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 この時期、地球を取り巻く自然環境は既に維持不可能な領域に入っており、人口を減らすことが二酸化炭素排出量削減と迫りくる食糧危機両方に有効な手段であることは否定できない。だけど、その対象を一部の権力者が決めるなど以ての外だ。船舶で海に硝酸銀を撒いてそれに二酸化炭素を吸着させるなど、ジオ・エンジニアリングへの再度の取り組みも始まっていると聞く。一方、強欲なエネルギー産業のメタンハイドレート乱掘が、二酸化炭素の二十倍もの温室効果があるメタンガスを大気中に垂れ流すというマッチポンプ状態を創製していることには知らぬふりを決め込むどころか、温室ガスの排出量までをも金融商品化させている。コウの弁ではないが、肉体に留まる精神が如何に欲望の誘惑に対して脆弱かを思い知らされるようだ。

 アンドロポフ博士が所属する正式名称タヴィストック人間関係研究所は、英国はロンドン、ターバナクル通り30番にある。健全そうなホームページには『我々は社会科学の専門家で、核たる知識を基になんたらかんたら』と能書きがあり、米国の大富豪の資金援助の下、表向きは人間管理・心理学の研究を行っているとされるが、最終目的は、英米覇権維持のための国際的な大衆プロパガンダおよび完全な人間の心理コントロールの追求であり、その手段・技術の研究を行い、成果を実践することで、現在に至るまで数多くの大衆洗脳工作の実施に関与しているとリチャード翁のリストには書かれている。

 僕は調査を開始した。

 某女王から提供されたと言われる煉瓦造りの建物は、研究機関と言うよりは古城のような佇まいだった。正面玄関前には車寄せを挟んで広大な前庭が広がり、中心やや建物よりにある噴水池には記念碑を囲むように一対の彫像が置かれてる。まるで侵入者に眼を配っているかようだった。ポーチの柱に貼られた年代物の銅版には『Tavistock Institute』と控えめな字体による表記がなされ、その下には幾らか新しめの看板で『英国心理学学会』と書かれている。バカ正直に『洗脳研究所』などと記す者もいまいが――。

 重厚な玄関扉を僕の視覚だけが抜けていく。ホール奥には広く立派な階段があるのだが、太い鎖で閉ざされている。最上段の壁には半径2メートルほどのでっぱりがあって作者不明のフレスコ画が描かれていた。しからば、と迂回させた意識でホール西側を探る。ん? 感じた違和感の理由はすぐに思い当たった。やけに高い天井はかつて舞踏会が催された大広間だったのだろう。元からの梁はそのままに無機質なパネルで天井を下げてある。趣もへったくれもあったものではない。デッドスペースになっている空間を覗くと古びたシャンデリアがぶら下がったままだった。

 下部の空間は六つに区分けされ、すぐ右手にはスーツ姿の男女が働く近代的なオフィがある。他の五つはどのドアにも『Examination room(診察室)』と書かれたパネルが貼られている。内部はパソコンの置かれたデスクと椅子、診察用ベッドにスチールキャビネット、プロジェクター用のスクリーンにシャウカステンと、設備も日本の精神科と大差ない。強いて言うなら建造物に依拠する室内の広さが違う程度だ。掃除は行き届いているのだが、なんと言うか使用感らしきものがまったく感じられない。研究所という性質上、外来を扱うとも考えにくい。〝彼ら〟の支配が全人類に及ぶまで、万が一、司法の調査が入った時の言い逃れのため存在するものではないかと僕は結論づけた。

 次はホール東側だ。こちら特に手が加えられた様子もない。従来からの部屋が、その広さに応じて会議室や個人のオフィスに割り当てられていた。グランドフロア最深部右手には自家発電の施設があり、モーターが静かな唸り音を立てていた。アンドロポフ博士の名札がついた部屋は二階にある四部屋のうち、手前から三番目に位置していた。

 こんなものがここの全てであるはずがない――僕は意識を凝らして精査に努める。するとすぐに一階ホールと二階――英国式に言うならファースト・フロア――を結ぶエレベーターー――これも英国ではリフトと言うらしい――が見つかった。

 発電室の横、壁材と同じ意匠が施されたドアは施設スタッフが首から提げたIDカードに感応して開閉する。フロアを示すインジケータもなければ種々の案内音声も遮断されているため来訪者がその存在に気づくことはない。だが、まだ足りない。違法薬物や電子機器を用いた人心操作の臨床実験にこそこの施設は運営されている。と、なれば――。僕はホール東側とっつきの『Security Guard(警備員室)』に意識を戻す。そこでは夥しい数のモニター群を前に、武装した警備員二名が午後のティータイムを楽しんでいた。モニターの映像と見てきた場面を比べれば見落としが判明するという次第だ。

 すると――。あった! ありました。フレスコ画が描かれた円筒を半分にぶった切ったようなでっぱりは目立つエレベーターシャフトのカモフラージュで、ホールでは停止せず二階からのみアクセス可能な地階への経路となっている。悪事を働こうとする輩の精神構造はどれも似たようなものだとの証明だろう。件の研究施設は、地階でその邪悪な牙を研いでいたのだ。

 警備の物々しさは、ここが研究所の本丸であればこそだ。自動小銃を抱えた警備員が三名、エレベーターホールから三方向に延びる市松模様のリノリウムが敷き詰められた通路を行き来していた。では、じっくり拝見するとしよう。


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