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日本国復員省所属強制復員艦隊

えっ?復員省とは何だって?


おい!おい!最近の歴史教育は、どうなっておるんだ?


この若者は、復員省を知らないと言うんだよ!


まあ、復員省は太平洋戦争に負けた後に、数年間だけ存在した組織だからな。


今の若いヤツらには知らないヤツがいても仕方がないか。


よしっ!知らないなら!ワシが教えてやろう!


まず、太平洋戦争で日本が負けた後に、日本の陸海軍が、どうなったかは知っているか?


そうだ。連合軍、占領軍、実質はアメリカ軍によって日本は武装解除された。


日本は軍備を持たない丸腰の国になった。


陸海軍は廃止されて、日本は軍隊を持たない国になった。


……ということに表向きはした。


え?何?陸海軍は廃止されなかったのかって?


まあ、看板を掛け替えただけだな。


陸軍省は同じ建物を使って第一復員省となったし、海軍省も同じ建物を使って第二復員省になった。


建物の中で働いているのは、旧陸海軍の軍人たちで、ほとんどそのまま横滑りで復員省職員になったんだ。


陸軍参謀本部は第一復員計画本部に、海軍軍令部は第二復員計画本部となった。


こちらも旧陸海軍軍人が、ほとんど横滑りで復員計画本部職員となった。


数ヶ月で第一復員省と第二復員省は統合されて、復員省となった。


第一復員計画本部と第二復員計画本部も統合されて復員計画本部になったんだ。


ある意味、皮肉だろ?


あれほど仲の悪かった帝国陸海軍が、戦争に負けた結果同じ組織になったんだ。


えっ!?戦後も陸海軍が組織としてあるなら、そのまま陸海軍にしとけばいいのに、何故、復員省なんて看板の名前だけ変えるようなことをしたのか?だって?


まあ、それは日本を支配していた占領軍総司令部GHQと、その命令を受けていた日本政府の思惑が一致したことだな。


GHQの内部では旧帝国陸海軍を解体して、将来における復活の芽も完全に潰してしまおうとする派閥と、将来に日本が再軍備する必要があった場合に備えて軍事組織を温存しようとする派閥が対立していた。


非武装派と再軍備派の両方の顔を立てる形で日本政府は復員省を創立したんだ。


えっ!?復員とは何か?って?


分かりやすく言えば、戦争のために日本本土を遠く離れていた兵隊さんたちを本土に戻して、軍隊を除隊させて、大多数を普通の市民生活に戻すことだ。


戦争が終わった時、外地には軍人と民間人合わせて六百万人以上がいた。


その人たちを本土に帰還させるのは大仕事だ。


復員作業を行うためのノウハウを持っているのは陸海軍だけだった。


だから、「復員業務をするため」という名目で陸海軍を復員省に組織変えしたんだ。


そうすることで、表向き軍隊は廃止したことになるし、裏では軍事組織は温存されている。


GHQの非武装派と再軍備派両方の希望を叶えたわけだ。


日本政府としても「非武装中立」で国家としてやっていけると思っていた政治家は、少なくとも中枢にはいなかったから、復員省の創立は狙い通りだった。


陸海軍の兵器は非武装化されていたのならスクラップになっていただろうが、復員業務に必要な物は稼働され、残りの多くは将来に備えて保管された。


さて、ワシが復員省で所属していたのは復員艦隊だ。


そうだ。旧海軍の艦艇により編成された艦隊で、外地にいる日本人を本土まで輸送するのが主な任務だった。


戦争中に民間船の多くは喪失してしまったからな。


輸送のための船が足りずに、残存していた海軍艦艇から兵装を撤去して、空いた場所に仮説のトイレや居住区を設けた復員輸送船として使用された。


ワシが乗っていた艦は、何かって?


強制復員艦隊旗艦である大型強制復員輸送船「長門」だ。


「長門」とは、あの戦艦「長門」のことかだと?


そうだ。終戦時、唯一稼働可能だった日本戦艦で、アメリカの原爆実験の標的になるかもしれなかったが、戦後、日本が保有する唯一の戦艦となった「長門」だ。


戦艦なのに、何故、大型強制復員輸送船なんて呼んでいるかだと?


まあ、それは当時の複雑な事情が関係している。


復員省が所有できる船は輸送船だけで、戦闘艦艇の所有はGHQによって禁止されていた。


空母や駆逐艦を復員輸送船として使う場合は、兵装はすべて撤去していた。


復員輸送船は、太平洋の島々や中国大陸や朝鮮半島に残留している日本人を迎えに行った。


ところが、当時の中国大陸や朝鮮半島は治安が悪化していてな。


沿岸を航行している時や港に停泊している時に、犯罪者集団に襲撃されるような事件が頻繁に発生した。


それで、GHQは「復員のために必要な最低限の武装」は許可するようになった。


駆逐艦は五インチ砲などを再装備して、強制復員輸送船となった。


普通の復員輸送船と強制復員輸送船の違いは、「復員業務を妨害する犯罪者集団を強制的に排除する輸送船」という意味で、建て前として戦闘艦艇を持てなかった復員省のお役所言葉だ。


えっ!?犯罪者集団相手なら機関銃ぐらいで充分で、大砲まで必要なのかだと?


それは、戦後すぐの朝鮮半島情勢が関係している。


戦争末期に、ソ連軍が朝鮮半島全土を占領して、ソ連の傀儡政権である「大韓民主主義人民共和国」を打ち立てた。


対馬海峡が共産主義陣営との最前線になったんだ。


半島の傀儡政権は「対馬は古来よりの我が国固有の領土」などと言い出した。


そして、半島に残留していた日本人の復員事業を様々な手段で妨害するようになった。


最初は半島政府との平和的な話し合いで日本政府は問題を解決しようとしたが、半島政府は「まず、日本側が過去の半島への侵略の謝罪と賠償を行うべきである」と、まともに交渉に応じなかった。


それで、十六インチ砲を陸地に向けた「長門」を先頭にした復員艦隊は、半島の港に強制的に入港した。


いわゆる。「砲艦外交」というヤツだ。


「長門」は米海軍のアイオワ級戦艦なんかと比べると旧式戦艦になっていたが、戦艦が相手に与える威圧感は凄いからな。


それに、航空母艦「葛城」……当時は空母ではなく、航空機搭載強制復員輸送船が正式な呼び方だったが……、港の沖合で、積めるだけ積んだ艦上戦闘機の「紫電改」を「事故に備えて」発艦させて、港を哨戒させていた。


うん、「紫電改」も戦闘機ではなく、強制哨戒機なんて呼んでいたな。


とにかく、建国したばかりで、軍隊が貧弱だった半島政府にとっては、戦艦一隻、空母一隻から受ける脅威は相当なものだったので、残留日本人の復員の妨害をしなくなった。


ワシが乗り込んでいた「長門」は、一発の砲弾も撃つことなく、復員業務を成し遂げたんだ。


強制復員輸送船が実戦を経験することになったのは、戦後数年が経って発生した「朝鮮・対馬戦争」でだ。


ソ連からの援助で増大した軍事力に自信を持った半島政府軍が、対馬に向かって侵攻して来たのだ。


いまだに、GHQの占領下にあった日本は正式に軍事力を持つことはできずにいた。


海上部隊は強制復員艦隊だし、陸上部隊は元陸軍軍人と陸軍の装備で組織された強制復員師団だし、航空部隊は元陸海軍の航空隊を統合して組織した強制復員航空集団だった。


それに、それらの復員省部隊は、半島軍による対馬侵攻時に、ほとんど対馬や九州に配置されていなかった。


GHQの中の日本非武装派が、残留日本人の本土への復員輸送がほとんど終わっていたので、復員省を縮小して厚生省の一部局である復員局にしようとしていた。


艦隊・師団・航空集団の実戦部隊も廃止しようとした。


もちろん。GHQの再軍備派と日本政府は抵抗したが、対馬と九州の復員省部隊の削減は避けられなかった。


そうなったのは、当時のGHQ非武装派の中にソ連の息がかかったヤツがいたからという歴史の説もあるな。


それはともかく、半島軍が対馬に来襲した時、強制復員艦隊で出撃できたのは小型強制復員輸送船数隻だけだった。


ああ、小型強制復員輸送船とは駆逐艦のことだ。


この駆逐艦数隻の艦隊の旗艦が「雪風」だった。


そうだ。あの幸運艦「雪風」だ。


太平洋戦争中に、激しい戦闘に何度も参戦しながら生き残ったから、「雪風」は幸運艦と呼ばれているのだが、他の艦が次々と沈没しても生き残るので「疫病神」とも呼ばれていた。


この時の「雪風」は、味方にとっては「幸運艦」で敵にとっては「疫病神」だった。


夜間にレーダーに反応しにくい陸地を背にして、半島軍の上陸船団に襲い掛かったのだ。


大軍だが海を渡っての侵攻作戦に慣れていなかった半島軍は、「雪風」等の襲撃に対応できずに多数の輸送船を失うことになった。


そのため、半島軍は対馬占領の後に予定していた九州上陸作戦が不可能になったどころか、対馬に上陸した部隊を維持するための補給すら困難になった。


そこに、「長門」「葛城」を中核とする強制復員艦隊が、強制復員師団による対馬への逆上陸作戦を支援して対馬を奪回した。


強制復員艦隊の活動は対馬奪回作戦が最後になった。


なぜなら、国会で国防に関する法律が整備されて、復員省は国防省となり、正式な軍隊を日本は持てるようになったからだ。


戦後制定された日本国憲法では、侵略戦争と侵略的軍事力は放棄していたが、国家には国防権があるとはっきり書いてあったからな。


あらゆる戦争と軍事力を放棄するなどとしていたら、国防軍の健軍は円滑には行かなかっただろう。


国防軍が健軍されると復員計画本部は、国防作戦本部となった。


陸海空部隊は、それぞれ国防軍陸上部隊・海上部隊・航空部隊となった。


陸海空軍に分けなかったのは、旧帝国陸海軍のような軋轢を避けるためだ。


ああ、朝鮮・対馬戦争の結果は知っているのか。


その通り、米軍を主力とする国連軍と共に朝鮮半島全土を解放した。


もし当時日本が軍事力を持っていなかったら、半島の南半分を解放するので精一杯だという話もあるな。


ワシが乗っていた「長門」も「雪風」も半島沿岸各地で主に共産軍地上部隊への艦砲射撃に活躍したし、「葛城」の艦載機も航空支援に活躍した。


共産軍から解放してくれた艦として「長門」「雪風」「葛城」は、日本人だけでなく朝鮮人の間でも人気があるんだ。


朝鮮半島から共産軍が排除されると、米国に亡命していた朝鮮人政治家を首班とする「朝鮮民主国」が建国された。


朝鮮民主国は、日本に対して「過去の我が国の侵略に対する謝罪と賠償を」なんては言って来ない。


対馬に記念艦としてある「長門」「葛城」「雪風」を「日本軍国主義の象徴」なんて言わずに、「朝鮮と日本の友好の象徴」と言ってるぐらいだからな。

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[一言] 「復員」でヒットしたので読ませていただきました。面白かったです。 原爆実験の標的になった「長門」や戦時賠償艦として中華民国に譲渡された「雪風」、武装を撤去されて復員輸送に従事した「葛城」。…
[一言] 小ネタとして面白かったです。 対馬取られていたことに「えっ」と思ったけど 朝鮮となかよしになるとは予想外のオチにニヤリ。 これはこれで良いね(・ω・)
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