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第5暦 【空に許された竜】

『水管係に通達、手水舎の配管を最表層段階に設定。第一、第四対空砲は引き続き飛行生物を警戒。町にいる皆さんは至急屋内に退避してください』


 ラングルは弧を描きながら役場に隣接した塔に近づいては離れを繰り返していた。その弧はじわじわと小さくなっている。あの塔に降り立とうとしているのは明白だった。

 アリサカは人の合間を縫い走り、やっと役場の前に辿り着いた。ラングルはまだ同じようにグルグルと上空を飛び続けている。後手に回らずに済んだようだ。

 コーヒーおじさんが言うには防衛の指揮をとっている者はここにいる。一刻も早く会う必要がある。

 しかし、アリサカが取っ手を掴もうとすると、扉が向こう側から勢いよく開け放された。アリサカは反応することもできずその扉を顔面に受けてしまう。


「いっっった!!」


 アリサカは何が起こった分からず尻もちをつき、痛むをおさえて開け放された扉を見た。


「あ!!ごめんなさ…アリサカじゃない!大丈夫?扉の近くにいたら危ないよ!」


 扉を開けてアリサカを弾き飛ばした犯人はコルシーだった。


「あ…危ないのはお前の方だろ!扉ぶっ壊すつもりか!」


「だって両手が塞がってたんだもの。ここに来たって事はもしかしてあの竜のことを何か知ってたりする?」


 アリサカの怒声にコルシーは悪びれもせずに言う。だが確かに彼女は両手に何やら大きな機材と鞄を抱えている。扉を開ける為には腕が一つ足りない。


「あぁそうだ。分かってるんだったら退いてくれ!急いでいるんだ!」


「何を急ぐ必要があるの?もし竜が町に降りてきても摂氏170度の熱水噴射で標的を茹殺する設備があるんだってね!それに、中は皆てんてこまいで誰も話なんて聞いてくれないよ」


 痛みも他所に立ち上がるアリサカを見てコルシーは退くどころか反対に扉の前をとうせんぼうしてきた。コルシーの背後に見える役場の様子は、人々があちらこちらへ動き回るまさにごった返したような落ち着きのなさだった。

 予定が狂ってしまった。アリサカはどうすればいいのか必死にあれこれと思案を巡らせようとしたが、それを遮るようにコルシーが喋り出した。


「このデバイスは、本部とリアルタイムで繋がっている。通信記録にもちゃんと残る。わざわざ指揮者に会わなくても情報は伝えられるんだから、あの竜の観察任務を任されたこの私とご同行願いたいな」


「観察任務、だって!?」


「あの竜は現代賢者の記録にはまだ無い種類で情報が必要でしょ?私が志願したんだよ」


 思わず聞き返したアリサカに、コルシーは自慢げに言った。言葉の道理は通っているがどうも釈然としない。


「一旦落ち着かせてくれ……。竜の情報共有のためにあんたについて行くことは分かるが、さり気なくその観察任務とやらに俺を付き合わそうとしてないか?」


「観察とはいえ多少の危険はあるからね、そのつもりだよ。でもタダとは言わない!アリサカ、あなたにあの竜の情報共有と私の護衛の依頼を頼みたい!」 


 アリサカは混乱しかけた頭の中をどうにか整理して言葉を縛り出した。それを彼女はまったく否定せず、むしろ利用して劇場的に話を盛り上げた。


「ははっ……そう来たか。他に方法も無い。その話に乗ってやるよ。その前に“恩廻”の仕組みは知ってよな?」


「恩廻?」


 コーヒーおじさんとそういった話はしなかったのか、と半ば呆れながらアリサカはキョトンとする顔をするコルシーに端折って説明する。


「簡単に言えば『貸し』ってやつだ。新規客だから少しオマケしてやるよ」


「お、やったぁ」


 束の間、2人は真上から電気が流されたかのような緊張を肌に感じた。その方向を振り返るとついにラングルが塔の上部にその長い胴体を蔓の様に這わせている場面だった。巻きつかれた建造物からは呻きに似た軋む音が鳴っている。

 地面から当たる人間の視線など元々存在していないかのように公然とし、生きる次元の違いすら思わされた。


「……行きましょうか。あの建物からだったら竜がよく見えそう。案内してくれる?」


「よし、まかせろ」


 釘つけになった視線を無理やり引き剥がすと、コルシーは塔に降り立ったラングルと同じくらいの高さに円状のバルコニーのある建物を指した。そこからならラングルを充分観察することができるだろう。

 しかし、先だって歩き出そうとしたアリサカにコルシーが「ちょっと待って」と叫んだ。彼女は両手の機材を掲げながらニッコリと微笑む。


「悪いけど鞄を持ってほしいな。これじゃメモできないから」


「……最初からそれが目的だったんじゃねぇだろうな」


「まさか!」


 アリサカは見た目に反して重量のある鞄をズシリと腕に沈め、重くなった足で建物へと向かった。



 コルシーが白羽の矢を立てた建物というのは、円柱形で頂上にたくさんの気象レーダーが設置された建物だった。現代賢者より前に来た人間が建てたものらしく所々が老朽化しているのが目に見えていた。


「これ、いったい何段あるんだ……?」


 塔の中は空洞で、円い内壁から生えた階段が螺旋状に延々と上へ続いていた。階段を目で追って上を見上げるとバルコニーに続く穴から空が窮屈そうにこちらを覗いている。


「エスカレーター付いてないのかな……」


 流石のコルシーも苦笑いを浮かべた。ただ階段を登るだけならまだしも、二人共腰に来るような機械を抱えている。苦労することは想像に易い。


「どうした?天下の現代賢者も怖気づいたか」


「そ、そんなことはない!」


 重そうな機材を持ちながらでも果敢に登っていくコルシーに遅れまいとアリサカも後に続く。螺旋階段の西側に来るたび、日を取り入れる為に開けられた窓から地上を覗き見ると、町通りには誰もいなかった。住人は既に放送の指示どうりに家々に避難したようで、次の有事に対処する為に見える点々と居る人影はいずれもラングルに睨みを効かせている。


「そろそろあの竜について話しておいてもいいかな?」


 アリサカは先を歩いているコルシーに話を切り出す。疲れ切ってしまう前に情報を伝えてなければと直感的に感じたからだった。


「そうだね。登りながらでも大丈夫。話して」


 コルシーは左手で持っていたもう一つの機材を胸の前に抱え、その上でデバイスにメモを取りはじめる。階段を登るペースは変わらない。


「あの竜を俺達はラングルと呼んでいる。見た通り、蛇のような足の無い身体に大きな翼、頬から後ろへ長く伸びた角が特徴だ。分類的には"遺伝竜"に属する種で遭遇率こそ低いが人を獲物とすることも珍しくない。狩りの方法は力技が多いが知能が低いというわけじゃない。それと……なにより恐ろしいのは触らずとも物体を破壊できる能力を持っていることだろうな」


「対空銃座を破壊したのもその力ってわけね。原理は分かる?」


 デバイスに摩擦ペンを走らせつつコルシーは質問をする。一体同時に幾つの動作を行っているのだろうか。現代賢者のスキルの高さにアリサカはつくづく目を丸くする。


「空気が関係しているとか聞いたことがあるが、詳しいことは分からない。ただあの攻撃を受けると岩だろうが鉄だろうが、大きな手に掴まれたかように一瞬で潰されてしまう」


「これは究明が必要だね」


 コルシーはラングルのその力を特に興味深く思い、デバイスに書き止めた情報を一旦区切って司令部に送信した。


「知ってる生態はこれくらいかな。あと、どの亜人にも伝わっているラングルの昔話が有るが、これも聞いとくか?」


「昔話?面白そうね」


「大昔、この東域には気高い黒い竜が群れをなして生活していたらしい。その黒い竜からある日、足が無く羽毛の翼が生えた奇形の竜が産まれた。その竜は群れを追い出されてしまったが、竜は大きく成長すると黒い竜の群れのナワバリにうっかり戻ってきてしまった。黒い竜たちはしぶとく生きていた奇形の竜を嫌って、群れを上げて奇形の竜に襲いかかった。

それから奇形の竜は逃げて逃げて、どんどん海へと追い詰められていった…」


 アリサカが息継ぎに間を区切ると、熟練のタイピストのように昔話を文字に変換するペン先の音だけが空洞の建物に木霊する。


「ボロボロで死ぬ瀬戸際になった奇形の竜の前に海に棲む青い竜が現れて、言った。『翼あらば、あなたは空に許されている。命あらば、あなたはこの世界に許されている』青い竜がそう言い残すと、黒い竜の巣は大きな地震に見舞われて群れのほとんどが死んでしまった……。残った黒い竜は奇形の竜を殺すことに躍起になり、奇形の竜も迎え撃つ決心を固めた。戦いは奇形の竜が黒い竜を一匹残らず滅ぼして幕を閉じた。奇形の竜も黒い竜も、最後までお互い血の涙を流してたという……。以上。」


 予想どうり、昔話を語り終えた頃にはアリサカの息は上がり始めていた。重い機材のせいでもあるだろう。だが、一番の要因はこの昔話の結末を聞いた後に襲いくる失意によるものだ。


「もっとさぁ、終わり方改変できなかったの?」


 バツの悪さにコルシーの声のトーンも半音ほど下がってしまっている。


「こんな世界なら別に大げさでもない。それに、これには『自分と違うものを完全に否定してはいけない』って教訓が含まれている」


「上手くまとめたね……。あぁ、やっと階段に終わりが見えてきた!」


 最後の段に足をかけて、やっと建物のバルコニーに出ることができた。さっきまでその下にいたはずなのに日差しが懐かしくさえ感じる。

上に向かうほど細くなる造りの建物なだけにバルコニーはあまり広いものではない。せいぜい人が二人並んで歩けるかどうかといった具合で、すぐに一周できてしまう。

コルシーは持っていた機械をゆっくりと降ろしスイッチを入れる。


「結局これらは何に使う機械なんだ?」


 アリサカも持っていた機械を足元に下ろし、固まった肩を大きく回す。


「これは生態識別刻印器。あなたに運んでもらったのは"Dusk Hawk"」


「はい?」


 聞きなれない言葉を前にアリサカは足元の鞄に目を配る。改めて見ると、鞄のような形状の表面には深い溝が走っている事に気付く。


「Dusk Hawkライフル狙撃銃!正式名称はDH-4S。DHシリーズを小型化軽量化して鞄型に折りたためるようにしたもので、これは麻酔弾を撃つタイプ!」


「余計な事を聞いたな。早いところラングルを観察してくれ」


 正体を知るや否や、アリサカは急に鞄状の銃から興味を無くして目線をラングルへと移した。

 ラングルは塔と一体化するようにとぐろを巻いて鎮座していた。二つの白い翼も今は静かに折りたたまれている。


「言われなくても観察しますよーっだ」


 刻印機を石柵の合間からのぞかせるように設置すると、赤色のレーザーボインターがラングルの甲殻へまっすぐに伸びた。


「奴に気付かれずにやってくれよ」


 コルシーは相槌をうつと、バルコニーに座り込んでまたデバイスに記録を始める。

 アリサカは暇を持て余してデバイスを覗き込む。どうやら彼女はラングルの外見と持ち得る知識を判断材料にして様々な考察を展開しているようだった。

 ゴールデンホーク、ペリカン、アメリカグンカンドリを始めとした鳥類。爬虫類からはオオアナコンダ、パフアダー、オオトカゲなどを引き合いに出している。

 しかし、コルシー自身はどこか腑に落ちないと言った表情を浮かべている。


「何か考え事か」


「ん、まぁね。あの竜、やけに極端な進化をしているように見えるんだよ。何の為に発達させたか分からない器官もあれば、どうして脚を退化させたか分からない。きっと人類の予想を遥かに超えた生態をしているんだろうなぁ……!」


「あぁ、人を喰う生態が無ければもっと探れただろうにな」


 考察を一通り終えたコルシーはラングルにすっかり陶酔していた。しかし傍らにいたアリサカは全くの共感を示せない様子でいる。


「うぅ……。生態カメラを取りつけられればどれほど良かったか」


 コルシーがため息と共にがっくりと項垂れると、持っていたデバイスからSEが流れだす。先ほど送信した情報の返信だろうか、発信元は役場の本部であった。

 それを聞いて二人はぎくりとした顔になる。勿論それは返信の内容を危惧したからではない。問題はそのSEが登ってきた建物の中で反響するほどの大音量で鳴らされたことだ。

ラングルとの距離はとても安全圏とはいえない程度。今の音が塔の上空にまで届いた可能性は高い。


「おい!音が大きいぞ!」


「どういう音量設定してるのこれ!?」


 コルシーは急いでデバイスのスピーカーを塞いだが、事は由々しき事態へと傾きはじめる。

 ラングルの目蓋と瞬膜が立て続けに開き、黄色い瞳がぐるりと二人を捉えた。その瞳と目を合わせた途端、急な雨に降られたかのような悪寒とその場にうずくまりたくなるような強烈なプレッシャーが同時に襲ってきた。

 石化したように二人は動きを止める。動いたら喰われる。ラングルを初めて見るコルシーも本能的にそれを感じ取れた。緊張の中で全てが止まり、時間だけが過ぎていく。


「……右側に引き付ける。俺が合図したら逃げろ」


 アリサカはできる限りの小声でコルシーに伝える。


「待って、勝算はあるの?敢えて動かない手段も……」


 コルシーも小声でアリサカの考えを踏み留めさせた。まだ襲われると決まった訳ではない。ラングルが何事も無く去っていくことを切に願っているようだった。


「まずは依頼主の安全を優先する。依頼には、護衛も含まれていただろう……?」


「そ、そうだけど、それは最後の手段でお願い……!」


ラングルは目線も身体も微動だにしない。

アリサカは肌に染みるような痛みを感じた。日が皮膚を焦がし始めた合図だった。白く透けるようだったアリサカの肌は、ひどい炎症を起こしたかのような赤色へと変わっていた。


「……いや、もう限界だ、どちらにせよ、あんたが死んだら俺の信用も落ちる」


「な、何考えてるの……!?それじゃあ……」



 刻印機から刻印の終了を知らせる電子音が鳴り響いた。ラングルの視線がそちらに移る。その瞬間をアリサカは見逃さなかった。


「行け!!」


 アリサカは合図よりも早く行動を起こしていた。上がってきた階段から離れるようにバルコニーの裏へと全力で走る。背後からはまた軋むような音が聞こえてくる。だが、その音の大きさが尋常ではなく、アリサカは後ろを振り返ってしまう。

 塔はラングルが身体を巻き付いていた箇所から真っ二つにへし折られ、根元を失った先端は重力に従って落ちていった。

その光景にアリサカは気を取られて、ラングルから目を離してしまっていた。さっきまで巻きついていた所には何もいない。

ふと、アリサカに巨大な影が落ちる、ラングルは建物の真上を通って飛びついてきた。アリサカは目前の壁と床の境に身体をぶつけるように飛び退き、どうにか飛来した巨体を回避する。一瞬でも判断が遅れていたらあの鋭いクチバシに頭を貫かれていただろう。


「グギョオオォォッッ!!」


 再びその翼を広げたラングルはすさまじい速さで空を滑り出す。

 階段はここから真反対、右からでも左からでも距離は同じ。考えてる暇はない、アリサカは反時計回り方向から階段口へ急いだ。

 旋回してきたラングルは難なくアリサカに追いついてきた。まだ諦めないだろうを踏んでいたアリサカは残像が見えるほどの速さで迫ってきた黄色いクチバシを完全に見切り、姿勢を屈めて空ぶらせた。耳元にあった壁から鈍い衝撃が床を通して伝わってくる。

 身を低くしたアリサカに今度は後ろから、またしても振り下ろすようにクチバシでの追撃がくる。これもアリサカは前方に跳躍して逃れ、ラングルと距離をぐんと広げた。


「よしっ!」


 アリサカの視界に階段口が入り込んできた。ラングルがまた距離を詰めない限り長い尾や巨大な翼を使ったとしても、もう届かない。このまま逃げ切れる。

 わずかに芽生えたその希望は、再びアリサカに落ちる巨大な影によってあっけなく打ち砕かれる。

 ラングルは建物の上から身をねじり、翼をアリサカの前後に叩きつけてきた。その衝撃で足場にもドーム状の天井にも大きなヒビが割れり、建物が揺らぐ。

 その行動の目的は、自身のその巨大な翼によって狭いバルコニーを封鎖することだった。翼の間から深青色の甲殻と鱗の並んだ鎌首が、ぬるりともたげられる。


「もう少しだったのに、まさかここまでしつこいとは思わなかったよ」


そう皮肉交じりの称賛を漏らすアリサカは何かが崩落する微かな音を拾った。音の方向を横目で見ると、それはラングルの翼によって潰されたバルコニーの石柵がまるで脆い焼菓子ように崩されていく音だった。


「クッ、クッ、ク、クコココ……」


ラングルがまっすぐアリサカを見定めて、先の湾曲した上顎と下顎を咬み鳴らしている。まるで獲物を前に勝ち誇っているかのようにも見えた。


「偶にいるんだな。こういう場面になるとついつい笑う竜が」


 アリサカは後ずさりしながら真っ赤に灼けた手で後ろの壁までの距離を探る。


「グキィッッ!!」

「もう見飽きた顔だ」


 さっきより大胆に咬みつきかかってきたクチバシをギリギリかすめるようにして、アリサカはラングルの懐へと滑り込んだ。

 ラングルは突如消えた獲物を必死に探すが見つけられない。アリサカが潜り込んだのはラングルにとっての死角だった。

 アリサカの目の前にはラングルの胸部を覆う分厚い甲殻がある。

 右足を踏み込み、それを軸に、アリサカはその場で大きく回転する。白色の尾が空気を切り、更に軸足を入れ替えて回転に更なる勢いを加える。

 全体重と遠心力をのせて凶器となった尾を、ラングルの胸の甲殻に叩きつけた。


「グギゥッ!?」


 死角から不意に与えられた衝撃にラングルは短い悲鳴を上げた。渾身の一撃には変わりないが、この一撃で竜を倒せるとはアリサカも考えてはいない。狙いは別のところにあった。

 繰り出された尾の衝撃でラングルの身体は見る見るうちにのけ反っていった。バルコニーにめり込んでいた翼と鉤爪を必死にバタつかせるが、石柵を掴んでも巨大なラングルの体重を支える程の強度は無く、瓦礫を増やすばかりだった。


「キイイイイィィィイイイイッッ!!!」


 遂に、ラングルは甲高い咆哮を残してバルコニーからその巨躯を消した。アリサカは終わりを見届けると目指していた階段口につま先を向ける。


「餌だと思って甘く見たな」



 アリサカが階段を降りようとすると、人影があることに気付いた。コルシーだ。どうやら階段を数段降りた所で様子を窺っていたらしい。その手には鞄だった名残のあるライフル銃が握られていた。


「あなた、本当に腕の立つ亜人だったんだね。びっくりしちゃった」


「見てたのか。逃げろって言ったのに」


呆れかえるアリサカにコルシーは子供のように語り掛ける。


「竜と闘うの初めてじゃないでしょ?動きに余裕があった。これなら大丈夫かな、ってラングルの行動のほうを見てたのよ。おかげさまで貴重なデータが取れました!万が一、あなたが食べられるようなことになりそうになったら助けられた自信もあったよ」


「バカ、どの攻撃でも一発喰らえば致命傷だっての」


 アリサカはそんなもの不要だ、とコルシーの持つライフル銃をぐいと押しのける。また元の大きな機材のようなものに戻して刻印機も抱え持った。


「疲れただろうから両方とも私が持って帰ってあげるね」


「もともと両方あんたの荷物だ!……ん?」


 ドーム状の天井からミシミシと締め付けられているような音が鳴っていることにアリサカは気付いた。しかも、その音はどんどん大きくなっている。


「いいものを見せてもらったからね。早く帰るよ」


「コルシー!急いで階段を降りろ!この建物はもう……」


 アリサカが言うが早いか、ドーム状の天井が粉々に砕け散って崩落した。

無理もない。ただでさえ老朽化していた建物にラングルの巨体が圧し掛かり何本も亀裂を生じさせていたのだから。

 早く脱出しなければ瓦礫の生き埋めになりかねない。そう分かっていても降りかかる瓦礫と蔓延した埃が無意識的に身を縮め込ませてしまう。もはや方向すら分からない。下手に動けば階段から足を踏み外してしまいそうだ。


「アリサカ!こっち!」


 コルシーの叫びと同時に、突然強い力でフードが張られた。コルシーだろうか、引っ張られる方向を頼りに恐る恐る階段を探り降りようとする。

しかし、アリサカの動きに反応してフードの引っ張られる方向が横から上へと変わった。

 まさか。

 身体が浮き上がるほどの力を受けてアリサカは戦慄する。フードを掴んでいるのはコルシーではないだろう。

 アリサカの脳裏に絶望の二文字がよぎる。


「ぐぅッ!?」


 そのまま真上に大きく釣り上げられたかと思えば、滅茶苦茶な力で身体を右へ左へと振り回された。

 視界が巡るましく回り意識が飛びかける。天井が崩れてできた渦巻く埃にアリサカが見たものは、巨翼をもった竜のクチバシに捕らえられた自分の影だった。

 揺らぐ意識でアリサカは思い出す。ラングルをバルコニーから突き落とした後、ラングルのような竜がこの高さから地上へと落下したならば大きな音が生じないのはおかしいという事。役場の防衛本部が熱水噴射の指示も出さなかった事。そして、油断していたのは自分だった、ということを。


『誰か喰われているぞ!撃て!撃て!!』


 銃弾が自分にも掠める音が何度も聞こえたが、もはやアリサカには反応する力も残っていなかった。

 ラングルは力なく手足を垂れるアリサカに追い打ちをかけるように再び振り回すと、そのままアリサカを咥えたまま鉄屑の山となった対空砲の上を通って城壁の町から飛び立った。

 赤茶の城壁がどんどん遠ざかり、モノクロとなった草原しか見えなくなる。次第に黒い靄が視界をじわじわと侵食しはじめた。まるで助かる望みが消え失せていく様に。

 アリサカの意識はここで完全に途切れた。


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