28話 本当の試練
メィシーが、やわらかな草地に着地する。そこは、天井の割れ目から陽の光が差し込む巨大な空洞だった。美しい湖があり、木があり、花が咲いている、楽園を絵に描いたような場所。
離れた場所に、ひとつ、人影があることにリセナは気付いた。ヴェルメン・テューンだ。
メィシーは、リセナをそっと降ろすと、一歩前に出る。
「隠していてごめんなさい。僕は、新たな里長になるために、彼と戦わなければならないんです」
「え……戦うって?」
メィシーは、ヴェルメンの方を向いたままで、リセナからは表情が見えない。
「里長の代替わりは、里長が死亡した時にのみ認められています。自然死を待つより、僕は決闘を選びました」
「っ……そんな、そこまでする必要、あるんですか?」
「……これは、彼の為でもあるんです」
メィシーの声は、ひどく落ち着き払っていた。
「父様は……僕と同じで、停滞に耐えられない人なんです。けれど、自死も、寿命の譲渡も、里の掟で禁じられている。掟は守らなければいけないと、心の底から信じている。彼は、そうですね、七百年近く生きたでしょうか」
ヴェルメンが何事かつぶやくと、たちまち彼の姿は金色の巨大なドラゴンへと変貌した。
リセナは息をのむ。
「変身魔法……」
メィシーが、振り返って、彼女に手を差し出した。
「半端な攻撃では、彼を苦しめることになります。一撃で仕留める必要が――あなたの力が、必要です」
彼女は、自分が、この為に連れて来られたのだと理解する。
「そんな、待ってください。まだ、話を……。話をすれば、なんとか――」
「話しました。百年くらい、毎晩、同じ話をしました。目新しい料理を作ったりもして、もっと生きてみないかと説得したけれど、駄目でした。はじめは喜んでくれたけれど、やっぱり、駄目でした」
メィシーは、いつもと変わらず微笑んでいる。
リセナは、そんな彼から、後ずさった。
「でも、私……できない。だって、だって――あなたの、お父さんでしょう……?」
「……そう、ですか」
メィシーは、ゆっくりと、悲しそうにうなずいた。
「あなたがそう言うのであれば、仕方ありませんね」
「っ、じゃあ――!」
怯えていたリセナの顔に、光が戻る。
そして。
辺りに、メィシーが指を鳴らす音が響いた。
リセナの首飾りに、光がともる。大抵の魔法は、三つまでかけておける首飾り。
「え……?」
ひとつは、魔力探知を妨害する魔法。
もうひとつは、防御魔法。
そして、最後のひとつは――
「リセナ、力を貸してください」
「っ……!」
自分の意思が書き換えられていく感覚に、一瞬だけ恐怖を覚えて――リセナは、吸い寄せられるようにして、魔導銃を手に取るメィシーの背中に触れた。当然、そうするべきだと思ったから。
メィシーが、彼女に贈った首飾り。最後のひとつは、意思を操作する洗脳魔法だ。
魔導銃に膨大な魔力が満ちる。
ドラゴンが開けた口に光がのぞく。
やがて、二つの強大な光線がぶつかった。
◆
メィシーは、元の姿で仰向けに倒れる父の元へ歩み寄った。
「父様……」
外傷こそないが、ヴェルメンの内部は、ドラゴンの姿の時に撃ち抜かれた状態のままだ。口からは血が流れている。
ヴェルメンは、目だけでゆっくりメィシーの顔を追うと、最後に
「泣くな。胸を張れ」
とだけ、ささやいた。
メィシーは、年老いた父の体を黙って抱きしめ、ゆっくりと目を閉じた。
離れた所で、彼らを見ていたリセナが膝から崩れ落ちる。
「っ……そん、な……」
魔法は解け、自分のしたことと、メィシーにされたことばかりが、彼女に重くのしかかる。
◆
祠を背にして、メィシーとリセナは里へ向かって歩きだす。彼女は、時おり涙を拭うだけで、なにも話さなかった。
レオンたちと別れた崖のふちまで来て、彼らがまだそこにいることに気付いたメィシーがリセナに笑いかける。
「あっ、彼ら、待っていてくれていますよ」
そうして、とん、と彼女の背中を押した。
「――!?」
空中へ投げ出されるリセナから、彼の表情は、見えなかった。優しい声だけが耳に残る。
「それでは、お元気で」
崖から落ちてくるリセナを、レオンが目を丸くして受け止めに走る。
「リセナ!? ――うわ!?」
しかし、グレイに突き飛ばされて地面に突っ伏す。
結局グレイの腕の中に収まったリセナが、はっとして崖の上を見ると、そこにはもうメィシーの姿はなかった。
「メィシーさん……?」
彼は、夜になっても、朝になっても、帰ってくることはなかった。




