本当の願い
言い終えぬ間に、風に逆らいながら進み始める。風は彼女の拒絶の表現のように思えた。台風の目のように、中心に近づけば近づくほどその風の威力は大きい。
前のめりになりながら、視野を確保するために顔に手を当て一歩ずつ進んでいく。しかしどれだけ体重を乗せても、数メートルの距離が縮められない。
「さなちゃん、話を聞いて。お母さんは別にあなたのことを忘れたとか、そんなわけでなはいのよ」
「……」
「ケガするぞ。説得なんて、もう諦めろ!」
「絶対にいや。私はしたことだもん。最後まで、もうどうにもならないとこまで、まだやってない」
シンの言葉が私を思ってのことだということは痛いほどわかっている。でもこれを、さなちゃんと約束をしたのが私である以上、辞めるわけにはいかない。
ゆっくり、かき分けるように進む。そして全体重をかけたまま、自転車に手を伸ばす。手がやっとの思いで自転車のハンドルまで届く。
「うわっぁぁ」
拒絶するような風は、取り巻くモノから形を変えて私めがけて飛んでくる。今までと全く違う風の動きに手が自転車から離れ吹き飛ばされそうになる。
「おい、いい加減祓うぞ。危険すぎる」
後ろから戒が私の体を支えた。そのおかげて離れそうになった手はまだ自転車のハンドルを握っている。
「祓うなら俺が祓う。千夏、対価わかってんだろーな」
「ああ? 対価などなくともおれがやるからいい」
いつの間にかシンは戒の隣に立ち、私を支える戒の手を払いのけた。なんの対抗意識なのか知らないが、私の後ろで二人はいがみ合っている。
「ちょっとぉ、だから祓わないってば」
二人の手を避け、私はそのまま自転車に乗った。
「お、おい。何してんだよ、千夏」
「祓わないって」
私の行動が分からない二人がほぼ同時に声を上げる。しかし私はそんな二人を無視し、後ろから風を受けながらフラフラと自転車をこぎ始めた。
「さなちゃんは自転車が好きだった。お母さんの背中と早く動く景色。そんな全てが詰まったこの自転車の後ろが。だから私の自転車に間違って乗ってしまったんじゃないかって思うの。だからね、私思ったの。さなちゃんがもういいよって思えるまで。いつか天に昇りたいって思えるまで……私が乗せてこぎ続けるから」
「おい。だからそんな安易な約束をするなって何度言うんだ」
「でもねシン、私にはこれが正解な気がするんだもの。安易じゃないよ? 初めにした約束の続きだもの」
「だからってそれが本当に正解だとも限らなければ、いつまでもその約束を守ることも無理だろう」
「無理無理っていうけど、無理って思うほど何もしてないじゃない。それに約束は最後まできちんと守るものでしょ」
「……守るもの……」
弱まる風を背に、くるくると自転車で辺りを回る。さなちゃんがずっと見てきた景色。片田舎にしかすぎず川と空き地ばかりの道だが、家へと続く道。
保育園までの行き来を、きっとお母さんと毎日見て来た道だ。あの交差点で動けなくなってただ過行く人と車を見つめるだけの日々ではなく、楽しかった過去と同じ風景を見ることが出来ているはず。
もうあの頃には戻れなくてもせめて思い出の中に戻れるならば、少しは心が満たされるかもしれないと
思ったのだ。
「さなちゃん、一緒にいろんなものを見よう? さなちゃんの気がすむまで……寂しくなくなるまでちゃんと側にいるから」
「またそんな安請け合いを」
「でもこれが正解だと思うから」
『……ありがとぅ』
風にのって、小さな小さな声が聞こえた気がした。私は振り返ることなく、にこやかに笑う。夕暮れの中に立つ二人は明らかに呆れた表情をしていたが、私は心の中がなにかで満たされていった気がした。




