地に残る未練 (二)
「あー。ちょうどいいもの、みーつけた。ねぇシン、悪いんだけどこのまま自転車押して?」
「さっきだって助けてやったのに、まだかよ。ちゃんと対価払えよ、対価」
そのまで言われて、思い出す。シンへの対価が、違う意味で高額だということを。この前の頑張って買いに行ったエロ本はもう渡してしまった。今、家に渡せそうなものはなにもない。ただこの自転車は私では、重すぎて動かすことが出来ないのだ。
「それは、わかってるけど」
「けど?」
シンがニタニタした顔で私を覗き込む。なんだか、まるで弱みを握られた気分だ。
「んーっと、えっと……。本?」
「さっきからずっとだからなぁ、さすがにこの前みたいなっていうのもな。ベロチューなら、一回で済むんだが?」
「し、しないわよ。絶対、無理」
「なんだ、キスしたことないのか」
「あ、あるわけないでしょ」
「ふーん」
今まで彼氏すらいたことがないのに、キスなどしたことがあるわけがない。大体、シンとは付き合っているわけでもないのに、いくら対価だとはいえそんなものは払うわけがないだろう。
あまりに違和感がないから、すぐに忘れてしまうことがある。シンは人の姿かたちをしているものの、人ではない。もしかすると、この感覚の違いはそこから来るのだろうか。
「ファーストキスは高そうだなぁ。ん-、今回はコスプレで我慢してやるよ」
「は? コスプレ?」
前言を撤回したい。人だからとか神獣だからとかではなく、純粋にエロイだけだ。
「そうそう。昔手に入れたメイド服があるんだ。あれ着て、お茶でも煎れてくれよ」
メイド服でお茶。その示された対価が高いのか、安いのか全く分からない。ただ、キスよりは安く、バイトだと思えばなんとかなりそうだ。
「わ、分かったわ。これが終わったらメイド服でお茶煎れるから、とにかく自転車頼むわ。あの道祖神があるところまで」
私は道と道の隙間から見える道祖神を指さした。
「ああ、お安い御用だ」
シンは上機嫌で自転車を押し始める。その様子を見つめながら、やはり選択を間違えたような気がしてきた。
私は目的地である道祖神の前で自転車を止めてもらい声をかけた。
「さっきぶりです」
「また、お前さんか。全く、物騒なのまで連れてきおって」
道祖神は動くわけでもなく、やや険しい表情でシンと自転車を見つめていた。物騒なのとは、どちらを指しているのだろうか。シンを見上げたが、いつもと変わらない表情からは、何も読み取ることは出来なかった。
「んと、こちらはシンです。で、自転車になにか乗られてしまって」
「ああ、その子を拾ってきたんかね。まったく、ちゃんと見分けるようにと言っておいた矢先に」
「はぁそうなんですが、なにせ何かが乗っているというところまでしか私には分からなくて」
力が足りないのか、経験が足りないのかはまだ今は分からない。しかし、もしやれることがあるのならばなにかしたいとは思う。長になりたいのではなく、そう、ただ純粋に。
「だからお願い、この子がなにか教えて欲しいの」
「……去年その交差点で亡くなった子どもさね。母親の自転車と間違えて乗ってしまったんだろう。毎日、母親の自転車で制服を着て乗っていたからよく覚えているよ」
制服を着た子どもが母親の自転車に乗って事故にあって、亡くなった。この先には保育園がある。おそらくその保育園に通う途中での事故だったのだろう。
「大変だったね、悲しかったね。ママじゃなくて、ごめんね」
無意識のうちに、言葉がこぼれ落ちていた。きっとこの子は、母親を待っていたはずなのに。それなのに間違えて私の自転車へ乗ってしまった。たからあそこに留まりたくて、自転車を動かないようにしていたのかもしれない。
「ねぇ、お姉ちゃんがあなたをママのとこまで運んであげる。それじゃ、ダメかな」
「おい」
そう言って私の腕を急につかんだシンの顔は、いつになく怒っていた。




