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 話を長引かせて助けを待つしかないか……。僕は話題探しのため屋内を見回した。連れ込まれていたのは鉄骨スレート造り、間口が15メートル、奥行きが20メートルほどのごく普通の倉庫だった。間口の3分の2を占めるシャッターの横には框ドアがあり、ひとの出入りにはそれが使われていたようだ。コンクリート製には樹脂製のパレットが敷き詰められグレイの防水布が掛けられた荷物群が並ぶ。おそらくはイリュージョンに使う大道具の類だろう。高さも幅も不揃いなそれらは、空間に株価チャートのような折れ線グラフを描き出していた。

 改めて羽柴を観察する。一昔前の銀行員のような黒髪の七三分け、視線だけでひとを射殺すのではないかと思えるほどの鋭い眼つきを除けば整った顔立ちだと言える。日本映画界全盛期の銀幕スターに見えなくもない。一流テーラーで作りました候の高級品なのだろうが、そのシャイニーグレーの生地が凶暴で貪欲なサメを彷彿とさせていた。

「――いているのかね」

「あっ、はい?」

 僕が羽柴の問い掛けを聞き逃したのは、サメを騙したウサギにヒントを得られないものかを考えていたからだけではない。比較的静かだったこの一帯が突然、騒々しくなってきたからだ。大型のトラックの走行音、モーターの回転音に混じってガシャンガシャンと何かを叩きつけられるような音も聞こえる。

「少し早すぎましたか?」

 蛇男が羽柴の機嫌を窺うように尋ねる。水産加工場の操業開始時刻を遅らせていたのだろうか。

「かまわん。いいタイミングだ」

 羽柴は僕を見据えたまま答えた。

「どうだね、銃声も掻き消されるような騒音だろう? 君がアレについて話してくれなければ」羽柴は彼の左手にいる直井美紀に銃口を向けた。「彼女に痛い目を見てもらう事になる」

 なんて卑劣な……。縋るような眼差しで僕を見る直井美紀の瞳には涙が溢れていた。

「そんなことをしたら僕は永久に口を閉ざしますからね」

 仕方ない、ストレッチャーで対消滅して出直そう。僕がいなくなれば彼女が痛めつけられる理由もなくなる。

「おいっ」

 蛇男の『はっ』はなく、代わりにパーンと高い音が倉庫内に響いた。

 撃たれたのか? だが、どこにも痛みはなく羽柴の持つ拳銃からも硝煙は上がってない。視界の端で直井美紀がガクリと頭を垂れたのが見える。蛇男が手にした自動拳銃は直井美紀のこめかみがあった位置に固定されていた。

 なんてことを……。

「わたしは暴力は嫌いだが」羽柴が言った。「なめられるのはもっと嫌いでね」

「あなたはそんな身勝手な理屈で彼女を――」

 狼狽、憐憫、後悔がごちゃ混ぜとなって僕から冷静さを奪っていた。羽柴の背後に飛んで首筋にでも触れてやれば一瞬で片がつくのに、僕は拘束を緩めようと身を捩ってストレッチャーを軋ませる。

「おっと、動かないほうがいい。うちの塾生たちを君の家族のところに張り付かせてある。電話一本で拉致して一時間もあれば自衛隊の輸送機でここに連れて来られるようになっている。どうだね、話す気になったかね」

「この上――」僕は血液が沸騰するほどの怒りを覚えた。「僕の家族まで手にかけようとするのか、おまえが奇術と考えるものなんかのために」

「貴様……、こちらをどなたと心得る」

 蛇男は水戸黄門の助さんか格さんみたいな台詞を口にした。

「かまわん!」羽柴は僕に歩み寄ろうとする蛇男を制して言った。「怒りはひとを正直にする。彼にもそうなってもらわないとな」

 ただ、それだけのために彼女を殺したのか――。僕の怒りは沸点を超えて上昇を続ける。

「……の分際で」

 羽柴は薄笑いで応答した。「よく聞き取れなかったがなんだね? なんと言ったんだね?」

「人間の分際で僕を目覚めさせてしまったことを後悔させてやろう」

 僕のなかの安全弁が音を立てて噴き飛んだ。

 その後のことはよく覚えてない。気づいた時、羽柴と蛇男は、眼、鼻、耳、口、と顔中のありとあらゆる孔から体液を垂れ流し床に倒れ込んでいた。

「グラビトンの密度を上げれば炭素もダイヤモンドに変わる。ヤワな人間の頭蓋などひとたまりもなかったな」

 僕に自分が何を口走っているかがさっぱりわからないでいた。そんなことより――僕は直井美紀の許へと飛んだ。

「君を巻き込んでしまって本当にすまない」跪き、彼女の拘束を外しながら語り掛ける。「いいかい? これから君を弾き飛ばす。僕より質量の少ない相手を飛ばしたのは数えるほどで、その……、初めてすることでもあるから先がどうなるのかもわからない。だけどもし君が君であり続けるために不可欠な要素があるなら、それを僕から奪っていって欲しい」

 僕はおそらく何も聞こえてない直井美紀の白く細い手を取り、その甲に唇を寄せた。


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