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内開きのドアにもたれかかるようにしてA・GとR・Fの会話に耳をそばだてていた僕だが、防音材が使われているためか、ふたりの声が小さすぎるせいか、よく聞き取れない。A・Gには最後まで話をさせてやりたくもあったが、ここでタイミングを見誤ってR・Fを取り逃がすとなると二度手間になる。逡巡する僕にA・Gの大きな咳払いが聞こえた。
有難い! 僕はそれを会談終了の合図と断定してドアノブに手を掛けた。そしてまた考える。待てよ……、登場時、エン・ソフは騙れないし、預言者に従わないという〝彼ら〟には『ヤハウェ』も効果がなさそうだ。さて、どうしたものか――。時間経過のある三次元宇宙ではゆっくり悩んでいるわけにもいかない。
ええい、ままよ! ふたりの前に飛び出した僕は日本語で言った。
「どうもこんにちは。ただいまご紹介にあずかりました神の使いです」
なんだか卒業式の来賓祝辞みたいになってしまった。
「誰かね、君は」
R・Fが言った、耳慣れた台詞だが、そこに緊張感はない。瞬間移動による登場を選択すべきだったか?
「ですからね――」
「何ですか? この少年は」
接続詞の先を待たずにR・FがA・Gに訊ねる。ボディガードを呼び入れなかったのは日本人である僕が少年に見えたことと人畜無害そうな外見に負うところが大きい。A・Gが答える。
「言ったではないか、神の使いだと」
小馬鹿にされたとでも思ったのだろう。舌打ちこそしなかったが、R・Fはその表情に怒りを滲ませた。
「そうですか。では、腕を返してもらうといい。わたしはこれで」
席を立ち出口を目指すR・Fを見て、僕も小走りでドアへと向かった。
LBH社でのCEO時代、取引フロアには一度も顔を出さず、出社した途端、警備員が呼んでおいた専用エレベーターでオフィスのある三十一階まで直行していたR・Hは、僕がドアを開けてくれるものと思い込む。実際、僕はドアノブに手を掛けR・Fが近づくのを待っていた。
「ご苦労」
金儲けに関してはあれほど狡猾で抜かりのないR・Fが、例え信じてなかったにせよA・Gから『触るな危険』の予備知識を仕入れていたにも関わらず、露ほどの警戒心も見せずに僕の前を通り過ぎる。期待に満ちた眼で成り行きを見守るA・Gにウィンクを送り、僕はR・Fを弾き飛ばした。
カネは持つほどに渇望感が募るものらしいが、それにしても死ぬまでかかっても使い切れないだけの富がありながら更なる高みを目指すのは何故なのか。その理由は〝彼ら〟が見つけ出したとんでもない用途――クライオニクス(人体冷凍保存)――にあった。
それは、法的には死んでいるが身体的に蘇る可能性のある人体――この定義からしてよくわからないが――を冷凍保存し、死因を治療できるほど医療技術が進歩した未来にREVIVE(リバイブ=復活)させよう、といった物理学の一分野とされるクライオバイオロジー(低温生物学)の、そのまた一分野なのだそうだ。
アリゾナ州はフェニックスにあるアーンスト・ハーン延命財団(以下、EH延命財団と略す)のウェブサイトにアクセスして資料を取り寄せ、月額10ドルの准会員登録をすると機関誌が送られてくるようになる。その後、財団の趣旨に賛同、つまり自分も冷凍保存されたいと願う者は、5万ドルの一時金と年間600ドル程度の会費を納めることで晴れて一般会員となれる。残る課題は全身冷凍保存の費用、最低20万ドルをどう工面するかだが、生命保険料や不動産、年金などで充当される場合が多い。それも工面できない会員には頭部だけの冷凍保存、最低8万ドルといったお得なオプションプランも用意されているが、その場合、〝進歩した未来の医療技術〟には首から下のクローニングまで含まれる必要がある。いずれにせよ世界経済を牛耳る〝彼ら〟が、その程度のカネに困ることはなかったはずだ。
ウェブサイトのFAQには、リバイブの実績を訊ねるものや、冷凍保存が成功すると考える証拠はなんだ、といった底意地の悪いものから、サクラかもしれないが切実に冷凍保存を考えているのか具体的な準備を訊くもの、技術的な質問や倫理に関するものもあったが、それなりにもっともらしい回答がされている。
折も折、遺体の所有権を巡って係争中の事例や『故意に患者の死期を早めた』疑いで訴追された件などを暴露した内部告発本が出版されており、アンチスレで賑わうサイトもある。誰もがクライオバイオロジーの専門家になったつもりで、やれ『血液脳関門の問題はどうなる』だの、『ガラス化で構造維持ができるのは多孔性の臓器に限られる』だの、喧々諤々たる議論が展開されてはいたが『肉体を離れた意識は二度とそこに戻ることがない』という真理に気づく者はいなかった。




