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島パニック

作者: 霧後天晴

 小学三年生の夏休みだった。一本の電話からそれは始まった。

「父さん、電話だよ。町田伸って…誰だろ」

 父は一瞬驚いたような顔をして受け取ると、大声を出して、頭を下げた。

「どうしたの」

 電話を終えた父に僕は聞いた。

「ああ、宏、お爺ちゃんが亡くなった。今、伸さん、えっと…俺の叔父さんから電話があったんだ。一週間くらい田舎に帰らなきゃならん」

「そんな、明日からラジオ体操もあるし、友達と遊ぼうと思っていたのに…」

「それどころじゃないんだ」

父は首を振って準備を始めた。お爺ちゃんと言っても、父は家出して東京に来た人なので、僕は会うこともなく大きくなり、死んだと言われても実感も何もなかった。

「父さん、家出したんでしょ。でも行くの?」

「家出というか、お袋に一方的に出て行けと言われたんだ。大好きなお袋だったんだけどな。長い間音信不通だったが、息子として行かない訳にもいかない」

「そう…」

 父は振り向いて、僕の頭に大きな手を置いた。

「学校が始まるまでには帰ってくるから」

 夕方、母が合流した。まだ、暑さの残る日暮れだった。踏切の音とセミの声が頭に響く。僕は手に余るほどの大きな荷物を抱えながら電車に乗った。窓に映る夕日に染まった町を見ていると、何故かもう帰れないような気持ちになった。

「ねえ、父さん、僕らどこ行くの」

「これから行くのは、護摩島っていって高知県の南にある小さな島だ。今からだと四国で一泊することになるな。四国はいいとこだぞ」

「父さん、島生まれなんだ」

 僕は父を見た。

「当たり前よ。このたくましい体を見ろ!島で鍛えられた男の体よ」

 父はガハハと笑った。

「町田伸って僕の大叔父さん?」

「ああ、伸さんは、お前のお婆ちゃんの弟だ。お袋と年が離れていて俺と近かったから、兄貴みたいだった。とにかく町田家は上品だから、お前ビビるぞ」

「そうなんだ。僕、上流階級の血が流れてるんだね」

「まあ、俺のおかげよ。」

 そして、父はまたガハハと笑う。僕はこんな父が大好きだった。反対に無口な母はずっと外ばかり見ていた。

 飛行機から降りると、四国は夜だというのに、まだ暑かった。下から吹き上げる風はまさに熱風だった。僕らは空港前のホテルに泊まることになつた。フロントの椅子で僕は父に寄り掛かりながら、宿の受付をしている母を見ていた。事務手続きはいつも母の役目だ。

母は会社の管理職でいつも帰りが遅い。同期の出世頭だと、父の方が自慢していた。そういう父はスポーツクラブで水泳のインストラクターをしている。よく家にいてくれるのが僕はとても嬉しかったので、別に恥ずかしいと思わなかった。

宿の受付が終わると、母は笑顔で近寄ってきた。母の笑顔は不思議だ。どこでも同じ、作ったような笑顔。実の母ながら、少し不気味だった。

その夜、暗い部屋の中で母の寝息とエアコンの音が微かに聞こえていた。僕は眠れずにベットから手を伸ばし、父の手を握った。そんな僕に父は島の思い出話をしてくれた。

「俺はナ、一人っ子だったんだ。島では一人っ子は珍しくてな。おまけに集落から離れた丘の上に住んでいたから、子供の頃は遊びから帰るとき寂しくて仕方なかった」

「僕も一人っ子だよ」

「うん…お前も兄弟が欲しかったよな。けれど、大人になると分かるんだが、こればかりは仕方のないことなんだ」

「父さんは子供の頃、なんで離れた所に暮らしていたの」

「分からん。家をそこに建てたのは、親父だ。死んだ親父は医者だった。近所の人の話では…名医だと評判のな。といっても、護摩島には親父しか医者はいなかったから比べられないんだがな」

(名医)の所だけ、父は聞こえるか聞こえないかくらいの言葉で言った。暗闇でも父のしかめっ面が見えるような気がした。

「親父は、いつも無口で不機嫌だった。怒ると、よく俺を叩いた」

父の言葉が、暗い部屋の中で重く響いた。父は僕の頭を軽く撫でた。そして、暗い雰囲気を飛ばすように明るく言った。

「その代り、お袋は明るくて一緒にいて楽しくて大好きだった。親父の医院で手伝いをしていたんだけど、看護婦ではなかったから事務の方を主に見ていたな。島の村長の娘で気も強かった。騒いでいる俺の友達を叱っていたから、よく(お前の母ちゃん怖い)って言われたなあ」

父はフフッと思い出し笑いをした。

「良い母親だった…。島を出る時以外は」

「お婆ちゃん、出てけって怒ったんでしょ」

「理由は今でもよく分からない。人が変わったように、とにかく出て行け、と、言われたんだ。そんなわけで、実は少し、お袋に会うの…緊張してるんだ」

「きっと、もう大丈夫だよ」

「ハハ…生意気言って」

 父は、クスクス笑う僕の頭を乱暴に撫でた。

 僕にとって父は初めから大人だった。だから、初めて聞く父の子供の頃の思い出は不思議な感じがした。

翌日、船で護摩島に着くと、中年の男が笑顔で待っていた。

「久しぶり、伸さん」

父は、手を振った。

「(久しぶり)じゃない!長い間連絡一つよこさないで」

「ごめんなさい」

父は気まずそうに頭を掻きながら謝った。

「そちらの女性は…まさか」

「妻の里美です。ご挨拶が遅れて申し訳ありません」

母はいつもながら、必要以上に丁寧にお辞儀をした。伸さんは目を大きく見開いた。

「そうか、嫁か…じゃそいつは」

「こいつは、息子の宏だ」

父は僕の頭を掴んで強引にお辞儀をさせた。

「いや、そうかそうか」

 伸さんは父さんのようにガハハと笑った。

「そうか、嫁か…。でも、まあ、いい。無事でよかった」

伸さんは顔を更ににっこりさせた。父さんも、つられて笑い、僕達は和やかに伸さんの家に向かった。

「伸さん、親父が死んだら、この島に医者がいなくなっちゃうんじゃ…」

「俺が後を継いだ。お前が出て行ってから、お義兄さんの意向もあって、医者になった」

「伸さんが…。そうか、悪かったな」

「謝る必要は無い。お礼ばっかり言われるこの職業は気に入っているんだ」

 伸さんは、また、ガハハと笑って、父さんの肩を叩いた。

「伸さん・・・お袋は怒っているかい」

父は少し、オドオドしながら、伸さんに聞いた。

「…姉貴は行方不明なんだ。お義兄さんが死んだ日に急に。今、探している最中だ。とにかく、お前も来てくれたことだし、明日お義兄さんの通夜をするからな」

「待たせてしまって申し訳ありません。でも、お袋が…なぜ」

伸さんの家は、集落の一番奥の大きな家だ。家に着いてからは、両親は、伸さんと通夜や、告別式の相談をしていた。僕は、伸さんの奥さんに子供を紹介された。伸さんの家族は三人だ。伸さんと妻の道子さん、それに子供の真理子さんだ。真理子さんは大学生で、僕とは愛想程度に会話しただけで、自分の部屋へ行ってしまった。

伸さんは、僕達が泊まる部屋を家の中に用意してくれた。

「伸さん、いい人だね」

僕は父に言った。夕食時は、無愛想な真理子さんと違い伸さんと道子さんはずっとにこやかだった。父の家出してからの生活やら、僕の学校の話やらを聞いてくれた。

伸さんは、父に性格が似ている。おおらかで、でも叱るところは叱って。

「俺も大好きだよ」

そう言ったあと、父の顔が曇った。

「お婆ちゃん、心配だね」

「明後日の告別式の後、俺の育った家に行ってみるか」

父さんは窓の外を見ながら呟いた。

明後日の夕方、父の育った家を見た。まっ黒だった。汚れではない。そのような色の家なのだ。

お洒落と言えなくもないモダンな家で門が二つあり、一つは住居用の門、もう一つの門は反対側にあり、医院の入口になっていた。深川医院と書いてある。僕達家族の苗字は奥村なのに。立ち止まって見ていると父が声をかけた。

「深川っていうのは、父さんの結婚前の苗字なんだ。父さん、母さんの苗字にしたから」

 医院側から鍵を開けて入ると、ほのかに消毒液の匂いがした。

「懐かしいなあ。この家は、診療所と住居を兼ねていたんだ。伸さんの話では、親父は倒れるまで現役だったって」

父は、玄関の置物をいとおしそうに撫でた。

「あなた、お手洗いを借りるわ」

 母は父のそばを通り抜け、奥に行った。

僕は、初めての家を探検家のようにくまなく歩き回った。どこも綺麗に片付いていて、荒らされた様子は全くない。母がトイレから出て父に声をかけた。

「お義母様はお義父様の入院していた病院を後にした後、行方不明になったんでしょう。ここに帰る前に何らかの事故にあったのじゃないかしら」

父は、部屋を一つ一つ開けながら頷いた。母は、父の後を少し離れてついて行きながら、父ばかり見つめていた。

「あまり変わってないな」

父がリビングの中を見て言った。僕は父のそばに来て、背中から中を覗いた。なんてことはない、ただの洋室だ。真ん中に大きなテーブルがあり、端にテレビ、その横に本棚。

「でも、何かおかしい」

 父が本棚に近づいて呟いた。

「なんで、そう思うの」

 母が言った。

「この本棚、下から二段目のテレビ側に磁石の玩具があるだろ。これ、俺が小1の時、学校で作って金賞とったやつなんだ。いつも飾ってくれたけど、お袋は絶対テレビ側には置かなかった。磁石でテレビが壊れると言い張るんだ。それに、この本棚だけ昔と位置が少し違う。テレビにくっつき過ぎている」

 父はゆっくり本棚をどかして顔をしかめた。

「父さん…」

 壁の後ろにはうっすらと血の後がある。

「一応、警察に連絡しておこう」

 父は携帯を取り出して、電話をかけた。母はその間、黙って部屋を見渡していた。僕はそれが異様に見えた。気が着くと、電話を切った父も母を見ていた。観察する様な眼で。

深川家に来た警官は、(分かったことがあれば連絡する)と、言って深川家に立ち入り禁止のテープを張った。僕らは伸さんの家に戻ったが、結局、なんの連絡も無く、父は不満そうにしていた。

その日、僕は伸さんの用意してくれた部屋で寝た。夜、僕は襖で隔たれた隣の部屋から聞こえる両親の話し声で目が覚めた。

「…伸さんから電話をもらった後、お前の会社に電話したんだ。俺の携帯電話、その時、見つからなくて…144で調べて、お前の部署と名前を言った。…違う女が出た」

父のいつになく真面目な声が聞こえる。

「何かの手違いじゃない?同姓同名っているでしょ」

「…こんなこと言うつもりはなかった。だけど、お前、初めての筈の俺の家、随分スタスタとトイレに行ったな」

「そんなの、たまたま…」

 母は言いかけて止めた。

「私達、別れましょう」

 突然、母はポツリと言った。ガタッと机の動く音が聞こえた。父の動揺が伝わる。

「理由を教えてくれ」

「言えないわ…何も言えない」

 長い沈黙が続いた。虫の声が外から響く。僕は襖に耳を近づけた。その後、父の絞りだすような声が聞こえた。

「俺は、お前の素姓を知らなかった。俺も自分の素姓を言わなかったし、お前も聞いて欲しくない過去があるのだと思っていた。今がしっかりしていればいい。そう思っていたんだ。…でも、俺はお前の今も知らなかったんだな」

 父の小さなため息が虫の声の中に消えた。

「後で、離婚届けを送るわ」

「お前は…それでいいのか」

 父の震える声が聞こえる。

「あなたはいい人だった。だから離婚届けを送るの」

 母の立ち上がる音が聞こえたとき、僕は襖を開けた。

「行かないでよ。母さん」

 僕は母に抱きついた。が、母は僕を振り切って、部屋から出ていった。僕が後を追いかけようと扉に手をかけると、父は僕を後ろから抱きしめて止めた。振り払おうとした肩の後ろで父の、か細い、でも、はっきりした声が聞こえた。

「今は…やめよう」

 僕は母を追いかけることも出来ず、父の腕を抱きしめた。

 翌日、父が実家の深川家で死んだ。父は祖母を探していた。それを調べる為に深川家へ行ったのだろう。その日の朝、僕は昨晩のショックのせいか熱がでて、伸さんの家で休んでいた。出かけていく父はいつもと変わらない父で、僕の頭に手を置いて乱暴に撫でた。だから、僕も、できるだけ元気なふりをして見送った。父が突然いなくなるなんて、思いもしなかった。

 伸さんはその日、休診日で真理子さんと一緒に本土へ買い物に行っていたので、父の死には関係していない。道子さんは僕にずっとついていた。父は外傷も何もなく、全てが謎だった。母の行方も分からない僕は伸さんの家に引き取られた。


十年の歳月が過ぎた。僕は、大学生になった。本土の南大学医学部に在学している。

実はこの十年間、僕は母の影にたびたび悩まされている。島で見かける観光客の団体や、たまに来る役所の人達に母の影を見つけるのだ。例えば歩き方や背格好が似ている人がいる。僕が追いかけて確認すると、違う人であったり、その人自体が幻のように消えて無くなる。伸さんに相談すると、一時的な幻視だと言われた。そう、母は僕を捨てた。僕は母に愛されていたのだろうか。

今日は新学期の最初の授業。必修のドイツ語の授業だ。

「おはよ、奥村」

「おはよ」

僕は友人に軽く挨拶して、前の方の席に座った。

「また、前行くのかよ。年増好き!」

ドイツ語の先生は、中年女性でいつも胸を強調させた服を着ている。

「先生の声が小さいだけだよ」

「前の方が胸がよく見えるからだろ!」

否定する僕をからかい、友人たちは後ろの席で固まって座った。

別にドイツ語の授業だけじゃない。席が決まっていないときは大概前の方に座る。伸さんのお金で学校へ行っている僕は、肩身が狭い。成績も悪いと困る。とにかく単位を落とさず早く卒業したかった。

「ここ空いているかな」

前の方の席は、ほとんど空いているのに、その人は僕の隣に座りたいと言った。見上げるとむさ苦しい髪型の青年が椅子に手をかけていた。

少し気味悪かったが、断る理由も無い。「どうぞ」というと、彼はすっと座って、話しかけてきた。

「俺、護摩島産まれなんだよ。育ちは本土なんだけどさ」

僕はボサボサ頭の彼を見た。

「君、奥村宏だっけ。あの島出身なんだろ」

「なんで知っているの」

「なんでって…名簿に載ってたから。俺は水野光」

 彼はヒジをついて、前を見た。先生が講義を始める。僕は、講義に集中した。

 授業が終わると同時に僕は彼に話しかけた。

「同郷なら、仲良くしようよ」

 僕が無理して笑いかけたのに彼は僕を遠慮無くジロジロ見た。

「あんたは、脳外科でレントゲンを撮ったことはあるかい」

「脳外科では無いけど、脳のレントゲンなら撮ったことはあるよ」

「何か見つからなかったか」

「別に、何も」

「じゃ、島産まれじゃ無いってこと?」

「僕は島産まれじゃないよ…どういうこと」

「チツプが入ってたんだ。俺の頭の中。昨年、抜いてもらったけど」

「えっ? チップかい」

 僕は、ビックリして彼の顔を見た。

「コンピューターのチップだよ。いつも持ち歩いてるんだ」

 水野光は財布から大事そうにビニールに入ったチップを見せた。5ミリ程の正方形のチップ。僕は好奇心と、戸惑いの混じった目で彼とチップを交互に見つめた。

「なんで、こんな物が君の頭の中に…」

「さあ…でもこれは間違いなく精密機器だよ。何重にもデータがロックされてる。気味悪がった医者は何も言わず、チップだけ取り出してくれた。俺はこの中身を知りたい」

 僕は授業の後片付けをしながら彼に聞いた。

「島と何か関係があるの?」

「俺と妹にチップが埋め込まれていた。前頭葉の頭蓋骨の下だ。俺達は護摩島の深川医院で産まれた。母は退院時、額に小さな傷があったと言っている」

「新生児の頃、頭蓋骨が閉じる前にチップを埋め込まれた、と」

 僕は、言いながら背筋を寒くした。その話が本当なら間違いなく手術をしたのは祖父だ。

「水野」

 僕は歩みを止め、彼にきちんと向き合った

「僕は、母の苗字を名乗っている。父の旧性は深川明。祖父は深川総一朗。深川医院の医者だった。おまけに今は世話になっている大叔父が後をついで、町田医院として同じ診療所で医者をしている」

 水野は一瞬驚いた顔をして、後退りした。僕は彼が安心できるようにチップについて何も知らないことを告げた。

 夏休みになった。この三ヶ月間で僕は意外にも水野光が好きになり、僕らは下の名で呼ぶほど仲良くなった。僕の帰省に光はついて来た。光の妹、美穂も一緒だ。

「はじめまして」

 港で待ち合わせた美穂は高校生なのにロリの入ったフリルの服を着ていた。語尾を上げた話し方、体が引かなかったのが不思議なくらいだ。光と兄妹とは思えない。

「妹、すごいな」

 僕は、美穂に聞こえないように光に耳打ちした。

「そうだろ」

 光は苦笑して、両肩をあげ、息を吐いた。

 港はいつもより混んでいた。ほとんどが護摩島行きの船に乗った。

「思ったより人が多いな。いつもは、こんなに観光客もいないんだけど…」

 僕は後方の席に座り船内に沢山いる男達を見た。皆ニ十代から四十代くらいの男達。

「アウトドアのイベントでもあるのかもな」  

 隣に座った光が、彼らを眺める僕に話しかけた。むさ苦しい髪の毛が窓からくる海風に飛んで少しスッキリして見える。光は額を隠すように手を上げた。(額の傷が気になるのかな)水野兄妹がチップを埋め込まれたことは、確かめたい事実だが、深川医院、今の町田医院の鍵は伸さんが持っている。伸さんを信頼し直接聞きたい気持ちもあるのだが、祖母の失踪、父の死もある。正直に全てを伸さんに話せるまでは、信用していない。

「昼食を食べた後、町田家に行こう。伸さんは、仕事場は旧深川医院を使っているけど、家は昔から住んでいる集落の奥にある家なんだ。伸さんに十年前のことを少し聞いてみる」  

 もし、光の言うように、祖父や伸さんがチップを埋め込んでいるのだとしたら、島にもチップを埋め込まれている人が沢山いる。島の人は、父母のいない僕を随分優しくしてくれた。こんなこと許されない。

 僕は、一呼吸置いて二人に聞いた。

「ところで、光は一緒に行くって言ったけど、美穂は来ないのかい」

「私は外で待ってるわ。宏さんもお兄ちゃんも気をつけて」

 前の席の美穂が心配そうに僕たちを見た。相変わらず語尾を上げた鼻につく話し方だ。光はそんな妹でも可愛いのか、優しく答えた。

「大丈夫、警戒されない程度に揺さぶりをかける。町田がどこまで知っているか知りたい」

「お兄ちゃん」

 美穂は光を諌めた。今度は強い口調だ。光はハッとして口をつぐんだ。

 僕は二人を交互に見つめた。二人は動揺している。(どこまで知っているか)つまり、光達が知っているのは、チップを脳に埋め込まれた事実…それ以上のことなのか。

「光、美穂、何か隠しているね」

 光が何か言おうとする前に、美穂が光の後ろから言った。

「まだ言えないの。そう、町田に会った後、話すわ」

 僕が言い返そうとした時、光は言った。

「この三ヶ月間で分かったんだ。宏は隠すのが上手じゃない」

 僕は反論出来ず、もう一度二人を見た。事実を知りたい気持ちがある。それ以上に不安だった。

「君たちを信用していいんだよね。悪いやつじゃないと」

「それは信用してくれ。自信を持って言える」

 二人は真剣な表情で即答した。その表情で僕は納得した。この兄妹を信じよう。光の性格も、この三ヶ月間で知ったつもりだ。

「二人は、ホテルに予約は入れたんだろ。もしもの時は、僕もそっちに泊まっていいかな」

「もちろんだよ」

 光はドンと胸を叩いた。

 島に着き、持ってきたオニギリを頬張りながら町田家へ向かう。広い田んぼを過ぎると、両脇に家が並ぶ一本道だ。人通りの無いはずの夏の暑い時間、両側の家々の住民が門から、じっと外を見ていた。よく見ると手に包丁を持っている。

 咄嗟の判断だった。光は僕の腕を掴んで今来た道を戻るように引っ張った。僕は危なく転びそうになりながら、後ろで響く金属音を感じた。振り向くと、住民が包丁を僕らに投げつけていた。正気じゃない。

 僕は背筋に震えを覚えて光を見た。光はそのまま、僕を引っ張って行く。前を美穂が走った。

「今なら、定期便の最終船に間に合う。一度本土に戻るか」

 僕が焦って言うと、光は好戦的に反論した。

「いや、ここまで来て逃げるのはもったいない。裏道を通り町田家に行こう。攻めた方がいい」

 光の言葉に美穂が反対した。

「いいえ、繁華街に行きましょ。観光客が多い方が、手を出しにくいはずよ」

 真面目な言い方だ。急にキャラが変わったようで不自然だった。だが、今はそれに触れる余裕は無い。

「この島に繁華街と呼べるところは無い。観光客がいるなら、君らの泊まるホテルだ。」

 僕は落ち着きを取り戻し美穂に追いついた。

「でも、あいつら追いかけてくる様子も無い」

 ホテルに向かう坂道を登る途中で僕らは立ち止まった。セミの声と自分の心臓の音が体に響く。

「伸さんの家で待ち伏せされたってことは奴らには僕らの居場所を知る手段が無いってことだよな。僕は、本土で買った物しか身につけてないし」

 僕らは顔を見合わせた。光が主に美穂を見ながら言う。

「チップの機能が分からなかったんだ。港で襲わず俺達を待ち伏せし、攻撃も単純であったことから、おそらく、単純な命令、暗示のようなものはかけられるが、それ以上の事は難しいようだな」

「観光客がいるかもしれない場所では、不特定要素が大きいから、攻撃できないと判断したんでしょうね」

 僕は、コホンと咳をした。

「伸さんに色々バレているようだし、僕にも話してくれないかな。君らの知っている事を」

 二人は顔を見合わせて、頷いた。

「私達はね。公安警察なの」

 二人は警察手帳を見せた。即座に理解できずに僕の目は泳いだ。

「私達は水野光、美穂じゃないわ。本物は今、鹿児島にいる。私達の本名は早川望と白井久実。でも今まで通り光と美穂と呼んで頂戴」

 公安警察…かといって僕は警察を信用しているわけではない。

「僕の祖母の失踪したとき、警察の捜査はいい加減だった。まるで真実を明らかにしたくないようにね」

 その言葉に光が気まずそうに言い訳した。

「その辺りは、申し訳ないと思っている。ただ、その捜査は島の警官が独断でしたもので、こちらには、その事件自体が上がってないんだ。俺たちも後で調べて知ったことで、おそらく事件を知られたくない誰かから大きな圧力がかかっていたのだと思っている」

「ふーん。じゃあ、本土の警察は信用できるってことなのかな。なにか、モヤモヤするな」

 僕は、二人をジロジロと見た。

「それにしても、年齢も偽ってるってことなんだね」

 二人は顔を見合わせた。

「俺は、二十六歳、白井…じゃなくて美穂は二十八歳なんだ。高校生やりたいってわがまま言うんだぜ」

 僕は美穂をジロジロ見た。光がその視線に気がついて、美穂の腕を突付いた。

「ホラ、その変装おかしいって」

「うるさいわね。こういうのが若い子のブームなのよ」

「やってみたかっただけだろ」

 光の言葉に美穂が恥ずかしそうに頬を膨らました。普通の話し方だ。

「いや、素のままがいいよ。でも、どうして会ったとき、すぐに話してくれなかったんだ。ずっと不安だったんだよ」

「宏がどういう人間か分からなかったからだよ。何も知らないのか、町田家側の人間か」

「今は信用してくれたってことでいいのか」

「信用に足る人物だと、俺は思った。普通に友達になりたいって思ったんだ」

 美穂はコホンと咳払いをした。

「続きをいいかしら。光が宏と一緒に行く話を町田伸にしたら、襲ってきたということは、彼は私達を偽物だとわかっていた。つまり島を出た島民の状況を今も把握しているということ、水野兄弟が頭のチップを取ったということを知っているということ。ひいては、チップを埋めたのは深川・町田医院の仕業で知られたらマズいことをしているということ」

 美穂が話した後、光が付け加えた。

「この人体実験は、一医院が独断でするということは無いはずだ。バックに大きな組織が関わっていると思うんだ」

 僕はただ頷いた。

「それを調べなきゃならないとして、僕らはこれからどうすればいいんだ」

「町田家を尋ねるかどうか。町田医院、つまり診療所の方も気になるし…どうする」

 僕らは顔を見合わせた。

 夜九時、僕らは、町田医院の近くで明かりが消えるのを待っていた。虫除けスプレーの効果があまりないのか。耳元で蚊がうるさい。

 しばらくすると、家の明かりが消えて、車の音が遠ざかっていった。僕らはようやく道に出て町田医院を眺めた。久々に見る黒い家。父の殺された家。祖母の血が残っていた家。そこで開業している大叔父、伸さん。そう考えると気味の悪い家だ。

 間もなく、光が玄関の鍵を開けた。もちろん鍵は無い。鍵を開ける技術を持っているだけだ。

 玄関から血と消毒薬の匂いがした。この家は改築の話が出たこともある。住居部分はすでに使われていないから当然だろう。けれども、伸さんはそうしなかった。十年前のあの日、深川医院、今の町田医院に警察は入った。だが、すぐに出て行った。父がしっかり調べろと噛み付いたのを覚えている。そして父が死んだのは、家を調べている最中だった。

 診療所の奥の住居スペース。部屋が一階に三つ、二階に四つ。光はドアノブを一つ一つ観察した。

「ここだな」

 光は二階の手前の部屋の前で足を止めた。

「ここだけ埃がかぶってない。よく出入りしている証拠だ」

 手袋をはめた手でゆっくりノブを回す。明かりをつけると書斎になっていた。

「書類を持ちだした跡があるわ」

 美穂が棚の不自然に空いたスペースを指さした。光と僕は棚の前に立った。僕は、英語の背表紙の並ぶ本に混じって古びた育児日記に目がいった。

「ちょっといいかな」

 僕は光と美穂を押しのけて、育児日記を手にとった。表紙に大きく①と書いてあった。

深川明…父の名前だ。書いたのは祖母だろう。開くと古い紙の匂いと柔らかな字が飛び込んできた。初めに男の子が産まれた喜びや苦労、中程には幼少期のあれこれ。

 こんな調子で何かがあった日だけ少しづつ書かれていた。育児日記は父が小学校に入る頃終わっていた。僕は続きを探した。ここにはない。いや、おそらく、この本はどこからか伸さんが持ってきてここに置いたものだろう。これで終わりなら、わざわざ①と書かないはずだ。僕は資料やパソコンを見ている光に声をかけ、他の部屋へ探しに行った。二階には他に子供部屋、夫婦の寝室、鍵をかけてある部屋が一つ。一階には応接室、リビング、ダイニングの三部屋だった。最後に入ったダイニングの棚の料理本の中に大学ノートを見つけた。②と書いてある。この本が続きだろう。その隣には、③もある。③を手にとって、パラパラとめくると、途中で乱暴な字を見つけた。

 十二月三十一日…夫が帰って来ない。おそらくあの女と一緒なのだろう。明と変わらない年に見えるが、いったいどういうつもりなのだろう。

 祖父の浮気だろうか。祖母のヤキモチが可愛らしい。更に数ページめくると、行を開けてきれいな字で書かれた文を見つけた。

 三月十五日…夫が新生児の脳に何かを埋め込んでいるらしい。以前、夫の部屋に人間を操る電波の論文を見つけたがこれが関係しているのだろうか。何故こんなことをしているか分からない。私はともかく、明はこの島にいてはならない。

 父が高校三年生の年だ。祖母が突然父に出て行けと言ったのはこれが原因なのかもしれない。とすると、祖母は祖父のしていることを知っていた。そして、反発していたことになる。僕は続きを読んだ。父が出て行ったこと、祖父の悪口が数行書いてあったが、最後に一行開けて、日付が飛んで、十年前の八月のことが書いてある。

八月十五日…深川が死んだ。伸は明に連絡するというが、私は反対だ。伸は深川の後を継いでから、おかしくなっている。どうすればいいのだろうか。

 祖父を苗字で呼ぶ祖母、彼女の心の距離が見てとれるようだ。それよりも、これは祖母の失踪は、伸さんが関わっている可能性があるということだ。

 僕はノートを持って、二階にあがり先ほどの部屋へ行った。

「光、祖母はもしかしたら」

「町田伸に殺されたんだろ」

 光は背中を向けたまま、パソコンに向かいあっていた。

「やっぱり、そうなのか…」

 肩を落とすと、光がこちらに振り向いた。

「さっき美穂が鍵のかかった部屋でミイラ化した死体を見つけた。こっちには、懺悔の言葉が書かれたノートも見つかった。見るかい」

 僕は首を横に振って、肩を落としたまま質問した。

「父も、伸さんに殺されたのかい」

「その事件は、ここに来る前、一度洗った。公には出来ないが、おそらくバックにいる組織の連中のしわざだろうな。町田伸はその時間別の場所にいた。証言もとれている」

 伸さんが殺したから祖母の遺体は隠され、他人が殺したから父の遺体はそのままにされた…ということなのか、許せない。

「それよりも、チップにはかなり高度な操作ができると書かれている。どこまで操れるのか、データのパスワードが分かれば…。町田を逮捕するしかないな」

 パソコンの前で光が呟いた。

 その後、僕は光達の泊まるホテルに一緒に泊まらせてもらった。

 次の日、朝十時に光と僕は町田家の玄関の呼び鈴を鳴らした。この時間は伸さんは家にいる。今日は診療は午後からのはずだ。

 何喰わぬ顔で大叔母、町田道子は出てきた。

「あら、昨日来る予定じゃありませんでした?」

 耳に触る甲高い声は相変わらずだ。

「ええ、思いもよらぬ出来事があったんで予定を変更しなくてはなりませんでした」

 こちらも何喰わぬ顔で対応する。

「まあ、それにしても連絡の一つくらいあっても良さそうですわね、宏さん」

 僕は無言で苦笑いした。

「この方がお友達の水野光さんですの?以前島に住んでいた…」

「ええ」

「主人は居間におりますわ。どうぞ」

 道子さんは僕らにスリッパを勧めた。全く白々しい茶番だ。ただ、道子さんの人柄もよく知っている。優しくていい人だ。もしかすると本当に何も知らないのかもしれない。伸さんが一人で皆を騙していたのかも。廊下を歩きながら僕は喉が乾くような息苦しさを感じ、つい口が滑ってしまった。

「もう、何もかも知っているのでしょう」

 道子さんが振り向くのと同時に、伸さんが居間の扉を開いた。手に封筒を持っている。

「母さん、急ぎなんだ。郵便局へこれを速達で出してくれないか」

 伸さんの道子さんに対する声はいつも威張った中にかなり甘え声を含む。ただ、今日は緊張していた。道子さんは、ただ単に急かされているのかと思ったようで、封筒を受け取り外へ消えていった。

「こちらへ。家族は何も知らない。余計なことは言わないでほしいね」

 伸さんは、今まで見たことの無い複雑な表情をして、言いにくそうに声を潜めた。

「では、僕らが来た理由もご存知なんですね」

「ただの確認だろ」

 伸さんは手を組んで膝の上に置いた。光はチップを取り出した。

「見覚えはありませんか」

 伸さんは何も言わない。光は警察手帳を取り出した。伸さんの顔がこわばった。人差し指を耳に当てて壁を指す。

「黙秘していいかな」

 光は薄く笑い、紙とペンを取り出した。

「不都合ですか」

「いや」

 伸さんは真顔で答えた。光は紙にサラサラとペンを走らせた。(イエスの場合は首を縦に、ノーの時は横で。声に出す言葉は適当に先ほどの会話に違和感が出ないように続けて下さい)伸さんは頷いて、話を始めた。

「アダムとイブは知恵の実を食べエデンを追放された」

 光はペンを走らせる。(このチップは町田医院の建物が出来た頃から使われていた)伸さんは首を縦に振る。

「知ることは、エデンの追放つまり不幸の始まりだぞ」

 (実験の計画は、第二次世界大戦すぐ後。その時に、ある組織の命令で動物実験から開始された)伸さんは再び首を縦に振った。

「いずれバレるなら仕方がない。宏、君のお母さんはお義兄さんの愛人だっだ」

 僕はビクッとして伸さんを見つめた。光はペンを走らせる。(宏の祖父、深川総一朗から、貴方は後継者として実験の協力を求められた。貴方の家族が人質だった。この家にも盗聴器がある)伸さんは頷き、僕を見た。僕の言葉を待っている。

「本当なんですか。母は…」

 喉が乾く。筆談を誤魔化す為の嘘か、真実の話か。光の筆は続く。(詳しい資料は元深川医院、今の町田医院にある)伸さんは頷く。

「本当だ。おそらく君の父親と別れた理由も」

 (鍵を貸していただけますか)伸さんは立ち上がって部屋を出た。

「頭のいい人だな」

 光は僕に言った。僕は頭の整理がつかない状態だったので、しばらくの間、光の言葉が入ってこなかった。

「あっ、ごめん。伸さんのことかい」

 光は僕を見て頷いた。

「この家に盗聴器なんて無い。家から出る電波は前もって調査済みだ。筆談は、こちらが持っているかもしれない盗聴器への対応だろう。ただ、家族を人質に取られているのは本当だろうな」

 光は伸さんの足音を聞いて、声を止めた。町田医院の鍵をもらい、僕らは外に出る。その足で船着場へ歩く。伸さんは僕らがこれから町田医院へ向かうと思うだろう。

 一方で僕の頭の中で伸さんの言葉が繰り返す。母が祖父の…いや、僕を動揺させる作り話だろう。僕は無理やり、伸さんの話を忘れようとした。とにかく僕らの仕事は終わった。光は携帯を出し、仲間に連絡をした。

「町田医院に捜査員を向かわせた。おそらくチップを埋め込まれた連中が俺ら目当てに集まってくるはずだ。全員保護して、CTにかける」

「僕らと同じ船に乗った沢山の男たちは捜査員だったんだね」

 僕は光の顔を見た。光は気まずそうに頷く

「嘘をついていて、悪かった。でも、俺は悪いやつじゃなかっただろ」

 僕はため息をつき、空を見上げた。

「伸さんは逮捕されるのかな」

「さあ、どうだろう。場合によっては、司法取引に持ち込まれる可能性もある」

「伸さんのバックにいる組織は突き止めないの」

「美穂が郵便局へ向かった道子さんを確保するはずだ。おそらく封筒の送り先がその組織だろう」

「そこまで考えていたんだ。組織も壊滅できるかな」

 僕は感心して光を見た。

「その組織が他の国なら、外交カードになるだろうが、壊滅は無理だな」

「ひどい実験だったのにな」

 僕は肩を落とした。話しているうちに船着場についた。あとは美穂を待つだけだ。出航時間が近づくと、船着場に人が次々と入ってくる。いつもの光景だ。それにまぎれて、宅配の人が入ってきた。壁伝いに奥の方へ移動する。顔は見えなかった。けれど、背筋を伸ばした歩き方や、首を少し左にかしげる仕草が僕の目を引きつけた。

「母さん」

 僕は立ち上がった。あれは、母さんだ。いつも悩まされている母さんの影だ。今度こそ確かめられる。光は驚いて、僕の視線の先を探した。

「どこに」

 光が言いかけた瞬間、僕は駈け出していた。宅配の人が鞄から小型銃を出して、僕を撃った。銃は急所を外れ、左肩に当たった。僕は激痛に耐えながらもその人に近づきもたれかかった。そばで見ると、やはり母さんだった。

「母さん」

 僕は痛みに耐えながら母を抱きしめた。母は近距離で僕を再度撃とうとして撃てず、手を震わせた。光は静かに母の後ろに周り、鼻にクロロフィルをあてた。母が気絶する。

「お手柄だったな、宏。流石に我が子は殺せなかったか」

 僕は倒れる母を支えそっと寝かせた。改めて感じる鋭い痛み。懐かしい母の顔。僕は光の声をどこか遠くに聞いた。

「奥村里美は組織の人間だったんだ」

 光の言葉がようやく頭に届きだす。じゃあ、伸さんの言ったことも、ただの撹乱じゃなかったってことなのか? 僕は混乱する頭の一方で別のことが気になっていた。母さんが持っていた鞄に入っている封筒。町田医院で伸さんが道子さんに渡した封筒に似ている。

「光、美穂は」

 光の手当を受けながら複雑な気持ちで母を見て、それでも冷静に頭がまわる自分が不思議だった。光が携帯で連絡をするが、繋がらない。逆に光の携帯が鳴る。メールの着信音。読んだ彼は呆然と僕を見た。

「仲間の捜査員と共に撃たれた」

 そんな…僕は痛みとショックで気絶しそうだった。いや、むしろ気絶したかった。光は僕をベンチに寝かせ、周りの客に警察手帳を見せ待合室の外に出した。そして駆け寄ってきた島の警官も遠ざけた。

「ドクターヘリを呼んだから大丈夫だ」

 光は警官に警戒していた。若い警官はソワソワしている。

「すみません、俺、今年2年目で赴任してきたばかりなので大きな事件初めてなんです。署長は急にどっか行っちゃうし」

 署長は町田医院に行くように呼ばれたか。とすると、呼ばれなかったこいつはシロ。

「こっちへ」

 光の声を聞きながら、僕は突然気がついた。

「母さんがここに来たってことは、僕らがここにいることを奴らは知っている。そいつは敵だ!」

 僕が言うか言わないかのうちに近寄った警官は油断している光に銃を向けた。ハッとした光はすぐに体を低くした。警官の撃った弾は光の肩をかすり、壁に当たる。光は隠し持った銃で応戦し、警官は足を打たれ、うずくまった。

 どやどやと十数人が船の待合室に入ってきた。島で見たことのない屈強な男達だ。

「早川さん」

 光の本名を呼んだ。仲間だと確信した。僕は心からホッとして、ようやく気絶することができた。

 光に再び会ったのは病院のベットだった。

「今日は葬式だったんだ。仲間が三人殉職した」

 黒いスーツ姿で光、本名、早川望が言った。

「ごめんなさい。早川さん」

 でも、僕にはどうすることも出来なかった。

「望でいいよ。こっちこそ、危険な目に遭わせてごめんな」

 望は目を伏せた。搜査に宏を巻き込んだのは、警察の都合だ。奥村美里が組織の工作員だということは知っていた。優秀だということも。だから、息子を望の味方につけたのだ。息子には、まっとうな人生を歩んでもらいたい。と、息子に何も知らせず育てた彼女の心を利用した。案の定、船着場で彼女は宏を殺せなかった。

「ああ、それから…」

 望がこちらに顔を向けた。

「島の人たちを操作する指令器は取り除いた。もう、操作されることもない」

 僕はホッとした。辛いことが多かったけれど、世話になった島の人の役にたてたなら良かった。

「深川の組織は分かったの」

 望は黙って頷く。

「分かったけど、言わない。相手が大きいから、この事件は交渉カードとして使わせてもらうよ」

「なんだよ、それ」

 僕はムッとした。

「宏はそういう顔すると思ったよ。まあ、事件は闇に葬られることになった。宏が誰に話そうが、証拠も隠滅したから、信じてもらえないだろうな」

「話さねえよ」

 僕は更にムッとした。話すには、辛いことが多すぎる。

「出来れば、忘れたいくらいだ」

 望は黙って頷いた。

「それから、これ」

 望はヴォイスレコーダーを取り出した。

「宏のお母さんからのメッセージ、聞くだろ」

 僕は黙って頷いた。望がレコーダーのスィッチを押す。

「宏、ごめんなさい。良くない母親だったわ。

私は、深川総一朗の愛人だった。明さんが家を出た時、総一朗さんに明さんのそばにいるように言われて、明さんに近づいた。でも、明さんの人柄に惹かれて結婚したの。宏は愛しあった両親から産まれたのよ。何も教えなかったのは、宏に幸せな人生を歩んで欲しかったから。宏を撃つように言われた時、私は断れなかった。私が断れば違う人間がするだけ。けれども、やはり貴方を殺せなかった。心臓を狙った時、母であった時の記憶が蘇った。そして、狙いを外したの。二回目もそう。やっぱり撃てなかった。町田伸と組織をつないでいたのも私よ。あの人を憎まないでちょうだい。島に来た初日に貴方たちを襲わせたのはあの人。でも、あの人は、貴方にこの実験に近寄らせたくなかっただけ。宏、この事件のことは、もう忘れて。幸せになって」

 音声はそこで切れた。

「終わりだ」

 つまり、本来なら、オレを撃った新米警官くらいは人を操れるのだけど、相手が息子、宏だから、お前の母も、町田伸も手を抜いたということだろう。嫌な言い方だが、宏を味方につけたのは正解だったってことだ。

「そう」

 僕は目を伏せた。愛されていたんだ。こうなって初めて僕は実感できた。

「母さんと…会えるかな」

 僕の問いに光は首を振った。

「彼女は死んだ。気をつけていたんだが、爪に毒を塗っていてね。レコーダーを残したすぐ後、自殺した。止められなくてすまない」

 望は深々と頭を下げた。

「伸さんはどうなった」

「司法取引を考えているのだろう。まだ島にいる。護摩島は医者のなり手がいないから、いてくれた方が助かる」

 なるほど、医者不足か。両方の利害が一致したな。お咎め無しは釈然としないが、身内が悲しむ顔も見たくない。

「ありがとな、望」

 望は気まずそうに俯いた。

「言いにくいんだが、町田伸は君とはもう会いたくないそうだ。大学までの費用は払うと言っている」

「ああ」

 こちらも、どんな顔をして会えばいいかわからない。

「また、来てくれるか。望」

「もちろん。友達だろ。それに、この病院には美穂、白井久実も入院している。もう少し回復したら会えるぜ。あいつ、今度はお姉さんキャラでお前を元気づけるつもりらしい」

 望は呆れたような顔で、両肩を上げた。僕は有り難く思いながらも苦笑した。

「久実さんに言っといてよ。僕は、キャラ付け無しで元気づけてもらうのを楽しみにしてるって」


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