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【イマジナリーフレンド】

 「そんな真剣な顔して何を見てるんだ?」

「!……びっくりさせないでよ父さん。何って宗教のドキュメンタリー番組だけど……」

「なになに?『天地の狭間 キリスト教世界の辺獄を紐解く』?なかなか渋いのを見てるな」

「ちょっと面白いなと思って」

「そうか?父さんにとって学校の宗教の授業は退屈で退屈で仕方なかったんだ。『辺獄』ってのはな、神が生まれる前に死んだ良い人や、罪を清める間もなく死んだ子供が留まる場所だな。まぁ後付けの設定さ」

「それ全部さっきやってた」

「まじかよ。近頃の教育番組はしっかりしてるな。“NEO-UU社”が運営してるなら当然か」

「……ねぇ父さん。イエスは本当に生き返ったの?“鏡歴”の前はイエスの生まれた日から年を数えてたんでしょ?」

「おいおい、万能人ですら分からないことを父さんが知ってるわけないだろ。そもそもイエスは不死身の化け物だったって話もあるくらいだぞ!はははは!」

「昨日の映画の話は聞いてないよ」

「あぁそうだ、明日は学校なんだから早く寝ろ、って母さんが言ってたぞー。怒られるぞー」

「うん。あと少しで終わるから、そうしたら寝るよ。おやすみなさい」

「おやすみ。アムス」



 陰鬱に湿った土の、落ち腐った木の葉の、滲み出された樹液の、撒き散らされた花粉の臭いが練り混ざったその空気の味は、呼吸さえ苦痛にさせた。

 加えて空が暗くなるにつれて木々の合間に在る闇は深くなり、目が効かなくなっていく。

 だが、彼女には焦りも不安もなかった。


「…ラグーナタ村だ。皆ご苦労だったな」


 木々の合間からぼうっと現れた白い建物群を見つけたメフサーが励ますように言った。

 それを聞いてヴァプラの隊員達は顔を次々に上げて先方を認識し、関を切ったように喜びの声を上げた。


「やっと着いたーーー!このジメジメとおさらばだ!曹長さん早くシャワー借りに行こう!」


「あぁ賛成だ。なんで西域よりも気温低いのにこう暑く感じるんだまったく…」


 乾燥帯に所属されていたヴァプラの隊員にとって、湿度の高い東南域は決して居心地のよい場所ではなかった。

 文字通り溜飲が下がり、表情が明るくなった。

ただ一人を除いて。


「……なんだか村の中、騒がしくないですか?」


 木々の合間から僅かに見える村を注意深く伺っていたルライラがふと呟いた。


「はっはっは、悪い冗談だルライラちゃん」


 水筒の水で喉を潤したトヤがルライラを肘で小突く。


「ほ、本当ですよ!よく見てください!もう日が落ちてるのに灯りを持った人たちが沢山います!」


 ルライラが指差した方向には、ぼんやりとしたランプの火とダイオードの光があっちへこっちへと走り回っている。


「ほんとだ。お祭りでもやってるのかな?」


 パジャの気の抜けた発言にカーザが呆れかえる。


「楽しそうな声も音楽も聞こえない。こんなつまらない祭りがあってたまるか」


「いずれにせよ何があったのか村の人に聞くのが一番早いだろう。…行ってみよう」


 木々を抜け、メフサーを先頭に隊は明かりが忙しない方へと進んだ。


「きっと何かを探しているな。こんなにも大人数で、よほど大切なものに見えるな」


 一人の“現代賢者”がこちらに気付き向かってくるや否や叫んだ。


「おいどこの子だ!?早く柱にでも縛り付けておけ!」


 現代賢者のその突拍子もない言葉と、彼に指さされたパジャとルライラに視線が集まる。  


「そういうわけだ。観念しろ」


「なんで!?まだ何もしてないのに!!」


 パジャの両腕を掴んで拘束する真似をするトヤを尻目にメフサーは現代賢者の男に素性を明かす。


「もし、我々は西域亜人軍R50ヴァプラ分隊です。この子らは我々と共に今到着した所ですが…」 


「ん?……“亜人軍”か!これはすまなかった。それはそうと子供!ここの子供達を見なかったか!?」


「子供……?」


 現代賢者の切迫詰まった表情に圧されつつ、メフサーは他の隊員に目配りするも当然皆肩をすくめた。


「いえ、一切見かけておりません」


 あの林から子供どころか他の亜人にすら会ってはいない。メフサーは身に覚えがないことをはっきりと伝えた。


「そうか、突然で申し訳ないが子供を見つけたらとっ捕まえてくれ!どこの家の子も忽然といなくなってしまった!」


 そう言い残すと男性はまた走り去って行った。


「結局何が起こってるのさ?」


「…聞くに子供の集団失踪か何かだ。必死になるわけだな。我々も捜索に当りましょう」


 呆気にとられているパジャの為に説明を加えながらカーザがメフサーに提案した。


「是非は無い。不必要な物はこの場に置いていけ。もう一度森に入って村沿いを探索する」


「まじかよぉー!やっと休めるかと思ったらこれだぁ。まったく」


「えー!シャワー借りてからからじゃ駄目!?」


 メフサーが背の装備を下ろすと同時にパジャとトヤが不満を噴出させた。


「この阿保!こんな中シャワーが借りられるわけないだろう!暗視装置はルライラとパジャが持っていたな。さっさと二手に分かれろ!」


 メフサーの一喝にトヤとパシャの抗議の意思は虚しく霧散し、二人もそそくさと最低限必要になる物品を荷物の中からよりすぐった。


「こうも人員分けが固定化してると話が早くていいっすね」


 パジャが皮肉ったように、メフサーの傍にはルライラとパジャが集まり、必然的にカーザとトヤのチームができ上がる。


「何が言いたい?」


「たまには俺もルライラちゃんや曹長と組みたいなぁ、とね?」


 露骨に苛立った言い方をするカーザにトヤがぼやいた。


「遊びでやってるんじゃないんだぞ。この組み合わせが最もニッチが埋まる。俺と組むのが嫌なら貴様は荷物番だ」


「はいはい。分かってますよー。曹長、何か事があったら呼んでくださいね」


 トヤとカーザの二人は言い争いながら再び林の中に足を踏み込んで行った。


「私たちも行こうか。サーマルを点けるんだ」


 ルライラは首尾よく返事をすると、捩りやボタンの沢山ついたゴーグル状の機器を目に取り付けた。 

 ゴーグルを介したルライラの視界は明暗のはっきりした青色の世界になる。


「正常に作動してます」


「よし。ルライラ上等兵を真ん中に間隔3mで会話は無線機を通す」


「私が真ん中ですか?!」


 ルライラが仰天したのは、こういった3人行動の際は普段メフサーが中核を担っていたからである。


「この暗闇で目が利くのはお前だけだ。捜索と同時に私達二人が逸れないように気を配って欲しい」


「わ、分かりました!」


 返事はしたものの、ルライラの顔には緊張が浮き出ていた。


「できなくても72つある亜人軍の隊が1つなくなるだけだ。じゃあ出発」


 3人も森に再度踏み入った。もう森の中は完全に病みに覆われて当然足元もよく見えず、うかうかすれば枝に頭をぶつけてしまいそうになる。

 夜の森は危険すぎる。ライトに照らされなければ自分の手さえ視認できない。それこそ捜索隊が遭難者になってしまうほどに、危険すぎる事だ。

 ルライラは頻りにメフサーとパジャの位置を確認し、軌道が逸れかければすぐに無線で間隔を保たせた。

 そんな状態であるからして、少なくともルライラにとっては捜索に集中できるはずもなかったが、サーマルは青い視界にはメフサーでもパジャでもない黄色い人型が前方にはっきりと浮かび上がらせた。

 絶え絶えの息も忘れ、ルライラは無線の一斉通信ボタンに急いで手を伸ばし叫ぶ。 


「11時の方向から距離32m!誰かこっちに向かって来ます!」


「こっちはまだ見えない。数は?」


 すぐさまメフサーの声が無線機に返ってきた。

 暗視装置のねじりを調節し、周りに他の影がない事を確認。続いて黄色い人影を拡大し目を凝らす。


「一人…いや、二人です。爬虫亜人と子供です」


 シルエットが重なって判別の付け難いが、確かに二人。体温の高さに因る黄色い影の濃淡がはっきりとそれを示していた。


「爬虫亜人?現代賢者の村なのになんでいるの?」


 パジャが抱いた疑問に、メフサーも慎重な詮索を入れる。


「子供の種族は?」


「ホメオスタシス≪恒温≫反応と、羽毛らしきものは認識できず、ヒトか哺乳亜人です」


「変だな……」


 メフサーはルライラの報告を受けてさらに眉をひそめた。


「『人間』が『人間の子』を連れているのは理解に易いが、このような混乱した状況で何故『爬虫亜人』が『人間の子』と一緒にいる?」


 その亜人が子供の集団失踪の犯人だという可能性も捨てきれない。

むしろメフサーはそう仮定してルライラとパジャを指揮する。


「…予想進路上にcobweb陣形で潜伏しつつ待機しろ。奴が騒ぎの発端か、はたまた犠牲者か、私が確かめる。ルライラ上等兵は位置の微調整を」


 三人でとり囲む陣形から接触を試みる。これなら相手が逃亡するような素性の者でも対応が効く。

 閑散とした森の中、草をかき分ける足音が近づいてくる。

進路はぴったり、潜んでいる三人の真ん中。

 真っ暗闇の森の中で対象の足音だけを頼りにタイミングを見計らう。

 一歩、あと一歩で対象が通り過ぎる。

 メフサーは木の幹から亡霊のように気配を消し、弾倉の入っていないMetloceをガンホルダーから抜き去って目前の後頭部に押し当てた。


「動くな」


 その者は身長はメフサーとそう大差はなく、痩せて細長い男性の体躯をしていた。髪も手入れされていないどころか、もう何年も切っていないように見える。

上半身は複数の首飾りのみを身に着け、腰には亜人の民族衣装を纏っていた。

 男の肩に担がれて手足を力なくぶら下げている子供は髪や衣類共に対照的に清潔感があった。

子供は明らかに現代賢者の子、人間だ。


「動かずに答えろ。その子供をどこに連れて行くつもりだ?」


 ルライラとパジャは息を呑んで暗闇の奥を見守る。


「…丘」


 男がボソリと口にした。


「何だと?」


 メフサーの聞き返す隙を見抜いたか、男の見開かれた目がギョロリと振り返る。同時に男は身体も反転させた。 

 メフサーが鋭い上段蹴りを目鼻に掠めて避けるも、放たれた脚の裏から、何かが風を切りながら迫り来ていた。


「野郎……!」


 辺りの草木を音を立てながら弾け飛ばし来る黒い何かを、メフサーはとっさに肩当てで受けて弾いた。

 至近距離で巨大な銅鐸を鳴らされたかのような重い震盪が肩から頭へ、足の爪先へと駆け抜ける。

 痺れが走る右手で胸元ポーチの弾倉を取り出しMetloceに装填し、安全装置を解除する。


「やはり生き残っていたか……!六種限派!」


 男の口元を覆う布には、Y字を組み合わせたようなマークの周りに3つの赤い丸。

 10年前、東域を戦火で覆った六種限主義が掲げていた記号がそこに確かにあった。


「その服、その紋、久しいな亜人の軍兵よ」


 男の低くしわがれた声が夜の森に染み渡った。


「よくものこのこと現代賢者の村に近寄れたな……!自首しにでも来たのか?」


「挨拶だ。元あるべき南極を取り戻す準備が整った……。我等六種限による災禍の元凶現代賢者共を南極から打ち払う闘争の準備が」


 その聞き捨てならない内容にメフサーが強く反論する。


「聞いて呆れるな!貴様らの起こした戦争、殺戮、略奪行為がこそが災いだ!」


「目的に辿り着くまでには……!幾分かの犠牲が必ず出る。痛ましき血は流れる。これまでも、これからもだ。しかし、それ以上の結果がそこにあるのならば我等は耐える。いや耐えねばならない。ヒトという未曾有の脅威に我等亜人と竜は結託するのだ。その日は近い。その時は来る。……その展望は見えている」


 男は一片の感情も表さず黙々と、淡々と演説した。メフサーのMetloceを握る手が強まる。


「……貴様ような物狂いは殺してしまっても構わないと言われている!無論、私もそれに微塵も抵抗は無い!」


 メフサーはMetloceの標準を男の脳天に力強く合わせた。


「少し遊んでやろう。お前に会えたことによって手間が省けた」


 ぼさぼさの髪に被さる目の瞼が弓なりの下劣な笑みを浮かべ、男は担いでいた子供をその場に捨て下ろした。

 それと同時に、メフサーは躊躇なく引き金を引き絞った。

紙切れのように軽い引き金を何度も、何度も。

銃口から漏れる一瞬の火薬の光が雷のように森を照らす。

銃声が響き終わる前に、空になった弾倉と新しい弾倉を入れ替えてはまた撃つ。撃つ。

あっという間に二つ目の弾倉が空になると、メフサーは次の弾倉ではなく無線の全員発信ボタンを押した。

男はメフサーの方へ悠々と近づいてきていた。



「そこの白いお兄さん止まってー。うわっ、どうしたのその怪我」


「何なんだお前ら。人の姿見るなり哀れみやがって、退けよ」


 トヤとカーザの二人は、村外れの林からおぼつかない足取りで出てきた亜人に声をかけていた。


「亜人軍だ、名前と所属を言え。その怪我はどうした?その背負っている子は?」


「うわ、本当に来たのか……名はアリサカだ。蒐集亜人。この村に“願い”を使う亜人がいる。ガキ共の様子が変なのもそいつのせいで、狙いはこいつだ。まだ追ってきてるかもしれねぇ。だから急いでんだ」


「……後半の話、本当か?」


 カーザが懐疑するのも仕方がない。“願い”絡みの事態はそうそう前例も無く、一般ではおとぎ話のなかにしか存在しないと考えられているからだ。

「とっさに考えて出る嘘じゃない」

 アリサカはきっぱりと言い放った。


「となると……その子は要人になるわけっすねぇ?」


「まぁ、そうだな」


 トヤは1人しめしめといったような顔をしてアリサカに宣言した。 


「谷底の焚き火、だ。俺達もその子が無事帰りつけるよう警備しよう!何処の子だい?」


「また明確な裏も取らずにお前は……」


 むしろ警備したそうな面立ちのトヤに、アリサカは不本意ながらも承諾した。


「……そうだな、セレラってやつの家まで頼む」


「「セレラ?」」


 その名を聞いて、カーザとトヤの同じ言葉が同時に発せられた。


「あの人子供いたのか!?嘘だろ!?」


「初耳だぞ!しかしセレラさんと髪の色や目元がそっくりな気がするな」


 2人ともアリサカに担がれたアムスに近寄り興味深く観察を始めた。


「ベタベタ触んな!急いでるって言ってんだろ!あと子供じゃなくて従姉弟だ!」


 アリサカは2人を押しのけて、未だにざわついている村の中を目の当たりにしながら進んだ。

 狂ったような子供達に襲い掛かられて負傷する現代賢者や、連れ戻されても正気を取り戻していない子供達が荒縄で縛り付けられて飼われる犬の様に杭や鉄柱に繋げられている情景は昼間ののどかな村の様子とは全く相対す情景だった。


「ここまで悲惨な事になるとは……、親と子が戦争やってるみたいだぜ」


 アリサカはここであの亜人の幼い少女が全員といっていいほどの村の子供を動員していたこと、そしてまだアムスを諦めていないことを確信した。


「なんでも子供と言う子供が一度に出ていったなんて話だ。南極の外では似たような事件もあったみたいだが、こんな現象は俺ら亜人の内じゃ聞いたこともない。……歩きが鈍ってるぞ。急いでいるんじゃなかったか?」


 呆気に取られているアリサカにカーザは言った。


「掘り返すようで悪いんだけど、この騒動がその“願い”によるモンだっていうお兄さんの話も眉唾ものだな。なんていうか、非科学的だ。まだ集団ヒステリーとか、そういう類の方が信じられる」


 トヤはにやけ顔でそうアリサカに詰め寄った。


「…馬鹿言ってんじゃねぇ。俺は普通の亜人よりも“願い”に理解がある。あれは間違いなく“願い”だ。ガキ自身もそう明かしていたしな」


 それを聞いた2人は思わず片唾を呑んだ。たった1人の子供でも現代賢者達の村をも混乱につき落とすことができる“願い”という力に。

 もし、強い思想を持つ者…、例えば今回探している六種限派残党の中に“願い”を持っている者がいたら?現代賢者も想定していない“願い”を組み込んだ戦術を展開して来たら?

 間違いなく六種限戦争よりも大規模な戦争になる。最悪の場合、亜人軍も現代賢者も六種限派に敗れる事態にもなりかねない。

 カーザとトヤは示唆される可能性に戦慄した。


「たった一人の子供でもこれほどの事態を、か……。伝記で聞いたのはもっとフワフワしたものだったんだがな」


「この地獄絵図を子供に聞かせろと?冗談キツいな。。南極の安全を守る名目を持っているあんたら亜人軍なら、その内対応しなきゃいけなくなるかもしれないぜ?」


 アリサカは一軒の家の扉の前で足を止めた。


「セレラ!開けろ!手ぇ塞がってんだよ!」


 アリサカが扉を数回蹴ると、すぐさま扉は開け放たれた。

「帰ってきた!!遅かったじゃないもおぉーーーー!!!とっくにご飯できて…わぁ、どんな遊び方したらそんなボロボロになれるのかな?」

 落ち着きの無い外に反し、セレラはさぞ機嫌よくアリサカ達を迎え入れた。

 テーブルクロスや並べられたワイングラスが、まるでセレラの家だけを平和な日常で装飾しているようで何処となく不気味にさえ感じた。

「…お前さ、外の騒ぎとか気にならなかったのか?」

 アリサカがセレラを危ぶみながら尋ねるも、彼女は訳なく答えた。

「別に?私は子供いないし、アムス君はあんたに任せてたし、ご飯作って待っておくのが良いかなと。あ、2人とも久しぶりね。3年ぶりくらいかな?」

「ど、どうも…」

 呆れかえったアリサカにセレラは楽々と説明し、トヤとカーザにウィンクで挨拶した。

「まぁ、家にいなかったら困っていた。でもな、外の騒ぎはアムスを狙って起こされてるんだぞ」

「え?てかアムス君どうしたの!?」

 眠っているとでも思っていたのか、セレラは今頃になってアムスの様子が変だという事に感付いた。

「動機は分からねぇが…亜人のガキが村の子供全員を差し向けるほどこいつを欲しがっていて、更には血を吸われてこのザマよ」

 アリサカは部屋に上がり込み、ベッドにアムスを下ろし寝かせた。

「全員上がって扉と窓に鍵を掛けて。…息切れ、血色も良くない。失血性貧血の症状ね」

 アムスの首元や額に触れて状態を確認するセレラの目に真剣さが宿った。 


「この程度なら休ませれば大丈夫。私にはむしろそっちほうが重症に見えるけど」


 セレラはアリサカの背後に視線を落とした。


「これか?鎮痛剤が無かったら自切してたところだ」


 アリサカの白い尾は所々鱗が剥がされたり、赤黒い痣がパターに診てもらった部分を中心に広がっていた。


「にしてもこれ、遊びでできる怪我のレベルを超えてるよね?」


「そりゃそうだ。あの亜人のガキは“願い”を使えてた。猛獣とじゃれるようなものだ」

「“願い”…?ってなによ?」

 セレラの耳慣れなさそうな表情にアリサカは説明した。

「人の強い思いによって現れる現象だ。時にはこうして、条件さえ揃えば他の人間を巻き込むことだってできるが、元が“晴竜”の力だからそれを使える奴は本当に限られている」

「……詳しいのね。じゃあその子の“願い”はどういった作用したのか、知ってる限りでいい。教えて」

 「まず、村の子供はあいつにとって都合良く動く駒になっちまっている。アムスを連れ去ったときは俺の足止めをして、アムスが取り返された時は村の入り口で待ち伏せていた。それに“願い”が強まるほど操っている子供の力も強くなっていると思う」

 セレラはアリサカの話をもとにじっくりと知識に補完させているようだった。

「逆説的に大人は操られないというわけ?」

「子供しかいなかった、多分そうだろう。他は?」

「もう結構。その“願い”とやらが精神心理からくるものなら完全に私の分野、それ自体はすぐにでも止められる」

「じゃあ俺の役目は終わりだ」

「何言ってんの?それは違う。『私の目が無い時にアムス君を守ること』があなたの任務でしょ?まだ頑張ってもらうよ」

 アリサカはジワリと嫌な予感を背筋から感じた。

「まだ何かさせるつもりか?」

「それは向こうで話しましょう」

 セレラはアムスの頭を一度撫でると、広部屋に戻った。

「伍長…これはヤバいことになりましたね」

「あぁ、あいつらは無事だろうか…」

 急にヴァプラ分隊の2人の落ち着きがなくなっていた。なにやら小さな声で相談していたカーザはセレラが広部屋に戻ってくると事を伝えた。

「セレラさん。我々はこれにて失礼します」

「忙しそうね。お茶1杯でも飲んでいけばいいのに」

「お気遣い感謝します。しかし曹長側に只ならぬ異変があったようなので…」

「詳しく」

 椅子にどかっと座り、セレラは言った

「まだ我々も把握しきれていないのですが…曹長から今さっき全員発信の無線が入ったのです。『絶対に出るな、今の状態じゃ奴に勝てない』と」

 セレラは人差し指で前髪をくるくると巻き弄ってそれを聞いた。

「肝心な事は何も言ってないじゃないの」

「そうです。だから救出に向かうべきかと……」

 セレラはカーザの言葉をそこまで聞いて遮った。

「不許可!私がメフサーちゃんを助けに行くからあなた達は全員でアムス君の護衛をして。そのままアムス君の血を吸った亜人に会いに行ってくるよ。場所の目星もついてる」

「しかし、曹長はセレラさんに任せたとしても、まだ曹長と同行していた2人の新兵がいます。安否の確認はできましたが曹長と逸れた状態に置かれています」 

「あぁ、じゃあさっきの無線はその子達に向けたものだったんでしょうね。じゃあそれもここの護衛隊に吸収だ。無線機貸して」

 セレラはトヤから無線機を奪うと、ルライラとパジャに発信するボタンを押してマイクを口元に引き寄せた。

「こちらラグーナタ村の現代賢者セレラ・レダン。ヴァプラの新米兵士諸君、多忙な隊長に替わり私が命を下す。チョークで蝶が沢山落書きされている家に到達しカーザ伍長、トヤ兵長と合流、要人の護衛を行いなさい。繰り返す……。以上」

「随分と事を仕切ってるが、ちゃんと算段はあるんだろうな?」

 無線機を取り外すセレラにアリサカが聞いた。

「勿論。この事態を私達だけで鎮めるために、作戦を立てた」


 森の中に銃声と閃光はもうどこにもなく、元の静寂が辺りを包んでいた。

「どうした軍兵?俺を殺すと言っていたのは虚妄か」

 銃弾が弾かれている。生身の人体だというのに。

「冗談じゃないぞ……!確かに命中させていたはずなのに、それらしい素振りがまるで無い……」

 Metloceは小口径で威力も低いが、最低限人を殺す程度の威力は持っている。それはメフサーが一番よく知っている。

 あり得ない、なにか裏があるはずとメフサーは自分を叱咤した。

 肝心の戦闘に役立つ装備はおろか、愛銃のStG-44まで村の中に置いてきてしまった。

 持ち物は弾倉が残り一つとなったMetloce、ナイフ、タクティカルライトのみ。

「悪手になってくれるなよ…」

 男は静かな森の中、メフサーに挑発的な言葉を投げかけ続けている。

「来い六種限派のクソ野郎!もう逃げも隠れもしない!これで終いにしようじゃないか!」

 メフサーはそう叫ぶと、音を立てないように急いで背後の木に登った。

「そこにいるのだな?軍人にしては覚悟の決まりが遅いのではないか?」

 メフサーは男を思い通りに木の根元に誘い込めたことを確認すると、Metloceに挿さりっぱなしだった空の弾倉を地面へ放り投げた。

 男の目線が条件反射的に下を向き、首筋の範囲が上からより見えるようになる。それを逃さず、メフサーは男めがけて木から飛び降り、同時にライトの強烈な光を照らしつけた。

 重力と己の体重を全て乗せたナイフを首の脛骨の合間めがけて突き立てる。

 もらった。メフサーのその確信に反し、刃は男の首に届く前に遮られた。

 この距離になってメフサーはやっと視認した。男の肘や手首と言った関節部や背骨から棒状の物体無数に生えていた。

「棘……!?」

 研ぎ澄まされたナイフは棘に対して突き刺さりはしたものの、両断までには至らず刃を咥え込んでいた。

「惜しかったな。俺の骨の一部はネズミの歯の様に伸び続ける体質なのだ。筋肉から独立し、皮膚を突き破りながら成長を続ける。同じ爬虫亜人であるが、お前らとは少し違った進化をした偏向種だ」

 爬虫亜人の亜種。生存競争によって減少し、その具体的な人数は誰も把握しきれていない。

「それで銃弾を…」

「いいのか?そんなに隙を見せて」

 腹をメフサーを蹴り飛ばした。

 ナイフを突き立てていたメフサーの腕を掴むとぐるりとその場で回転し、遠心力のかかった尾の先をメフサーの脇腹に叩きつけた。

 暗い視界に光がチラつき、歪んで、身体が宙に吹っ飛んだ。

 追いやられた臓器が元の位置に戻る、言葉通り身を千切られるような痛みに、もはや指を動かすこともできない。

 腐葉土の上でうずくまるメフサーに男が歩み寄ってくる。

 男はメフサーの右肩に縫い付けられている部隊腕章に目を止め、手を伸ばす。

 すると何かが男の腕を掠めて通り抜けて、その先にあった樹木を貫き倒した。

「チュパカブラか?ビッグフットか?はたまたフラットウッズモンスターか?…なんでもいいけどその汚い手で彼女に触るなよ。消えろ。次は外してやらない」

 暗闇の奥から誰かの声が聞こえた。メフサーにとって聞き覚えのある声だった。 

「時間切れのようだな。我々の存在と目標は明かした。探し出せるものなら探してみろ。止められるものなら止めてみろ。貴様も竜と和解するその時の、現代賢者を打ち倒すその時の奇跡の当事者となるがいい。俺の名はボォレッヘ。……また会おうメフサー曹長」

男は腕を引っ込めてばつが悪そうにそう言い暗闇の中へ消えていった。

 替わるように声の主がメフサーの元に駆け寄る。

「よし、死んではいないね。メフサーちゃんこんなとこで寝てたら臭くなるよ?起きなさーい」

「セレラさん……ですか?」

 脈打つ激痛を耐え、メフサーはどうにか声を捻り出した

「私じゃないなら他に誰がいるの。どこか痛い所はある?」

「右の腹側面……。痛っ!」

 セレラはメフサーの弾倉などを収納するベストの下に手を入れ、痛みの箇所を調べた。

「骨ヒビ入ってるかもだけど折れてはいない。さっきの奴は何者?」

「……六種限派の残党です。今再び現代賢者に対し戦争を起こす。準備はもうできている、……と言っていました」

「え、マジ!?殺しときゃよかった……。これルワゲンの爺さんが聞いたら笑い死にそう。いや、今はいい!私は今から子供操り事件の元凶の止めに行く!あなたも来なさい!あと他の隊員は私の家に集まってもらったから大丈夫よ。もう歩ける?」

「い、何時の間に……」

 メフサーはセレラの肩を借りてふらつきながらも立ち上がった。

「話せば長くなる。ていうか話してる暇無いから早く!」

「相変わらずですね…セレラさん」

 セラレの変わらない支離滅裂さを見て、メフサーは少し痛みが和らいだ気がした。

 

 電気を消し、カーテンを閉め切り、家の中には淡い蝋燭の火の光だけがあった。

「わざわざ西域からご苦労なことだな。南域の亜人軍に頼めばいいものを」

 アリサカは鶏肉が沢山入ったトマトスープにパンを浸して口に放り込む。

「それがそうともいかないんだよねぇ。この時期、南に来る生物が増えてこの辺に駐留してる分隊はそれで手一杯なんだよ。で、暇持て余してる俺らに任務が与えられたってわけよ」

 トヤは自分で作った見栄えの良くない料理を食べながら笑いながら言った。

「トヤ兵長、交代だ」

 ベランダで見張りを終えたカーザが広部屋に戻ってきた。

「もうっすか?了解ー」

 カーザは席を立ったトヤを呼び止めて見るに堪えない料理の皿をテーブルから持って行かせ、コップに水を注ぎ持ち椅子に腰かけた。

「お前は何か作ったりしないのか?キッチンは電気を点けても問題なさそうだが」

「あいつ程でもないが得意じゃない」

 好奇心から訊ねられたアリサカの質問にカーザは仏教面で答えた。

「それに次期に料理のできる部下がここに着く」

 興味が覚めたか、アリサカは適当な相槌を打って口に鶏肉を詰め込んだ。

 しばらく沈黙が続いた後、ベランダのトヤが頭だけこちらに見せて叫んだ。

「子供が2名分のヘテロスタシス反応!パジャとルライラちゃんが来た!カーザ伍長はセレラさんに連絡を!」

「待った甲斐があった」

 カーザはそう言うと深く息を吐き、セレラが持っているトヤの無線機に発信した。

「残りの隊員2名が到着。L.O.C.Aミッション開始まで待機する」


 メフサーとセレラは村の北側を囲む林の中に建つ古めかしい屋敷の前に立っていた。

 屋敷の周りには石畳が敷かれ、木の茂る葉の無い夜空にはコウモリの群れが飛んでいる。

「やっぱりここだろうなぁ。アムス君を取り戻したって場所もここから近いし、ここ意外に人が住む場所なんてないし」

「こんな薄気味悪い場所に住むなんて考えられませんね」

 メフサーはコウモリのびっしり留まった窓辺やテラスを見て呟いた。

「『住めば都』って知ってる?凍土や崖に暮らす人だってこの世にはいる。この大陸じゃ訳が違うのかもしれないけどね」

「そうですね。凍土にも崖にも天敵がいるので。……中に入らないのですか?」

「待ってる」

 さっきからずっと不気味な屋敷の前で突っ立っているだけのセレラに、メフサーはしびれを切らしていたが、セレラからの返事は変わらなかった。

「そういえば…ルライラとパジャは無事逃げられたのでしょうか?」

「無事とは聞いたけどそれ以上は知らない。でもその新人には重要な役割を持たせてある」

「え……どういう意味ですか?」

 事も無げにした質問対する意味ありげな答えを追求する暇もなく、セレラは屋敷の入口へと急に歩きだした。

「噂をすれば合流できたみたいだよ。……OK。L.O.A.C作戦を発動する」

 村中の警報機が鳴り響き、それを聞いた者の注目を集めた。

《アムスはセレラ・レダンの家にいる。繰り返す。アムスはセレラ・レダンの家にいる》

 警報機からは録音されたセレラの声が流れていた。村中の外にまで届くような大音量だ。

 少しの間を置いて更なる情報が警報機からリークされる。

≪ハーメルンの子らの目的はアムス・レダン。繰り返す。ハーメルンの子らの目的はアムス・レダン≫

「これは一体…?」

「良い子をお家に返すおまじない!急ぐよ!タイマーは動き始めた!」

 石畳から階段を登り上がり、屋敷の正面入り口であろう大きなフレンチドアをこじ開けた。

「中は外以上に真っ暗ときた」

 セレラは二つ持ってきていたライトを点け、一つをメフサーに投げ渡した。

 玄関口をライトで照らすと巨獣の頭骨や輝く鉱石の豪勢な装飾が多く飾られていることが見て取れた。

「これが亜人の家とは……しかしこの雰囲気、何か引っかかる」

 黒色と赤色を基調としたこの空間に、何らかの既視感をメフサーは感じられずにいられなかった。

「ここの村は元は亜人達の村だったらしいよ。現代賢者戦争でやられちゃったみたいだけど、ここだけはひっそり生き延びてたみたいね」

「セレラさん達は把握していなかったんですか?」

「知ってはいたよ。でも、それがひっそりと在るなら、無理やり日の元に曝すのは野暮だよ」

 そういうものですか、とメフサーは自分の中で無理やり納得付け、次に進む場所を探した。

「にしてもなかなかに広そうですが……どこから当たるのですか」

 左右は長い廊下になってびっしりと扉が覆い、中央に構える階段を登った後にも大小の扉が幾つもある。

「こういう場所はね、まんま扉の大きい部屋がリビングとか客間とか主要な場所につながってるものだよ!」

 セレラはこの部屋から見える一番巨大で派手な扉のドアノブを鷲掴みにして一気に開け放った。また広い部屋。その次も、また次も。セレラが臆する事無く次々に大きめの扉を開けては進むものだからそのうちばったりと目的の部屋に行き当たった。

 奥行きの広い部屋に燭台の並んだ長い机、一番奥の豪華な椅子に痩せこけた老人が深く座っており、その脇の席にはシェルムエーレの姿があった。

「当たり」

 裏地が赤色の短いマント、胸元に青い宝石、シェルムエーレとよく似た装飾を身に着けている老人は、突然現れたセレラ達に驚いてはいなかった。むしろ待っていたらしい。

「おや、どんな輩が来るかと思えば、壮麗なな御仁達ではないですか。ようこそ、私はこの屋敷の主であるアラドレでございます。こちらは私が娘のシェルムエーレ。お見知りおきを」

 アラドレと名乗る老人は持っていたナイフとフォークを置き、自分と娘を紹介した。

「これはこれは…丁寧な挨拶をどうも。私はセレラ・レダン。こちらは亜人軍分隊長のメフサーですわ。急な訪問に非礼を痛感します。けれども、どうしても言及したいものが、そちらの娘さんにありましてね」

「シェーレに?良いのですよ。この館にお客様がいらっしゃることなんて滅多にありませんので。勝手ながらあなたがたの夕食も用意させてもらっています。どうぞ、お座りになってください。話を聞きます」

 暗くて正確な数は分からないが、アラドレとシェルムエーレが食べている料理と同じ物が机の端の席にまで置かれている。

「お気遣い感謝しますわ」

 セレラはアラドレの真正面となる長机の端の中央に座ると、まだ暖かい料理に目を落とした。

「毒が入っているかもしれません。…ってセレラさん!?」

 メフサーの危惧も聞かず、セレラは躊躇なくアラドレが準備した料理を口に運んだ。

「…いや、それらしい臭いも痕跡も無い。高度な無味無臭毒を持ってるとも考えにくい。あなたも座りなさい。私達は争いにきたんじゃあない、『いまのところは』ね。あっ、ただ火の通りが少し強いんじゃないかな」

 料理を咀嚼しながらセレラが小声で伝えた。

 口に含んだ物を喉へ送り出すと、セレラはシェルムエーレを見据え、話を切り出した。

「早速ですけど本題に入らせていただきますわ。私には親愛なる従姉弟がいましてね、その彼がアラドレ伯、あなたの娘に首のファーストキスを奪われて体調も悪くしてる。シェルムエーレちゃん、一体なにがあった説明を求めるわ」

 名を呼ばれたシェルムエーレはビクッと身じろぎ、アラドレの食事の手を止まらせた。メフサーもセレラの言っていることに唖然として恐る恐る持ったフォークを落としそうになる。

「本当なのかな?シェーレ」

 俯いて押し黙っているシェルムエーレにアラドレは優しく尋ねた。

「……うん」

 消え入りそうな声でシェルムエーレは頷いた。だがそれ以上は続かない。

「申し訳ないセレラ・レダン殿。先ずこれだけは理解してもらえないでしょうか。私達は『血を欲する』渇望を連綿と受け継いできたらしいのです。しかし…」

 突然無線機から声が発せられた。潜入時などに使われる不通知の通信だ。

《スパナ2本》

 カーザの声でそれだけを発し、無線は切れた。

「…からして、生きる為に必要というわけではない。一種の儀礼としてしか、それも相手の承諾がなければ吸血は行ってはならない、という教えも受け継いでおります」

 アラドレの話をセレラは淡々と料理を味わいながら聞いていた。

 セレラも分隊の無線機を付けているので今の誤送信にも思える無線を聞いていたはずである。なのに何の動きもない。

 他の隊員がどうなっているのかまったく状況の飲み込めないまま話は進んでいく。

「もちろん私の娘も、その決まりは守っていたはずです。本日までではありますが……」

「……『ヴァンピズム』または、『レンフィールド症候群』。そういった吸血願望を私達はそう呼んでいますよ。これは何千何万人の確立で現れる特異体質ですが、受け継がれる体質としてまで定着したであらば、あなた達は似通った者と血を紡いできたのではないですか?」

「然り。私たちの先祖……いや、吸血を行う者達はあらゆる方法でお互いを探し、出会ってきたのです。時には魚亜人を通して海を越えあなたの世界にも赴いていたと伝わっております」

 セレラの指摘にアラドレが肯定する。

 それ聞いたメフサーは抱いていた既視感の正体を知る。コウモリや薄暗い室内、豪勢だが恐ろし気のある屋敷、アラドレとシェルムエーレの貴族のような洋服、昔聞いた吸血鬼のイメージと恐ろしい程に一致している。

 今日は変わった奴らによく会うな。メフサーがそう困憊するなか、またも不通知で無線機から声が発せられた。

《ナットが25つ。スパナを18本確認。両方まだ増えます》

 まただ。一体何のことだろう。気になって思わずメフサーは無線機に手を伸ばそうとしたが、手をセレラに掴まれた。

「メフサーちゃん。ナイフは押し切るんじゃなくて、こうやって肉の繊維を断つように切るの。分かった?」

 セレラはそれをテーブルマナーを注意する形で止め、目で訴えかけた。

「アラドレ伯、あなた方の特質は分かりました。それが分かった今、培ってきたあなた方の特別な行為である吸血をシェルムエーレちゃんはなぜ初対面の子に行ったのか、もう一度問いたい」

 セレラが長い髪を耳にかけるふりをして会話の内の一部分だけ、『分かりました』と『ま、つ』を言葉としてを無線に流したのをメフサーは見逃さなかった。

 さっきのは何かの暗号だ。秘密裏に作戦が着々と進んでいる証拠だった。

「そればかりは私にも見当がつきません。シェーレ、今日あったことを話してくれるかな?」

「やだ!!!」

 シェルムエーレはアラドレに激しく反発した。不器用に握られたフォークがガタガタと震えている。

「今日会って仲良くもない子に『血ちょうだい♥』って言われても普通は断わる。それにアムス君だから尚更ね…。シェルムエーレちゃん、あなたは相手の許可を得なければならない決まりを破ったことになるけど?」

 不満そうな表情で睨みつけるシェルムエーレをセレラは反対にニヤつきながら追求した。

「お姉さんには関係ないでしょ!もう出ていってよ!」

「これっ、客人にそんな無礼なことを言っちゃいけない」

 顔を真っ赤にさせて喚き声を上げるシェルムエーレを諫めるアラドレの口元は何故か笑っている。

「父君様もどうして見てるだけなの!?」

 また無線機に通信が入った。

《ニッパーを要請する》

 とだけ声は聞こえた。

「分かった分かった。じゃあもう帰るとしようかな」

 もう何もない食器にナイフとフォークを置き、両手を広げた。

「…え?」

 予想に反してあっさりと引き下がろうとするセレラに、シェルムエーレは目が点になった。

「その代わり一つ、賭け事をしましょう?その秘密の約束とやら、私はアムス君から聞き出す。聞き出せたら私の勝ち。秘密が明かされなかったらあなたの勝ち。単純ね」

「……それでいいよ。彼は守ってくれるわ。秘密の約束だもの……!私が勝ったら、お姉さんはもう私とアムスに口出ししないで!父君様の家にも来ないで!」

 シェルムエーレはセレラに一歩も引かずに凄んだ。

「決まりね。じゃあ私が勝ったら……アムス君にはもう関わらないでもらおうかしらね。血がいくらあっても足りないわ」

 セレラは入ってきた扉に手をかけたところで、何か思い出したかのような素振りを見せてシェルムエーレへと振り返った。

「あ!最後にこれだけ。……果たしてあなたはどれだけ彼の事を知っているのかしら?私はアムス君の大好きなモノも、大嫌いなモノも知っている。実はこの賭け、『既に勝ち負けが決まっている』の。悪いわね」

「な…ずるいよ!なにする気!?」

 セレラの最後の言葉で、強がっていたシェルムエーレの表情が凍りつく。

「ラグーナタ伯、御馳走をどうもありがとう。私等はこれにて失礼いたしますわ」 

で口を拭くとセレラは去り際に笑い声を上げるアラドレに一礼した。

「こちらこそ真に愉快なひと時をありがとう。是非またお会いしたいものです。セレラ・レダン殿」

 アラドレは娘が見事なまでにセレラの手玉に取られた事が可笑しくて可笑しくて悦ばしい顔で退室するセレラ達を見送った。

「えぇ。『またお邪魔しますわ』」

 シェルムエーレはセレラが去ると、半分も食べられてない料理を残して自分の部屋に駆け出した。 

 セレラの言っていたあの言葉が頭の中から離れない。

 巨大な焦りが、不安が、恐怖が。心に金属に錆びがつくように覆ってきていることは自分にも分かっている。なのに、止めることができない。振り払うことができない。

 嫌だ どうしてこんな 嫌だ      嫌だ嫌だ    負けたくない

 苦しい     嫌だ嫌だ    嫌だ 痛い     どうしよう       嫌 だ嫌だ

 嫌だ          負けたくない              痛い 嫌だ

負けたく      嫌だ    嫌だ      痛い  嫌       苦しいよ   負けたくな

   嫌だ嫌だ          嫌だ嫌だ 気持ち悪い   嫌だ苦し    嫌だ 

 負け 痛い    嫌だ    どうしよう                助けて    嫌だ  

    どうしよう  嫌だ 苦しい      嫌だ嫌だ 気持ち悪い   嫌だ

  嫌だ    助け      嫌だ嫌だ  負  嫌だ       しい    嫌だ苦しい 

    嫌   だ     苦しい      負けた  嫌だ嫌だ嫌     嫌だ     助 

嫌だ   負ける   嫌苦しい    嫌だ     嫌だ    負ける 嫌だ         苦しい

嫌だ     どうしよう痛い 嫌だ    どうし 嫌 負ける  助けて    嫌 嫌だ  負

  気持ち悪い  負ける  嫌だ嫌だ  苦しい    助けて    嫌だ  嫌      どうしよう

負ける 助けて苦しい嫌だ   嫌だ嫌  負ける 嫌だ 負ける 痛い苦負 る嫌だ負け負 る負け


負ける負ける負ける負ける負ける負ける負ける負ける負ける負ける負ける負ける負ける負ける負ける負

…………

………

……

 




《“願い”現象の消滅を確認!子供達が正気に戻っていきます》

「アムス君は?」

《無事です》

「L.O.A.C作戦終了を宣言。はいおつかれ」

 軋むような音と共に、屋敷のフレンチドアが閉じられた。

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