7話 レオンの思い出話(絶体絶命の危機)
朝、宿から出た途端に、道の向こうにいたレオンがこちらに気付いて
「リセナ!!!!!!」と叫びながら駆け寄って来た。
そのまま勢いよく抱きつかれたり、肩をつかんで顔を見られたりする。
「大丈夫だった!? なにもされてない!?」
「は、はい、なにも……。探してくれてたんですね」
「いやもう遅くなってごめんね……無事でよかったぁ……」
最近では珍しく、ぎゅっと抱きしめられる。他にできることもないので、リセナは安心させるように彼の背中をぽんぽんと叩いた。
そして、そんな彼女からは見えていないところ。グレイの姿をみとめたレオンの表情に、暗い影が落ちる。
冷たい、底知れぬ眼差しに、グレイはかえって愉快そうに口の端を歪めた。
「お前、まだ俺に楯突く気があるんだな」
死をちらつかせて脅されても、リセナのことは譲れない。レオンの目に宿っているのは、ほとんど殺気だった。
朝一番からあまりに治安の悪い光景に、メィシーは努めて明るい声を出す。
「はいはーい、今度からデートする時は行き先を教えること! 手当たり次第に突っ込んで行くレオくんを止めるの、大変だったんだよ?」
グレイの肩に手を乗せた彼は、そっとささやいた。
「変な噂を聞いたから、あまり離れないで」
他の町への移動中。あくまでもリセナに対しては明るく、メィシーは本日の予定を話す。
「今日は、僕の友人に会ってほしいんです。世界樹の研究をしている男でね、あなたの能力についても何かわかるかもしれない」
「はい……えっと、私の力、世界樹となにか関係があるんですか?」
「ええ、これはとても感覚的な話なのだけれど。あなたから感じる魔力は、世界樹のものと似ているんです。普通は個人の性質に合わせて変化するはずなのに」
「そう、なんですか」とつぶやいて、リセナは自分の左手を見た。ちなみに、彼女の右手は、レオンと繋いだまま歩いている。移動速度は落ちるけれど、彼がグレイにリセナを渡さなかったのだ。ついでに魔力増幅の力を使う練習ということで、こんな形になっている。
やがて、遠くの方に巨大な世界樹が見えてきた。山ほどもある幹に、天高く生い茂る枝葉。目的の町は、あの根元にある。
◆
メモ書きを頼りにたどり着いたのは、世界樹の木陰になっていて薄暗い建物だった。白い壁にはツタ植物がはびこっている。
メィシーが呼び鈴を鳴らすと、程なくして眼鏡と白衣姿の研究者然としたエルフが出てきた。
「なんだ、メィシーじゃないか! 久しぶりだな」
「久しぶり、ダン。きみが里を出てからだから、百年ぶりくらいかな」
レオンとリセナが思わずメィシーの顔を見る。エルフの寿命は平均でも千年あると習いはしたが、彼は一体何歳なのだろう。
メィシーは、リセナを手のひらで指し示す。
「彼女は、例の増幅の力を使えるんだ」
「へえ、魔力増幅を!? オーケー、詳しく検査すればいいんだな! あっ、ちょっとだけ解剖していい? ちゃんと縫うから!」
彼女の口から「ぴぃ」と悲鳴が漏れる。
メィシーは慣れた様子で答えた。
「ダメだよ。人間だって生きてるんだからね、痛いのも怖いのも嫌いさ」
「ちぇっ。じゃあ、まあいいや、お連れさんはそこで待ってて!」
リセナを引ったくるようにして中へ連れて行かれ、レオンはメィシーを凝視する。
「お、おい、あれ、大丈夫なのか? オレたちも中に――」
「はは、一応理性はある男だから、安心して待っていて。彼、昔ながらの保守的なやつでね。エルフ特有の知識とか道具とかを、人間に見られるのを嫌がるんだよ」
今の会話のどこに安心できる要素があったのか。落ち着かない様子で扉の前をうろちょろしているレオンに、メィシーは問いかける。
「きみ、本当に彼女のことが好きなんだね。いつからなの?」
「えっ――」
ちょっと恥ずかしいような気もしながら、でも特に隠す理由もないので、レオンは自分の記憶をたどる。
「どうだろう……リセナとは四歳の時から一緒なんだ。はじめから好きだったような気もするけど、まあ、はっきり意識したのはアレがあってからかなあ」
それは、八年前。二人が十歳の時のことだ。
「隣の領地にブルックって男の子がいて、たまにこっそり、こっちに遊びに来てたんだ。そいつから、森に遊びに行こうって誘われてさ――」
◆
「ダメだよ……!」
リセナが首を横に振る。
「森は、魔物が出るってお父さん言ってたもん」
けれど、レオンの好奇心は抑えられなかった。
「大丈夫! 魔物って言っても、あそこにいるのはスライムでしょ? 核を叩けば倒せるって聞いたよ!」
ブルックも、黒い羊みたいな巻き毛の頭を楽しそうに揺らす。
「そうそう~! 魔物除けも持ってきたから大丈夫やって! 行こう!」
「……でも……うん……」
こうなったら、もう、リセナにはうなずくことしかできない。
そして、結局。森で追いかけっこだなんてことをして、レオンとリセナはブルックとはぐれてしまったのだった。
太陽は雲に隠れて、森全体が暗くなる。さまよい歩く二人のそばで、茂みがうごめいた。
「……!」
一瞬、ドキリとする。茂みの中から現れたのは、うっすら青みがかっているスライムだった。ぷるぷるとしていて、まるで水が意思をもって動いているかのようだ。
「……ふう、スライムか。オレに任せて!」
レオンは手頃な木の棒を拾うと、力任せにスライムの中心にある光の核を叩く。
すると、スライムはパシャリとはじけ、跡形もなくなってしまった。
「やった! ほら、大丈夫だったでしょ!」
レオンが笑顔で振り返る。しかし、リセナは、前を見たまま後ずさりしていた。
「レ、レオ、あれ……」
彼女の視線の先では、また一体、また一体と、次から次にスライムが茂みから這い出てくる。そして、一斉に、レオンめがけて飛びかかってきた。
「うわっ!?」
振り払おうとするけれど、決まった形を持たないスライムは体にまとわりついて離れない。
ばしゃり。顔に冷たい感触。視界が揺れる。
「っ……!?」
ついに彼の頭部も包み込み、スライムは大きな液体のかたまりとなってレオンの体を閉じ込めた。
核を潰そうにも、ひとつに混ざり合って、どれがどの個体の核なのだかわからない。
――え、あ……っ、これ、まずい……!
鼻も口もふさがれ、息が、できない。
「レオ……!」
リセナの叫び声が、水音の向こうでわずかに聞こえる。
苦しい。頭に酸素が回らない。意識が、遠のく。
助けて、と口にすることすら叶わなかった。もう苦しくて、苦しくて、反射的に息を吸い込もうとして――
液体が肺に流れ込む、その前に。
温かな手が、自分の腕をつかんで引いた。
次に彼が目を覚ました時、ずぶ濡れのリセナが、泣きながら自分を見下ろしていた。
「レオ……! 大丈夫!? しっかりして!」
咳き込んで、大きく息を吸って、ようやく状況を理解する。いつの間にか駆けつけていたブルックの魔物除けで、スライムは追い払えたのだろう。
それまでの間、リセナは、危険だとわかった上で自分を助けようとしてくれていたのだ。すぐに逃げ出してもよかったのに、小さな体で、必死に。