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動かない自転車

 家から商店街へ向かうのは坂道を下るだけなので、さほど苦にはならなかった。どこもかしこも坂道しかなく、平坦な道のほぼないこの町では、歩くかバスに乗るか自家用車を出すかという移動手段しかない。しかしバスは一時間に一本しかないため、歩いてしまった方が早いのではないかと思えてしまう。


「お嬢さん、大当たりだよ。ほら、特賞の自転車」


 商店街で醬油を購入した後、一枚の福引券をもらった。どうせティッシュしか当たらないだろうとは思いつつも、今日までだと勧められて引いたのがこれだ。


「……自転車……」


 これはどこで使う物だろうか。前に住んでいたところでなら、活用方法はいくらでもあるだろう。しかしこの町で自転車に乗っている人など見かけたこともない。しかも問題はそれだけではなく、当たった自転車は後ろに子どもを乗せるところが付いた、いわゆるママチャリだ。


「え、これって」


 この歳でこれを乗るというのは、さすがに恥ずかしい。


 そうだ。これは誰かに譲ろう。そう思い、福引に参加していた人たちを見回す。しかしいるのはどう見ても、祖母に近い年齢の自転車には乗らないような方たちしかいない。


「自転車ってどこで乗れるんですか」

「あー、いやーうん。公園では乗れると思うけど」

「公園で自転車」


 練習をする子どもでないのに、なぜわざわざ公園まで行き自転車に乗らなければいけないのだろう。しかしこの商店街の人も、それ以外の価値を思いつかない様子だった。


 じゃあ、なぜ特賞を自転車にしたのよ。心の叫びをしまい込み、自転車を受け取った。


「おーめでとーございます」


 大きな声がもう一度かかり、カランカランとその手に持っていたベルを商店街のおじさんが鳴らす。すると、誰もうれしくないだろう景品のことは忘れ、その場にいた全員が拍手をした。


「……ありがとうございます」


 やや棒読みになりながらも、お礼を述べてから自転車を受け取り、そのまま私は押し始める。まだ汗ばむ季節にどんな罰ゲームなのだろうか。乗れない自転車を、坂道で押していくしかないという苦行だ。押せば押すほど、こみ上げてくるのは怒りしかない。これを特賞に選んだ人は、こんなことまで考えなかったのだろうか。


「重たいし、暑いし、最悪だ。今日はとことんついていない」


 買ったものは自転車のかごに入れているものの、重さは大して変わらないので意味はない。

 ようやく家までの坂を登る手前にある交差点に着いた時には、もう体力を使い果たしていた。


「はぁはぁはぁ、あと少し」


 信号が赤から青に変わる。歩行者のために、音楽が鳴り始めた。『通りゃんせ』この音を聞くたびに胸が苦しくなるような、なにかを思い出さなければいけないような、そんな気持ちになる。


「……いけない、信号かわっちゃう」


 じっと眺めていた信号が点滅を始めたため、急いで自転車を押し始める。


 ちょうど歩道の中ほどまで差しかった辺りでだろうか。急にドスンと誰かが後ろのチャイルドシートへ乗ったような感覚があった後、自転車が動かなくなった。


「な、なに」


 力をいくら入れても、自転車は全く動かない。焦れば焦るほどに、時間だけが過ぎていく。


「ちょっと」


 目の前の信号が赤に変わっても、自転車は全く動かない。車輪がどこかに挟まるような溝もない。いくら日中の車が少ないとはいえ、このままでは事故になるのも時間の問題だった。


 このまま自転車だけを捨ててしまえば、自分だけは助かる。そんなことが一瞬頭をよぎるも、それをしたところで事故は防げないのは分かっている。


「なんで動かないの。やだぁ、お願いだから動いてよ」

「なにしてんだ、ばーか。事故になるぞ」


 声を聞けば、顔を見なくてもそれが誰なのかすぐに分かった。汗と涙でぐちゃぐちゃの顔を見られないように、下を向く。彼は私の手の上に自分の手を添えた。すると先ほどまで石のように動かなかった自転車がゆっくりと進み始める。


 歩道を渡り切ると、道の端に自転車を止めた。そして私はそのまま彼に抱き着く。


「シン、シン……こわかっ…………たの。こわかったの……。動かなくて、どうしていいか……わからなくて……」


 シンはただ、自分の胸にしがみつく私の頭を無言でなで続けてくれた。

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