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52話 リセナの選択

 目を伏せていたリセナが、前を見て、ついに口を開く。


「まず、私は、あなたたちのことをそれぞれ大切に思っているという前提で聞いてください。みんなの気持ちが、本当に嬉しかった。……それでも、一人だけに、決めるのだとしたら――」


 レオンの胸が、緊張で締めつけられる。


 そして。


 彼の目の前で、その名前は呼ばれた。


「メィシーさん」


 途端に、全てが遠のく気がした。

 彼女の心まで奪われてしまったら――いや、彼女自身が決めたことならば、もう、できることなんてない。

 少し前まで、きっと、自分が彼女の一番だったはずなのに。

 幼い頃から、好きだと言い続けていればよかったのだろうか。学園からの帰り道、愛をささやいていればよかったのだろうか。卒業したら結婚しようと、誰より先に約束していればよかったのだろうか。――いくらでも、時間はあったはずなのに。

 レオンの瞳から、こらえていた涙がこぼれ落ちる。

 ぽろぽろ、ぽろぽろ。きっとどれだけ泣いても、胸が空っぽになるまでは時間がかかるほどの、たくさんの想いがあふれてきて――彼は、途中まで、リセナがその先をなんと続けたのか聞いていなかった。


「――あなたは、私の、世界で一番の、仕事のパートナーでいてください。同じ目標を追いかけて、一緒に、届かないくらい遠い理想も追い詰めてやりましょう。どれだけ時間があっても足りないくらいの、無限の可能性の話を、ずっと私としてください」


 彼女が差し出した手を、しばらく呆然と見つめてから、メィシーは肩を揺らす。

「ふふ、ずるい人だな……」

 伏せた目をゆっくりとあげて、彼は上手に微笑む。それから、彼女の手を優しく取って握手に応じるのだった。

「ええ、いいですよ。なにか思いついたら、僕に一番に教えてくださいね?」


 そこでようやく、なんだか様子がおかしいことに気付いたレオンが、涙でぼやけた視界のまま、不思議そうに彼女の顔を見る。


 リセナは、次に、グレイを見やった。


「グレイ――あなたは、これからもずっと、私の騎士でいてください。平和のために戦って……できたら、ちゃんと、話し合いで解決して。必ず、生きて私の元へ帰ってきてください。その時は……部屋を貸すので、たまには、やわらかなベッドで安心して眠ってください」


 リセナが手を差し出す。グレイは憂いを帯びた顔で眉を寄せ、なにか言おうと口をわずかに開けていたが――結局それは諦めて、深く深く息をつき、なにも言わずに彼女の手を取る。

 そして、身を屈めて目を閉じると、その手の甲に忠誠の口づけをした。


 最後にリセナが視線を移すと、レオンがこの上なく情けない顔で涙していたので、さすがに申し訳なくなってしまった。

「あ……話をする順番、間違えましたね……」

 改めて、彼女は、彼から目を離さないように、緊張や恥ずかしさをなんとかこらえる。

「あの……レオ。色々あって、すぐには出来ないだろうけど、その……私でよければ……」


 彼女に選んでもらえたことが、叫びたくなるほど嬉しいはずなのに、レオンはまだ自分に起きていることが信じられなかった。


「え……待って、わかんない」

 レオンが、自分の両隣を指差す。

「オレ、こいつらに勝てるところなんてない、普通の男なのに。なんでオレなの……?」

「な、なんで……? たしかに、お二人の代わりは、誰にも務まりません。それは、あなたにも。でも――」


 リセナは、戸惑いながらも、尋ね返す。


「あなたは、私が殿下に婚約破棄された時、どうして迎えに来てくれたんですか?」


「それは……きみが、好きだから」


「じゃあ、そのあと、二度もあなたを置いて行こうとしたのに、危険をかえりみずに付いてきてくれたのは?」


「……きみが、好きだから」


「なら、どんなに絶望的な状況でも、最後まで力を貸してくれたのは?」


「きみが、好きだから。それが、オレの全てだから」


 涙声で、彼は言い切った。だから彼女は、


「私は“普通のあなた”にそこまでさせるほどの愛情を、全部、全部受け取りたい。それには、ただの幼馴染じゃ足りないんです」


「っ、リセナ……」

 こんな時でも、彼の思考は簡単にマイナス方向へ振り切れる。

「ねえ、後悔しない……? オレだけ一緒にいた時間が長いからじゃなくて……? そんなの、もう、気にしなくていいんだよ」

 人生のほとんどをかけて積み重ねてきた想いを、気にしなくていいと彼は言う。

「これからのきみを、幸せにできる相手なのかって、ちゃんと考えた……?」


「レオ……あなた……」

 それはあまりに献身的で、寂しい言葉だった。

 だから彼女は、嘘偽りなく、正面から向き合う。

「考えましたよ。あなただけじゃなくて、グレイと一緒になること、メィシーさんと一緒になること。どちらも私は幸せでしょうね」

「うっ……」

「でもね。それでも、レオが私の一番近くにいない未来は、どうしても考えられなかった」


 ――ずっと一緒に、いたからじゃない。


「そう思えるくらいの愛を、なにがあっても変わらずに、あなたが貫き通してくれたから」


 投げ出されても、斬り付けられても、叩きのめされても、よそ見されても、傷ひとつ付かない――彼女が思い描いていたよりも、ずっと、強固で揺るぎない愛を。


 彼は思い出す。彼女は、はじめから自分を危険から遠ざけようとしていたけれど――この想いを貫き通すために、告げられた別れを拒んだことを。どんな痛みも恐怖も、なにもかも、そうやって乗り越えてきたことを。


 彼女が好きで、そればっかりで、ずっと一緒に笑い合っていたいから。


「心配しなくても、そんなあなたが一緒にいてくれるだけで、私は幸せになれます。だから、ね?」


「っ……」


 リセナが差し出した手を、レオンは、もう我慢できずに引き寄せて、抱きしめて、彼女の名前を呼びながら、子どもみたいにわんわん泣いていた。


 ◆


「それでは、僕はそろそろ失礼しますね。――ああ、そうだ」

 メィシーはリセナに微笑みかけてから、まだ鼻をすすっているレオンを一瞥する。

「これからは、彼と一緒に暮らすんですか?」

「ええ、いずれは、そうなると思います」

 リセナがうなずくと、メィシーは、どこまで本気かわからない調子で言った。


「では、僕の寿命を半分あげるので、彼の死後は僕と一緒になってくれませんか?」


「え――」

 固まるリセナを見て、メィシーはくすくすと笑う。

「では、里の用事が落ち着いたら、また連絡しますね」

「はい、お待ちしてま……えっ、あの、さっきのは――」

 彼は、途中で一度だけ振り返って手を振ると、先ほどの提案については何も言わないまま帰路へついた。


 グレイも、かたわらに黒馬を待機させて、リセナの前に立つ。


「……たまに顔を出す。あいつに問題があれば言え。俺が代わる」


「へ、は、はい……!?」

 あいつというのは、レオンのことだろう。ちらりとも見ないから、わからないけれど。


 困惑しながらも、リセナは馬にまたがったグレイを見上げる。

「えっと、じゃあ、お元気で。いつでも帰ってきてくださいね」

「……ああ」

 短く返事をすると、彼は、振り返らずにそのまま馬を走らせて行ってしまった。ただ、返事自体は短かったけれど、いつもより、惜しむような間がその声にはあった。


 リセナと二人きりになってから、レオンがハッとして叫ぶ。


「えっっっ!!? ねえ、あいつら、全然諦めてなかったよね!!!?」


 油断をしていたら、やられる――。

 レオンは、このさき一生涯、良き夫であり続けることを心に誓った。脱いだ服を散らかさないし、家事と育児は分担するし、ケンカしたらごめんなさいが言えるし、愛情だってちゃんと伝える。


 そして。


 この世界でなによりも、彼女だけを、ずっとずっと愛し続ける。

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