閑話 道祖神
田舎の道はやたら広い。整備されている道もあれば、一本裏に入ると道は一変する。あぜ道や獣道と言ってもいいぐらいの、舗装されていない土の道だ。人が一人通れるくらいの幅だけ、草がなくなっている。
山へと向かう道の手前に、苔むす岩にお地蔵様のようなものが彫られた道祖神が置かれていた。参る人もいないのか、お供え物もなく、ただひっそりと佇んでいる。
「苔、ひどすぎ。これじゃあ、顔も見えないし。んと、これは男なの、女なの?」
私は初めて見る道祖神にやや興奮しつつ、しゃがみ込む。
「神なんだから、男とか女とかそんな概念があるわけないだろう」
「わっ」
急に声をかけられ、思わす尻もちをついた。見れば声をかけてきたのは、道祖神の隣にちょこんと座る同じようなサイズの怪異だった。お地蔵様に近いサイズのその怪異は、確かにおじいちゃんともおばちゃんとも見てとれる。
「……なんだ、お前さん見えるのかい」
「……見えるみたいですね」
怪異を見るのは初めてではないとはいえ、神隠しに追いかけられたばかりだ。見た目こそ穏やかでも、内面までは分かりはしない。
「そうかい」
しかしそれだけ言うと再び前を向き、怪異はただじっと景色を眺めていた。ぼーっと、ただ何をするわけでもないその姿に、肩の力が抜ける。そしてどうしても見ている景色が気になり、隣に並んで同じ方向を眺めた。ここからは、かすかに先の横断歩道が見える。
「横断歩道見てるんですか?」
「おまえさん、まだいたんかね。そうさ、道祖神だからね。道の安全を見守る以外になにをすることがある」
「遠くないですか?」
「ん……まあ、遠いさね。だから、どうにもならんことが多い」
その口ぶりは本当に残念そうだった。道祖神は元来、道の境や峠などに置かれ、災いを避けたり疫病と安全の守り神だ。
「道祖神だから、神様ってことなんですよね」
「……神か怪異か妖怪かなんぞ、人間が付けた名前にすぎんさ。皆、元は同じだね。後からその役割として、名を縛ったようなもんだよ」
まただ。ここでも名を縛るという言葉が出てきた。でもこれは、なんとなく分かる。同じ怪異だったものたちを神や怪異や妖怪などと括り付ているだけなのだろう。人はその職業によっての名があるように。
「神や神獣になれたモノたちと、怪異や妖怪と呼ばれたモノの違いはあるんですか?」
私が質問をすると、道祖神はやや驚いたように目を見開いた。
「お前さん、関の者じゃないんかね」
「そうですよ。でも、別になーんの力もないし、ここでは仲良く話せる友達もいないし」
「だからって、怪異においそれと話しかける者がどこにおる」
確かに、普通はいないだろう。今さっき会ったばっかりで、別に親しい間柄というわけでもなく、まずもって人でもないというのに。しかし、自分のおばあちゃんに話しかけているような安心感がある。この町に来てシンと知り合ってから、怪異との距離が近くなってしまったせいだろうか。
「同じであって、同じではないからだよ。人に味方するモノ、見守るモノ、敵対するモノ、食うモノ、引き込みたいモノ。同じように見えても、同じではないということさ」
「つまり、そのモノたちの思考によって人間がその役割ごとに名前を決めたということなんですね」
途中、物騒な文言が出てきていたが、神隠しは一番最後の引き込みたいモノということだろう。同じではあって同じではない。でもこれは怪異だけではなく、人にも言えることだ。
全部の人間が皆聖人ではない。同じ人間という括りであっても、人を殺す者もいれば悪の道に引き込もうとする者も大勢いる。そう考えると、人であっても怪異であってもあまり大差ないのではないのだろうか。
「おまえさんの考えていることは分かるが、それでも人は人、怪異は怪異でしかないさね。余計な考えはやめることさ。おまえさんについている、あの狐も所詮は怪異。よく考えないと痛い目を見るよ」
「ふふふ。でも、こうして私のこと心配してくれるんでしょ」
見ず知らずの、ただの通りがかった者でしかない私のことを。その思いは、やはり怪異でも人であってもうれしい。この町に戻ってきてから、まともに話せたのが怪異だけというのは少し困ったものだと自覚はある。
「家もなんだか息苦しいし、ここはのんびりでいいですね。あーあ、帰ったら長の話もしなきゃいけないし気が重い……。だいたい、私はなんの力もないのに」
「本当にそうかい?」
「え?」
自分では自覚するような力はない。しかし、先ほども言われたように戒よりも力があるという。もし仮に全く力がないとすれば、こんな風に異界のモノとしゃべることなど出来ないのではないかと思う。でもここに来るまでは、一回だってお化けや怪異など見たことはなかったのに。
「見ようとしないのも、また力だということさ」
「私が自分から見ないようにしてるってことですか?」
しかし道祖神はそれ以上答えてはくれなかった。でももしその仮説が当たっているとしたら、見ないというのは私が選択したと言うことになる。
「ん-、そんなことした覚えはないんだけどなぁ。でも無自覚ということもあるのか」
ただ考えても無自覚ならば、どうにもならないだろう。何かのきっかけがあれば、別かもしれないが。
「さ、帰ろう……」
服の裾の土を払い、私は立ち上がる。
「今日はありがとうございました」
きちんとお礼を述べると、再び道祖神と目が合った。
「おまえさんは関の一族なんだから、本能で嫌なもんは分かるようになっているさ」
「嫌なものか……。うん、本当に今日はありがとうございました」
「お供えは、塩大福でよいぞ」
どこの神様も、お供え物は強要する方式になっているのだろうか。まだエロ本や購入困難なものよりかは全然大丈夫だけど。
「次来る時に買ってきますね」
その横顔はどこか嬉しそうに見えた。どうせ友達もいない私には、ちょうどいい話し相手だろうと、先ほどまでの胸のつかえは少し軽くなっていた。