ひとりごと
特になし。どうぞご覧下さいませ。
生きること、それは何か。
なぜここに存在し、生きているのか。
あなたがこれを読んでいる間にも、時間は過ぎていく。
時間は未来永劫、無くなることは無いのであろう。
だが、消費しているのは自分の『時間』である。
いつかは終わる、自分の物語。
最近の人は、時間に流されて生きている気がする。
時間の消費が早い、というべきか。
かく言う自分も、そうである。
好きな事を見つけ、なんとなく生きている。
それに満足もしている。
だが、本当にそれで良いのか、自問自答もしている。
人生は一度きりである。
仮に前世があったとしても、その記憶は存在しない。
あっても、虚しくなるだけだと思う。
そんな昔の事をいくら話しても、今を生きる人たちにはわからない。
そして、自分がわからなくなってしまうだろう。
記憶は、その人を形成するものだと思う。
記憶があって初めて、認識ができる。
あれはあれだ。これはこれだ。と。
『記憶=人生』といってもいいのでは無いか。
言葉は不思議だと思う。
話せば通じるからだ。
当たり前、と思うかもしれない。
だが、その『当たり前』をもう一度よく考えてみて欲しい。
いつそれが当たり前にあるのかを。
これは他のことにも言えるだろう。
いつの間にか、携帯電話やPCといったものは、日常的に必要不可欠なものになった。
一昔前の人(今の30代後半~)から見ると、これを不思議以外になんと言えば良いのだろうか。
夜景は綺麗だ。
夜景を見ていると、人が生活しているな。と思うことができる。安心する。
人は孤独を苦手とする生き物なのだろう。
もし、この世界に自分ただ一人しか存在しなかったら考えものだ。
アリはすごい。小さな体であんなにも働くからだ。
しかし、そう思った時点で、価値観の違いが生まれていると思う。
アリにとってそれは普通のことだ。
人間が働くことと同じである。
人間社会、アリ社会と、ただそれだけの違いである。
人間は自意識過剰だと思う。
自らを知的生命体と呼ぶからだ。
それなら、他の動物だって負けていないであろう。
宇宙は理解不能である。その方の専門学者がいうことはもっと理解不能である。
理解できる時は、きっと人間が進化した時だろう。
その時には是非とも頑張ってもらいたいものだ。
最後に。
人間が、人間である限り、いつかは死ななければならない。
それは明日かもしれないし、もっと先かもしれない。
それまでには、後悔することのない人生にしたいと思う。
死に花を咲かせられるような、そんな人生に・・・
適当だったなぁと思ってます。ご了承下さい。