(せ)世界
小さな世界という歌がありますが、やっぱり世界は広いです。
先日我が子が幼稚園の卒園祝いに手作り地球儀をもらってきて作ったのですが、ほとんどがいったことのないところばかりで生きているうちにあとどれくらいの国に行くことができるのかな~なんて考えてしまいました。
そう思うと、某テレビ番組の珍獣ハンターさんとかはすごく羨ましい人生を送っているな、なんて思ったりします。まあ、あれはあれでとても大変なのでしょうけど。
前回世界観というお話をしましたが、世界観を作り上げるのって小説を書いている人にとっては、一番の醍醐味という気がします。
ドラえもんの道具でもしもボックスというのがありますけど、あれを使ってのび太くんがあやとりがすごく流行っている世界を作って自分が有名人になる、なんて話がありました。
小説ももしもボックスと同じで、もしも魔法が使える世界だったらとか、もしもタイムマシンがある世界だったらとか、もしも動物が話すことができたら、なんて無限に世界が広がっていくわけです。
そんなお話をもし自分で作り出せたとしたら……。
これって結構すごいことなんじゃないでしょうか。
自分がその世界の想像主!
小説世界の神様なのです。
小さな世界をこの手で作り上げることの喜びは、物語を作っている私たち書き手にしか味わえない贅沢。
たくさんの世界を飛び回れる人生には程遠いけど、そんな自分だけの贅沢にひたれるのも結構悪くないんじゃないかな、なんて思います。
他に、世界を救うとか、世界の終末とか、なんとなく世界という言葉には引力がありますね。
やはり世界というのは身近にある大きな存在で、その世界の危機ということになれば、結果的に自分という存在の存亡の危機にもなるわけです。だから昔から世界の危機に救世主が現れる話はどの時代にも好まれて語り継がれているのだろうなと思います。
なにもこれはファンタジーの話に限ったことではなく、国同士の対立からもそうした事柄が見えてくるような気がします。
その国が自分たちの世界だとしたら、攻めてくる相手は自分たちの世界を壊そうとしている敵になります。逆の立場になればそのまま敵も逆転します。
歴史上の出来事を見ても、立場の違いによって、英雄が忌み敵となったり大罪人となったりします。
人それぞれの世界観が生み出す倫理観、正義や悪。
世界平和って言うは容易いけれど、本当に難しいことだなと思います。
あれ? 途中からなんか難しい話になってしまいました。
でもとりあえず世界という言葉は私もなぜか好きみたいです。気付けば自作の小説のタイトルに世界とついている作品がいくつも……(笑)
たまたま。本当にたまたまなんですよ!
私の語彙力が乏しいとかそういうわけでは……ないとも言いきれない悲しさよ……。