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昏倒していたファレル博士を弾き飛ばしてバルクに戻ると、リチャード翁は既に人型をとっていた。
「大ドルイド評議会の空席にはあんな理由があったのか。まさか、生き返るつもりでいたとは……。生体反応を追っていては、いつまで経っても見つからなかったはずだ。タク、いい働きをしてくれた」
「い、いえ。あれを知ったのはまったくの偶然でして――。僕こそC―4爆薬の使い方やらモンロー効果やら、色々、勉強させていただきまして、何というか、その……」
オリンピアンズ委員だったA・Gは、言うなれば敵方だ。その彼から情報提供を受けていた僕は素直に賛辞を受け取れない。
「おお! あれか」だけどリチャード翁は僕の歯切れの悪さにではなく、違う部分に反応する。「わたしの特技が錠前破りなのは知っているかね」
「はあ、コウに聞いたことがあります」
「そうか、そうか。わたしはタンブラー錠ならマイナスドライバーとペーパークリップがあれば開けられる。ナンバー・コンビネーションのタイプでもニ~三分で充分だ。ロスアラモス時代に使っていたファイルキャビネットの錠前はすべてモスラー金庫社製で、不在の同僚のレポートが必要な時は、いつもわたしが頼まれたものだ。だが、最近の錠前には磁気情報を読み取らせるものや、SL社のようにバイオメトリクス(生体)認証を採用しているものまである。こうなると錠前の構造がわかっているだけでは手も足も出せない。そんな時、わたしは三次元宇宙を覗いていてモスラー社の巨大金庫を知った。五十トンもあるそれの円形の扉には円周に沿って可動式のロッキングボルトが埋め込まれていた。わたしは考えた。これはモスラー金庫社がわたしに送りつけた挑戦状なのではないか、と」
「そうでしょうね」そんなはずはないと思いながらも僕は話を合わせる。「そこであなたは二層構造のデュワーを金庫室の扉に見立て、円筒の周囲に成型炸薬弾を仕掛けた」
「ほう、よくわかったな。さてはタクも物理学に目覚めたか」
「違いますよ。その方法で金庫破りをしていた男の映画を観たんです」
確かオーシャンズ11だったと思う。ドン・チードル扮する爆発物のスペシャリストが挑んでいたのがモスラー社製の金庫だった。
「なんだと! それは誰だ? シュウィンガーか? ベーテか? まさかゲルマンではあるまいな」
僕は知らなかったが、その三名は物理学界では有名な方々だそうで、特に最後に名前の挙がったマレー・ゲルマン教授とリチャード翁は論敵関係にあったらしい。
「いえ、黒人の電気技師でした」
「なんと、電気技師とな……」
そう言うとリチャード翁は、見ていて気の毒になるくらい大きなため息をついた。彼の名誉のため言い添えておく。リチャード翁は決して電気技師という職業を軽んじたのではない。彼は十二~十三歳の頃、ラジオ修理で小遣い稼ぎをしており、電気技師は言うなれば彼の輝かしい物理学者としてのキャリアに於けるスタートラインだった。僕はそれをリチャード翁の逸話集を読んで知っていた。
氾濫する情報、電子掲示板への著しくモラルを欠いた書き込み、カネさえ出せば大抵の物が手に入ってしまう三次元宇宙の現況に落胆し、誰もが爆弾魔になれてしまう世の中を嘆いたのだ――と、思う。リチャード翁が小声で呟く。
「くそったれ」
……。聞かなかったことにしておこう。
「それはそうと――」気まずい時にはその話題から離れてみるのも、円滑な対人(対神か?)関係を築くのに有効となる。「残る大ドルイド評議会のメンバーは五名、やっと先が見えてきましたね」
「いや、残りの議員はひとりだ。ミズ・コウ、そうだったな?」
「はい、ディック」
コウがあらわれた。アップにした髪を後ろで縛り、黒いセルフレームの眼鏡をかけている。有能な秘書は斯く在りき、とカッチリしたスーツを着込んだ様は紳士服量販店のイメージキャラクターを模しているのだが、そのタレントの名前が思い出せない。
「あなたの指示通り精鋭部隊を送り込みました。彼らは期待を裏切らない働きで四名を弾き飛ばしています」
このバルクで時間経過を語るのも無意味だが、登場からこっち、コウは僕と眼を合わそうとしない。父ほど女性経験が豊でない僕にも、それが上機嫌な女性の振る舞いでないことくらいはわかる。
「このまえは――」
「D・Rは用心深くて手間取りましたが」謝罪を口にしかけた僕を無視してコウが報告を続ける「ターゲットを模倣したピーターをドッペルゲンガーだと錯覚させることで任務を完遂しました。評議会ナンバー2だったI・Bは2010年8月に癌で他界、代わってナンバー2に昇格した日本人、羽柴朝雄が評議会唯一の弾き飛ばし未経験者です」
「えっ! 評議会メンバーには日本人なんかいたの?」
コウはちらと横目で僕を見ただけで返事を寄越さない。なんて強情な小娘だ。二度と謝ってなんかやるもんか!
「ミズ・コウ、プロビデンス・アイ(すべてを見渡す眼)のところへはピーターを送ってくれ」
リチャード翁はコウに顔を振って言った。
「わかりました」
コウはフォトンの鱗粉を残して去り、リチャード翁が僕の意識に向き直る。「タクにうってつけのターゲットが残ったことになるな。どうだ、行くかね?」
僕に予知能力なんかないし、その存在もリチャード翁によって否定されている。だけど今回はなぜだか気が進まない。
「はあ……」
即答を避ける僕に、リチャード翁は重ねて言った。
「この件が片付いたら君が探していた三次元宇宙を教えよう」
リチャード翁の手にはどこからともなく出現した羽柴朝雄のリストがあった。




