43話 欲望
ふと気がつくと、メィシーは、見慣れた里山にいた。木々の開けた小高い丘に座っており、隣にはリセナがいる。
彼女は、こちらを見て、こてんと首をかしげた。
「どうしたんですか、メィシーさん?」
「いえ……」
彼女の声も、姿も、春風が頬をなでる感覚も、やけに鮮明だ。
――これは、幻覚というレベルじゃないな……。
早く先へ進まなければと、メィシーは立ち上がる。
「では、僕はこれで。魔王を倒しに行かないといけませんので」
「魔王? もう倒したじゃないですか。今のところ、新しく現れてないって聞きましたけど」
目を丸くしてから、彼女は遠くの空を眺めて顔をほころばせた。
「あれから、色んなことがありましたよね。ハルバ鉱石の代わりに、クリスタルを普及させるのは大変だったけど。人とエルフで力を合わせて、技術や制度を新しくして、生活水準を上げて……やっと、日用品の動力源としても一般的になりました。ここまで、百年はかかりましたよね」
「ひゃくねん……」
メィシーは、思わず、たどたどしい発音で繰り返してしまった。そして、こらえきれずに肩を揺らして笑う。
「はは、本気で騙しに来るなら、もっと現実的な設定じゃないと。百年も経って、人間の姿が変わっていない、なんてありえない」
「なに言ってるんですか。あなたが、私に半分寿命をくれたのに。だから、ほとんど変わってないんですよ?」
信じられないと言わんばかりの表情に、メィシーもつられてしまった。
――これは、僕の欲望を反映した幻覚のはず……。寿命を半分も渡すなんて、さすがに、僕がそこまでのことを願うかな……。
リセナは、今度は不安げに、こちらを見上げた。
「大丈夫ですか、メィシーさん。さっきから、なんだか様子が……。もしかして、記憶がないんですか?」
彼には、それだけで合点がいった。
――ああ、彼女なら、本当にそんな顔をするだろうな。自分を裏切った男のことを、本気で心配して……。それが、愛情からなのか、自分の利益のためなのか……。
「……愛しているからだと、言わせたいな」
「……?」
「いえ、こちらの話です。あなたといるのが楽しくて、つい長居をしてしまいました」
メィシーは、リセナに優しく笑いかけて歩き出す。
「これは、未だ来ていない話ということで――。楽しみですね。僕は現在を進めに行くので、どうか、未来で待っていてください」
彼女と同じ時間を生きて、二人で手を取り合えたなら、残りの七百年だかが半分になったところで大した問題ではないのだ。
それほど、彼女と語り合いたい可能性が、彼には山のようにある。
◆
グレイが立っていたのは、幼い頃に住んでいた家の玄関だった。
扉を開けてすぐの所に、居間があって、テーブルにはシチューとパンが並べられている。そこに、サラダの入った皿を置いて、母がこちらに目をやった。
「いつまで立ってるの、グレイ。早く入ったら?」
大柄な父が部屋から出てきて「ああ、おかえり」と笑う。――いや、体が大きいと思っていたが、今のグレイよりは一回り小さかった。
本当に二人がこんな声をしていたか、よく思い出せないけれど――きっと、こうだったと、胸の中のなにかがささやいた。
それでも、グレイは家には入らず、方向を変えて歩き出そうとする。しかし、今度は、スラム街ではじめて会ったはずのノアが、まるで友達みたいな顔をしてやって来た。
「あっ、グレイ、これから町へ遊びに行かない?」
家の中から、母が「あら、お友達?」と尋ねる。
「違う」
反射的に答えて、ノアを無視して行こうとしたら、彼は横の方を指し示した。
「ちょうど、彼女とそこで会ったんだ。三人で、どうかな?」
少し離れた所で、リセナが、こちらをうかがうように見上げている。
死んだ人間と、生きた人間を混ぜてぶつけてくるなんて、役に立たない幻覚だと彼は思う。これに引っかかる人間がいることも、よくわからなかった。
構わず進む彼に、ノアが構わずすり寄って来て耳打ちする。
「ねえ、まだ彼女とは結婚しないの? その気がないなら、ボクがもらってもいい?」
ノアはそういう人間だ。綺麗で儚い顔をしておきながら、全力で人のものを奪おうとする。あと、無駄話をするのが好き。
しかし、グレイは、それより、彼にそんな台詞をしゃべらせているのが自分なのだということに呆れ返ってしまった。
「くだらん……今さら、俺が、人間の枠に入れるものか」
結婚という言葉の意味は、さすがに知っている。両親がしていたから。家族になるということもわかっている。自分も、その一員だったから。
一人で歩いて行くグレイの手を、リセナがつかむ。
「グレイ……」
彼は、それを――現実ではないとわかっていて、ゆっくりと、痛くないようにつかんで離させた。
再び彼女に背を向ける。
――俺は、あいつを、番にでもしたいのか……?
温もりが残った手で、自分の額を押さえる。
後ろから、両親とノアが「いってらっしゃい」と、そう言った気がした。
◆
レオンは、さっきからずっと、自分の部屋のベッドでリセナに抱きつかれていた。
――さすがに、これは、そろそろどうにかしないと……。
名残惜しい気持ちもありながら、やっと口を開く。
「あの、リセナ……オレ、まだ、やることがあるから」
「えっ、今日の仕事は終わったでしょう?」
彼女が、レオンの肩にうずめていた顔を上げる。
「うっ、かわいい……。じゃなくて、魔王を倒さなくちゃいけないから」
「魔王? 勇者になる夢でも見たんですか? そんなの、大昔に倒されたきり、現れてませんよ」
リセナが、レオンの耳元に顔を近づける。ふふっと笑うのに合わせて、吐息が彼の耳をくすぐった。
――っ、わ……感触が、感覚が、全部リアルだ……。
「でも、早くしないと、グレイとメィシーがオレだけ置いて行っちゃうかも」
「……? 誰ですか、それ?」
「あぁ~それ、もっと言って。そんなやつら知らないですって言って」
欲望丸出しのレオンが、ぶんぶんと首を横に振る。
「いや、いやいや。だめだめ。……ちなみに、きみと王太子の婚約は?」
「え? いや、そんな、聞いたこともないですよ。なにも接点がないですし……え、なんで???」
「あぁ~オレの望んだ世界線~」
思わず歌い出しそうだ。
――でも、長居をするのは危険だって言ってたよな。
意を決してベッドから降りようとするレオンを――リセナが、むすっとした顔で押し倒した。
「もう、変なこと言わないでください。私の婚約者は、あなたなのに」
これはまずい。彼女を押しのけようとするレオンだったが、
――あれ、これ、もしかして二人で同じ幻覚を見てる可能性ある? ここにいるリセナ、本物だったりする……?
それなら、あまり手荒なことをするわけにはいかない。レオンが力を抜くと、彼女はそのまま体を密着させ、彼の頬に何度もキスをした。
やわらかい唇が押し当てられる感触に、レオンの肩が跳ねる。
「っ……! う、あ、ちょっと、待って……!」
くすぐったさと心地よさで、体に力が入らなくなる。
「いや……だめだ、リセナ……こんな……」
ここにいる彼女は、本物かもしれない。今までのことは全部悪い夢で、こっちが現実かもしれない――。
――あれ、なんか、頭も……ぼーっとしてきた……。
されるがままになっている彼の唇を、熱に浮かされたリセナの瞳が見つめる。
「あ……」
そのまま、あとわずかな距離で、二人の唇が重なる――




