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「悪党どもを弾き飛ばすってのはなかなか痛快なものだな。ディックが戻ったら僕にも誰か飛ばし屋をあてがってもらうとしよう」
「……そうなるといいですね」
生来のサディストであるならともかく、見知らぬ他人の生殺与奪権を握るというのは決して気分のいいものではない。存在の所在を変えさすだけでも悩み抜くような僕の場合、それは猶更で、いましがた弾き飛ばした三十数名が肉片となって別の三次元宇宙に移動することを想像すると吐き気すらもよおす僕は、つくづくこの仕事への適正を疑ってしまう。そんな葛藤など意に介するふうでもなく、晩年、保守化した言われるJは気弱なパニッシャー(処刑人)に指示を出してくる。
「若いほうのデブが影武者を作ってからでは面倒だ。早速、あいつの排除にかかろう」
Jは三次元宇宙の映像を開いてとっちゃん坊やを探し始める。ミサイルの発射は軍部にそそのかされてのものだった、とJは言った。まだ三十歳になったばかりのとっちゃん坊やが考えを改める可能性はないのだろうか。
「ひとつ、質問があります。結局、鳥の巣頭の本物は見つからなかったってことなんですか?」
これは太陽宮殿とやらを見ていて気づいたことだが、そもそも鳥の巣頭が産まれる環境がなければこんな手間をかける必要もない、つまり初代首領を弾き飛ばすことで後顧の憂いだって解消されたのではないだろうかと考えたのだ。
「僕が行ける時代にはいなかった――。これで答えになっているかな」
「あなたが行ける時代、ですか……」
「君が活動できる宇宙に限界があるように我々にも行動の制限はある。僕がJとして生きた宇宙とその多元宇宙、つまり自宅前で撃たれた僕の生きた世界と、自宅前で撃たれなかった僕が三次元宇宙での生命を全うするまでがそれにあたる。そうでなければ――」
そこでJは含み笑いを漏らした。
「イエスの生きた時代に行ってバンド時代の僕たちとどちらが人気者だったか較べられたものを――」
「その件については正式にローマ法王庁から赦免があったのでは?」
「ははは、冗談だよ。鳥の巣頭の本物が見つからなかったのは、どこかの時点で暗殺されていたのかもしれんな。国民はあの親子二代に騙され続けていたわけだ」
「なるほど。ですが――」
初代首領は1994年没に没しており、Jが射殺されたのは1980年。ふたりは同じ時期、同じ三次元宇宙に存在していたはずだ。聡明なJがそれに気づかないのはおかしい。
「君が言わんとすることはわかる。なぜ、悪党一族の血統を断たないかと言いたいんだろう?」
Jは僕の指摘をさえぎって言った。
「そのとおりです」
宇宙規模どころか時空をも超越するプロジェクトに僕が口を挟む余地などないのかもしれない。だけど弾き飛ばすターゲットが減ってくれれば、より少ない弾き飛ばしで三次元宇宙の膨張に歯止めをかけられるのも事実だ。巻き添えで命を落とすひとびとが少なくて済むなら僕の脆弱な精神の救いにもなる。
「鳥の巣頭が生まれた時、いや、仕込まれた時というべきかな。その当時、ツゲタクミの意識は、まだ三次元宇宙に生を受けてなかった。それだけの話だよ」
「そういうことだったんですか――」
「ああ。残念だが、君に皇帝ネロやヒトラーは弾き飛ばせない。飛ばし屋それぞれの受け持つ範囲で全力を尽くしてもらうしかないんだ」
志を高く持て、大義を前に個人的感情など仕舞い込んでおくんだ。そう言われている気がした。Jは僕の逡巡を見抜いていたのだ。
「よくわかりました」
「結構だ。では若いほうのデブを探そう」
空間を払うようにして三次元宇宙の映像を流していたJの手が止まる。いつか見た廃墟とはまた別の――いや、これが廃墟ではなく地獄絵図だということを僕は直後に知る。
「なんですか、これは?」
路上にも屋内にもおびただしい数の原型をとどめぬ肉塊が溢れ、丸々と肥えた犬や猫がそれにたかっていた。
「若い方のデブは鳥の巣頭以上の狂人だったようだな。あの男、中国で発生したH7N9型ウイルスを化学省に命令して遺伝子を操作し空気感染性を持たせた。人類はあっという間に死滅したよ」
H7N9型――高病原性鳥インフルエンザのことだ。
「えっ! では、もしかしてあの動物たちが食べているのは……」
僕は思考もかすむほどの衝撃を受けていた。
「そう、かつてひとだったものだ。世界に三十ある大使館や領事館、総連本部とかいうのもあったな。君が見ているのはそれらを起点として細菌テロが行われた三次元宇宙の未来だ」
生まれながらの悪党は存在するのだ。ほんの一瞬でもとっちゃん坊やに温情を抱いたことを、僕は痛く後悔していた。