06
「おまえはマリー・アントワネットか!」
飢える国民を顧みず贅の限りを尽くす鳥の巣頭に、僕は思わず毒づいていた。〝時間とカネさえあれば、ひとはどこまでも貪欲になれる〟それを証明するかのような暮らしぶりだった。宮殿には中国。韓国、日本のお抱え料理人がおり、その上、ピザを食べたくなればイタリア人シェフを雇い入れるという貪欲さだ。地下のワインセラーにはフランス産ワインが一万本、さらにはコニャック、ブランデー、スコッチに日本酒と、世界中の銘酒が取り揃えられている。これでよく国民の怒りが爆発しないものだと思い僕は調査を進めた。すると、この独裁者一族は恥知らずにも「ゆでたじゃがいもと大根の葉いり大豆スープ以外は口にしない。人民と同じ質素な生活をすることが自分の幸福と喜びである」とのたもうていた。それで肥満体になるはずないことなど、いくら厳格な情報管制が敷かれていようと少し考えればわかりそうなものだ。だけどそうならないのは、一族の六十年に渡る恐怖政治がひとびとの口を閉ざしたからではないだろうか。かつてレーニンやスターリンは数百万の餓死者を出し自然災害を言い訳にした。毛沢東に至っては数千万の死者を数えながら国際援助の申し出を断ったそうだ。彼らが斥力の側にいるのは間違いない。呆れたことに鳥の巣頭一族の放蕩は食に止まらない。国民を外部情報から遮断しておきながら自分だけは宮殿内のシアターでハリウッド映画鑑賞に耽り、海岸を閉鎖して似合わぬマリンスポーツに興じる、自前の猟場に放った鹿からは薬物で俊敏性を奪っておいて射撃を楽しむ。果ては気に入った女性はさらってでもモノにするなど、まさにやりたい放題。五回や六回の弾き飛ばしで更生するようなタマとも思えないが、その判断を下す権利は僕にない。いま、Jが意識を支配した鳥の巣頭は宮殿の地下から平壌の別荘へと向かうトンネルを歩いているところだった。
――こいつも偽物のようだ。とんだCHEATER一族だな。
Jの思考が直接僕に届いた。
「チーター……ですか?」
――ペテン師のことだよ。鳥の巣頭のダディからして抗日レジスタンスの英雄の名を騙っていたと言われているくらいだからな。ここは国家そのものが強制収容所みたいになっているようだな。
レーニンの洞察である『嘘は何度もつけば本当になる』や『小さな嘘より大きな嘘のほうがひとは騙されやすい』といったヒトラーの理論でも取り入れていたのか、全体主義のプロパガンダを道具に統治される側の国民は堪ったものではない。
「こいつで四人目です。もしかすると本物はとうに死んでいて残っているのは全員が影武者だったりするんじゃないですか?」
それはないと思うが。
少し間が空いてJが答える。
――もしそうだとしたら全員をディックの指定する三次元宇宙へ弾き飛ばしてもらおう。できるな?
「はい」
Jの意識操作でターゲットがひとりになるなら、それこそ〝ちぎっては投げ〟方式で弾き飛ばしてやれる。
――では次のを試してみよう。
Jが離れた後の影武者は、少しの間きょとんとした顔で立ち尽くしていたが、正気に戻ると早口で側近になにか告げる。チョソンマルのわからない僕だが鳥の巣頭の身振りと側近の渋井表情から想像するに聞きたい音楽があるのでCDを取り寄せろとでも言っていそうだ。Jと同じ年代を生きていきたはずの鳥の巣頭だ。愛と平和を訴え続けた歌詞に心を動かされてはくれまいか。それが例え影武者だとしても。
「これは……」僕のそんな願いは、分厚い金属扉を開け、影武者が入って行った地下施設がなんであるかを知った途端、粉微塵に打ち砕かれる。「再処理工場じゃないか!」
実物を見るのは初めてだが、数センチ角の金属片はマグネシウム合金で被覆された4~5メートルの燃料棒から削り出されており、次の工程で硝酸溶液で融解し、有機触媒を用いてウラン溶液、プルトニウム溶液、核分裂生成物に分離している――はずだ。さらにウラン溶液とプルトニウムを分離し、ウラン粉末や酸化ウランとともに作られた金属プルトニウムをグレープフルーツ大の球体に成形すれば核爆弾は完成してしまう。被爆対策や起爆装置をどうするかといった問題は残るが、大量殺戮兵器としては簡単に製造できる部類に分けられる。
Jは本物候補ナンバー5に向かった後だ。行きがけの駄賃にこいつを弾き飛ばしてやろうかとしばらく観察していたが、この男、よほど暗殺に覚えているのかトイレの個室にもひとりでは入らない。警護の連中は腰に自動拳銃を提げており、迂闊に実体化すれば僕は蜂の巣にされたことだろう。
「命拾いしたな」
僕は、およそ僕らしくない捨て台詞を残してJの後を追った。