SS・セバス
「お二人が帝位争いに参加なさいました」
アルとレオが帝位争いに参加を決めた日の夜。
後宮の一室でセバスは恭しく頭を下げてそう報告した。
その報告を聞いた主、ミツバは小さく頷いて告げた。
「そう。あの子たちにも譲れないものがあったのね」
「そのようです。険しい道になりましょう」
「でしょうね。けど……険しい道を歩いた者だけが認められるの。人の上に立つというのはそういうことよ。血筋だけじゃ誰も認めてくれないわ」
「心配ではありませんか?」
「心配よ。けど仕方ないわ。あの子たちが決めたことだもの。背を押してあげるのが親の務めでしょう?」
強い方だ。
そう思いながらセバスは再度頭を下げる。
ブレない強さを昔から持っていた。
その強さに救われた。
その強さに惹かれた。
だからこそ。
「――命に代えてもお守りいたします」
「やめてちょうだい。私は息子の泣き顔なんて見たくないわ。それに知っていて? 死んだ者よりも生きてる者のほうが強いのよ?」
「それもそうですな。死んではお守りすることはできませんからな」
「そうよ。だから生きなさい。あなた以外に子供たちを任せる気はないんだから」
そう言ってミツバはお茶を飲む。
変わらない。
十八年前からそうだったとセバスは過去に遡るのだった。
■■■
十八年前。
大陸中に〝死神〟として知られていた当時のセバスは裏の世界から足を洗うことを考えていた。
つまり暗殺者として引退することを決めていたのだ。
問題はその時期。
最後にどんな仕事をするべきか。
どんな仕事をして自らの名を歴史に刻むべきか。
それをセバスは考えていた。
そんな中、セバスに舞い込んできたのは帝国皇帝の第六妃の暗殺依頼だった。
大陸最強の国家。その皇帝の妃を暗殺したとなれば大事件となるだろう。
そもそも妃が住む後宮は外界と隔絶している場所だ。近づくだけでも至難の業といえる。
しかし、その困難さがセバスのやる気を奮い立たせた。
自らが伝説になるための相手として不足なし。
セバスはその依頼を受けた。
そしてセバスの暗殺が始まった。
まずは潜入だったが、セバスは執事として城に潜入した。優れた暗殺者であるセバスは多芸であり、それゆえに執事という仕事ですらたやすくこなしてみせた。
「あなたは優秀だな。いずれは皇子の専属執事を任せることになると思う」
「光栄です」
城の執事たちを束ねる執事長にそう言われるほどセバスは優秀だった。
潜入から数か月。
執事の中で確固たる地位を築いたセバスはついに暗殺を実行に移した。
これまで幾度も後宮には潜入しており、第六妃の部屋までのルートは暗記済み。警備もすべて把握していた。
厳重極まりない警備だったが、それでも盲点となる部分は少しは存在する。
巧妙にその盲点を渡り歩きながらセバスは見事に後宮の内部へと侵入した。
入ってしまえばこちらのもの。男子禁制のこの後宮には厄介な近衛騎士も入ってこられない。
女の近衛騎士も存在するが、ごくわずかであり、後宮に張り付いているわけではない。
あとはどれだけスマートに仕事を済ませられるか。
そうセバスが考えたときに、後ろから気配がした。
瞬時に迎撃態勢を整えたセバスは、現れた女衛兵を一瞬で気絶させる。
後宮警備のために特別に訓練された女衛兵。一対一ならまず遅れは取らないが、数を集められると厄介になる。そのため警備の隙間を縫っているのだが、今のようにパターンにない巡回をするのも後宮の厄介さであった。
「骨が折れそうですな」
呟きながらセバスは笑みを浮かべる。
困難だからこそやりがいがある。
セバスは気絶させた女衛兵は隠し、そのまま中に進んでいく。
第六妃の部屋までは確認しているが、その中はまったく情報がなかった。なにせこの数か月、第六妃はまったく表に出てこなかったからだ。
部屋に閉じこもっており、セバスですら情報を入手できなかった。そのため部屋の中の調査もできなかったのだ。
しかし、それでもセバスは今日仕掛けることを選んだ。
幾度か危険を冒して後宮を調べていたため、周りの目を誤魔化しきれなくなってきたからだ。
数か月におよぶ潜入というのは暗殺者にとってはリスキーな方法なのだ。
失敗は許されない。チャンスは一度きり。
セバスは警戒を最大限に高めながら進んでいく。
そして第六妃の部屋の近くでセバスは足を止める。
「探知型の結界……しかも高性能。さすがは帝国の後宮といったところですかな」
セバスは結界を確認するとプランを変更する。
ここに今まで結界は張られていなかった。いきなり張られている以上、通常のルートはもはや使えない。
結界は床一面に広がっており、進むのは難しい。
そのためセバスは天井に張り付いて移動を始める。
床に触れなければ結界は発動しない。そして結界はいたるところに張られているものの、部屋全体を覆うほどではなかった。
それほどの結界を維持するには膨大な魔力が必要だからだ。
「どれだけ結界が優れていても、即興では効果は半減といったところ」
分析しながらセバスは手早く結界を回避しながら部屋に迫っていく。
扉の前には結界がない。それを確認するとセバスは中の音に耳を澄ます。
何かしゃべっているようだが、それはセバスには好都合だった。
意識が扉にないならば侵入は容易だからだ。
音もなく扉を開け、セバスは第六妃の部屋に忍び込む。
そして長年の相棒である黒い短刀を握りしめた。
だが、セバスが部屋の中で見た光景は予想していたものとはだいぶ離れたものだった。
「ミツバ様! もう少しです! 頑張ってください!」
「布をもっと持ってきて!」
ベッドの周りにいるのは白い服を着た女の医者たち。
そのベッドは血だらけだった。
一瞬、セバスは暗殺者としてあってはならない空白を生んでしまった。頭が真っ白になったのだ。
その真っ白な頭の中に〝出産〟という単語が浮かび上がる。それが浮かび上がっていくと、これまでのことが繋がっていく。
数か月も姿を見せなかったのも、今日になっていきなり結界が張られたのも。
このためだったのだ。
依頼主が知らないはずがない。第六妃を邪魔だと思う者は当然ながら、帝国上層部に関係ある者だからだ。
意図的に伏せられた。
そのことにセバスは怒りを覚えたが、仕事として引き受けた以上は遂行しなければ。
そう思って短刀を握りなおしたとき。
突然、セバスは声をかけられた。
「いらっしゃい……暗殺者さん……」
「!?」
荒い息を吐きながらベッドの中央にいた第六妃、ミツバがセバスのことを見ていた。
出産という難事にありながら誰よりも先にセバスに気づいたのは偶然なのか、それとも母としての防衛本能だったのか。
とにかく気づかれたことによってセバスの暗殺者の本能にもスイッチが入った。
一瞬で距離をつめると短刀をミツバに突きつける。
だが、ミツバは動じることはなかった。
「陛下が……はぁはぁ……警戒しているからいずれは……来ると思ってたわ……」
「言い残すことがあれば聞きましょう」
「変な暗殺者ね……でも言いたいことはあるわ……」
「聞きましょう」
それは死神と恐れられたセバスにとって異例の行動だった。
いつものセバスならば短刀を突きつけて言葉を聞くなどありえない。近づいた時点で首に短刀を叩きこんでいる。
どうしてそんなことをしたのか。セバスにも理解できなかった。
最後の仕事ゆえの気まぐれ。
そんな風に自分を納得させながらセバスはミツバの言葉を待った。
「はぁはぁ……あなたは最高峰の暗殺者なの……?」
「……ええ。そう自負しています」
「そう……なら子供を産むまで待ってくれないかしら……? あなたが殺せと指示されたのは……私だけでしょ……?」
「どうしてそう思うのですかな? 妃とその子供を暗殺しろと依頼されたかもしれませんよ?」
「それなら扉の前で茫然としないわ……はぁはぁ……大方、私が妊娠していると知らなかったのね……」
セバスは押し黙る。
よく見ているものだ。
これが母親というものなのだろうかとセバスは考える。
セバスに子供の頃の記憶はない。気づけば人を殺す世界に染まっていた。
生きるために殺した。人を殺す才能があったからだ。
やがては自分を駒のように使っていた主人も殺し、自由な暗殺者として裏の世界に君臨するまでになった。
そんなセバスにとって、それは初めて触れた母親というものだった。
「自分を……最高峰の暗殺者だと思っているなら……ターゲットだけ殺しなさい……はぁはぁ……暗殺者は人を殺すプロフェッショナル……ただの人殺しとは違うのでしょ……?」
「……そうこうしているうちに誰かが来れば私の仕事は失敗となるでしょう。プロフェッショナルだからこそ、流儀よりも実益を取らねばならないのです」
「大丈夫よ……帝国の者からは……私が守ってあげるわ……」
「皇帝からも?」
「当然よ……はぁはぁ……母親に嘘はないわ……」
そう言ってミツバは強くセバスを見つめた。
セバスが少し手に力を入れれば死んでしまう存在。それがミツバだった。
生殺与奪の権利はセバスにあった。
弱者の苦し紛れの命乞い。そう取ることもできた。しかし、闇の世界に生きてきたセバスには嘘を見抜く目があった。
ミツバの目は紛れもなく本気だった。それだけ強く言うということは本当に皇帝からもセバスを守る気であるのだろう。
そう察した時、セバスはそっと短刀を引いていた。
ミツバの言葉を信じ、自分の身を任せるなど正気の沙汰ではなかった。
それでもセバスは短刀を引いた。それはミツバを信じたからという理由と、自分の美学に反すると思ったからだ。
セバスは歴史に名を残したかった。だからこそ、仕事には美学を持って取り組んできた。
ターゲット以外は殺さず、騒ぎも起こさずに依頼をこなしてきた。
その正確さと静けさによって死神と呼ばれてきた。そんなセバスの最後の仕事がこんな形でいいはずがない。そう強く思ったのだ。
しかしセバスはすぐに思い直す。
思ったのではない。思わせられたのだと。
強い意志を宿したミツバの目を見て、張り合ったのだ。信念をもって子を守ろうとするミツバを斬れば、負けたことになってしまう。信念を捨て去ったただの暗殺者に成り下がる。
それでもとセバスは思った。
斬らなくてよかったと。美学を捨てていれば一生ものの後悔を背負っただろう。
そんな風に思いながらセバスはゆっくりと扉のほうを振り返った。
そこにはセバスと同じような形で音もなく部屋に入ってきた暗殺者たちがいた。
その数は五人。
複数の暗殺者に依頼をするのはよくあることだ。しかし、一人も失敗せずにここにたどり着くのはかなり至難の業のはず。
そこでセバスは苦笑する。
「私の後をついてきたのか」
「そうだ。道案内ご苦労、死神殿。まだターゲットを殺していないとは驚いたぞ。こちらとしてはあなたを殺して手柄を奪う気だったが……その必要はなさそうだ」
「どういう意味ですかな?」
「情にほだされ暗殺をしないと決めたのだろう? ならば我々が貰う」
そう言って一人がミツバに向かっていく。
だが、それはセバスが投げたナイフによって阻止される。
ミツバに向かった暗殺者はナイフで頭を貫かれ、その場で倒れこむ。
「ひっ!?」
「そのまま処置を続けてください。彼らの相手は私が受け持ちましょう」
小さい悲鳴を上げる医者たちにセバスはそう告げて、黒い短刀を構える。
仲間をやられた残る四人の暗殺者は顔をゆがめて武器を構える。
「気でも狂ったか!?」
「至って正常ですな。第六妃ミツバ殿の命は私がいただきます。あなたたちに譲るわけにはいかない」
「ならば今すぐ殺せ!」
「そうはいきません。私のターゲットはミツバ殿だけ。子供は依頼の範囲外です。彼女の命は子供が産まれてからいただきます」
「ふざけるな!!」
そう言って四人が一斉にセバスにとびかかる。
セバスの後を追ってきたとはいえ、後宮に侵入できるほどの暗殺者が四人。
いくらセバスでも正面から戦うのは辛い相手だった。しかし、セバスは真正面から四人を迎撃した。
暗殺者同士の高速の戦闘が繰り広げられる。
血が飛び散り、遅れをとった者の首が刎ね飛んでいく。
その中で医者たちは必死に子供を取り上げることに集中した。
彼女らは皇帝によってえらばれた医者であり、ミツバのこと、そして産まれてくる子供のことを任されていた。
ここでミツバか子供に何かあれば暗殺者に殺されなくても、皇帝の怒りを受けることになる。
命を賭けているのは彼女たちも同様だったのだ。
多くの者が命を賭けて出産が続行された。
そしてそのときはやってきた。
「おぎゃぁぁぁ!!」
元気な子供の声が部屋に響いた。
その声を聞きながらセバスは痛みに顔をしかめていた。
最後の暗殺者のナイフが左肩に刺さっていたからだ。しかし、その代わりにセバスの短刀はその暗殺者の首に深々と刺さっていた。
「ミツバ様! おめでとうございます! 元気な男の子です! しかも双子ですよ!」
「はぁはぁ……ふふ、目元が陛下にそっくりね……」
そう言ってミツバは震えながら二人の子供を抱き上げる。
子供たちはそれでも元気に泣き続ける。
それを微笑ましそうに見つめながらミツバはゆっくりと子供たちの頬を撫でる。
「よかったわね……兄弟がいて……私がいなくてもあなたたちは一人じゃないわ」
そう言ってミツバは二人の息子の額に口づけをする。
そして息子たちを医者に預けるとフッと微笑んでセバスを見た。
「お待たせしたわね……どうぞ。この命を奪ってちょうだい……」
「……怖くはないのですか?」
「怖いわ。でも……息子たちを守るためだもの……皇帝の子を宿した時点で覚悟はできているわ」
そう言ってミツバは目を閉じてベッドに寝た。
いつでも殺せと言わんばかりの態度にセバスは困惑する。
これまで殺してきたターゲットたちは、死ぬ寸前に必ず恐怖し、取り乱した。
許しを乞う者、金を出す者、抵抗しようとする者。様々であったが誰一人として刃を受け入れようとする者はいなかった。
そこでセバスは自分がどうして暗殺者を引退しようと思ったのか、悟った。体はまだまだ動く。それでも引退したいと思ったのは、心の奥底では恐怖に歪む顔をもう見たくないと思っていたからだ。
引退したあとにやりたいことなどなかった。ただただ見るのが嫌だった。
死を恐れるその顔を見るのはもうウンザリだった。だから最後の仕事と決めた。
自分という存在を歴史に刻むために、できるだけ大きな仕事を選んだ。
自らの功名心のために最後にウンザリだった顔を見ることを覚悟してきた。
だが、最後のターゲットはその顔を浮かべなかった。
それがセバスの右手を動かすことを躊躇わせた。
「どうしたの? 殺さないの?」
「……あなたは……なぜ強いのですか? 皇帝の妃だからですか?」
「違うわよ……皇帝の妃じゃなくても同じことをしたわ……私は母親だから。私は双子の母、ミツバ。立場でそれは変わらないわ」
「母親だから……」
「そういえば聞いていなかったわ。あなたのお名前は?」
まさか名前を問われるとは思わなかった。
セバスは驚いたあとに、少し考えたあとに名乗った。
「私の名は……セバスチャン。死神というほうが有名ですがね。このセバスチャンというのも本当の名かはわかりません」
「そう……あなたはセバスチャンというのね。私を殺す人の名前。しっかり覚えておくわ」
そう言ってミツバは笑った。
その笑みを見た瞬間、セバスの右手は動いていた。
短刀を振り上げ、勢いよく振り下ろす。
「……どうしたのかしら?」
「どうやら……私はあなたを殺す刃を持ち合わせていないようです……」
セバスの右手は止まっていた。
どうしてもミツバを殺すことができない。
仕事を完遂しなければ伝説にはなれない。歴史に名を残せない。
だが、そんな目標はミツバの前では浅はかなものに思えてしまった。
名を残したかったのは自分が生きた証を残したかったから。自分という個人を認めてほしかったから。
セバスにとってそれが闇の世界で生きる原動力だった。
何もないセバスにとってそれはすべてだった。
しかし、セバスの名を訊ねて、覚えておくわとミツバが言った瞬間。
セバスは満足してしまった。この人に覚えていてもらえるならばと。
「幾人も殺してきました……けれどあなたのような人は初めてだ……」
「私も……あなたのような暗殺者は初めてよ。暗殺者にしては優しすぎないかしら?」
「……生きるために人を殺してきました。その後は認めてほしくて、自分という存在を見て欲しくて殺し続けた。しかしこれまでのようです。死神の最後は……ターゲットを殺せずに終わる……」
そうセバスがつぶやいた瞬間、部屋の扉を開け放って男が入ってきた。
「ミツバ! 無事か!!」
その男の後ろには大勢の近衛騎士が従っていた。
皇帝の妃であるミツバを呼び捨てにできる者など一人しかいない。
皇帝その人だ。
そして皇帝が何か言う前にセバスは大勢の近衛騎士によって捕らえられた。
「陛下……双子の男の子です……」
「おお!! でかしたぞ!! 第七皇子と第八皇子だ! ちょうどよい! 良い名を二つ考えておったのだ! 迷っておったがどちらも使おう! 兄はアルノルト、弟はレオナルトだ!」
「良い名だと思います」
「そうであろう! 毎日寝ずに考えておったのだ!!」
そう喜びを露わにして皇帝は子供たちを抱き上げたあと、ベッドにいるミツバを抱き寄せる。
そしてひとしきり喜びを堪能したあと、皇帝は怒りを秘めた瞳でセバスを睨みつけた。
「それで……そこの男は何者だ?」
「あ、暗殺者でございます! 陛下! 死神と名乗っておりました!」
医者の一人がそう報告する。
それに対してセバスは何も言わない。
死神すら後宮の守りを突破できなかった。そういう伝説になるならそれはそれで構わないと思っていた。
「死神か……裏の世界で名をはせる希代の暗殺者が城に潜入しておったとはな……依頼人は誰だ?」
「依頼人とは複数人を介していました。私には見当もつきません」
それは事実だった。
しかしミツバを邪魔と思う者など限られている。
だから皇帝はそのことには拘らなかった。
「そうか。どうやって城に潜入した?」
「執事として城に入り、数か月かけて信用を得ました」
「ふん、城の警備を見直さねばならんな。鼠一匹見つけられんとは! 貴様らは何のためにいる!? 我が妃と皇子が危険にさらされたぞ!?」
皇帝の怒りが近衛騎士たちに向く。
確かな失態に近衛騎士たちもうつむくことしかできなかった。
いまだに怒りが収まらないといった様子の皇帝は、その怒りをセバスに向けた。
「依頼人を吐く気はないのだな?」
「嘘はいっておりません」
「そうか。では貴様に用はない」
そう言って皇帝は自ら剣を抜く。
だが、それをミツバが制止した。
「陛下、お待ちを」
「む? ミツバ、どうした? おお! すまんな。お前と皇子たちの前で処罰するのはなかったな。配慮が足りなかった」
そう言って皇帝は顎で外に連れ出すように指示を出す。
だが、ミツバはそれを首を振って否定する。
「そういうことではありません。ただその物騒なものをしまってほしいだけです」
「なに? 処罰するなというのか!?」
「処罰なんてとんでもない。そこにいるのはセバス。この子たちの執事です」
「なっ!?」
助命を懇願してくるのかと警戒していた皇帝は、想像のはるか上をいくミツバの言葉に思わず口を開けたまま固まってしまう。
それはセバスも同様だった。
まさかいきなり執事に指名されるとは。
さきほどまで自分の命を狙っていた暗殺者を子供の執事に指名するなど、正気の沙汰とはいえなかった。
「なっ、なっ、なっ、何を言っている!? こやつは暗殺者! お前の命を狙ったのだぞ!?」
「ええ、それが何か?」
「何かではない! それを皇子たちの執事にするというのか!?」
「はい。もう決めました。だから手を放しなさい」
ミツバに命令されて思わず近衛騎士たちは従ってしまう。
それほど今のミツバには迫力があった。
「そのようなことが許されると思っているのか!? こやつは犯罪者だ! 我が城に侵入し、我が後宮に侵入し、お前の部屋まで侵入した! 許しておけん!」
「それだけ優秀ということでしょう。うってつけではありませんか」
「そういう問題ではない! そのような勝手がまかり通ると思っているのか!?」
「もちろんです。あなたが私に求婚してきたときに言ったはずです。子供の教育に口を挟ませませんが構いませんか? と。皇子たちの執事を決めるのは教育の一環です。ならば決定権は私にあります」
「そんな屁理屈が通じるか! お前を殺そうとした暗殺者だぞ!? 信用するのか!?」
「いつでも殺せるのにセバスは私を殺しませんでした。子供たちはターゲットでなかったからです。そして結局、私も殺さなかった。もはや暗殺者とは言えないでしょう。結局、セバスがしたことはこの子たちを守っただけです。それだけで信用に足るとは思いませんか?」
「思わぬ! 暗殺者は暗殺者だ! わしは断じて許さぬぞ! 皇子の執事になどさせん! 今すぐ処刑してくれる!」
「帝国の皇帝が妃との約束も守れないのですかっ!」
一喝されて皇帝は思わずたじろぐ。
そしてミツバに強く見つめられ、耐えきれずに視線をそらしてしまった。
その隙を見逃さず、ミツバは頭を下げた。
「私はセバスに借りがあります。どうか私の我儘をお聞き入れください」
「うぐぐ……」
お願いの形を取られて皇帝は歯をかみしめる。
これ以上、認めないと叫べば自分がまるで度量の狭い男のようではないか。
そんなことを思いながら皇帝は剣を鞘にしまった。
「……いいだろう。ミツバに免じて許してやる」
「執事にさせますからね」
「くっ! 好きにしろ! そういう約束だ! ここでのことはなかったこととする!」
そう言って皇帝は背を向けて立ち去ろうとする。
半分の近衛騎士は皇帝に従い、もう半分は用心のためにその場に残る。
そんな中で皇帝が立ち止まる。
そして振り返らずにセバスに告げた。
「セバスチャン。我が妃の目に狂いはないと証明してみせろ。使えないと判断すれば斬り捨てる」
「……はっ。承知いたしました」
それだけ言い残すと皇帝は部屋を去った。
残されたセバスにミツバは二人の子供を見せる。
「どう? 可愛いでしょ? 私の子供たちよ」
「……とんでもない無茶をしましたね」
「あら? 約束は守るわ。言ったでしょ。あなたを皇帝からも守ると」
そう言ってミツバは二人の息子をセバスに預けた。
命を奪い続けたセバスの腕に幼い命が二つ乗せられた。
それは今までセバスが持ってきたモノの中でも特別重く、温かかった。
その重さと温かさを感じたセバスは静かに告げた。
「必ず……お守りいたします」
「ええ、お願いね」
こうしてセバスはミツバの無茶と皇帝の寛大さによって、二人の皇子の執事になったのだった。
■■■
それから十八年。
成長した皇子たちは皇帝を目指すこととなった。
険しい道だ。しかしその道が歩めるだけの強さも兼ね備えた皇子に二人は成長していた。
「二人をお願いね。といっても最近じゃあなたはアルの専属になってしまっているけれど」
「アルノルト様はいつも自由でしたからな」
「レオはいい子に勉強しているのに、アルは勝手に城を抜け出してしまうのだもの。困った子よね。まぁだからあなたにお願いしたのだけれど。どうかしら? アルは」
「ご安心を。アルノルト様もあなた様の血をしっかり引いています。強い信念を持ち、他者を動かす魅力にあふれた立派な皇子です」
そうセバスが自信満々に告げるのを見て、ミツバは笑顔で一つ頷く。
自分の目は狂ってなどいなかった。
多忙な皇帝の代わりにセバスは二人の父代わりになった。そして成長し、自由に生きるアルの手綱をしっかりと握ってくれた。
「あなたを執事にしてよかったわ、セバス」
「私も執事になれて光栄です」
そういってセバスは恭しく頭を下げるのだった。