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「説明してやろう。この三次元宇宙が誕生した時、力の指向性が異なるのみで意識に明確な区別はなかった。内に向かう力が天体を創造し、その容れ物を外に向かう力がこさえる――そうやってこの宇宙は広がっていったのだ。だが、認識されねば存在もない。そこで生命に知性をもたせようということになった。おまえは無知なる生命に火を与え、欲望と欺瞞、想像力を植え付けるよう命を受けた。人類に文明とやらを築かせるために奔走したのだ」
「僕がですか?」
「この者どもと、な」
生きているのか死んでいるのか――老人は両手を広げて、屹立し微動だにしない元飛ばし屋の六名を示す。特異なヘッドセットは端部から触手のように伸びた十数本のアーム先端が瞑目する彼らの頭部全体に貼りついていた。
「当初、おまえたちは〝光をもたらす者〟と呼ばれ崇め奉られたが、人類が自立すると今度は疎ましがられるようになる。進化も、文明も、誰の助けも借りず手にしたものとしたい人類にとっておまえたちは邪魔者になったのだ。やがて迫害が始まる。楽園を追放されたのは、おまえたちが堕落を運んできたせいだ。堕落は悪魔が運んでくる。悪魔は遠ざけねばならない。おまえたちは人間社会から排除された。神には人類の営みに干渉せずにいてもらおう。そしてひとり居れば充分――遍在の神は拒絶され、唯一絶対神を唱える信仰のみが残った。単一だった意識体はそこで分裂した。外に向かう力は人類との決別を選んだが、内に向かう力に従ったおまえたちは、自ら時を駆ける羽根を折り、意識記憶を消して人間界に下ったのだ」
「ははあ」
どれだけ持ち上げてもらっても僕は一向に嬉しくない。だいたい、ついさっきまで柘植巧巳だった僕に「はい、これからはルシファーね」なんて乱暴過ぎる。そもそも、転生で意識記憶が消えるなら、どんなデタラメだって言いたい放題ではないか。インチキ占い師となんら変わるものではない。
「お言葉ですが」僕はふと父の顔を思い出した。彼は香港映画のクレジットを見る度、関西人でもないくせに〝ギャハハハ、誰がダニエルやねん〟、〝その顔のどこがアンディやねん〟と、突っ込みを入れるのが大好きだった。これを知ったら腹を抱えて笑い転げるに違いない。そんな目に遭うのだけはなんとしても避けたい。「人違いをなさってませんか? 僕はごく普通のサラリーマンでして、ついうっかり死んじゃったところをディックさんに取り違えられて――」
「そのような者に時を駆けることはできん。しかも、おまえはグラビトンまで操ったではないか。よいかルシファー」
だから違うって言ってるのに。「……はあ」
「一度は決別した世界に、どうして儂が戻ってきたと思う?」
説いてやる、説明してやる、と押し付けがましかったのが今度は〝当ててみろ〟ってか? なんて面倒な爺さんだ。
「さあ?」
永遠の在処を知ったいま、僕にとっての最優先課題は、一度きちんと死んで、幸のいる世界で永住権を得ることだ。最後の飛ばし屋稼業は幸の頼みであったこととリチャード翁への御礼奉公のつもりで請け負っただけで、あの暮らしにくい三次元宇宙がどうなろうと知ったこっちゃない。なんなら電車に飛び込んだっていい。
老人がにやりと笑う。心なしかその身体が大きくなったように思えた。部屋の明度も下がったような気がする。
「単連結な三次元閉多様体で物質ばかりが増えればどうなるかくらいは知っていような」
「膨張は止まり、重力によって宇宙は収縮に転じます。それが進行すれば宇宙は特異点まで収束してビッグ・クランチに至ります」
「そのとおり。宇宙には均衡が必要なのだ。なのにおまえたちは外へ向かう力の源泉を排除し続けてきた。それがフェアだと言えるかな」
「ディックさんは言われました。三次元宇宙の誕生以来、膨張が止まったことはない、と。あなたの関与がなくたって人間どもの欲望は宇宙を破滅に向かわせることができていたということです」
えっ? 羽柴とその部下を殺してしまった時の〝柘植巧巳が話しているのではない感覚〟が蘇っていた。
「は……反対に――」
「反対にどうした?」
またもや老人は笑った。その身体が一段と大きくなったように感じられる。
「更に斥力が増すようなら膨張は加速し、ビッグ・チル、恒星と惑星間の距離を拡げることで冷え切った宇宙に至らせ……ます。斥力が指数関数的に増加すれば、なんの前触れもなくビッグ・リップが訪れ三次元宇宙は素粒子レベルまで分解……消滅しま……す」
「だが、それとて人類の強欲が招いた結果であって、やはりおまえの知ったことではない。そうだな?」
「ええ……」
漕いでいるボートのオールをいまにも取り落してしまいそうな――そんな狼狽が僕にあった。




