第五話 ホットチョコレートの誘惑
第二王子の子飼い、その男に棺の蓋を戻すのを手伝ってもらい、それから手早く二人で土を被せると、シャロンはタウンハウスに戻った。
墓荒らしで汚れた衣服を脱ぎ捨て、湯浴みを済ませて階下に降りると、応接室からメイドの高く浮かれた声が上がる。
騒々しいことを好まないシャロン一家の屋敷にあって、このような耳障りな声色は、普段あまり耳にしない。
いぶかしみつつそちらに向かうと、応接室には件の男が優雅にお茶を飲みながら、まだ居座っていた。
メイドはシャロンの顔を認めると、ばつの悪そうな表情を浮かべ、そそくさと下がる。
なぜこの男は、すぐさま自身の主の元に戻らないのか。
シャロンへと遣わされたのだから、それについての報告を求められているはずだ。
そこにきて、もしかして、というかすかな期待が、シャロンの胸にポツリと浮かんだ。
最初はただの点。
だが、そこから一気にじゅわっと広がっていく。
抑えきれないほど胸いっぱいに、期待というバルーンが膨らんでいくのを、シャロンは止められなかった。
だってエドワードは、魔女に願うと言っていたのだ。ただのエドワードになりたい、と。
それならば。もしかしたら。
エドワードが毒杯を賜ったと知らせ、シャロンに墓場まで足を運ばせる。
シャロンの気質からいって、激高するに決まっているのだから、シャロンが墓を暴くことは、エドワードにとって、想像するに難くないことだったろう。
王族墓地には、シャロンと目の前の男しかいないと思っていたが、もしかしたら潜んでいた人間がいたのかも。いや、いたに違いない。
第三王子が死んだのだ。
王太子派にとっても、第三王子派にとっても、事実かどうか確かめたいに違いない。
ならば、エドワードの遺体を検めないはずがあるだろうか?
シャロンが墓を暴き始めなければ、きっとどちらかの一派がシャロンに代わって墓荒らしを始めたに違いない。
そして互いに息をひそめて様子を見合い、どちらが先手を打つのか。それらを咎め、揚げ足を取る機会を伺っていたのだろう。
きっとあの遺体は、エドワードによく似せた人形か何か。
もしかすれば、誰かの、エドワード風に見えるよう手を加えた、本物の遺体だったかもしれない。
遺体をいじくるなど、それこそ死者への冒涜だ。おぞましい。
だがしかし、エドワードのことだ。
後々の問題を考えれば、人形で済ますことはないように思う。
そうだ。
シャロンは利用されたのだ。
エドワードは死んだのだ、とこれ以上なく明らかに知らしめるために。見せつけるために。
もう誰もエドワードに第三王子を求めないように。
エドワードがただのエドワードに。へっぴり腰の軟弱エドになれるように。
そうに違いない。
エドワードはそういうやつだ。
シャロンの気持ちなんか、足元が崩れ落ちるような絶望なんか、気にも留めない。結果さえよければそれでいいだろう、と、そう言ってヘラヘラ笑うやつだ。
心臓が激しく脈打ち、ドッドッドッという音が、こめかみに痛いくらいに響いている。
くちびるが不自然に慄く。声が震えないよう、シャロンはぺろりとくちびるをなめた。
ホットチョコレート。
これだ。
エドワードならば食いつく。
「あんた、ホットチョコレート、飲む?」
男が口に含もうとしていた、紅茶と同じ、飴色の瞳がシャロンに向けられる。
甘い色の瞳をしているのに、微笑みは礼儀正しいのに、冷たく、温度を感じない。
作り物のように整い過ぎている顔と、逞しい体がいけないのだろう。
ぐずぐずに溶けてだらしのないような、惹かれたら最後、もはや抜け出すことも叶わない、抜け出したいとも望まない、ホットチョコレートのようなエドワードとは違う。
美しくはあるけれど、どこか崩れているところのあるエドワード。
体は細く華奢で男らしくなく、美しさと醜さが代わる代わる現れるような、アンバランスと違和感。
毒々しい魔性のエドワード。まるでホットチョコレートのように温かで甘く、どろりとしている。
ホットチョコレートは媚薬だ。そして悪魔の飲み物。
男装して荒々しく令嬢らしくないシャロンでなければ、この申し出は異なる意味で取られるだろう。
だがシャロンの容貌を目にして、恋の誘いだと捉える男はいない。
エドワード以外は。
エドワードにとって、シャロンの捧げるホットチョコレートは、貴重な貴族の嗜好品には留まらないはず。
だが男の答えは、シャロンの期待するものとは違った。
「ありがとうございます、レディ。ですがどうぞお気遣いなく。お茶をいただいておりますので」
シャロンは舌打ちしそうになった。
それはそうだ。
既に家の者が、目の前の男に茶を振る舞っている。それなのに、貴重なホットチョコレートをさらにいただこうだなんて、言い出すのは難しいに決まって――いや。
エドワードなら、うまいこと言って、ホットチョコレートを飲むだろう。
だが、一度芽生えた期待を消し去る勇気は、シャロンにはなかった。
諦め悪く、食い下がる。
「うちのホットチョコレートは、特別うまいよ。その、あんたが甘いのを好きならきっと――」
「貴重な品を、私のような素性の知れぬ男にまで振る舞おうとのお心遣い、感謝致します。レディのお心に応えられず、心苦しいのですが、正直に打ち明けまして、私は甘い物が苦手なのです」
望みは絶たれた。
シャロンは優雅に微笑み、頷く。
心は決まった。
この命、もはや長らえる必要はない。
すると、目の前の男は少しだけ眉を顰めた。
男装したシャロンの笑顔が、装いに似合わず不気味だったからだろうか?
それまでの慇懃さからは不自然な表情。
だが、かといって、再びそこに期待を見出すほど、シャロンはおめでたくなれなかった。
また男もそれきり口を閉ざした。
シャロンが足を踏み入れるまでは、階段上からでも気がつくほど賑々しかった応接室。
今はしんと静まり返っている。