SS・エルナの捜索
十年前。
アルノルトがまだ八歳だった頃。
まだ皇太子が存命であり、帝位争いも起きていなかった帝国。
そこでアルノルトとレオナルトは全く異なる日常を送っていた。
母であるミツバの教育方針は、すべて自分の責任というものだった。将来が不安だと思うなら勉強すればいい。そうではないならやりたいことをやればいい。
子供にすべてを任せる放任主義は度々問題視されていた。なぜなら双子の二人が両極端だったからだ。
兄のアルノルトはやりたいことをやるというスタンスで、家庭教師の授業をすっぽかしては城の中を自由に探検したり、街にお忍びで出かけたりと〝遊び〟が第一という日常を送っていた。
一方、弟のレオナルトはやるべきと思ったことをやるというスタンスだった。家庭教師の授業を受け、将来のために自分でも勉強する。足りないところがあるならば新たに家庭教師を呼ぶこともあった。そんな中でも時間を見つけてアルノルトと遊びに出かけるという余裕のある日常を送っており、大人の誰もが天才と称した。
ミツバの教育方針が問題視されながら、止められることはなかったのは弟のレオナルトが多方面に優秀さを見せつけたからといってもよかった。
圧倒的な才能の違いに、誰もアルノルトには期待しなくなり始め、アルノルトの素行についても注意する者がいなくなり始めていた。
レオナルトさえ優秀ならばお釣りがくると思っていたからだ。
しかし、それは城の中の話。
城の外にいる者の中には、アルノルトの素行を改善しようとする者がいた。
「レオ! アルはどこ!?」
「やぁ、エルナ。今日も元気だね」
「質問に答えなさい!」
家庭教師の授業中。
突然、部屋の扉を開けて入ってきたのは七歳のエルナだった。
腰にさしているのは子供用の真剣。しかし、遊びでさしているわけではない。
この時点でエルナは城にいる騎士たちとも渡り合えるほどの実力を有していた。それを知っていたため、家庭教師もエルナには強く何かを言うことはできなかった。
勇爵家の娘というだけでなく、実力行使に出られたら止められないからだ。
そんな事情もあって、エルナは我が物顔で部屋に入り込み、レオの勉強を中断させる。
それに対してレオは嫌な顔もせずに応対する。別に今に始まったことでもないからだ。
「まぁまぁ、落ち着いて。今日は早いね? 稽古は終わったの?」
「今日はお父様がいないから家の騎士たちが相手だったのよ。さっさと一本取ってきたわ!」
えっへんと胸を張るエルナに対して、レオは笑顔ですごいねと褒める。
勇爵家に仕える騎士たちは他の貴族に仕える騎士とは違う。精鋭という言葉がピッタリとあてはまる実力者揃いだ。その騎士からさっさと一本を取るのがどれほど難しいのかレオはよくわかっていた。
レオとて相手をしてもらったことがあるからだ。一本を取るどころか、かすりもしなかった。上には上がいる。それをレオはこの時点で思い知らされ、ゆえに何事にも手を抜かなかった。
そういう性格のレオ相手だからこそ、エルナも素直に自慢することができた。他の者に対して自慢すれば、相手のやる気を大いに削ぐからだ。
しばらくレオとお喋りをしていたエルナだが、やがて自分の目的を思い出す。
「はっ!? 喋ってる場合じゃなかったわ! アルよ! アルはどこ!?」
「さぁ? どこだろうね」
「知らないの!?」
「知らないよ。とりあえず城にはいるってことは確かだけど、どこで何してるかは知らない。朝起きたらもう遊びに行ってたし」
「すぐに言ってよ!」
「いやぁ、エルナとお喋りしたくて」
「もう! そんなこと言っても許さないんだから! 早く授業終わらせて! 今日は三人で出かけるのよ!」
「わかったよ。じゃあ兄さん探し頑張ってね」
そう言ってレオは手を振ってエルナを送り出す。
勝手に立てられた予定に文句は言わない。いつものことであり、エルナが毎回楽しみにしながら予定を立てているのも知っていたからだ。
しかし、いつも予定通りには進まない。
「じゃあ再開しましょう。たぶん午後まで見つからないですから」
そう言ってレオは笑顔で家庭教師に再開を促す。
レオのこの予想が外れることはほとんどない。
午後まではまだある。遊びにいくまでに今日の授業を終わらせ、剣の稽古もしてしまおうなどと頭で考えながらレオは授業を受けるのだった。
■■■
エルナのアルノルト捜索はメイドたちへの聞き込みから始まる。
当初はアルノルトの名前を呼んで探していたが、すぐに非効率であること、城の大人たちに迷惑であることを察して、聞き込みという作戦に切り替えたのだ。
アルノルトは城の外に出る場合、レオナルトに必ず伝えていた。それがないため、城にいることは確実。
どれだけアルノルトが隠れるのが上手くても、城にいるメイドたちの目から逃れることは不可能。
しかし。
「アルノルト殿下ですか? 今日は見ていませんね」
「アルノルト殿下は見かけていません」
「またアルノルト殿下ですか? 見ていません。エルナ様、そろそろアルノルト殿下を探すのはおやめになったらいかがです? 時間の無駄ですよ」
誰に聞いても見ていないという返答だった。
最初は意気揚々と聞き込みをしていたエルナだが、何度聞いても見ていないと言われて段々落ち込み始めてしまっていた。
とぼとぼと歩きながら、他のメイドたちを探すエルナだったが、まだ聞き込みをしていないメイドは近くには見当たらない。
城の上層に近づけば近づくほど、皇帝に近くなる。さすがのエルナでも皇帝に無礼は働けない。自由に行動できる範囲はここまでが限界だった。
どうしようかと途方に暮れていたエルナだが、捜索をやめるという選択肢はなかった。
なんとか粘って新しいメイドを探そう。そう決心して顔をあげたエルナに声をかける人物がいた。
「あら? エルナ」
「ミツバ様!?」
声をかけてきたのはアルノルトとレオナルトの母親、第六妃ミツバだった。
驚いた声をあげたエルナだったが、すぐに笑顔でミツバに抱きつく。
「ミツバ様。どうしてお城にいるんですか?」
「今日はクリスタが城にいるのよ。陛下が政務の合間に顔を見たいって我儘言ったから。そのお手伝いよ」
皇帝の要望を我儘と言い切るあたり、ミツバらしいといえた。
普段は後宮にいる妃が城に来るのは珍しいが、まだまだ幼い皇女の世話ならば納得がいった。
クリスタはそろそろ二歳になる皇女であり、皇帝が最も寵愛する第二妃の次女だ。
あまり言葉を発しない子供のため、皇帝は何とか気に入られようと色々と努力をしているのだった。
そんな皇帝とクリスタの間を第二妃はいったり来たりするため、手伝いが必要だった。メイドにすべて任せてもいいのだが、信頼する人間に任せたかったため、ミツバが選ばれた。
「クリスタ殿下が!? 会えますか!」
「いいわよ。ついてらっしゃい」
そう言ってミツバはエルナに手を差し出す。
それをエルナは嬉しそうに握って、クリスタのいる部屋へと向かうのだった。
「入るわよー」
すぐにクリスタがいる部屋へとたどり着いた。
ミツバに連れられたエルナも後に続いて入室する。
広い部屋には大きなベッドがあり、そこで幼いクリスタは眠っていた。
ただし。
「アル!?」
「あら? 知らなかったの? 今日はずっとここにいたのよ。自称お世話係ね」
クリスタの横でアルはぐっすりと寝ていた。
大きなベッドなため、子供が二人で寝ても十分すぎるほどあまりあるとはいえ、寝ていい理由にはならない。
「問題ないかしら? セバス」
「はい。熟睡ですな。お二人とも」
部屋の端に控えていたセバスが一礼する。そして流れるような動作で椅子を引き、ミツバを座らせて紅茶を提供する。
その紅茶を飲みながら、ミツバは笑みを浮かべる。
「進歩があったわね。一緒に熟睡できるようになったなんて」
「そうですな」
クリスタの世話を焼きにアルノルトは何度か来ていた。しかし、クリスタは母親である第二妃にしか懐かず、周りの者も苦戦していた。
例外はミツバであり、そのため手伝いもミツバが行っているという事情があったのだが、努力が実ってアルノルトも例外になりつつあった。
遊んでいるうちに寝てしまったのだろう。クリスタの小さな手がアルノルトの手を握っていた。
しかし、そんなのお構いなしでエルナがアルノルトの傍に近寄る。それもミツバは笑顔で見つめる。普通の大人ならクリスタが起きるかもしれないからやめなさいと言うところだが、あいにくミツバは普通ではなかった。
起きたなら二人で頑張って寝かしてつけてもらおうと思いながら紅茶を楽しむ大人なのだ。
「アル! 起きなさい! アル!」
「ううん……?」
「起きた?」
「……寝てる」
「起きてるでしょ!」
「うるさいなぁ……」
エルナに起こされたアルノルトは軽く身じろぎしたあと、自分の左側をすぐに確認する。
まだクリスタが寝ていることにほっと息を吐き、クリスタの小さな手から自分の手をそっと抜く。
そして軽く頭を撫でたあと、ゆっくりとベッドから抜け出した。
「なんでエルナがいるんだ?」
「アルを探してたからよ!」
「なんで探してんだよ……」
あくびを噛み殺しながらアルノルトはミツバがいる机までいき、椅子に座る。
すると眠気覚ましの紅茶が出てきた。それを飲みながらアルノルトはエルナの話に耳を傾ける。
「アルが授業を抜け出すからでしょ! レオは真面目に受けてたわよ!」
「今日ってなんの授業だっけ? ああ、政治学だったかな? 必要ないからいいんだよ。俺、政治に関わらないから」
「屁理屈言わないで! 将来関わるかもしれないでしょ! 大体、いつもそういって授業をサボってばかりじゃない! アルの基準じゃ全部必要ないじゃない!」
「つまんないんだよ。面白くないし、必要とも感じない。なら受けないほうが効率的だろ? ほら、完璧だ」
「どこも完璧じゃないわよ! サボる理由にならないわ!」
「サボってない。クリスタのお世話係をやってたんだ」
「寝てたわよね?」
「九割はな。一割は起きてた」
「嘘つきなさい!」
エルナがアルノルトの頬を引っ張る。
抵抗しても無意味なため、アルノルトは引っ張られるがままだった。
「嘘ついたと認めなさい!」
「嘘ついた」
「じゃあ授業受けるわね!?」
「嫌だ」
「なんでよ!?」
言葉じゃアルノルトは動かないと判断したエルナは、アルノルトを無理やり連れて行こうとするが、アルノルトは机にしがみついて抵抗する。
ミツバもいるため机ごと動かすということができず、エルナはなんとかアルノルトを引きはがそうとするが、左手を外したと思えば右手がしがみつき、そちらを外したと思えば逆がしがみつく。
きりがないため、エルナが地団駄を踏む。
「いい加減にしなさいよ!」
「お前こそいい加減にしろ。騒いでクリスタが起きたらお前のせいだぞ?」
「うっ……」
エルナはチラリとベッドのほうを見て声を抑える。
その隙をついてアルノルトは机から離れると、部屋から逃げようとした。
しかし。
「隙あり!」
「ないわよ!」
急いで逃げようとしたアルノルトだが、エルナが後ろから抱きつく形で捕まえる。
勢いでアルノルトは扉にたどり着く前に倒れてしまう。
「痛い……」
「また捕まったわね。いつになったらエルナから逃げられるのかしら?」
「無理ですよ……しつこいから」
「逃げるアルが悪いのよ!」
そういうとエルナは抵抗しなくなったアルノルトの首根っこを掴み、引きずっていく。
それを見送りながらミツバは時計をちらりと見た。
時刻はお昼を過ぎたあたりだった。午前の授業はもう終わっているため、引きずって行っても意味はない。
今日は午後の授業はないため、午後からは自由時間だ。
「セバス。遊びに出かけると思うから護衛をよろしくお願いね」
「かしこまりました」
セバスに指示を出しながらミツバはスヤスヤと眠るクリスタを優しく見守るのだった。