【人類の時代】
21世紀の初頭、とある化学学者がジュラ紀や白亜紀を『恐竜の時代』と表すように、人類の生きているこの現世を「アントロポセン(Anthropocene)」という造語で表した。
恐竜達の存在を我々が認知できたのは、彼らの生きた証が地層というタイムカプセルに保管されていたからに他ならない。
いわゆる「化石」として掘り出された生物の骨、足跡、卵といったものからは存在だけでなく、その時代の情報を得ることができる。
「この生物は季節が変われば群れで大移動を始める」「この生物は水辺に棲んで魚を食べていた」といった具合に、化石の存在は発見者に確たる想像のヒントをもたらした。
人類の時代もこのタイムカプセルに保管されることになるのだろう。
いったい何が残るだろうか?
我々が滅び去った後、この時代の存在を知った者は何を思うだろうか?
身の回りの生活品や建造物は言わずもがな残り、その生活の為に変えた川の流れ、平坦した山、破壊された惑星のオゾンの変化も地球は永らく残し続けるのだろう。
『人類の時代』は『恐竜の時代』より遥かに年月は浅い。だが、短期間で星に及ぼした変化は比べものにならない。星に住む生物が拠り所である星の運命を掌握してしまった。
アントロポセンを地球は他の時代よりも永く記憶するだろう。永く伝えていくだろう。
最も色濃く、最も破壊的な時代として……
誰も平和など感じてはいなかった。
国際的な経済恐慌や領土対立、原因不明の自然大災害に襲われる国も出てきた。富める国も貧しい国も、只ならぬ不安が心に巣食い始めていた。
人が住んでいた土地に海や砂漠が侵食してきている。
食べ物が減ってきている。
薬の効かない病気が蔓延してきている。
抗争が拡大してきている。
見て見ぬふりをして先送りにしていた問題が、一挙に押し寄せてきた時代があった。
その時代で消えていった国や民族は数知れない。
その時代で壊された文明や物語を覚えている者は誰もいない。
人類は打開策を模索しはじめた。いや、正確には全人口の半分にも満たない数の人類だけだ。
失われた森を再生する為に苗木を植えたり、海洋を清掃したりと手を尽くしたが、勿論そんなものは無意味であり、どれもこれも一向に良好な兆しへと繋がらなかった。
それでも、人類は諦めてはいなかった。何万何千年の伝え受け継いできた多くを犠牲にして、世界を崩しかねない混沌に延命的な歯止めをかけた。
人類は新しい時代を打ち立て、またいずれ来る破滅の不安から解放される方法を探しはじめる。
新しく打ち上げられた人工衛星が映し出した地球は、かつて見られた栄光の面影をすっかり失っていた。古代の遺産はただの瓦礫に成り下がり、美しい青色の海は消え失せていた。
しかし、衛星が持ってきたのは悪い知らせだけではなかったようだ。
何処も彼処も荒んでしまった大地と海が続く中、「その大陸」はやってきた。
豊かな緑を蓄える大地に、取り巻く零れんばかりの生命を棲まわせる海域。どちらも人の手が及んだ形跡は一切見当たらないが、人類はその地を記憶の片隅に覚えていた。
南極変容。
衛星の捉えた豊かな大陸の正体は氷に覆われていたはずの南極大陸だった。
凍てついていたはずの大地には草原が、砂漠が、ジャングルが形成され、古代の絶滅種によく似た生物が地上を統べ、それを上空から翼を生やした恒温性爬虫類が値踏みするように見下ろしている……。
この発見に人類は感嘆し、また確信した。この大陸があればまたかつての栄光を取り戻すことができる、と。
アントロポセン(Anthropocene)は新天地、南極大陸にその腕を伸ばし始めた。