6話 誘拐?
夕日が山の向こうに沈むころ、どこからかふらっと帰ってきたメィシーは、リセナに硬貨でいっぱいになった袋をひとつ掲げて見せた。
「はーい、本日の成果です! ちょっとマダムや紳士の皆さんとお茶しただけなんだけれど、みんなお小遣いをくれたんですよ」
一体何を言っているのかレオンにはさっぱりわからなかったが、リセナは「美麗エルフとお話できるカフェ、儲かるかもな……」と考えつつ、両手の紙幣と硬貨の袋を見せる。
「こっちは討伐の報酬で、こっちはマーダーベアから採った素材を売った分のお金です」
グレイに頼んで全身を綺麗に解体してもらったのだが、レオンはその時のことを考えると今でも鳥肌が立つ。
「リセナ、あの直後にグレイをこき使える商人魂どうかしてると思うよ……」
彼の首の包帯を見て、メィシーは肩をすくめた。
「おやおや、やんちゃでもしたのかい? まあ、今日はお腹いっぱい食べて、ゆっくりしてごらん。ほら、こっちに色んな料理店があるよ」
昨晩メィシーも似たような奇襲をかけていることなど知るよしもなく、レオンは気持ちを切り替えて夕食を楽しむことにした。
「うわぁ~本当に色々あるな。肉料理、パスタ、創作料理、山菜――ねえ、リセナはどこがいい?」
振り返ってみると、彼女の姿はどこにも見当たらなかった。
「え?」
しかも、黙って最後尾を歩いていたはずのグレイも見当たらない。つまり、
「うわぁああっ!? あいつ、やりやがったぁ!!!!!」
現在進行形で、リセナはグレイによって街はずれへと連れ去られていた。
また脇に抱えられて、手で口をふさがれて、すれ違う通行人から「え、誘拐……?」という目で見られている。
――うわぁあやっぱり悪い人だった……!?
怯えた子犬のように鼻を鳴らして、弱々しく抗議するリセナ。完全にレオンたちが見えなくなってから、グレイは彼女の口をふさいでいた手を離した。
「……落ち着け。あいつらが邪魔だから離れただけだ。朝には帰す」
ひょっとして、レオンたちが邪魔しなければならないような、とんでもないことをされるのだろうか。具体的なことを知りたかったが怖くて聞けず、リセナには、とりあえず降ろしてもらって大人しくついて行くのが精一杯だった。
この街に到着したときに、最初に見た宿へ彼は入って行く。受付のカウンターで、大きな体を曲げて書類に記入している姿は、なんだか異様な光景だった。
――普通に手続きしてる……。すごい体勢……。
彼にとっては、カウンターが低すぎて文字を書きづらそうだ。
「代わりましょうか?」
リセナがペンを受け取り、あと一文字だけ残った名前の続きを記入しようとする。
すると、彼が「ヴィア」とだけ口にした。
「ヴィア……? あ、ああ、ファミリーネームですか?」
魔王に仕えている暗黒騎士、だなんて言うから、自分と同じように先祖から受け継ぐ名前があることにピンとこなかった。
「……俺にも、家族がいた時期はある」
リセナがあまりにきょとんとしていたせいか、彼はそう答えた。
グレイ・ヴィア――。そういう男の子が昔いて、きっと、彼の口ぶりからすると何らかの理由で家族と離れ離れになってしまった。
それが、彼が魔王を倒そうとする理由に繋がるのではないかと、ふと頭をよぎったけれど。リセナは何も聞けずに、口をつぐんで彼の代わりにその名を記した。
木製の器に入ったサラダとパン、きのこと鶏のクリームシチュー。豪勢ではないけれど優しい食事を二人で無言で食べ、彼がシャワールームにいる間に逃げてしまおうかなんて考えつつ、結局何もできなかったリセナはいま、自分も温かいシャワーを浴びていた。
――わからない……あの人のことも、この状況もわからない……。普通にさらわれてきたし、やっぱり逃げるべきなのかな……。
よく知らない男性と二人きりの夜。しかも、部屋がひとつしか余っておらず、寝る場所は強制的にセミダブルのベッドになっていた。あり得ないとは思っていても、王太子の寝室に呼ばれた時のことを思い出してしまう。
――そもそも、私の力は洗脳でも使えるなんて言ってたしな……。なにかされる前に、逃げるか……。
タイル張りのシャワールームには、なんとか手が届く位置に出窓がひとつある。服を着るために脱衣所へ出ていたら、音できっと気付かれてしまうだろう。
もう、素っ裸のまま窓から外に出て、通行人に不審者だと通報されても構わない。
背伸びをして窓を開け、窓台に腕を置いてよじ登ろうとする。
――ああ、でも、私が逃げたら……レオに危害が及ぶかもしれない。
やっぱり戻ろうとしたその時、腕が滑り、着地も滑り、彼女は後頭部からシャワールームの床へ突っ込んで行った。
「わ――!?」
強く目をつむるが、いつまで経っても衝撃は訪れない。というか、誰かの腕に上半身を支えられている。
おそるおそる目を開けると、わずかに呆れた様子のグレイが自分を見下ろしていた。どうやら窓を開ける音に気付き、音もなく中へ入って来たらしい。
「お前、そんな格好で外に……?」
「うわぁああ違うんです違うんです! この窓は! 夜風を! 浴びようと! けっして逃げようとしたわけではぁ……!」
苦しい言い訳をしながら、彼女は両腕でグレイに抱えられる。
「ひゃ……!?」
縮こまったリセナはそのまま部屋に連れて行かれ、ベッドの上に転がされる。高い所から降ってくるグレイの声も視線も、感情を読み取ることはできなかった。
「俺はな、洗脳なんて、いつ解けるかわからんものを使うつもりはないんだ。だが、そんなに警戒をするのなら……」
彼の大きな手が、こちらへ伸びてくる。
「従順であるべきだと、体に教えてやらないとな」
その後、リセナはふわふわのタオルで髪や体を拭かれ、服を着せられ、布団を被せられて、隣で横になったグレイに肩をぽんぽんされていた。
――これは……普通に、寝かしつけられている……!?
真顔と無言でじっと見つめられることに耐えきれなくなったリセナは、ついつい疑問を口走る。
「あの、これ、私をなつかせようとしてます……?」
「……さっき、そう言ったろ」
「いや、言葉選びを間違えてると思います」
「…………。長いこと、掃き溜めみたいな場所にいたからな」
あまり悪びれた様子もなく、彼は体を起こした。
「落ち着かないのなら、俺は外にいる。なにかあれば呼べ」
すたすたと廊下へ出て行く彼を見送って、リセナはどうしたものかと布団を自分の体に巻き付けた。彼がいなくなって、ちょっとだけ、寒くなったような気がしたのだ。
――さっきの……。彼が、幼いころ、家族にしてもらっていたことなのかな。
さすがに、彼の過去に踏み込む勇気はなかった。今はただ、布団に残ったわずかな温もりを、抱き寄せるようにしてまぶたを閉じる。