本家からの招集
連載版を執筆させていただくことになりました。
しばらくお話は続きますので、よろしくお願いいたします。
アブラゼミの声がヒグラシに変わる頃、私は幼い頃に住んでいたこの町へ戻ってきた。後ろを山に、前を海にと囲まれ、狭い山あいばかりのこの町は人口が二万人くらいしかいない。
朝までずっとやっているコンビニもなければ、ガソリンスタンドすら二軒しかない。東京からこの町へ戻って来ることが決まった時、母は首を縦に振らなかった。どうしてもココには行きたくないと。
「でもだからって、なにも離婚なんて……」
母は離婚という名でもって、自由を手に入れた。それに引き換え私は、友達や母のいるあの都会から、有無を言わせず父と一緒に祖母の住むこの町へと連れ戻された。父は嫌がる私の意見など聞くこともなく、仕方がないの一言だ。
この町に友達はいない。元々、三歳になる頃、父の仕事の関係で東京へ移住したからだ。
「お父さん、なんでずっと黙っているの」
縁側で、うちわを扇ぎながら裏の林を父はただ見つめていた。祖母の家に戻されてから、今日で二日目だ。仕方がないと言って連れて来られて以来、父は何をするでもなくずっとこうやってゴロゴロしている。
「……仕方ないだろう」
「だからって、そんな風にゴロゴロしていてどうするっていうのよ。田舎に来るっていうだけで、お母さんには捨てられるし、こっちでなんて仕事もないのにどうして来たのよ」
祖母の具合が悪いというなら、まだ話は分かる。しかし祖母は今年七十五にして、みかん農家のまだまだ現役だ。
「仕方がないだろ……」
「だから、なにが仕方ないって言うの? ちゃんと私が納得できるように説明して」
「千夏ちゃん、そうお父さんを責めるもんじゃないよ。お母さんが来てくれなかったことは悲しいことだけど、本家に呼ばれた以上、分家の人間は従うしかないのだよ」
麦茶をお盆に乗せた祖母が、台所から出てきた。グラスには水滴が滴り、カランという氷の音が聞こえる。
本家と分家。田舎ならではかもしれないが、代々長男が継ぐ本家とそれ以外の人間が継ぐ分家がある。うちはこの町の半数近くがこれに当たる。分家によっては名字が変わってしまったところもあるのだが、一族だらけの町だ。
「今どき、本家とか分家なんてそんなの意味あるの?」
「そんなこと言ったら、罰があたるよ。我が関家は、とても由緒正しいお家柄なんだよ」
祖母の小言を聞き流す。大昔、どこかの藩主だったとか、関所を守っていたとか、神社の神官だったとかそんな話だ。しかしそんなことをこの現代に言われても、どうしろというのだ。私に言わせれば、しょせん小さな町で威張り散らしている地主に過ぎない。
「はぁ」
出された麦茶を一気に飲み、こっそりため息を吐き出す。
「……本家に呼ばれれば、分家は従うしかないんだよ千夏ちゃん」
「ああ、そうですか」
何時代だよと、心の中でだけ思う。本家だろうが分家だろうが、私には正直どうでもいい話だ。高校さえ卒業してしまえば、私がここにいる意味はなくなる。どこかの町で働きながら、一人で暮らせばいい。
ここに来た時からずっと、ただそれだけを考えていた。
「もういいよ、コンビニ行ってくる」
「下に降りるならちょうどいい。千夏ちゃん、本家へお土産を持って行っておくれ」
家からコンビニまでは山を下ってさらに進み、三十分以上かかる。しかも本家はコンビニより手前だ。ついでと言えばついでなのだろうが、はっきり言って気乗りしない。
「おばあちゃん、そんなの明日の集まりで持っていけばいいじゃないの」
明日はちょうど一族全てが集まる集会がある。お土産などその時で十分なはずだ。
「なに言っているんだい、明日の集会のために準備があるのだから今日持って行っておくれよ」
「千夏」
「もぅ、なにそれ……」
帰りたくもなかった田舎の、顔を出したくもない本家。しかしもうこれ以上、この会話を続けることすら今の私にはめんどくさい。
「持っていけばいいんでしょ、持っていけば」
「頼んだよ千夏ちゃん。ああほら、そんな風に日陰で下を見ながらずっと歩いてはいけないよ。連れて行かれてしまうから」
「はいはい」
そういえば、昔からよく言われていたな。日差しの強い日に、暗い影ばかりの道で下を向いて歩いていると影の世界に連れて行かれるよだなんて。今にして思えば、迷信の類で、溝に落ちるとかきっとそんなところだろう。
私は荷物を受け取ると、イヤホンを付けて歩き出す。平日の昼間だというのに、暑いせいか誰一人歩いている人はいなかった。