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20話 魔王の命令

 テミスから北上したところにある小さな山村。乱闘騒ぎに乗じて酒場を抜け出したリセナたちは、そこで老夫婦の厚意にあずかり一晩泊めてもらっていた。


 夜が明ける少し前、レオンたちを心配したリセナが、まだ肌寒い空気の中を外に出る。メィシーは、借りたブランケットを彼女の肩にかけて一緒に待ってくれていた。


 リセナが無意識に手をさすると、メィシーからもらった指輪に触れて、酒場でのことを思い出す。レオンが、これを、じっと黙って外そうとしてきた、あの時のことを。


 ――びっくりした……。あれは、なんだったんだろう。もし、メィシーさんに嫉妬してやったんだったら……レオは、私のこと……。いや、でも、レオ、酔ってたしなぁ……。


 それも、相当ひどい酔い方だった。再び心配の方が勝る彼女に、メィシーが優しく声をかける。


「リセナ、彼らならきっと大丈夫ですよ」

「でも……警備兵の注意を引くために、殴り合いなんてしてたんですよ……?」

「それは、うーん……。きっと、厳重注意で済むでしょう……たぶん」それはメィシーにも、さすがにフォローしきれない。「ああ、ほら、噂をすれば」


 彼が指差した方向から、レオンの元気な声が聞こえる。


「おーい、リセナ~っ!」


「レオ――!」振り返ると、顔中アザだらけのレオンが、無傷のグレイと一緒に歩いてきていた。「一方的に殴られてる……!」


「そう、こいつズルいんだよ。体がデカイんだもん」

 不満そうに、グレイを指差すレオン。

 ――そういえば、メィシーとグレイに殴り合いさせとけばよかったな……。

 今さらどうしようもないことに気付く彼の視界に、突然、黒いフクロウが飛び込んできた。


「えっ、わっ!?」


 フクロウは、グレイが差し出した腕にとまって羽を閉じる。

「なにそれ!? お前の鳥?」

「ダークエルフ……魔王の側近からの伝令だな」


 魔王という言葉が出て、レオンたちに緊張が走る。しかし、フクロウを通して聞こえてきた若い男の声は、相当慌てふためいている様子だった。


「グレイ様、聞こえますか!? まったくもう、連絡も寄越さずにどこをほっつき歩いているのやら! 魔王様、いい加減に怒りますからね!?」

「問題ない。魔力増幅(アンプリフィエ)の保持者なら、近いうちに連れて行く」

「あ~~ちっとも反省してない! というか、もうその件はいいです!」


 グレイが眉をひそめる。ダークエルフは、大きく息を吐くと、声色を落ち着けて言った。


「魔王様から、新たな命令が下りました。――魔力増幅(アンプリフィエ)の保持者を、速やかに抹殺してください」


 リセナの心臓が跳ねる。


 ――抹殺……!? 魔王は、この力を利用したかったんじゃないの……?


 レオンが、驚愕の面持ちのまま、彼女を背に隠すように後退した。メィシーの表情も、いつになく厳しい。


 グレイは、変わらずに眉をひそめていた。

「……どういうことだ」

「わかりません。急に、あの力は危険だ、手を出すべきではないと言い始めて……。それと、フクロウの足に付けている紙を見てください」

 言われた通りに紙を開くと、そこには魔法陣のようなものが描かれていた。

「グレイ様は、これがなにかご存知ですか?」

「いや……」

「そうですか……。城の裏手で、この巨大な陣を見つけたんです。すでに魔力が込められているようなのに、発動はしないし……。いえ、あなたも知らないのなら、いいんです。そのように、魔王様に報告します」


 それから、側近のダークエルフはフクロウを羽ばたかせた。


「それでは、新たな命令、伝えましたからね。城の警備が手薄になっているので、早く殺して帰ってきてください!」


 物騒な言葉と共に残された紙切れを、メィシーがつまんで首をひねる。

 レオンは、剣に手をかけるとグレイをまっすぐに見据えた。


「お前は、魔王を倒すと言ってたな」

「……ああ。どんな命令が下ろうと、そのために魔力増幅(アンプリフィエ)が必要だ」

「でも、もし……すでに、魔王が、お前の自由を奪う手段を持っていたとしたら? お前の意思とは関係なく、リセナに手を出す可能性はないのか」


 厳しい追及を、しかし、グレイは軽く受け流した。


「どうだろうな。俺にその類いの魔法は効かなかった、という記憶はあるが……その記憶自体、本物かどうかはわからない。――だが、」


 彼の赤い瞳は、どこまでも静かにこちらを捉えていた。


「それなら、お前たちの記憶は正しいと断言できるか? 何者かによって操られていないと、証明できるのか」


「っ、な……」


 レオンは言葉を失う。記憶まで操作されていたら、そんなもの、気づきようがない。


 メィシーも、ため息をつくと肩をすくめた。

「そうだね。魔力増幅(アンプリフィエ)を狙っていたのであろう甲冑や、明らかに寄生されているワイバーンもいたし……。いつ、誰が、何に侵されているかもわからない前提で動くべきかな」

「そんな……オレやメィシーも、リセナの危険になり得るっていうのか」

「まあ、あんまり考え過ぎもよくないけれど。とりあえず、グレイとリセナを二人きりにはしない、というだけでいいんじゃないかな。――リセナも、それで構いませんか?」


 メィシーに尋ねられ、彼女は小さくうなずいた。けれど、不安は拭えないままだ。


 ――記憶が確かだと言えないのは、私も同じ……。それに、魔王が言っていたという、魔力増幅(アンプリフィエ)に手を出すべきではないってどういうこと……? もしかしたら、私が、レオたちを危険な目にあわせるかもしれないの……?


 押し黙る彼女を、日の出の光と、レオンの明るい声が照らした。


「じゃっ、早くここから離れようか! あ、リセナ、そのブランケットって借り物? 返しに行こう!」


 彼の笑顔は温かく、まるで太陽のようだった。アザだらけなのが同情を禁じ得ないけれど――自分のために笑ってくれているのだろうと、リセナの表情もやわらぐ。


「そうですね。あちらのお宅です」


 幼少期に出会ってから今まで、その笑顔に何度助けられてきたことだろうと彼女は思う。

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