14話 暗影
「〝落日〟で人身売買が行われる。任務はそこから拉致された被害者の救出だ」
いつもより枚数の多い書類を渡しながら翼は簡潔に言った。
「取引場所と拉致された一部の身元は分かっているが、他の情報は余りない。昨日の今日で時間がなくて調べられなかった。」
いつも無表情な翼が少しだけ悔しそうに呟く。
人身売買。言葉で聞くと衝撃的なワードだが、アンダーグラウンドでは望まれなかった子供や
生活苦の家庭から多くの子供が闇市場に流れ、売春を強制され、玩具として買われ、時として臓器を抜き取られている。
目を背けたくなる現実だが、ほとんどの人が知らない現実。
もちろん表には出てこない。裏の権力者だけではなく、表の権力もがもみ消しに関わっているからだ。
陽の当たる場所には絶対に現れないこの世界の陰であり闇。
鴻も事前に食い止められるものなら食い止めたいと考えている。力を持っている者として。
しかし現実は、富裕層が被害にあった時にだけ来る依頼。
歯がぎしりと不快な音をたてた。
「危険度がAランク……人質救出任務でこれは……俺一人で、ですか!?」
危険度はそのままの意味ではなく、依頼達成難度の意味合いが強い。
相手の脅威度がBクラスなら、殲滅せず、人質一人を無傷でなどの条件で、高くてB。
殲滅という条件が付くだけでも大分変わる。
Aという事は、相手の脅威度がAクラスで人質も無事にという条件や人質が複数人の可能性が考えられる。正直、鴻の手に余る案件だ。
「もっと下だとは予想しているんだが正確な情報がなくてな。実行犯がなかなか掴めない事から、パルプが関わっていると思われているんだが……いつも通り兵隊を動かして――」
「買う方は海外の組織なのは分かったが、ここも詳細は時間がなくて詰められなかった。大きな組織なら尻尾の先端くらいは掴めると思ったんだが、小さい組織にしては手を付けたのが――」
「拉致されたのは四人。氏神重工専務取締役、當影の娘、彩未、落日署、署長の尾藤の娘、丹奈」
氏神重工は大和の都心から西にある〝西院京〟のさらに西の〝落日〟にある大企業であり、裏世界でも大きな権力を持っていると噂されている。
落日署はその場所で裏世界の甘い汁を啜り、本来あるべき姿の組織として機能していない。
どちらもヘタに手を出していい相手ではない。戦争でも始めるなら話は別だが。
「他も金持ちの子女だと思うが最優先はその二人だ。他は最悪見捨てていい」
しょうがないとはいえ、淡々と言葉にされる心が軋む。
しかし、助ける人数が増えるだけで、飛躍的に命の危険と難易度が跳ね上がる為、この世界では切り捨てる事は悪ではない。
ただまだ、慣れないだけ。それすらも経験となるのが辛い現実だ。
「邪魔する者は排除しろ、〝月陰衆〟も行かせるから処理は任せろ。こんな糞みたいな商売をする奴は……私は許さん」
声が怒気を帯びている。
「ただ、おそらくパルプ幹部も関わっているはずだ。いないと思うがリーダー、親衛隊、特攻隊長がいたら交戦はできるだけ避けろ。まだやり合う時期じゃない。やるならやつらを潰す時が好ましい」
「で、でもっ!」
もちろん依頼は人質救出。それ以上は依頼の範疇から超えている。
しかしそれで終われる程、黒幕に目を瞑れる程、鴻はまだこの世界に溶け込めていない。
「分かってる。この仕事もパルプが関わっていたら、いい加減奴等もこっちの存在を意識するだろう。そうなったら被害が大きくなる前に潰す。絶対にだ」
今までを思い返すと小競り合いに近い形は何度もあり、ここ最近は頻度が多く、小競り合いとは呼べない形での接触もあった。
「それにあたって今調査中だが、リーダーの二つ名は〝不可視の殺意インビジブル〟親衛隊隊長は蛇穿、特攻隊隊長、蛭沼、顔、戎器は不明それらしき奴と会ってもこっちからは仕掛けるなよ」
「場所と時間は書類に書いてあるから後で読め」
「了解です」
拉致が昨日、取引が明後日。この早さからおそらく翼が言った二人は前兆があったと思われる。
ただの人身売買ではない。しかし誘拐という形でもない。
背景を考えても、やる事は一緒なので鴻は考えるのをやめる。
依頼の詳細は分からないが、翼の言葉をそのまま受け取るなら
成功はその二人の無事。
相手の人数、正体が分からない今の状況だと胃が悲鳴を上げた
「――気持ち悪い」
最早ルーティーンのようになりつつある、ため息のような深呼吸をしながら鴻は帰路につくのだった。