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「FRBの録画は音声も明瞭だった。君には我々がどういう集団なのかわかっているものとして話を進めて構わんだろうな」
「……はあ」
「単なる奇術師の集団でもないようだが君らの目的はなんだ? 何故、我々に敵対する。雇い主がいるのか? それを知りたいがため、フェルメールの開発を急がせた」
「フェルメール? なんですか、それは」
僕は〝青いターバンの少女〟という絵画を思い出していた。
「あの3Dホログラム技術のことだ。精巧だったろう? フェルメールはどの角度から見ても非常に解像度の高い立体像を表現できる。生憎、足を組み替えるくらいしか動きはないがな。だが君はすっかり騙されてわたしのホログラムに近づき、ワイヤーと連携して射出されたXREPから5万ボルトの電圧を受け倒れた。訓練を積んだ兵士なら痛みには耐えられるだろうが、あれは二十秒間、中枢神経を麻痺させる。つまり筋肉が言うことを聞いてくれなくなるわけだ。敢えて公表はしてないが四十一階フロアの企業はすべてNWOアジア支局の傘下にある。階下にいた部下たちは、君をなんなく捕獲できた。二千万ドルの投資など安いものだったよ」
僕に二十億円の価値があるかどうかはともかく、大ドルイド評議会のナンバー2にして極左の私塾を率いるビッグ・ネーム――他人に命令を下す立場にいることに慣れた人物――にしては穏やかな語り口で羽柴は解説した。すると捕まった僕はビッグ・ゲーム(大きな獲物の意)になるわけか――って、洒落てる場合ではない。
羽柴が続ける。「各国の警察機構や諜報機関、テロ組織にも身分照会をしてみたが君らの正体はわからなかった。それにあのトリック、どこのクリエーターが作ったのかね。映像にもミスディレクションを活かす方法があるのか」
だけど、まだ望みが潰えたわけではない。羽柴は飛ばし屋の仕事に関心を寄せている。それが証拠に、吸引式の麻酔でなく致死性の毒物を注射されていても不思議ではない状況で僕は生かされている。彼の探究心が満たされるまではあっさり殺されることもない……ことを願おう。身体的接触が致命的だと知っている羽柴が僕に近づく可能性は極めて低いが、話しぶりから瞬間移動までは知られてないように思える。目隠しさえ外れれば活路を見出すこともできる。そう度々面倒をかけるのも心苦しいが、リチャード翁かコウが助けにきてくれるかもしれない。時間を稼がねば――。
「話すのは構いませんが」
自慢ではないが僕は姑息な手段には長けている。
「なんだね?」
「僕からもお訊ねしたいことがあります」
「一問一答の要求か。君は自分の立場がわかっておらんようだな、柘植巧巳君」
あらら、もう名前までバレちゃってましたか――。スパイ映画かなにかだと口を割らない僕の恋人辺りがさらわれてきて『こいつがどうなってもいいのか』とかいうありきたりな展開になるのだろうが、幸か不幸か幸はいない。となると痛めつけられるのは僕で、それも歓迎できない。下手な嘘はイリュージョニストに通用しないだろう。
ドアが開き、誰かが入ってきたのが気配でわかる。足音は問答者の近くで止まった。
「よかろう。準備が整うまでには少々時間がかかる。退屈しのぎにもなるだろうしな。では、まず君らの雇い主についてだ。どこの誰なんだね」
「質問がふたつになってますがお答えしましょう。雇い主はリチャード・ファインマン、物理学の教授だそうです。オーダー(命令)は彼か、彼のアシスタントが直接、僕のところへ持ってきますので住所はわかりません」
嘘ではないがミドルネームと〝かつて〟と〝だった〟が抜けている。
「なるほど」羽柴が入ってきた誰かに小声で指示をしている様子が窺える。足音が遠ざかりドアの閉まる音がした。「君の番だ」
「目隠しを外してもらえませんか」
「いまはだめだ。わたしの直感がそれは正しくない選択だと告げている」
さすがは大ドルイド評議会のナンバー2、周到な準備を怠らなければ、第六感のように不確かなものでさえ疎かにしない。それでも僕は悪あがきをする。
「こう、雁字搦めにされていてはなにもできやしませんが」
「準備が整えば外してやるさ」
「準備……とは、なんの準備なんでしょう」
僕を殺すのに視覚的効果で恐怖を倍増させようとでもいうのだろうか。
「時期がくればわかる。だが君が望むならそれをひとつの質問に数えてやっても構わんがな」
タネも仕掛けもない飛ばし屋のメカニズムをイリュージョンの様に解説はできない。〝時期がくればわかる〟ものに数少ない手札を切るわけにはいかない。
「止めておきます。あなたがルシファーの息子なんですか?」
「そう呼ぶ者もいるようだな」
その殆どが王族の血筋かユダヤ系プルトクラーク(超富裕層)、或いはロシアのユダヤ系新興財閥オリガルヒで構成される大ドルイド評議会で、日本人というハンディを持った羽柴がナンバー2の地位を得るには政治力と経済力だけでは不十分だったのではないだろうか。離脱者の出現という僥倖に恵まれたにせよ、それでは議席を得るのが精一杯、台頭には血筋同様、〝後天的に得ることのできない何か〟が奏功したのではないか。それが僕に〝ルシファーの息子〟イコール、イリュージョニストではないかとの考えを抱かせ、ここまでの会話で確信を強めていた。勿論、そこらへんのマジックショップで手に入るようなテーブルマジックの類ではない。眼の肥えた観客を畏怖させたのはコンピューターテクノロジーを駆使した出現術や消し去り術あたりだろう。だが、どれだけ鮮やかなイリュージョンを使いこなすにせよ、そこに仕掛けがある以上、飛ばし屋の僕から見ればペテンでしかない。