衣装合わせ
「先ほどのお着物もお似合いでしたけれど、こちらもお似合いです」
私がお客様に着付けると、店長が誰にでもいう言葉を言った。
ショッピングモールの呉服屋。お客さんはめったに来ない。
そんな中着てくださったお客様には絶対に買って帰ってほしい。
「ありがとう」
婦人用の帽子を深々と被り伏し目がちの女のお客様が言う。
表情は見て取れないが、肌の白い綺麗な人だと思った。
「鏡でどうぞゆっくりご覧になってください」
店長の言葉を聞いてお客様は右を向いたり左を向いたりして、着物のチェックをし始めた。
そしてぼそっと言った。
「どちらもいただこうかしら」
「ど、どちらもですか?」
店長が聞き返す。
着物は安いものではない。デザインがいいからといって、ぽいっと買うTシャツとは大違いだ。
「問題あるのかしら?」
「い、いえ。問題ございません。そ、それでは、お会計になりますので、一度お着替えいただいて――」
「このままでいいわ」
お客様が店長の言葉を遮っていった。
「こ、このままですか?」
ここに来るときお客様はラフな格好だった。更衣室に置いてあるだろう。
買うのであれば、このまま着ていっても問題ないが、着物は脱ぐのも大変だ。
これからこのまま結婚式に出るような、そんな急いでいるようにも感じない。
「だって、この方が、美しいと思うから」
「え、ええ。よくお似合いで美しいと思います……」
店長も戸惑っている。苦笑いだとわかる。
私も変なお客様だなと話を聞きながら思った。
「ほんと? うれしいわ」
「ええ。とっても……」
お客様は小さ鞄を手にした。
「それではこちらへ」
お会計をするのだろうと店長も思ったのだろう。レジカウンターに向かった。
しかしお客様はそのつもりがなかったようだ。
おもむろに帽子を取って言った。
「ねえ、店長さん、私、美しい?」
悪趣味だなと思った。帽子の下に能面をかぶっているなんて。
店長は「ひっ」と小さく悲鳴を上げたが、営業スマイルを作って「は、はい、美しいです」と答えた。
「ありがとう。それじゃあ私は今、喜んでいると思う? 悲しんでいると思う?」
ゆっくり店長に近づきながら
「え、あ、よ、喜んでおられるのではないでしょうか……」
怯えるように答える店長。
たしかに圧が凄い。迫りくるものがある。
「残念。はずれ」
そう言って能面の女は鞄から刃物を出して店長のこめかみを刺した。
店長は声を出せずに倒れた。たぶん死んだ。
私は驚きのあまり、恐怖のあまり、腰を抜かしてしまった。
防犯用の対策は身に着けていたはずだが、いざその場面になると、動けなくなる。
温かいものが私の股間を流れる。
「店長さんが綺麗だったのは上っ面だけだったのね」
刃物を店長の頭から引き抜きながら言った。
そしてこっちを向いた。
「ねえ、あなた。私は喜んでる? 悲しんでる? どう見える?」
能面の女は顔をぐっとこちらに近づけて、今度は私に聞いてきた。
よく見ると、お面ではない。
本当に能面のような顔をしている。
「わ、わかりません」
私は正直に答えた。
表情が読み取れないのだ。
真っ白な肌に切れ長の目。眉もなく、くちびるの赤だけが浮かぶ顔。
店長は「喜んでいる」と答えて殺された。
「そうよね。正直でいいわ」
能面の女は刃物を鞄にしまった。
たぶん助かった。
「あなた、運転できる?」
「で、できます……」
私は車で出勤していた。
中古車だが、ボーナスを貯めてかわいい車がほしくて買ったものだ。
「それはよかった。着付けって一人では難しいから、あなたがいてくれると助かるわ」
「は、はい……」
「それじゃあ、あれとあれと、そうね、あのお着物も持って帰りましょう」
私は能面の女に指示された通り動く。
ショッピングモールには人がたくさんいる。
だけれど、その一角の呉服屋で大事件が起きているなんて誰も思わないだろう。
店長の死体もレジのカウンターの影に隠れてしまっている。
「私、きれいになりたいの」
能面の女は私が着物を用意している最中、「美しさとはなにか」とか「女は美を求めるものだ」とか、とにかく美しさについて、ゆっくりと、丁寧に話していた。
話していても表情は一切動かない。本当にお面のような顔だ。
作業をしながら聞いていたが、彼女の求める美しさには共感できた。
私も美しくなりたいと思った。
彼女のように心から美しくなりたいと思った。
着物は簡単に運べるものではない。台車を用意する。
「あなたもこれをどうぞ」
渡されたのは能面だった。
「これは小面というのよ」
若く美しい女の能面だと説明を受けた。
「私は増女。でも私の場合は“憎”の方が良いかもしれないわね。さあ、それをかぶって」
増女様に言われるがまま、私は小面をかぶった。
目の穴が小さく、視界が狭かったが、世界の広がりを感じた。
彼女と一緒にいたら美しくなれるかもしれない。
「さあ、行きましょうか」
増女様が言う。
「はい」
私は台車を押して、その後ろを増女様が付いてくる。
周りの人は何かのイベントと思って写真を撮ったりしていた。
誰にも止られることなく、私の車まで移動した。
着物を積んで、二人で乗り込んだ。
「さあ、美しさを求めて、参りましょう」
「はい、増女様」