09
「ダメな政治家というのはどれもよく似ているが、こいつら独裁者はどいつもそれぞれにタチが悪い。この際だ、どれが本物だろうと構わない。残り全部と若いほうのデブをとっとと弾き飛ばしてやろう」意外と気が短いJは、僕にトルストイのような物言いで仕事を急かす。「要領はよくわかった。ターゲットをひとりにしてやればいいわけだ」
そう言うJの視線の先には別荘内でハーレーを乗り回す鳥の巣頭の姿があった。人工的に波を起こせる広大なプールのぐるぐると周回している。
――左手の森に来てくれ。
Jに意識を支配された鳥の巣頭が周遊道から外れて森に飛び込んでいく。その座標めがけ僕は実体化を試みた。
「さあこい」
鳥の巣頭がバイクを停めていたのは周遊道から100メートルほどはいった辺り、木漏れ日のカーテンに浮き上がる彼は、モデル中、最もシート高の低いファットボーイでさえベタ足――跨いだ両足の踵が設置すること――にならない。その滑稽極まりない様子を写メにでも収めどこかに投稿してやりたかったが、警護官が鳥の巣頭を呼ぶ声が近づいており、のんびりしてもいられない。
「飛ばします」
僕はグローブを脱いで差し出す鳥の巣頭の指先に触れた。
――タクミ、僕はここだ。
バルクに戻った僕が一息つく暇もなくJの思考が届く。
「どこなんです? そこは」
右手には河川が流れ、二辺を水堀に囲まれた公園に隣接する一画、飛行機の滑走路にもなりそうな広い通路を進むと巨大な銅製の扉に突き当たり、そこを抜けるとバカでかい建造物が見えてくる。紙切れ同然のその国の通貨にも描かれた宮殿は、その豪奢で尊大な佇まいを維持するためどれだけ国民の血肉を吸い上げてきたことだろう。
――太陽宮殿などと名付けられ鳥の巣頭のオヤジが保存されている。まったく、何様のつもりでいるんだか。
件の遺体は緋色の絨毯が敷き詰められた大広間に展示されており、やたら長い大理石造りの回廊を渡ると、これまた大理石で作られた初代首領の白い立像が出現する。背後からの照明は夜明け直前の日光を演出している。Jが操る鳥の巣頭は、ざっと三十人ほどの側近を従えそれを仰ぎ見ていた。
「なんと悪趣味な――」
――伝説の指導者の名を騙るには、このくらいの舞台装置が必要だったんだろうさ。元はと言えば旧ソ連の傀儡だった男が!
Jの思考に侮蔑が色濃く滲む。
「金魚の糞がたくさんくっついているようですが」この状況で実体化して誰にも見られないわけにはいかない。「ひとりになれますか?」
――なにか策を講じよう……、そうだ! いいことを思いついたぞ。
Jがなにを思いついたのかはわからないが、そのあっけらかんとした思考から想像できるのは、別荘で見せた悪戯のようなものではないかと僕は考える。果たして――
――ご自慢のマスゲームとやらを見せてもらおうじゃないか。
「대원수 매스 게임을 드리려고」
Jが何事か言い、側近たちの間に困惑の表情が広がっていく。無理もない、あれは主体思想が国民の連帯性を高めるというまやかしのパフォーマンスで、強制動員した数百、数千人の国民に色のついたボードを持たせて行われるものだ。軍服姿の側近連中たった三十名ではアルファベットを形作ることさえままならない。
「빨리 해!」
鳥の巣頭の機嫌を損ねれば良くて強制収容所送り、悪くすれば処刑されるとあって、側近たちはためらいがちにだが手を取り合う。ひとの輪が出来ていく。
――どうだ! これなら僕に触れるだけで一気に数十名を弾き飛ばせるだろう。
Jは得意げだったが、それはマスゲームじゃなくってマイム・マイムだ。僕は中学生時代のフォークダンスを思い出した。それに「要領はよくわかった。ターゲットをひとりにしてやればいいわけだ」は、どの口が言ったんだ。
――早くしてくれ! この男のなかにいるのは不快この上ない気分だ。
バルクを離れない僕にJの叱責が飛んでくる。
「いま、行きますよ」
俯瞰で見るその光景は、カーキ色の軍帽が作る地味な環の一点だけがポツンと黒い。空間座標と時間軸をグリッドして僕は実体化を試みる。三次元宇宙の常識に照らせば、通常、ひとが湧いて出ることなどあり得ない。突如として鳥の巣頭の背後にあらわれた僕の認識に手間取るのも当然の反応と言えよう。
「飛ばします」
彼らのポカンと開いた口が意味ある言葉を発するより早く、僕は取りの巣頭の肩に手を置いた。