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激闘テレビショッピング

作者: 蒼井果実

 ある日のこと、ぼんやりと眺めていた深夜の通販番組で、僕は驚くべき発見をした。

 番組をご覧下さっているお客様だけ、と気持ちが悪いほど笑顔の司会者。それは装飾品を取り扱うコーナーだった。

「安い安いか。給料の三ヵ月分って、正社員の話でだろ」

 聞き慣れた口上に耳を傾けながら、僕はテレビに向かって文句を言った。

 フリーター生活が長い人間にとって、アクセサリーは愚か、貯金をする余裕すらあるはずが無い。そもそもプレゼントをする彼女もいなかった。

「職無し、彼女無し、将来性はまるで無し」

 いっそ育ててくれた恩返しに実家の母親にでも送れというのだろうか。そしてすぐさま仕送りの具申をするというのはどうだろう。僕は心の中で駄目な自分を皮肉って笑ってみたりもした。問題はこの後だ。

 特に意味の無い、暇と羨ましさから生まれた動作だった。僕は指先を画面に押し付け、アップで映し出されたネックレスを何の気なしに摘もうとした。すると次の瞬間、なんと僕の手はズブズブとテレビ画面の中に入っていったのだ。

「ふおっ!」

 僕は慌てて手を引き抜いた。

 何も無くなってはいない。逆に小豆のような硬い感触がいつの間にか僕の親指と人差し指の間に現われていた。それは何度腹で押してみても、動かしても無くならなかった。

 画面が近すぎ、明るくて見づらいので、指の形をそのままに、背景をテレビ画面から汚れた押入れの襖へと移してみることにした。あらためて確認してみて、僕の身体は固まった。

 今紹介されているネックレスだ。しかも、ラウンドブリリアンカットがなされたカラーダイアモンドには、一八金仕上げのチェーンまでしっかりと接着されていた。

 突然の出来事に呆然としてしまい、しばらくの間、僕はきょとんとアクセサリーを眺めていた。体が硬直しているため、角度を変えて見ることはしなかった。しかしそれでもはっきりとわかった。給料の三ヶ月分だ。手の甲に当たる滑らかな十八金の肌触りがそっと真実を僕に教えてくれたのだ。

「ふお……ふおおおおおお!」

 独り暮らしを始めて五年目のボロアパートで、僕は忘れかけていたどうしようもないほどの胸の高鳴りに再会した。



 突然天から降ってきた宝物に小心者の僕は不安と興奮を抑えることが出来ず、その日は全く眠れなかった。それから数日間はテレビを消し、バイトにも行かずひっそりと息を潜めていた。図書館で六法全書を開き、クーリングオフ制度が訪問販売にのみ適応されるのだということも知った。

 しかし、心配していた代金の取り立てもなく、新聞にも窃盗事件として載っていなかった。一週間経っても、何も変わらない毎日がそこにあった。

 どうやら僕にはテレビショッピングで映された商品を取り上げる能力があるらしい。とはいっても画面の中の見本が消えて無くなるわけではないようだ。第一、ほとんどが収録したのを放送しているわけで、ハプニングなど起きるはずがない。いずれにせよ、非凡な才能であることに疑いはないが……。とにかく、何でもかんでもタダで獲り放題なのだ。

 試しに一回、二回とやってみる。そして確信を得てからの僕は激しかった。指輪にデジカメ、さらにカラオケセット。朝からテレビに張り付き、目に入ったものは全て手に入れた。ろくに商品も確認しなかった。普段なら絶対に買わないだろう物、本当に欲しいかどうかもわからない物にも手を伸ばした。とにかく何でも貰っておこうと思った。もう一心不乱だった。

 数をこなしていくうちに要領がつかめてきて、決まりというか法則というようなものが存在することも気付かされた。

 その一、この能力は通販番組でしかつかえない。それもビデオなどで録画した映像ではなく、実際に放送中でなければならない。

 その二、対象が完全に映し出された映像でなければならない。画面からはみ出していたら、その部分が無い状態で具現化されてしまう。

 その三、画面内の対象に触れられるのは右手の親指と人差し指、そして中指だけだった。つまりこの三本指だけで重いものを掴み、テレビ画面から引っ張り出さなければならない。

 さらに一番重要なのが、映像が切り替わる前に手を出さなければならないことだった。カットが変わった瞬間に画面内に入っている部分が切断されてしまうのだ。幸いにも被害は伸びていた爪の先だけで済んだ。知ったときは心臓が止まりそうになった。

 以上の点によって、当初僕が期待していたよりも、能力はだいぶ狭まってしまった。しかも指や腕を失う危険性もある。それでも僕にとっては充分だった。貯金もなく、将来性皆無だった貧乏フリーターの自分に起死回生のチャンスが巡ってきたのだから。

 コンビニでノートを買い、それにこれからの計画を記してみた。季節は秋から冬へと移ろうとしていたが、心の中は春の陽気だった。楽天的な観測が支配していた。世間からは負け組という烙印の押され、逃避願望から将来設計など建てようとしなかった僕にとって、それは就職戦線に敗れた以来の作業だった。



 バイトをやめてしまった。スーパーで包装など裏方の仕事を主にしていたのだが、いい加減チーフのオバサンの小言に耐えられなくなったのだ。

「あの、一身上の都合で辞めたいのですが」

 今日限りでこんな腐った職場はやめてやる、と言い放ってやった。その日もオバサンは掃除や接客マナーに始まり、果ては欠勤の取り方にまで難癖をつけてきたのだ。自分のほうが遥かにポカ休が多いくせに、それを棚に上げてこちらを叱り責めたててくる。彼女は明らかにストレスのはけ口として若い僕を利用していた。

 店長に話せと言われ、面倒だったので、コンビニで買った封筒に辞職願いと記し、一身上の都合云々と綴った紙を入れてロッカールームのテーブルに放って置いた。どうせもう会わないのだ。携帯のアドレスも着信拒否にしておいた。

「これからの俺はプロのテレホンショッカーだ。この右腕で天下を取ってやる」

 帰り道、ボソボソと独り言を呟いて僕は笑いを噛み殺した。胸が希望で満たされているような感覚。何故だか愉快でたまらなかった。

 僕はあらためて自分が本当に自由なのだと感じた。



 さらに数日が経ってボロアパートの僕の部屋は家電製品で一杯になった。最新型のビデオデッキ五台とノート型パソコン四台が使うわけではなく山積みとなっていた。これまでトマトケチャップしかは入ってなかった冷蔵庫には、今や北海道産のズワイガニと高級国産牛が眠っていた。

 金に換える用意は出来た。これが億万長者への第一歩だ。僕は鼻息も荒く、いくつかの電化製品を自転車の荷台に載せてリサイクル店に向かった。

「取り説あります?」と店員。

 取扱説明書と保証書、それに梱包していた箱があるかと聞かれて僕は初めて気付かされた。そうなのだ。たとえ新品で綺麗でも、実物だけでは値段が下がってしまう。完全な状態でなければ売りにくいのだ。

 次に訪れた質屋でも僕は勉強させられた。

「これ、鑑定書とかついてます?」と店員。

 ルーペをはずしてあらためてこちらを睨みつける。茶髪でやたらと日に焼けたプロの眼差しは明らかに疑いを含んでいた。

「宝石が四つ、それも箱無しで。これって失礼ですがご自分で使われていたわけではありませんよね? 財産分与か何かですか?」

 質屋は盗品とわかっていて買い取ることは出来ないのだ。やんわりとした口調で事情を聞こうとする店員に、僕はとっさに別れた彼女へ贈った物ですと答えてしまった。

「ダンボールにまとめてつき返されました」

 思い出を売り払う男。それ以前に僕はプレゼントを贈るほど長く付き合った女性がいなかった。これは見栄なのか、それとも情け無い言い訳なのか。

 当面の軍資金を握り締め、店から出た僕は溜め息をついて空を見上げた。



 いくら言い訳をこしらえても、同じ店に大量に売れば怪しまれる。さらに商品の登録番号などを確認されたら、面倒なことになるかもしれない。ただでさえ、箱も証明書類なども無いのだ。

 これを解決するには、より多くの質屋とリサイクル店を開拓するしかないだろう。前回売りに行った日付をメモして、しばらくは他の店を廻る。つまり間隔を空けるのだ。風貌も出来るだけ変えたほうがいい。案外、手間がかかる仕事だと僕は思った。


 そんなある日のこと、僕は夢を見た。


『さあ、今夜もいきますよ。激闘、テレフォンショッピング!』

 司会の男性のかけ声に僕は「よっしゃ!」と気合を入れて答えた。

 深夜二時から放送する『激闘テレフォンショッピング』は目標をアップにする時間も長いし、また商品の質も良い。テレホンショッカーの僕にとって一番の漁場だった。

『今日のお勧めは一眼レフ、ハイパーズーム七千』

 前から欲しいと思っていたプロのカメラマンが使用するカメラだった。しかし、何度やってもうまくいかなかった。いいところでカットが変わり、取り出し中の商品がバッサリ切れてしまうのだ。

 そろそろ紹介も終盤に差し掛かっていた。小さな商品なら、綺麗な水着の女性モデルが最後に手に持って見せることになっている。つまり、赤い台に載せられていたカメラの場所が移動する時間で、アップが撮られる最後の機会だった。僕は焦っていた。

「今だ!」

 僕は掛け声と同時に画面の中に手を突っ込み、そのまま勢いよく引き抜いた。

 僕の中指と人差し指、そして親指に挟まっていたのは黄色いビキニだった。

 カメラマンの手ぶれのせいか、それとも僕がよく確認しなかったためか、間違えて女性モデルの胸当てを取ってしまった。といっても番組の中でモデルはトップレスになっているわけではない。あくまでこちらの物は複製なのだ。

 もしかして商品以外の物も取り出すことが出来るのか。僕の関心はカメラから女性のカラダへとすっかり移っていた。

「ひょっとしたら」僕は生唾を飲み込んだ。

 牛肉は持ってこれたのだ。ならば人間の体も可能なのでは無いだろうか。

「いやいや、それは危険だ」

 仮に成功しても誘拐と勘違いされて叫ばれでもされたら、大事になってしまう。テレフォンショッカーが一夜にして犯罪者だ。

「しかし……仲良くなれちゃうかもしれない。意外と話があったりして」

 むしろこの能力が世間に知れて、一躍有名人になれるかもしれない。そしたらこの狭い住処からおさらばだ。

 結局、僕の考えは楽観的な方面に向かった。水着のままでは可哀想なので、洗いたての寝巻きを押入れから引っ張り出しておいた。均整の取れたモデルの女性に男物のトレーナー。ブカブカなのがまた良い、などと想像して鼻の下を伸ばした。

 僕は機を見計らって、モデルの全身が映ったカットで画面に手を入れた。不思議と指三本でも重いとは感じられなかった。

 女性は引っ張る僕を見て驚いているようだった。手の先から始まり、ゆっくりと頭や肩が画面から出て、彼女のたわわな胸が僕の部屋に現われた。

 モデル、モデル、オンナ、ミズギ。心臓が高鳴り、僕の頭の中は煩悩しか活動していなかった。

 そのときだった。プツンとテレビのカットが変わったのだ。

 モデルは下半身を残して床に落ちた。


「うあっ!」

 翌朝、僕は顔面蒼白で布団から飛び起きた。過呼吸なのか、気が付くと息が荒かった。そして何よりも溢れ出た汗の量が尋常ではなかった。

 僕はテレビの方へ恐る恐る目をやった。

 何も無い。女性の体はなかった。

「夢だ。やっぱり夢だよな」

 安心して落ち着いてから、六畳一間の部屋を見まわした。ビデオデッキにカラオケセット。何もなくなっていない。テレフォンショッカーとしての生活自体は幻ではなかった。

「商品以外の物も取り出せんのかな」

 しかし試してみる気にはなれなかった。それどころか、テレビを電源を入れるのにもためらいがあった。

 切られた上半身を考えると国産牛のステーキを料理する気にはなれず、昼になってから駅前へと出かけた。



 指を失う危険性の代価が定価のたった四分の一。プロスポーツ選手や芸能人に比べ、テレホンショッカーという職業は案外儲からないものだとわかった。それでも誰かに使われて生きるよりはずっと良い。その一点だけで、僕はまだ満足していた。

「ハンバーガーとポテトをひとつ、それにアイスコーヒー」

 昼食はファーストフードで済ませることにした。トレイにミルクとシロップを載せて窓際の席に座った。すると前を向いた視野の中に意外な人物を発見した。

「チーフ」僕は思わず声を出してしまった。

 先日やめたアルバイト先の上司が食事をとっていたのだった。まだ小学校にも通っていないだろう幼い女の子を連れていた。

 自分から声をかけるかたちになってしまった手前、僕はチーフに挨拶をしないわけにはいかなくなった。

「あんたのせいでこっちはえらい迷惑よ」

 突然わけも話さず辞めると言い出して、店長にも伝えずにおさらばしたのだ。はじめチーフの機嫌は悪く、態度は凍りつくほどに冷たかった。しかしもはや部外者だからなのか、それとも所詮はアルバイトと期待していなかったからなのか、文句をひと通り言い終えた頃にはすっかり怒りも収まっていた。そしていつの間にか、僕らは三人で一緒に食事をとっていた。

 チーフがスーパーの仕事についたのは夫と離婚してからだそうだ。そして自分の娘を大学に行かせるだけのお金を貯めることが唯一の目標だという。ファーストフードは娘との約束で月に一度の贅沢なのだ。

 なんとなく事情があることは知っていた。それでも小言ばかりを口にしてくる嫌な印象しか持っていなかった僕にとって、彼女の愚痴ともとれる打ち明け話は意外だった。チーフにも僕の知らない母親としての一面があったのだ。

 スクラッチ式のプレゼントの景品なのだろう。トレイを汚さないため敷かれた紙に、三名様と記された写真が載っていた。それは小さな子の間で人気のアニメキャラクターがプリントされた自転車だった。男の子用の青色と女の子用のピンク色の二種類がある。もちろん補助輪もついていた。

 チーフの娘は決して買ってくれと言わなかった。ただジッと自転車を見ていた。欲しいに違いない、と僕は思った。少なくとも自分が子供のときはそうだった。それでも親の苦労がわかっているのか、女の子は黙っていた。

「あともう一人いれば、シフトも楽になるんだけどね」

 チーフはそう言って、お子様セットのジュースを口に含んだ。

 もう既に済んでしまっていたようで、女の子の外れクジはクシャクシャに丸められていた。僕はレシートと重ねて財布にしまっていた一枚を取り出した。

「ありがとう」女の子は嬉しそうに言った。

 願いは届かず、当たりを手にすることはできなかった。それでも気持ちの切り替えは早いようで、女の子は別れ際に笑顔で僕に手を振ってくれた。

 悶々とアパートへと向かう帰り道、僕は何故か叱られた後のような陰鬱な気持ちにさせられた。真面目に生きてないからだろうか。それとも懸命に生きていないからだろうか。どちらにせよ、自分がとても卑しく思えた。



 何かあの親子にしてあげられることはないだろうかと考えたとき、僕に与えられた手段は一つしか浮かばなかった。すなわち、自転車をテレビショッピングで手に入れることだった。それがプロとしての役目のように思えた。

 翌日、決心した僕はデパートに行って実際に目標の物を確認してみた。人差し指と中指、そして親指を広げて三本でサドルを挟む。子供用とはいえ予想以上に自転車は重く、引っ張り出すのは容易なことではないと感じた。

 握力を鍛える事にした。それと右腕を引く瞬発力も高める努力をした。ゴムボールをはさむ事からはじめ、リンゴに指を突き刺したり三本の指だけで懸垂も挑戦した。最後には胡桃を割ったりも出来るようになっていた。その他に走り込みや腕立て伏せも欠かさずこなした。実戦のカンを養うために、録画した色々な通販番組で引き抜きのイメージトレーニングも繰り返した。かかった期間は一ヶ月。何度も挫折しそうになったが、その度に意地で乗り越えた。まさに地獄のような毎日だった。

 体力はついたが、それだけで準備万端整ったわけではない。目的の物を取り扱う通販番組を探さなければならないのだ。それがなかなか見つからなかった。子供用の自転車は人気が無いのだろうか。困難を極めた。

 三日三晩、番組表からくまなく探しても結果を得られなかった僕はインターネットで検索してみる事を思いついた。さっそく漫画喫茶に入って自転車の製造販売元の会社を調べてみた。

「うーん」パソコンの画面を睨んで僕は唸ってしまった。

 いったいどうしたものか。ホームページは簡単に見つかったものの、さすがにどこの通販番組で取り上げているかなどの情報は記されていなかった。キャラクターグッズとしてアニメ番組のサイトから探しても、手がかりは無かった。

 やはり通販番組では取り上げていないのか、と僕はうな垂れた。このまま暗礁に乗り上げるかに思えた。そんなとき、またしても僕の頭の中でひらめきが起こった。

「そうだ! 掲示板だ!」

 通販番組で取り上げたなら、必ず誰かがブログやチャット、掲示板で話題にしているはずだ。そんな暇人の気まぐれにわずかな望みを託した。



 放送当日の夜、僕は旅館の畳に胡座をかいて、精神統一に徹していた。地方限定のテレビ番組のため、アパートでは視聴できなかったのだ。

 時間まであと五分。僕は深呼吸をしてテレビの電源ボタンを押した。

「あれ?」

 カチカチカチ。スイッチを押しても引いてもテレビはうんともすんともいわない。どうした事なのか、まるで映らなかった。

「なんで? なんで! あっ!」

 しばらくして気付かされた。今どき珍しいコイン投入式のテレビだったのだ。まずい、時間がない。僕は慌てて財布の中から百円玉を探した。

『激闘テレビショッピング! イン、長野!』

 チャンネルを合わせると、ちょうど番組が始まったところだった。何時間も行った精神統一が台無しだった。

『今日扱う商品はこちら!』と司会。

 最初のチャンス。アップで映し出された瞬間、僕は画面の中に右手を入れた。

 あともう少しで自転車に触れられるというところで、急に画面がブレた。

「あぶねっ! 生放送かよ」

 僕はとっさに引き抜いて倒れた。収録放送でない場合、ハプニングはつきものだ。カメラマンがコードか何かにつまずいたのだ。

「司会者が邪魔だ!」僕はテレビに吠えた。

 絶好のカットであっても遮られたら掴み取ることはできない。よほどの素人なのか、この司会者は何度も商品の前に立っては邪魔をした。これでは一般の視聴者も商品を良く見れないに違いない。

 こうして時間だけが刻々と過ぎていった。

「焦るな、焦るな。長いカットのベストショットを狙うんだ」

 言い聞かせながらも僕は不安を感じていた。バケツに自転車と同じ重さの水を入れた練習では、取り出すのに最短でも五秒かかった。それほど映像が切り替わらない機会など、この先は一つもないことを知っていたのだ。

 もう少し経つと別の商品に移ってしまう。危険を覚悟で挑まなければならない。


 僕は一瞬に賭けることにした。


 商品がアップになり電話番号が表示された刹那、僕は右手を画面の中に突き入れた。

「ぬああああッ!」

 血の滲むような特訓の成果で三本の指はサドルにピッタリあった。今だ。僕は懇親の力で自転車を引っこ抜いた。

 ガツンッ。鈍い音をたててテレビは台から畳の上に落ちた。埃とゴムの焼けたような匂いが部屋に漂い、一筋の細い煙が昇った。

 結局、部屋に自転車は現れなかった。画面が小さかったのだ。フレームに挟まり取り出すことはできなかった。自分のアパートにあるテレビでも同じ結果だっただろう。自転車が抜けられるほど大きなテレビを用意しなければならないのだ。



 それから三日経った今、帰ってきた僕は辞めたはずのスーパーで働いている。

 自転車を引き抜くには大きな画面のテレビが必要だ。しかしその大型テレビは決してそれより小型のものでは取り出すことはできないのだ。つまり大型テレビは自分で買わなければならない。

「ほらボサッとしない!」とチーフ。「まったくトロいわね」

 相変わらずチーフは僕に小言を言ってくる。彼女の口利きで再び雇ってもらえたということもあり、以前にもまして頭が上がらなくなってしまった。それでも不思議と居心地は悪くない。

 だから続けたいと思う。

                   了


『激闘テレビショッピング』

            著者 蒼井果実


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