37話 宣誓
レオンには、一瞬、リセナが笑っているように見えた。彼女は、王太子に向かって姿勢を正す。
「殿下、少々質問をしてもよろしいでしょうか」
「……なんだ?」
訝しげな彼に、彼女はよどみなく続けた。
「私の処遇に関しては、殿下の管轄ということでよろしいでしょうか」
「ああ、そうだ。次期国王である私に、全ての権利がゆだねられている」
「ありがとうございます。では――殿下が、一番重要だと感じるものはなんですか? あなたの望みを、聞かせてください」
「……? それは、この国の、平和と発展だ」
質問の意図がわからない。そんな顔をしていた彼だったが、リセナの話が進むに連れて、焦りと緊張を滲ませ始めた。
「では、恐れながら――。わたくしに、代替案がございますので、ご一考いただいてもよろしいでしょうか?」
「なに……?」
彼がはじめてその姿を見た時のように、彼女は、にこりと笑った。あれは、視察先の学園で、論文を読み上げるために彼女が登壇している時だった。
「先ほどは、魔力増幅の遺伝を目的としたご提案でしたが、わたくしも子どもへ遺伝した事例は確認されていないと聞き及んでおります。でしたら、確実に殿下の利益となるものを代わりに提供させていただければと」
彼女は、指先をそろえてグレイを指し示す。
「わたくしは、彼を筆頭に魔王討伐へ向かいます。もちろん、成功した場合のみで構いません。それにより、もたらされる平和を条件のひとつとさせていただきます」
「魔王の、討伐……?」
王太子が息をのむ。
「本気で言っているのか。魔王城の攻略は、精鋭兵でも損害が大きく停止しているのだぞ」
彼女の視線を受けて、グレイが、なるべく睨まないように王太子を見据える。
「魔王城の警備を任されていた。仕掛けは全て把握している。魔力増幅さえあれば、勝算はある」
「っ……しかし、それは、そちらが元から企てていたことだろう。私の利益と称されても納得はしないぞ。国としても、一切関与しない……!」
今度は、リセナがグレイの言葉を引き継ぐ。
「はい、これはあくまでも、彼個人の叛逆です。しかし、成功したあかつきには、殿下のご命令だったと国民に広めていただいて構いません。――異存はないですね、グレイ」
「……好きにしろ」
彼にうなずいたリセナは、次にメィシーを指し示した。
「もちろん、ご提供するものはこれだけではありません。彼は、エルフの里長であるメィシー・テューン。わたくしは、彼との交易交渉権を得ています」
「……! あの、閉鎖的なエルフの里と……!? こちらは、研究者一人の協力を取り付けるのがやっとだったんだぞ」
メィシーは、里長として、本心の見えない綺麗な作り笑いを王太子に向ける。
「ダン博士は、私の友人です。礼儀を知らないところがあるので、ご迷惑をおかけしていないか心配ですが……彼の分析魔法の有用性は、ご存知のことと思います。他にも、我々エルフは独自の魔法技術を確立させているので、必ずやお役に立てることでしょう」
メィシーの視線を受け取って、リセナが続ける。
「他にも、彼らはハルバ鉱石の代替品となり得る品の採掘について、確立した方法を持っています。その他の物品、技術、知識――彼とは、様々なことを共有し合いたいと考えております」
「っ……一体どのような方法を使って……。いや、いい。それで得たものを、国にも提供するというのだな」
「はい。シーリグ商会のみの利益ではなく、国全体が豊かになるように、制限を付けずに提供いたします。経済政策にも関わるところですから、ぜひ、殿下にもご意見を賜ることができれば幸いでございます」
彼女の声は、明るく、一切の誤魔化しを含んでいなかった。
「これにより見込まれる発展が、ふたつ目の条件となります。魔力増幅の危険性については、誰にも悪用されないよう、私に監視用の使い魔を付けていただいて構いません。――いかがでしょうか、殿下」
「…………」
王太子は、しばらく沈黙していた。彼女に意見されるとは思っていなかったことからの、焦りと緊張。そして、提示された条件が持つ可能性に、賭けてみたいという探求心。――リセナが自分の理想を叶えてくれる可能性は、学生が論文のテーマに魔法ばかりを選ぶなか、彼女が労働環境の改善について語りだした時から感じていた。
簡単にうなずくのは、屈辱的ですらあったが……彼は、頬に一筋の汗を垂らして、否定の言葉をため息に変える。
「……いいだろう、代替案を採用する。必ず魔王を討伐して帰還し、生涯をかけて、この国の発展に貢献せよ」
「――! はいっ、ありがとうございます!」
リセナの心の底から、安堵と喜びが湧き上がる。メィシーとグレイに至っては、もう王太子のことは眼中になかった。
ただ一人、レオンが、書類の用意を執事に命じている王太子へ、再び暗い視線を送っていた。そのことに気付いて、彼は、残っていた嫉妬心をあらわにする。
「ああ、貴殿は、ライランド領主のご子息ではないか。リセナの幼馴染と言っていたな。顔を知らなかったもので、先日はご挨拶もできずに失礼した」
王太子は口の端を歪める。普段は決して見せない、悪意のある笑みだ。
「ところで、ブルック・ミラーズ嬢との縁談は順調か?」
「……!」
「なに、私もライランド領とミラーズ領の小競り合いには心を痛めていてね。ぜひともその婚姻を、両家の和平の証としてもらいたい」
リセナとレオンが結ばれる可能性を、完全に断ち切るために王太子が仕組んだ縁談。もっともらしいことを言っているが、彼が私怨でやっているということはレオンも承知していた。
王太子は顔つきを険しくする。
「なんだ、その目は。言いたいことがあるなら申してみよ。――ああ、お前は、一人だけ何もできずに、そこに立っているだけだったな」
レオンは、ひたすら歯を食いしばり、拳を握りしめていた。今にも飛び出そうとする自分を抑えることだけで、精一杯だ。
「……はは、だんまりか。ご大層に剣まで携えておきながら、親の後ろ盾がないと何もできないのだろうな。さあ、早く私の目の前から失せろ。お前に用はない」
それでも、レオンは、何も言わず、一歩も動かなかった。
「っ……しつこいぞ! それとも、お前が、その剣で国を救ってくれるのか!? 敵は魔王だけではないぞ、異星からの侵略者もいる!!!!」
感情的になる王太子に対して、レオンは、ひどく落ち着いた、まっすぐな声で言った。
「はい。他の誰でもなく、このレオンルークス・ライランドが、この国に迫っている脅威を排除いたしましょう。――報奨として、私たちに、選択の自由をください」
その、真摯で厳かな表情に、長年共に過ごしてきたリセナでさえも目を見張った。




