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36話 王太子の元へ

 馬車の窓越しに、白とオレンジ色の街並みが流れていく。王太子がリセナに指定した場所は、テミスの中枢である神殿内部だった。


 四人で神殿の奥へと進んで行く最中、レオンがじっとりとグレイを見る。

「なあ、本当に、外で待ってろよ」

「お前たちだけだと、緊急時に対応しきれないだろう」

「いや、お前がいると話がこじれるんだよ。武装してるし。暗黒騎士の自覚を持て」


 それを聞いて、メィシーはくすくす笑っている。

「せめて、闇の魔力だけじゃないところを見せてくれないとね。どう見ても邪悪で凶悪なんだよ、きみ」

 初手でグレイから首を狙われた彼は、あんまりフォローをする気がない。


 彼らがいつも通りだから、リセナも必要以上の緊張をせずに済んだ。


 彼女が礼拝堂に入ると、石像の前に、老執事と複数の近衛兵を従えた王太子が立っていた。

「殿下……。大変、お待たせいたしました。これまでの数々の非礼を、心よりお詫び申し上げます」

 彼は、まともに謝罪の言葉を聞いていなかった。リセナの後ろにいる面々を見て、明らかに硬い顔をしている。


「たしかに、従者の同行は許可したが……いつぞやの不届き者ではないか。死んだはずのエルフはまだしも、そいつは暗黒騎士だろう。私の首でも取りに来たのか……?」


 ほらやっぱり、言わんこっちゃない。レオンが渋い顔をする。


 リセナが、何も言わない本人の代わりに弁明をする。

「彼は、魔王を討伐するために、魔王軍に潜入しているのです。殿下への害意はありません」

「そんなこと、信じられると思うか……? では、なぜ、この場で鎧をまとい、剣を携えているのだ! どう見ても、魔王からの刺客ではないか!」


 それはそう。レオンが、誠に不本意ながら王太子に同意する。


 リセナも「やっぱり、外にいてもらおうかなあ……」という顔をし始めたとき、グレイが不意に彼女の前へひざまずいた。


「では、今からお前に仕えよう」


 何も聞かされていなかった彼女は、目を丸くして、騎士然とした振る舞いで手を差し出すグレイを見つめる。彼の表情だけは、いつも通り、にこりともしていなかった。


 戸惑いながら彼の手に触れると、自然な動作で手の甲に口づけをされる。


 この間、メィシーはぽかんとしていて、レオンは必死に悲鳴を噛み殺していた。

 王太子も、動揺を隠しきれない様子でグレイを睨む。

「そ、そのような形だけの忠誠を見せたところで――」

 グレイは、黙って立ち上がると、彼を横目に見て軽く手をあげる。その手の平から巻き起こった風は、小さな竜巻を形成した。


「風属性の魔法……!? あれだけ強い闇の魔力を持ちながら、まだ、その身を堕としきっていないというのか……!」


 王太子だけではなく、はじめて見せられた側面にリセナも驚嘆する。

「グレイ、いつの間に……」

「……あの時、昔の感覚を思い出しただけだ」

 彼は事細かに語ることもなく、試すような目を王太子に向けた。


「くっ……いいだろう、同席を許可する。本題に入ろうか、リセナ・シーリグ」


 再び、彼女は王太子と向かい合う。再会した彼の瞳の冷淡さに、どうしようもない距離を感じながら。


「お前は、魔力増幅(アンプリフィエ)という力を持っているそうだな。実に有用で……非常に、危険な能力だ」


「っ……」


 反論はできない。いくらでも悪用可能な力だ。しかし、それ以上に、王太子の言葉にうなずき続けてきた日々がリセナの体には深く刻み込まれていた。


「処刑という話も出たが、我々王家もはじめて実在を確認した希少な力だ。それではあまりに惜しい。人間兵器として戦争に使うのも、野蛮が過ぎる」


 ――大丈夫。彼は、理知的な、人だから……。


 リセナは自分に言い聞かせ、ひたすら次の言葉を待つ。


「……それならば、世界樹に似た神聖な力を、王家の血に組み込む方が重要なのではないか……。そう、私は考えた。実に穏当な措置だろう。正妻ではないが、私の妾として元の状態に戻るだけだ。魔力増幅(アンプリフィエ)が、子に遺伝する可能性は不明だがな」


 また王室へ入れと、そう言われているだけなのに、頭が理解を拒否する。


「殿下……私、は……」


「異論はないだろう。お前が、無礼を働いておきながら、すがりつこうとした場所だ。ただし――もう、お前に愛してもらおうなどとは思わない」


 冷たい声。


 それは、死刑宣告と、どちらがマシだったろうか。


「リセナ。その体が機能する限り、生涯をかけて私の子を産み続けろ。その他には、もう、何も求めない」


「―――」


 ああ、きっと、彼を愛してさえいれば。こんなに絶望することなんて、なかったはずなのに――。


 リセナは、ほとんど反射的にレオンを手で制した。彼が、怒りに震える手を剣にかけ、歯を食いしばっていたのが目に入ったわけではない。ただ、うまく働かない頭でも、それが予感できたのだ。

 誰も飛び出して行かなかったのは救いだった。メィシーもグレイも、静かに、温度のない目をしてその場を動かない。


 王太子は、背後の石像を振り向き仰いだ。

「お前には、いま、この場で絶対法神に誓いを立ててもらう。同時に、こちらからはシーリグ家に十分な支援を行うと誓おう。悪い話ではないはずだ」

 王族であっても、ここで一度誓いを立てれば決して逃れることはできない。ただの商人の娘であるリセナにとっては、なおのことだった。


 王太子が、彼女に向かって手を差し出す。


「さあ、リセナ。こちらへ」


 拒否すれば、死か、人を殺す側に回されるか。それは誰の本意でもないだろう。自分さえ気丈に振る舞っていれば、両親を悲しませることもない、王太子の提示した条件が一番まともにすら思えた。


 ――ああ、そうだ……私さえ、何もかもを押し殺していればいい。あとは、魔王討伐のための猶予を、少しもらうだけで……。それだけで、全部、上手くいくんだ。


 そう、レオンはブルックと幸せになる。

 魔王は討伐され、グレイの復讐は果たされる。

 メィシーは里長として、自分ではなくシーリグ商会とやり取りすればいい。


 なんにも、少しも、問題なんてない。


 一歩、踏み出そうとするリセナの両肩に、メィシーが手を置いた。彼女の耳元に顔を寄せ、そっとささやく。


「今度は、あなたが、僕のことを“利用”していただいて構いませんよ」


「……!」


 たったそれだけで、目が覚めたような思いがした。

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