助けた対価への要求
「おいで、こっちだ千夏」
「え、あなたどうして私の名前を」
彼はそれに答えることなく、再び私の手を引き歩き出す。竹林を抜けるとそこは、よく見た景色だった。
「ここ、家の裏手じゃない」
ちょうど家の裏側にある小さな祠の横に出て来る。
「コンビニまであと少しだったのに、また家に戻って来るなんて」
「おい、気にするところはそこかよ」
やれやれと言わんばかりに、額を押さえながら首を横に振る。しかしそうは言っても、家を出てから散々歩いて走ったのに、またスタート地点に逆戻りとは。
「でも、どうしてここに」
「ここが俺の家だからだ。ここに道を繋ぐのが一番簡単だからな」
「え、家? この家は、うちの家ですけど」
母屋を指さしながら考える。こんなイケメンの親戚など、はたしていただろうか。
「こっちだ、こっち」
彼が指したのは、家ではなくこの小さな祠だった。
「……ああ、野宿している人」
「アホか。俺はこの祠に祀られた天狐だ」
「妖怪」
「違うとは言わないが、神獣といえ。その方がカッコいいだろ。最近の奴らはすぐ自分たちと違うものを見ると妖怪やお化けの一括りにしやがる。一応、こっちだっていろいろ区別があるんだぞ」
「へー、なんだか大変ですねー」
「おい、信じていないだろ」
「イエイエ、シンジテマスヨー」
さっき追いかけてきたのが神隠しで、助けたのが狐の妖怪。いくら季節的にそういう時期だとはいえ、あり得ないだろう。今まで一度だって、そんなもの見たことないのに。
「まず先に言っておくぞ。今回俺が助けたのはあくまで気まぐれで、助かったのもただの運だ。あの時動けなければ、確実に連れて行かれたんだからな」
「別に恩着せがましく、神様ならいつでもどこでも助けてもらえるはずなんて言いませんし。それより、本当に人ではないの?」
目の色は確かに私たちとは違うと思ったけど、姿形は人そのものだ。それに神獣と呼ばれる方がカッコいいだろって、なんかあまりにも俗物すぎないだろうか。
「ケモ耳も、もふもふ尻尾もないし」
「あのなぁ、そんなもん出して歩いてたら、フツーに考えておかしいだろう。どんな世界だよ」
「いやいや、神獣さまにどんな世界だよとか、ツッコまれたくはありませんから」
「いいか、まずこっち側と向こう側っていうのは、隔てた薄い膜が張られただけの平行世界のようなもんだ。薄い膜を破って出てくることもあれば、入ってしまうこともある。ほらよく、深淵を覗く時、深淵もまたって言うだろう?」
「でも私、見ようなんて思ったこと一度もないですけど」
関わったところで一文の得にもならないことは、遠慮したい。さっきみたいに追いかけらるのはもう嫌だ。見なくて済むのなら、一生見たくはない。お化け屋敷だって、しばらく入れる自信はない。
「見たくないと思っても、お前は別だ。名の縛りがあり」
「は? なんですかそれ」
「関家……。名の由来を知っているか?」
「由来って、どっかの藩主だったとか神官だったとか、大昔の話ですか」
「ああ、それもそうだ。しかしそれ以外に、関という由来には関所の関という意味と、川をせき止める堰とがある。この地に住まう関家は元来、妖の世界からあふれ出るものをせき止めるという意味から付けられた」
せき止めるための堰。もし今の話が本当だとするならば、本家はその中心で分家がそれを支えてきたということになる。父の言っていた仕方ないという言葉が、ここに結び付くのだとしたら……。
今本家には、祖母の姉である大婆様以外、誰もいない。何年か前の事故で、本家の人間がみんな死んでしまったからだ。ここに帰って来た日に、祖母が分家の中から本家の跡取りを選ぶなんて言っていたっけ。
「そんなこと言われても、私は今まで妖怪とかお化けなんて見たことも聞いたこともなかったのよ。そんな小説の中のような話をされても……」
「だが、実際におまえは見ただろう」
「……」
そうだ。神隠しに追いかけられる前だったら、きっと明日本家に行って同じ説明をされたとしても絶対に信じなかっただろう。今は小説の世界のことと言いつつも、なんとなくこの話が嘘ではないということが分かる。
「だいたい、この町には一番あふれてはマズいものがあるだろう。争いに敗れた源氏がいた窟が。あそこから、怨念とかいろんなものが出てこないようにしてるんだよ」
「それがうちの一族」
「そうだ。しかし本家の人間がみんな死んで、当主はすでに高齢で力がなくなってきている。次の当主が誰になるのかと、人間でなくてもみんな興味津々さ」
「もしかして、それで私は追いかけられたの?」
思わず、彼の服をつかむ。たったそれだけのことで、あんな怖い思いをするなんて。だいたい、私は家を継ぐ気なんてこれっぽっちもないというのに。
「ま、興味本位だな。理不尽だと思おうが、人間とそれ以外のモノの理念というものは違うんだ。人を食べるためにいるものや、人はオモチャだと思っているもの、自分と同じように向こうの世界に引き込もうとしているもの。そんなのが、人と同じ数ぐらいいると思っている方がいい」
「……もしそれが本当だとしたら、どうしてあなたは私を助けてくれたの?」
彼の瞳をじっと見つめる。
「言ったろう、ただの偶然だと。それに俺としては、助けた対価さえもらえればなんでもいいんだ」
少なくとも、その瞳は嘘を付いているようにはみえなかった。でも、対価とはなんだろう。助けてもらったのだから、なにかを払わなければいけないとして、でも神獣はお金など使わないだろうし。
「あ、油揚げ? それかお稲荷さん?」
「おい。そんな毎日毎日供えられているものなんて、誰が欲しいと思うんだよ」
「だって、狐の好物でしょ?」
「だから、俺は神獣。つまり神様ってこと。もっと他の物があるだろう。お前の体とか。ま、初回だし、いきなりそんな大きな物はまずいか。そうだな、簡単なとこでベロチューとかどうだ?」
「は、頭おかしいんじゃない。ベロチューして欲しいなんて言う神様なんて、見たことも聞いたこともないわ。中二病か」
鼻で笑ったあと、じとりと睨みつける。
「な、なんだよ。そんな虫けらでも見る目は。助けてもらって、失礼だろう」
「いやいや、女子高生にベロチューして欲しいなんて、この世界で言ったら捕まりますよ?」
「俺はこの世界の理とは違うとこで生きてるからいいんだよ。だいたい、おまえ胸もませろって言っても、ないだろう。って、いてー」
言い終わるか終わらないかのところで、私は蹴りを入れる。私の蹴りは見事に脛にヒットした。
人が一番気にしていることを、大声で言う奴は敵でしかない。これでもBカップあり、まだまだ成長途中なのだ。
「神様、サイテー。ないわ」
「なんだよ、せっかく助けてやったのにそれはないだろう。じゃ、最大限に譲って、パンツくれ」
「うわ、もうありえない。俗物だ、俗物」
「そんな難しい言葉出してくるんじゃねーよ。パンツでいいって言ってるんだ。あ、おい、ちゃんと明日の朝までには供えておけよ。七代祟るぞ」
彼の言葉を無視し、母屋へと歩き出す。助けた神様が祟るって……。本末転倒だな。
「おい、千夏きーてるのか? 無視するんじゃない。物が嫌なら、軽いキスとかでも」
「まだ言うか……」
ダメだ、この神様だか神獣だか。頭の中がエロくて残念過ぎる。
「ねぇ、そういえば名前聞くの忘れてた。なんて言うの?」
「ん、ああ……シンと呼んでくれ」
私が振り返ると、やや考えたように彼は答える。
ああまただ、あのなにかもの悲しそうな瞳。どうしてそんな目で私を見るのだろうか。
「ねえ、もしかして、どこかで……」
「パンツは明日の朝までだからな。過ぎたら違うもの貰いに行くからな」
「うわ、変態」
ドラマチックな想像をした自分を返して欲しい。ただ少しだけ先ほどまでの怖かった気持ちが薄れたということは絶対に言わない。
「またね、シン」
午後の山風が強く吹いたかと思うと、もうそこにシンと名乗った神獣の姿はなかった。私は歩き出す。深淵など覗くものかと誓いながら。
「……おばあちゃんのパンツでも、ありよね。どうせ、パンツはパンツだし」