第三話 禍王子は悪魔の子
シャロンもエドワードも、まだずっと幼い頃。
シャロンが兄に引っついて、王宮で催される、子供達だけの園遊会に赴いたときのこと。
お守り役だったはずの兄は、アルフレッドに呼ばれてシャロンは一人残された。
兄は心配そうに幾度もシャロンへと振り返ったが、アルフレッドの呼び立てとくれば、断るわけにはいかない。
周りの子供達はみな、シャロンより年上で、話も合わず、とても退屈だった。
キョロキョロとシャロンが辺りを見渡していると、ガサゴソと物音がする。
野生の獣などいるはずもないので、はてさてこれは、やんごとなきお方の愛獣かなにかかと、シャロンは目を凝らした。
するとそこから這い出てきたのは、黒髪にエメラルドの瞳の、美しい男の子。
その場にいるはずのない、いてはならない存在が、這いつくばった姿勢のまま、ヒョッコリと顔を上げた。
悪魔の子。
シャロンはすぐにわかった。
その少年が、父や母、兄が疎んじている悪魔の子、その人だと。
艶のある美しい漆黒の髪と、何もかもを見通すような、神秘的で澄んだグリーンアイズ。魔性を秘めた美貌。
現王族に反発し、純血主義を掲げる高位の大貴族達に教会。彼らがこぞって祀り上げようとしている、国を乱す禍王子。第三王子、エドワード。
この国の大貴族の娘が、エドワードの母であり、隣国の王女であった正妃とは、対立関係にある。
薔薇の棘で傷つけたのか、禍王子エドワードの頬には赤い引っかき傷があった。
――悪魔の子でも血は出るのか。
純血主義者達の掲げる王子のくせに、血の色は青くないのだな、とシャロンは妙な感心を得た。
「ねぇ。君、アルフレッド兄上のお友達?」
悪魔の子の口から零れ落ちたのは、グラスハープのように繊細で澄んだ、美しい音。
シャロンはびっくりして、まじまじと美しい声の出所を眺めた。
髪には葉っぱをいくつも散らし、よく見るとブラウスのフリルは千切れているところがあるし、土埃で汚れている。
悪魔の子と言うには、いくぶん間抜けだ。
「今日はアルフレッド兄上派の家の子たちの集まりなんだよね? 側妃さまから聞いた。だから君は、アルフレッド兄上派ってことでしょ?」
シャロンは眉をひそめた。
確かにシャロンの家は第一王子アルフレッド派に属しているが、シャロン自身は王太子アルフレッドと言葉を交わしたこともない。
それにいつもシャロンの兄をシャロンから奪ってしまう。今日だってそう。
どちらかというと疎ましい存在だ。
畏れ多くて、とても口には出せないが。
エドワードはシャロンの表情から何かを察したようで、ニンマリと笑った。
「ボク、とっておきのお話を知ってるんだ。誰も知らない、ナイショのお話。かつてこの国に魔法使いがいたときのこと。どう? 興味はない?」
ああ、悪魔の子だな、とシャロンは思った。
かつて栄え、既に失われた魔法。魔術。
しかし純血主義を尊ぶ大貴族達の血には、いまだその名残を残し、もはや魔法を操ることもできないのに、血だけは青い。
シャロンの家は新興貴族というほど成り上がったばかりではないが、大貴族達ほどの歴史はない。
もちろん、血は青くない。
「ねえ、君。君はボクが誰か、わかっているよね? 禍王子だなんて呼ばれてる。それとも悪魔の子。そっちの方がよく知っている? だって側妃さまでさえ、ボクに言うんだ。『おまえは悪魔の子だ』って」
シャロンの同情を惹こうと、ことさら憐れな様子で目を瞬くエドワードに、シャロンはゲンナリした。
「あなたは私に、殿下って呼んでほしいの?」
腰に手を当て、呆れかえったようにエドワードを見下ろすシャロン。
エドワードはぱちくりと目を瞬かせた。さきほどのように憐みを誘うのではなく、純粋にぱちくり。
長く濃いまつ毛がバサバサと、エドワードのエメラルドの瞳を往復する。
「ちが……う。ボク、ボクは……」
「あなたのお母さまが、あなたを『悪魔の子』呼ばわりするのは、お気の毒だと思う。だって私のお母さまは、とっても優しいから。だけど、そんなふうに、あなたが誰にも彼にも媚びているようじゃ、そりゃあ親しくなんてなれないわ。だってとてもジメジメして、鬱陶しいのだもの!」
あまりに不遜で無神経な演説に、今となってみれば、シャロンは我がことながら頭が痛くなる。
しかしエドワードは寛大にも、シャロンの偉ぶった説教を許した。大爆笑しながら。
最初は口元に手を当て、ひっそりと。だがじょじょに止まらなくなった笑いの発作に、体を折り曲げ、しまいには地面をゴロゴロと転がるエドワード。
「き、きみ……! 君の名前……! ヒィッ! お、教えてよ……っ!」
シルクのブラウスは、ますます汚れ、破れ、黒い艶々とした髪には砂埃と落ち葉。
シャロンは冷めた目で、引き笑いしながら転げまわる、奇怪な少年を見下ろしていた。
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シャロンはエドワードとの出会いを思い返し、拾い上げた木剣をエドワードの胸に押し当てた。
エドワードが受け取ったので、シャロンは自分の木剣を肩に担ぎ、首をそらして顎を突き出す。
「忘れるもんか。あんなに間抜けなガキ、どこが悪魔の子だって、あれほど拍子抜けしたことはねぇからな」
「シャロンはそう言うけどね。ボクの美貌にかかっちゃ、魂を売り渡したくなるくらいだって、まさに魔性の美しさだと、ご令嬢方からは大層評判がいいんだよ。シャロンも知っているだろ?」
「知ってるさ。俺がこうなるまでは、高位貴族のご令嬢方から、どれほどやっかまれたか」
「不思議だよね。彼女たち、内心ではボクのこと、『混じり物』だって見下してるくせにさ。まあ、それはお嬢さん方の責任じゃないか。彼女たちの頭は、ものを考えるためにあるわけじゃないのだし」
「考えなしのやり口は、それなりに考えこまれてたけどな」
公爵家令嬢に侯爵家令嬢。この国の純血主義の大貴族のご令嬢方の陰湿なやり口。
よくぞここまで、シャロンが心折れずにいられたかというと、生来の負けん気の強さだけではなく、シャロンの家がそもそもご令嬢方とは、派閥を異にしていたからだろう。
もしシャロンの家が第三王子派であったならば、シャロンに甘い両親と兄であっても、同派閥上位の家からの指示を無視することは難しい。
皮肉ではあるが、シャロンの家がエドワードを支持しないからこそ、シャロンの振る舞いは目こぼしされたし、嫌味なご令嬢方へ、家族は一緒に憤ってくれた。エドワードと縁を切るようシャロンを諭しながら。
それを知ってか知らでか。
エドワードは「シャロンはたくましいからな」だなんて笑う。
シャロンの気苦労も知らず憎たらしいが、エドワードの気苦労がその比ではないことも重々承知しているから、シャロンはまたもや舌打ちする。
エドワードといると、シャロンは舌打ちしてばかりだ。
「シャロン、約束してよ。その逞しさで、ボクをいつか救い出してくれるって」
エドワードに言われずとも、シャロンはもちろんそのつもりだった。