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08

 無人のスタッフルームで実体化した僕は、ロッカーに掛けられたウエイターの制服を身に着ける。自分の顔で唯一特徴的だと思う涙袋は他のロッカーを探して見つけた眼鏡で隠す。スタッフルームを出ると階段でホールに降り、ダムウェーダ――厨房から注文の品を搬送するのに使う小型のエレベータみたいなもの――の前に立っていた男からワインクーラーなどが乗せられたサービスワゴンをかっさらって鳥の巣頭のいるバカラテーブルを目指す。

「야, 기다려라」

 背後で上がる苦情にはとびきりの笑顔とウィンクで返す。내가 좋(僕が行く)は憶えてきたが下手な発音で怪しまれるよりこのほうがいい。誰かに留め立てされるのは構わないが、いきなり銃弾が飛んでくるのだけは困る。僕と同じ制服の男は小さく拳を振り回したもののワゴンを取り戻そうとはしなかった。

 カジノの床はテーブルの周りに国章をモチーフにしたカーペットが敷き詰められており、僕は寄木細工の通路をワゴンを押しながら進んでいく。洒落た装飾が施されたそれは後輪がフリーホイールである前輪の五倍ほどの大きさで、すべての金属部分同様、金メッキのスポークが用いられている。それはシャンデリア照明やミラーボールの煌めきを映し込み、バルクを舞うフォトンのように思われた。スロットマシーンが置かれた一画を抜けるが客はひとりもいない。カードゲームのテーブルが点在するフロア埋まっているのは半数に満たず、お世辞にも盛況とは言い難い。

「嘿,给我在这里香槟」

 ブラックジャックのテーブルにいた客が声をかけてくる。中国語らしいが定かではない。僕は身振りで急いでることを告げ足早に通り過ぎる。

「おいっ! おまえっ」

 ルーレットのブースを抜ける時、僕は日本語で呼び止められた。

「シャンパンを持っれこい。最高級ろらぞ」

 うっかり日本語で答えてしまうところだった。声の主はプロレスラー上がりの代議士であるA氏だった。トレードマークの赤いタオルがマフラーに代わってはいるが特徴のある長い顎は見間違えようがない。さて、どうしたものか……。曖昧な笑いで返事を留保していると代議士のとなりにいた男性が言った。

「先生、明日は早朝から視察の予定がはいっております。もうお止めになったほうが……」

「秘書の分際れ俺り指図するらっ! ころくらいの酒れろうりからる俺らと思ってるろかぁ」

 A氏は完全にどうにかなっておられるご様子で秘書さんの忠告にも聞く耳を持たない。おまけになまじ体格がいい分、場末の一杯飲み屋でおだをあげるオヤジより始末が悪い。このような御仁を国会に送り出してしまうのだから日本の有権者は良識を疑われても仕方ない。

「ですが、そのご様子では――」「うるさいっ!」「あたっ!」

 代議士にビンタをされた秘書がスツールから吹っ飛んで行き、客たちは騒然とする。騒ぎに乗じて僕はそそくさとその場を離れた。

 ――やっと来たな。

 そうは言ってもリチャード翁たちと違って中途半端な僕は、まだ死に直すこともある。ターゲットリストはまだやっと四十枚。慎重にならざるを得ない。

「기다리게했다. 블루 슈 페이트 브르 군다 68 년물입니다(お待たせしました。ブルー・シュペートブルグンダー68年物でございます)」

 発音に自信がないので小声でぼそぼそ呟き、Jが意識を乗っ取っている鳥の巣頭にワインボトルを見せる。彼が頷いたのを見て僕は他のウェイターがやるようにテイスティンググラスを置き、ワゴンに置かれたソムリエナイフを手に取った。ワインを嗜む習慣のない僕はコンビニで買うスクリューキャップの物しか知らない。キャップシールはなんなく剥がせたが、スクリューが上手くコルクの中心に来ない。悪戦苦闘の末、スクリューをねじ込めるようになったが、今度はねじ込み過ぎてコルクの破片がワインのなかに落ち込んでしまった。バカラテーブルに着いた客たちの視線は、いまやゲームより僕の不器用な手際に興味を移している。焦った僕は「なにか?」とこれが普通であるような笑みを浮かべてコルクを引き抜こうとする。ところがテコを利用することを忘れていたため顔を真っ赤にして引っぱっても栓はびくともしない。Jの思考が届く。

 ――もうワインはいいからこいつらを弾き飛ばそう。

「待ってください。もうちょっとで抜けます」

 コルクを抜くことで気もそぞろだった僕はとうとう日本語で答えてしまった。

「어떤 언어이다?」

「일본인인가? 경호 관을 부르는(日本人なのか? 取り押さえろっ)」

 この号令はJだ。コルクの抜けないワインボトルを股に挟んでいた僕に鳥の巣頭の側近どもが群がってくる。

「Now or neverいまだ!」

 四~五名の手が僕にかかったところでJが英語で叫び、僕は体分子の電荷を反転させる。

 鳥の巣頭とその側近が弾き飛ばすに値する輩であることに間違いはない。だけど殺すべき人物であるのかと問われれば、僕にそう言い切る自信はなかった。


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