐ。廊下に足を踏み入れるといつものように軽くギシッと鳴った。

私は一直線に部屋の前まで行った。

前に父から聞いた話だとお姉ちゃんのものは全て残しているらしい。

私は目を閉じて浅く息を吐いてから扉を開いた。

閉じていた目をゆっくり開ける。

変わってない。何も変わってない。全部、あの日から時が止まったように何一つ変わっていない。

お姉ちゃんがいつも寝ていた、ベッドの位置も一緒に勉強した机も何も、変わってない。胸が締め付けられるように痛い。

会いたいよ、お姉ちゃん。

ふと、お姉ちゃんの机の上に見覚えのある物があった。


「ガラス玉」


ガラス玉を手に取り、藍色と茜色の混ざる空に翳す。

淡い青色がほんのり空の色を映して茜色になっている。

ガラス玉の向こうに何かが映ったような気がした。私は目を凝らす。

学校の屋上に私が立っていて、鉄柵に足をかけて落ちた。

たった数分の事の顛末がそのガラス玉に映っていた。きっと、これは私が想像した景色だ。

ガラス玉を持っている手は小刻みに震えている。


「はは、今さら」


私はその場にしゃがみこむ。

涙が頬を伝う。苦しい。胸の辺りが強く締め付けられたように苦しい。

ねぇ、誰でも良い。誰でも良いから、


「助けて」


私の小さな望みは宙に舞ってどこかに行ってしまった。


          ※


翌日。

少し早くに学校に着いた。昨日と同じ席に着いて周くん達を待った。

彼らが教室の扉を開けて入って来たと同時に声をかけた。

かなり驚いたようで周くんの方は固まっていた。近藤くんはこそこそ何かを周くんに話していた。


「なに話してるの?」

「ああ、いや、何で彼方さん夏休みも登校してるのかなって…あはは」


近藤くんの質問に違和感を覚えた。

ああ、名前か。


「あれ?君に名前教えたっけ?」


近藤くんの方にはまだ、名前を教えていないのに今名前を呼ばれた。


「もしかして、周くんに教えてもらった?」


近藤くんは一瞬やってしまったという表情をしたが、すぐにいつものへらりとした顔に戻った。


「そうなんですよぉ、可愛い子の名前を教えてもらったって昨日はしゃいでましたよ」

「はしゃいでないし、そんなことも言ってない」

「でも、可愛いみたいなこと言ってただろ」

「言ってない」

「いやいや、昨日自販機でジュース買った後にさ」

「もう、覚えてない」

「えー、でも絶対にそれっぽいこと――」


二人はいつもこんな調子なのだろうか。何だか熟年の漫才師のようだった。そんな二人を見ていると段々と可笑しくなってきた。

笑ったのいつぶりだろ。


「ごめんなさい、二人が、面白くって」


二人は唖然としているようだった。ぽかんとしたまま二人は私を見ていた。


「それで、私が登校している理由は出席日数を誤魔化す為だよ」


私は人指し指で涙を拭いながら、話を始めに戻す。


「誤魔化す?」


周くんが首を傾げた。


「うん、私登校日数足りないから補習の日と追加で十日間夏休みに学校に来て一人で自習したり、プリント解いたりしなきゃいけなくて。それだけしてくれたら、一学期の成績は大目に見てくれるって」


去年は夏以降は殆ど出席していなかったが、学校側が配慮してくれたお陰で進級できている。

だから、今回が初めての長期休みでの登校。


「去年はどうしてたの?」

「去年は色々あってさ、学校側が配慮してくれたからなんとか進級はできたよ」


そんな会話をしていると、教室に担当の教員が入ってきた。


「あれ? 周、テストは昨日全部やったぞ。何か忘れ物でもしたか?」

「いえ、そうではなくて、今日は自習しに来たんです」


教員は「近藤も見習え」と言って近藤くんと私にプリントを配った。

近藤くんは苦笑いをして、プリントを見て顔を歪めていた。


「じゃあ、先生は職員室に居るから。何かあったら呼んでくれ」


ピシャリと教室の扉が閉まる。

その瞬間、近藤くんが口を開いた。


「ねぇ、聞きたいんだけどさ」

「なに?」

「一ノ瀬さんって、何で自殺未遂なんてしたの?」


きた。

私の方がいつ聞かれるのかドキドキしていたくらいだった。


「おい!お前馬鹿だろ!」

「何が?」

「お前、野球部の中で万年ベンチだけどどうして?何て言われたら嫌だろ、それと一緒だよ!」


周くんの言葉を聞いて、近藤くんはみるみるうちに青ざめていく。


「ああ、今の無し!忘れて忘れて!」

「気にしないで、なれてるから」


今の私は上手く笑えているだろうか。


「早く、謝った方がいいよな」

「うん。えっと…ごめん」「ごめん」

「本当に大丈夫、皆に聞かれすぎてもうなれたから」


嘘をついた。なれるはずなんて無いのに。


「ほら、近藤くんプリントやろう。周くんも、課題やるために来たんでしょ?早くやらないと終わらないよ」


私はこの空気を変えるために明るく、プリントをヒラヒラとかざした。空気は重たいまま近藤くんと私はプリントを解き始めた。周くんは鞄の中から夏休みの課題らしきプリントの束を取り出した。

二人は始め、集中できないようでいたけど段々と問題をちゃんと見始めた。


「一旦、休憩しね?」


近藤くんが、勉強を始めて一時間程でペンを置いた。

その言葉を聞いた周くんもペンを置く。


「そうだな、五分くらい休憩しようか」

「よし、じゃ俺トイレ行ってくるよ」

「おう、行ってら」


近藤くんはやはり運動部だろう。なんたって、物凄いスピードで教室を出ていってしまったから。


「私も休憩しようかな」


私もペンを置いてその場でストレッチを始める。体を動かすとリフレッシュにもなるから、私は良くやる。


「んん、はっあ」


そう言えば、周くんは自習してるんだっけ。プリントの問題解らないところ聞こうかな。

私はプリントを持って周くんの隣に座る。


「ここ教えてくれないかな」


周くんは差し出されたプリントを見て


「近藤のプリントとは違うのやってるんだな」


と一言。私は近藤くんの席に置いてあるプリントを見る。私のと問題が違って、少し簡単な問題が書いてあった。先生ってすごいなと改めて思う。


「まあ、私意外と勉強はできるし…」


早速私は解らない問題の解き方を教えてもらう。


「ここの公式は、こう使うと良いよ」

「成る程…」


周くんの教え方はとても上手で、あれ程解らなかった問題が驚く程早く理解できた。


「教え方上手いんだね周くん」

「いつも、近藤に教えてるからね」

「近藤くんとは、いつも一緒にいるの?」

「学校にいる時は殆ど近藤と一緒かな」

「そうなんだ」


二人の関係が私とお姉ちゃんと重なった。


「周くんはさ」


だからだろうか。

良くないとわかっていても止められなかった。


「私の事、どう思う」


周くんから見て、私はどんな風に映っているのか気になった。周くんは視線をピタリと止めて、私が周くんの目を見ると逸らした。


「それは、どういう…」

「たぁだいま!」


教室の扉が勢い良く開いて、近藤くんが教室に帰ってきた。

そして、私と周くんを見るなり咳払いをした。


「なんか近くね」

「え?」


周くんは私との距離を見てあからさまに顔を赤くした。


「これは、プリントの解らないところを教えていただけ」

「ほんとかなぁ」

「逆にそれ以外に何があるんだよ」


周くんは近藤くんを適当にあしらって、自分の解いていた問題に戻った。私も、プリントを持って自分の席に戻る。そして、さっきの自分の質問を思い出して変なこと聞いちゃったなと自己反省を繰り返した。

その後も何度か休憩を挟みながら気が付けば時刻は午後六時になっていた。


「この後、先生にプリント出しに行ったら一緒に帰ろうぜ」

「ああ」


周くんと近藤くんがそんな会話をしているのが耳に入った。私はプリントを解き終えてからは本を読んでいた。


「彼方さんも一緒にプリント持ってく?」

「ううん、私は後で持っていく」

「解った、僕達はこのまま帰るよ」

「あの」


周くんは頷くと近藤くんと一緒に教室から出ていく。そんな彼の裾を握った。


「周くん明日も来る?」


周くんは少し悩んでいたが、


「うん、明日も来るよ」


と言ってくれた。

二人が居なくなった教室はどこか暗く不気味で、寂しいような感じがした。

二人が教室を出てから三十分後。私は職員室に来ていた。本が一段落ついたのでプリントを届けに来たのだが、職員室には誰も居なかった。

私は勝手に教頭先生の机を物色する。


「あった」


私の想像していた通りそこには屋上の鍵があった。あの日以来、屋上は完全立ち入り禁止になっていた。

私は周りを見渡して誰もいないことを確認して鍵を持ち出した。なんとなく、あそこへ行けばこの気持ち悪さが消えてくれるような気がした。

私はその鍵を持って、屋上へ走った。

立ち入り禁止と書かれた張り紙を他所に私は鍵穴に鍵をさす。

金属の擦れる音がして扉が開いた。

手は震えていた。

外の景色はあの時よりもハッキリと見えた。空を見て、私は目を見開いた。


「…綺麗」


満点の星空がそこにあった。

私は本来の目的を忘れ空の景色に見惚れて、足元まで意識が行かずコツンと何かを踵で蹴った。慌てて足元を見る。

そこには、星空の明かりを反射していたガラス玉があった。


「なんでこんなところに」


私はそれを拾い上げて、空に翳す。星に照らされたガラス玉は深い青色をしているように見えた。

それにしてもなんで、ガラス玉がこんなところにあるのだろうか。私は持ってきていないし、ここは去年の夏から立ち入り禁止になっているので当分誰も出入りしていないはずなのに。

何となくガラス玉の向こうの星空を覗く。

本来なら綺麗な星空が見えるはずだった。


「え」


見えたのは、星空ではなかった。見覚えのある人だった。


「周くん」


ポツリとその人の名前を呟く。

場所は屋上。私と周くんの他には誰もいないように見える。

周くんは、私をじっと見つめている。私は何をしているのだろうか。何故周くんは私と一緒に屋上まで来ているのか。なにも解らない風景がガラス玉の奥に映し出されていた。


「熱っ」


電流が走ったような痛みを感じて思わずガラス玉から手を離してしまった。

ガラス玉はコロコロと転がりそのまま落ちそうになる。

私は咄嗟に手を伸ばしたが遅く、ガラス玉は下に落ちてしまった。

私は一度深く息を吸って吐く。深呼吸をして、状況を俯瞰する。

あのガラス玉に映っていたのは一体何だったのか。あれは、私の望んだ未来なのだろうか。だとしたら、何故周くんだったのか。

私が考えていると正門近くの花壇から教員が戻って来るのが見えた。

私は急いで屋上の鍵を閉めて階段を駆け下りる。が、遅かった。私が職員室に着く頃には教員は既に職員室にいた。


「ん、どうした? 何か忘れたか?」

「いえ、今から帰ろうかと…」

「そうか、気を付けろよ」


私は屋上の鍵を戻せないまま、その日は家に帰った。


次の日の朝は、罪悪感からうまく眠れなかった。そのせいで頭がボーッとするような感覚でゆったりと、学校へ向かった。

きっと、周くんと近藤くんはもう教室で楽しそうに雑談しているに違いないと思っていたから学校の自転車置き場にいた、周くんを見て少し驚いた。

彼が自転車に鍵をかけた音の数秒後に私は声をかけた。


「あれ? 今日は遅いね」


周くんは驚いたように私の方を振り返り、私を見ていつもの表情に戻った。


「おはよう」

「おはよう、自転車どうしたの?」

「石踏んでパンクした」

「帰りはどうするの?」

「押して帰るよ」


周くんは溜め息を吐いた。


「教室まで一緒に行かない?」

「おけ」


二人並んで教室まで歩く。会話こそ無かったけど、それでも私は嬉しかった。高校に入ってから人目を気にして、ろくに会話もしないであんなことを起こしてしまった私にとって、こうして、誰かと教室に向かうただそれだけの事が私はとても嬉しかった。

教室の扉を開けて、中を見渡したが近藤くんはまだ来ていないようだった。

でもまあ、補習開始まで後五分あるからきっとそれまでには来るだろう。そう思っていた。

補習開始の時間になり昨日と同じ教員が教室に入ってきた。


「あれ?近藤はどうした?」


教員は開口一番にそう言った。


「え、解んないです」

「そうか、一応電話かけとくか」


そう言って教員は私達にプリントを渡して教室から出ていった。


「近藤のやつ遅いな…」


周くんが心配そうにスマホを見ている。恐らくメールか何かを送ったのだろう。

私は昨日ガラス玉に映った風景を思い出す。鞄の中にはまだ、屋上の鍵が入っている。

幻聴が聞こえた。耳を塞ぎたくなるような言葉の数々。誰も助けてくれない。誰も私を見ていない。息が荒くなる。助けてと今にも叫びたい。

ふと、昨日見たガラス玉の向こう側を思い出した。周くんなら――。

そんな淡い期待が胸をついた。


「ねぇ、周くん気分転換に行かない?」


何故かそんなことを言っていた。周くんは余裕がないのか、私の提案に頷いた。


「じゃあ、決まりね」


立ち上がった私は鞄から屋上の鍵を取り出し、ポケットにいれて周くんの手を引っ張った。

階段をテンポ良く上っていく。私達の足音は不揃いに響いていた。


「彼方さん、これ以上は…」


屋上。


「周くん運命は変えられると思う?」

「え?」

「例えばさ、私が死ぬはずだったとしてそれをねじ曲げた時私の運命は変わったと思う?」


ずっと、私には解らない。もし、あの時お姉ちゃんの忠告を聞いていたら?

もし、あの時私とお姉ちゃんの立場が逆だったら。


「彼方さん、屋上の鍵無いし教室に…」


ガチャッ


「鍵ならあるよ」


私はポケットから取り出した鍵を人指し指でクルリと回す。

屋上は照りつける夏の日差しによって、清々しいほどに暑かった。


「周くんさっきの質問の答えを教えてあげよっか。それはね」


私には解らないことだらけだけど、これだけは解る。私の運命はきっとずっと前から決まっていたんだ。


「運命は変わらない」


私は何故か恐怖はなかった。運命なんて大仰な事を言ったけど、本当は助けて欲しかっただけなんだ。

助けてとその言葉が私の視界を埋め尽くす。

最後の望み。自分勝手で人を巻き込む迷惑な私の望み。

地面が近づく。私はそっと目を閉じる。

ああ、そうだよね。解ってたんだ。誰も私の事なんて見ていない。よく知らない人を命懸けで助けるなんてどれだけお人好しでもしない。

目を瞑ったままその時を待つ。

最後に看護師さんと話がしたかったな。

そう思った時、私の頭に誰かの腕が覆い被さった。その瞬間私は地面に落ちた。

薄れ行く意識の中、聞こえたのは近藤くんの声と、真島さんの声だった。


「ああ、くそ! 間に合わなかった! 真島先輩は先生を! 俺は救急に連絡します!」

「解った!」

「最悪だ、頼むから死なないでくれよ。周、一ノ瀬さん」


その声を最後に私の意識は完全に途絶えた。

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