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〝世界で16番目に広い公園〟とされる初代首領の名を冠した広場の地下には十万人の兵士が整列できるという広大な掩蔽壕がある。非常時には司令部となるそこにとっちゃん坊やはいた。地下鉄より更に深く掘られたトンネルは首都の地下100メートルを縦横無尽に張り巡らされ、国家の主要建造物や宮殿の核シェルターを繋いでいる。
「なんだ、あのトンネルの秩序のなさは――。まるで頭のおかしくなった蜘蛛が無計画に糸を吐き散らしたようじゃないか」
Jが言った。広場を中心としたトンネルの構成に、対称性も幾何学も見出せるものではなかったが、だったら正常な蜘蛛はどんな巣を張るのかという疑問も起こらないではない。だけど、そういった日本人的突っ込みをJが好まないように思え、僕は黙っていることにした。
「上手い具合に軍部や党の執行部重鎮も雁首を揃えている。まとめて弾き飛ばす方法はないものかな」
「またマスゲームでもやらせたらどうですか?」
「今度ばかりはそうもいくまい」
「どうしてですか?」
「これが沖縄の米軍基地に向けミサイルを発射する前夜の集会だからだよ。見るがいい、あの緊張の漲った顔を。小癪にもデブだけは呑気に口笛を吹いているが」
いや……、あれは口笛を吹いているのではなく、膨らんだ頬に唇が圧迫されてそう見えるだけだと思う。
「兵士たちの士気を高めるためとかなんとか理由をつけて、奴らを演壇から降ろせませんか? 行列のなかほどが階段に差し掛かった辺りで、あなたが後ろから押すんです、ドミノ倒しの要領で。それを実体化した僕が先頭で待ち構えておくってのはどうでしょう」
「いい考えだな。あっ! ちょっと待ってくれ。軍事委員会の朴がいないじゃないか」
こまめに視点を変えて探すJだったが目当ての人物は見つからないようで不満そうに鼻を鳴らす。
「誰なんです、それは?」
「デブをけしかけてミサイルの発射を決断させた張本人だ。あいつを残しておくと後々面倒なことになりそうだからな。どこにいるんだ、いったい……」
時間軸を固定してJが忙しく映像を送る。
「いたぞ!」
スクロールが止まったのは、やけに天井の低いバスケットコートほどの広さの空間だった。使われなくなって久しいらしく、埃を被ったままの機器類が乱雑に放置されている。Jが朴と呼ぶ男はエンジン式の削岩機を使って一心不乱に床を掘り返していた。
「ここは?」
映像をズームダウンしてJが座標を調べる。
「平壌市勝湖区域か……、となると国家安全保衛部第7局管轄の第26号管理所跡だな。かつては政治犯専門の完全統制区域だった」
「完全統制区域?」
「終身刑の処せられた連中の収容所だよ。どうやらここは拷問室のようだ」
用途を限って想像を巡らせば見慣れない器具の機能もわかる。天井からは革製のカフ(手錠)のついた鎖がぶら下がっており、壁面にも似たような拘束具が頑丈な鉄環でもって埋め込まれている。一見、医療機器のようにも見えるのは収容者に電気ショックを与えるためのものだろうか。ところどころ黒ずんだ床は収容者たちが流した血痕のようにも見える。打ちっぱなしのコンクリートに覆われたその部屋の存在意味を知るに至り、僕が感じていた無機質感は禍々しさに表情を変えた。
「奴はなにをしているのでしょう」
「さっきも言ったとおり、ここの収監者は全員が終身刑だ。言い換えれば出て来なくてもなんの不思議もない。殴る、蹴る、電気ショックの他にも無理やりドラッグを摂取させ、薬物乱用がいかにして人体を蝕んでいくかを影響を観察したり――。簡単に言えば、ここに地獄を再現したみたいなものだ。あいつは拷問中に死んだ者の歯から金属冠を抜き取っていた」
朴は削岩機を放り出し両手で土を救い出しているところだ。掘り当てた木箱をコンクリートの床に置くと蓋を開け、パンパンに膨らんだ軍手を掲げ愉悦に浸っている。
「あれ、全部がひとの歯なんですか」
五十年配の朴が顔を綻ばせ放笑を堪える様に僕は戦慄した。
「貧しい国だ、あれだけ溜め込むには相当な時間と労力がかかったろうな」
まるでアウシュヴィッツだ。
「ではまず僕がひとりで行って、こいつを弾き飛ばしてきます」
「あれだけの兵士が集まっているんだ。なんの演出もなく、ただ弾き飛ばすのではいかにも勿体ない」
「演出……ですか」
「ああ。散々威張り散らしていた奴らが細切れになるのを兵士たちに見せてやりたい。一気に戦意を喪失するだろうと思うぞ」
若干、悪趣味な気がしないでもないが、この国が発射したミサイルによって失われる無辜の民を思い、怒りを滾らせていた僕は、そのくらいしてやってもいいのではないかと思うようになっていた。