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第3暦 【クロロゲン酸の男】

城壁の町には「コーヒーおじさん」という現代賢者がいる。

その名の通り、コーヒー豆の改良やコーヒーの飲み方についての探求をやまない事で有名な人物。彼の育った母国は人名の存在が薄い。それで通り名や屋号、あだ名等で個々人を呼ぶという。

南極に移住する前から呼ばれていたあだ名の「コーヒーおじさん」がここでも浸透しているようだ。 おそらく本名は誰も知らない。

  


 門をくぐって町の中へと入ったアリサカは、門のすぐ傍にある"手水舎てみずや"と呼ばれる蒸留水盤装置に向かった。外から町へ入る者は誰だろうとこの手水舎で手だけでも洗わなければならない。その理由は亜人と人間、お互い抵抗のない感染症を防止するためだという。町の重大な決まりの一つだ。

 アリサカは柄杓を使って湯を水盤から掬い手元を潤し、ついでに顔も洗った。湯は朝の寒さで少し冷えていたが、アリサカにとってはぬるま湯程度が丁度良い温度だ。


「さて、誰を当たろうか……」


 まだ鐘の音が鳴らされてから30分ほどしか経っておらず、町の住人達は朝食を作っている真っ最中である事は煙突から立ち昇る煙が示している。しかし、寝坊する者もいれば早起きの者だっているはずである。

 アリサカは一人の人物に白羽の矢を立てたが、予想外の場面に出くわした。お目当ての人物が住む小洒落た飲食店のようなカウンターに茶髪の女性が突っ伏しており、その傍らには大きな荷物が数個纏め置かれている。もちろんアリサカが訪ねようとしていた人物はこの女性ではない。


「これは困ったな」


 周りの荷物の量からこの女性は新しく移住してきた現代賢者だろうとアリサカは予想した。

 帽子をとって脇に持ち、長い尾を横垂れのある服の中に隠した。さらに帽子の代わりにパーカーのフードで頭を覆う。こうすれば、ぱっと見は人間に見える。


「おじさん!ちょっと聞きたい事があるんだ。出てきてくれ」


 家の中まで聞こえるであろうほどの声に女性は案の定目を覚まして飛び起きた。アリサカが横目でチラリと見ると眼鏡を介した目とばっちりと視線が合った。

 女性はアリサカの姿を一通り観察し終えたかのように唐突に切り出してきた。


「……君、“亜人あじん”だよね?」


 女性のその一声はアリサカの図星をついた。どうしてバレたのだろうか。それでもアリサカは何とか平静を装い、女性に聞き返す。


「なぜ、そう思うんだ?」


「ええっとね、こんなにも寒いのに吐く息が白くないのと心拍数が少ない、そこから変温性ヘテロスタシス亜人ってことが分かった。あと……私に見られた途端に瞳孔が強張ったから、かな?

亜人の事は少しここのおじさんに聞いたから、別に気を使わなくても大丈夫だよ」


 女性は何故か嬉しそうな雰囲気でそう説明した。アリサカはそれを聞いて大きく息を吐いてみたが、彼女の言った通り白い息はでなかった。そのはずである。今まで自分の吐いた息が白く見えたことは一度もない。


「私はコルシーっていうんだ。コルシー・フィゲレン」


女性はそう名のり、アリサカに手を差し伸べた。


「“爬虫亜人”のアリサカだ。……まったく敵わないな、新参者でもこの洞察力かよ」


アリサカもそれに観念したようにオレンジ色のフードから空色がかった白髪があらわにした。同時に透くような色素の薄い肌、髪と同じ色の切立った眉、真っ赤な血の色をした二つの瞳、口からは二又の舌が覗き見えた。


「せ、先天性色素欠乏症?」


「その気難しい病気みたいな言われは好きじゃない。アルビノでいい」


「あら、ごめんね。そういう事にうるさい世界だったから、つい」


コルシーはアリサカの姿を見て感嘆とし、ただアリサカの手を強く握り返していた。


「わ、私、亜人と話すのキミが初めてなんだ!ちょっと緊張しちゃって、何を話せばいいか……」


「なんだったらどうしてこんな所で寝ていたかを話してくれ」


興奮と戸惑いで困り笑いを浮かべるコルシーにアリサカは一番気になっていたことを訊ねた。


「あぁそうだね!私が晴れて現代賢者になったのは……三日前、でもその内の二日間はずっと車の中。やっとこの町に到着したと思ったら夜に到着したばっかりに役所がもう閉まってて住民登録ができなったの。それでここで一夜過ごす事になっちゃってね……」


つらつらと経緯を話すコルシーからは旅の苦労が垣間見えたが、それほど満更でもなさそうだった。


「それは災難だったな。で、ここのコーヒーは美味かったか?」


「そう!ここのおじさんが話し相手になってくれて南極の事をいろいろと教わったんだ!」


 どこかドアの開けられた音がして、アリサカは視線を外していたカウンターの奥を再び見た。

出てきたのは骨太体格で、黒い髭を顎にたくわえた年配の男性。頭に巻いた無地の布、ジーンズ生地のエプロン、そして手には湯気立つコーヒーのマグカップを持っている。彼こそコーヒーおじさんと呼ばれる人物だ。


「おはようお二人とも。お嬢さんはよく寝れたかい?」

 

 おじさんは気抜けた挨拶をすると、持っているコーヒーをグイッと飲んで贅これに極まりけり、といった表情を2人に見せつけた。


「あー…そうね。モカ風の温かいコーヒーが飲みたい」


「じゃあ、俺も何か朝飯を頼む」


「ちゃかりしておるわ」


 アリサカもコルシーに乗じて注文すると、コーヒーおじさんは金色の焙煎器の中にコーヒーの豆を入れて火を掛け、スライスされたパンが入った籠ををカウンターに持ってきた。アリサカもカウンター席に座り、持ってきた麻袋をパン籠の横に置いた。

 

「なんだいそれは?」


 アリサカが持つには見慣れない物だ、とコーヒーおじさんは反射的にたずねる。


「受け取った依頼の前報酬。薫製肉なんだが俺だけじゃ食いきれないから」


「律儀だろコイツ。そんなもの用意しなくても相談ならいくらでものってやるというのに……」


 コルシーがそのやり取りににこりと微笑む。


「た、食べきれないからだって言っただろう!」


 アリサカは必要分だけの薫製肉を確保し、目的を明かす。


「地震の調査とはまた面倒な依頼を受けたもんだ」


「そういっても周辺調査だけだよ。それより、地震を人為的に起こすなんてことは可能なのか?」 

依頼の確信を突く質問だったが、コーヒーおじさんからはあっさりとした答えが返ってくる。


「あぁできるとも。莫大なコストが掛かるがな」


「やっぱり現実味に欠ける話だな」


「地震と言えば、ナマズだよね」


そわそわとしていたコルシーが我慢できずに口を挟む。


「ナマズ?」

「コルシー……それは伝記だぞ。タブーだ」


アリサカが思わず聞き返すとほぼ同時にコーヒーおじさんが戒める。

外の世界の文化要因は現代賢者達によって厳正に排除される。それは現代賢者が南極に住まう一つの目的だ。

だが一方、手水舎のように目的を変えて形骸化させたものは例外的に受け入れられることもある。


「あっ!そうだった気を付けます!」


「よろしい。アリサカ、他の相談はなんだ?」


今のようなやり取りは現代賢者の内では比較的ありふれた光景でもあった。それを知っているアリサカは特に言及もせず話題を戻した。


「これ、何か知ってるか?」


 アリサカは麻袋の中からもう一つ、地図から剥がれ落ちた青色がかった透明性のあるシートのような物を取り出した。

 特に珍しいものを見るような目もせず、コーヒーおじさんはアリサカに差し出された青色のシートに手を伸ばした。

しかし、先にコルシーに取られてしまった。彼女はそれを透かしてアリサカ達や周りの風景を注意深く見た。


「暗記学習に持ちられる色シート?レンチキュラーレンズ……じゃないね。いや、ステンドグラスのようなものかな?それともただのプラスチックの下敷き?他に考えられるとすれば……」


「アナグリフ画を見るための青いシート」


「あぁっ、なるほど!」


 コーヒーおじさんとコルシーの鑑定を聞くだけではそれの用途がまったく分からない。

 

「それも依頼人の支給物だ。どんな意図があると思う?」


 それを聞かれると現代賢者二人はどちらも悩ましい表情を浮かべ、互いに顔を見合わせた。


「……アナグリフだと俺は思うぞ」


「そのアナグリフ、ってのは、一体?」


 アリサカにとっての問題はそこだ。道具という物は、使用方法を知らなければ価値は無いに等しい。依頼遂行に不可欠なものであるなら尚更それが何なのか知っておかねばならない。


「俺達の2つある目は鼻が間にあって、同じ物を見たとしても少し別の見え方をしているだろう。

そのおかげで物体を立体的に捉えられるし、物の距離感が認識できる。……ここまでは大丈夫か?」


「あぁ」


「アナグリフは平面を立体視する表現技法だ。例えばカップの図をアナグリフ方式で描くと、そのカップはあたかもそこにあるように飛び出して見える」


 コーヒーおじさんは焙煎の終わった豆をすり潰しながらそう語ったが、平らな図であるのにそこにあるように見える、飛び出して見えるのにそれは平らだという表しはアリサカの理解の範疇を超えていた。その様子を見かねたコルシーは別の言い表しで補足を入れる。


「一見同じような光景でも二点から見れば脳が絵を立体だと認識してしまう。そんな技術の事だよ」

 

 それでもアリサカはよく理解できなかったらしく、パン切れを一つ手に取り齧った。それもそのはず。アナグリフは3Dに用いられ、複雑な次元構造の理解が必要となる。亜人であるアリサカにとってそれはまだ理解できるほどには身近な技術ではなかった。


挿絵(By みてみん)


「まぁ、なんだ。アナグリフはシートが片方しか無いのでは意味がない。これとは別に赤色のものとかはなかったのか?」


「いや、それだけだ」


 きっぱりと答える。地図に挟んであったのは間違いなく青色のシートのみだった。夜の間に赤色のシートだけが風に飛ばされたなんて考えられない。


「だったら使用法を断言はできない。もしこれと同じような透明性のある赤色のシートが見つかったら、右目は赤色、左目は青色のシートを越して世界を見てみろ。何か発見があるかもしれない」


 この青いシートに関しては情報が少なすぎた。アリサカにもそれは伝わったらしく前の話題を投げやるように別の質問に変えた。


「わかった。ついでにこの地図も見てくれ。変な点があるかも」


 コーヒーおじさんはアリサカの出した地図を受け取って目を通すとカウンターの上に広げた。


「あぁ、ちょっと狂いがあるが、……こっちが北で、ここがこの町だ。この×印は東南域を指している」 


 コーヒーおじさんが手振りを用いりながらマーカーで地図上に城壁の町の位置と方位を書き加え説明すると、アリサカは小さな不信感を覚えた。


「印の位置が南域じゃない……?」


ノクアが言っていたのは南域に関する事だけだったというのに、何故途中の東南域をマークしたのか。不明瞭な要素が浮き出された。


「東南域といえば、もうそろそろ南下の時期だな」


「南下、って渡り鳥とかが冬になると暖かい場所に移動するあの……?亜人も越冬するんだぁ!」


 アリサカは弾かれたようにハッと我を取り戻してコルシーに相槌を打つ。


「あ、あぁそうだ。さもなくば変温性亜人は死ぬ危険もある冬眠という手段しか残されないからな」


「どうした?南下時期に受けた依頼の目的地が東南域だなんてラッキーじゃないか」


ほんの僅かの動揺でアリサカの不安は鋭く見抜かれる。


「依頼主の言葉と微妙な食い違いがあった……何かが怪しい」


「らしくないな。だったらその不安が消えるまで沢山の情報をかき集めるんだな!ここには俺達以外にも現代賢者は箒で掃くほどいるんだぞ!」

 

 粉々にしたコーヒー豆に独特の方法で湯を注ぎ入れるコーヒーおじさんはニヒルな笑みを浮かべていた。

アリサカはまたこのパターンか、といったように溜息をついた。


「そうだね。情報はあればあるほどいいよ。あ、モカありがとう。無知は罪なり、知は空虚、英知もつ者……って、甘!!えっこれっ、いつ砂糖入れました!?」


 コルシーの文句がまるで聞こえていないかのように、コーヒーおじさんは自分のコーヒーを飲んでいた。

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