「王国から帝国へ:前編」
中編小説です。
3回の投稿で一応、完結させるつもりです。
月曜日、木曜日、そしてもう一度月曜日、つまり来週の月曜日に完結する短い物語です。
練習用の一次小説ですが、楽しんで頂ければ幸いです。
では、どうぞ。
「王国から帝国へ:前編」
―――――戦乱。
その大陸には、死が満ちていた。
統一された秩序が存在せず、同規模の小国が無数に存在する大陸。
各地で戦争や紛争が絶えず、大多数の民が戦火にかけがえないの無い物を奪われ続けていた。
家族を、父を、母を、兄弟姉妹を、友を、集落や村の同胞を。
土地を、家を、財産を、その悉くを他国の兵に、あるいは時土として自国の兵に奪われて。
王や貴族が笑う中で、力の無い下層の民衆には何も残され無かった。
飢餓と貧困、病魔と犯罪・・・正直で誠実な者が馬鹿を見る、そんな時代だ。
子供が老人からパンを奪い、教会の神父が金銭で罪を許し、母が子を売って生計を立てる。
「―――――こんなの、間違ってる」
そしてそんな地獄に、大陸の最南端の辺境の村に、今また一人、母を失った子がいる。
自国の兵に村を焼かれ、貴族の戯れで母を嬲り殺された少年がいる。
母の身体が切り刻まれて行くのを、見ているしかできなかった男がいる。
「終わらせてやる、こんなことは」
そんな地獄で、一筋の光を見たかのような子がいる。
今まさに父と母を殺され、絶望した少女が・・・共に生き残った少年を見つめる。
焼け落ちる村の前に立ち、涙の枯れた目に決意の炎を灯らせた男を見つめる。
「終わらせるんだ、もう誰も悲しまなくて良いように。このクソったれな戦乱を、そして」
ほんの子供でしか無い、何の力も持たない少年。
しかしその胸に大志を募らせて、少年は手を伸ばす。
「そして、この大陸の人達が笑って暮らせる世界を作るんだ」
まるで少女に誓うかのように、そう告げる。
それは、まるで神聖な誓いのように少女には思えた。
少年は手を掴む様に手を伸ばす、村を焼く火の粉の舞う夜空を掴む様に手を伸ばし、そして―――――。
◆ ◆ ◆
伸ばした腕を振り下ろすと、ザクッ、という小気味良い音と共に鍬の先が地面に突き刺さった。
荒れた土地を耕し、畑へと変えて豊かな実りを得る。
簡単なようだが、実際にやるとなればこれほど困難なことは無い。
しかし誰かが先陣を切って始めなければ、誰もやろうとはしない。
だからこそ、誰かがやる必要がある。
だからと言って大変さは変わらないので、鍬を打ち込んだ青年・・・アベルは手を休めて、手の甲で額の汗を拭った。
空を見れば、透き通るような高い青空に温かな太陽が輝いている。
「・・・うん?」
不意に笑い声が聞こえて、アベルは声のする方を見た。
すると、アベルが耕している土地の側の道の巨木の上から、2人の子供がこちらを見ていることに気付いた。
村の子供達だ、アベルは肩に駆けた布で汗を拭きながら顔を上げた。
「なんだい?」
「兄ちゃん、下手くそだなー」
「そんなへっぴり腰じゃ、耕すもんも耕せらんねーよ」
「は、ははは・・・へっぴり腰・・・」
傷ついた表情ながら、笑みを浮かべる青年。
子供というのは残酷だ、飾ると言うことを知らない。
しかし、アベルはそれも良いと思う。
何故なら、子供達が笑顔だったからだ。
周りを見渡せば自分と同じように、この村の人間が荒れた土地を耕そうと必死に働いている姿が見えた。
60人程の男女が、戦乱で傷ついた土地を元に戻そうと努力している。
農具を作り、種もみを捻り出し、休む間も惜しんで明日の実りを得るために努力している。
厳しい作業だ、けして楽じゃ無い、日々の生活だって苦しい、空いた腹はいつまでも満たされない。
だが、村人達はどこか笑顔だった。
「アベル様ぁ、見てくだせぇ、コイツこんなに深く根を張っていやがりましたぜ!」
「おおー、随分とデカい木だったんだなぁ。良く掘り起こせたな、凄いじゃないか」
「へへ、俺達にかかりゃ・・・ってコラ! お前ら、サボってんじゃねーぞ!」
「やべっ」「逃げろ!」
木の根を掘り起こして土地を平らにしていた者が、荷車に乗せた木の根をアベルに通りがてら示してきた。
そしてアベルをからかって遊んでいた子供達を怒鳴りつけ、子供達は散り散りに駆けて行った。
それに対して、アベルは嬉しそうな顔を浮かべた。
何故なら、子供達が笑っているから。
彼らを追いかけているのが優しい村人で、人買いの兵士では無いから。
子供達は捕まって拳骨の一つも落とされるかもしれないが、ありもしない盗みの罪で腕を落とされたりはしないから。
誰かから奪うのではなく、人々が共に努力して成果を分け合う心を持っているから。
だからアベルは、嬉しそうに笑うのだった。
「アベル様ぁ―――――ッ!!」
アベルが鍬を持ち直そうとしたその時、遠くから彼を呼ぶ声が聞こえた。
それは先ほどの子供達の声とは異なり、どこか焦りを含んだ声だった。
アベルが顔を上げて振り向くと、遠くから馬に乗った兵士がやってくるのが見えた。
軽装の早馬、足の速さを重視した兵士だった。
土煙を上げながら荒れた道を駆けてくる様は、よほどの一大事なのだろうと理解できる物だった。
周囲の村人達が何事だと顔を上げる中、アベルは鍬を置くと、子供達が登っていた木に立てかけてあった剣を手に取った。
過度な装飾は無いが、日の光を照り返す様は相当な業物であることを主張いているかのようだった。
そしてアベルが剣を取ったちょうどその時、早馬の兵士が馬から飛び降りてアベルの前に跪いた。
「アベル様、一大事にございます!!」
その言葉に、アベルは先ほどまでの柔らかな表情を捨て去った。
チャキ・・・握り締めた剣の束が、緊張を表すかのように音を立てた。
◆ ◆ ◆
―――――1年前。
大陸最南端の王国で、革命が起こった。
それは歴史上、良くある話だ。
横暴な王と傲慢な貴族、民を守らない軍と餓えた民衆、絶え間ない戦乱と疲弊した人心。
これだけ条件が揃っていれば、暴動の十や二十は起こるのが当然だった。
用意されなければならないのは、それらの暴動を結合させ革命へと導く旗手の存在だけだった。
そして、それは現れた。
その存在の名は「アベル」、姓を持たない名無しの・・・「無名の王」だった。
「アベル様!」
「皆、待たせてすまない」
そしてその青年、アベルは城とは名ばかりの半分崩れかけた砦の中に姿を現した。
詰めていた兵達は民衆への炊き出しの手を止めて、彼らの「王」へと視線を向ける。
兵士と民からの憧憬と信頼の感情、それを合わせて崇拝と呼ぶ。
そんな視線の中、馬から降りた青年王は笑顔を見せながら砦の奥へと歩いて行った。
何事かが起こったと人々は理解するが、しかし青年の後ろ姿を見る目に不安の色は無かった。
革命を導き、主だった王族と貴族を粛清し、その土地と財産を民衆に分け隔てなく与えて。
少しずつではあるが秩序と豊かさへの道筋をつけた、名無しの青年王。
彼なら何とかしてくれる、人々はそう信じていた。
一方で砦の奥へ入り人々の目が無くなった瞬間、アベルは血相を変えて駆け出していた。
「―――――隣国が攻めて来たというのは本当か!?」
「うおぁ!? いきなり扉開けんなよ、驚くだろ!?」
会議室として使っている倉庫の扉を蹴り開けたアベルを、怒鳴り声が出迎える。
アベルに怒鳴り声を浴びせたのは、どことなく薄汚れた鎧を着込んだ黒髪の青年だった。
その頬には大きな傷跡があり、小さな傷がいくつもついた大剣を傍らの床に刺して置いている。
彼の名はシグルス、革命の時からの同志で平民出身の騎士である。
本来「騎士」の称号は貴族の子弟にしか与えられないので、平民で与えられることはまず無い。
しかし旧体制下においても彼の実力と功績は無視しえず、騎士の称号を受けるまでに至っていた。
「そんなことより、戦争になるのか!?」
「王ともあろう者が、そのようにうろたえるものでは無い」
「いや、ですが・・・師よ、僕は戦争が嫌いなのです。また民が傷つく、それが嫌なのです」
若い王を窘めるように声をかけたのは、分厚い重武装の黒い鎧を身に着けた初老の男だった。
名はキューウェル・ドッドハルト、アベルの剣の師であり、若者が多い現指導部にあって若い為政者達の歯止め役として信頼されている人物である。
かつては旧体制下の騎士の1人であったが、貴族の命令に背いて島流しにされた過去を持っている。
ある意味において、革命の芽を育てた人物と言うことができるかもしれない。
「だけどよぉ、攻めて来るモンはしょーがねーだろ? 迎え撃つっきゃねーよ」
「だが・・・いや、そうだね、それは仕方が無い。でも、どうして今になって攻めて来たんだ?」
大陸最南端のこの国は、北西・北・北東にそれぞれ隣国を抱えている。
いずれも王制国家であり、この国で起きた革命の波及を恐れているという点では共通している。
だがこの1年間、国境で警戒を続けていたが何も起こらなかった。
商人の流通も止まらず、戦争の予兆など何も無かったはずだった。
「・・・今回攻めて来た国の王妃が、この国の先代の王の妹だから」
すると室内において唯一口を開いていなかった存在が、静かに戦争の理由を告げた。
それは、アベルと同い年くらいの・・・10代後半くらいの少女だった。
夕焼けと同じ色の茜色の髪と瞳、長い髪を腰の辺りで束ねて、頭には大きなハットをかぶっている。
他の3人が一様に鎧などを着込んでいるのに対し、少女は黒いゆったりとしたローブのような服を身に纏っていた。
サイズがあっていないのか、ブカブカしている帽子を指先で直しながら話を続ける。
「1年間って言うのは、王を動かすのに使った時間だと思う。聞く所によると、夫婦仲は良く無いらしいし・・・」
「じゃあ、何で攻めて来たんだい?」
「妻の復讐と義兄の仇討ちが大義名分、だけど本当は・・・私達の革命に触発された暴動が多発してるから、根を断ちたいって所だと思う」
「そうか・・・良く調べられたね、シルフェ」
「・・・私は何もしてない、商人から情報を集めただけ」
深く帽子をかぶりながら、シルフェという少女が俯く。
王であるアベルと同じく姓が無い、「名無しの軍師」だ。
幼い頃からアベルと共に在り、革命においてはその軍略でもって農民兵ばかりで構成される革命軍を正規軍に勝たせて見せた。
現在では、この国の内政の全てを管轄している事実上の宰相でもある。
「いやいやアベル、シルフェの姐さんはそりゃーもう頑張ったんだぜ? なんつったって寝る間も惜しんでアベルのた目があああああああああああああああっ!?」
シルフェが投げた帽子の唾が目に直撃し、からかうような口調で話していたシグルスが床の上をのたうちまわる。
その様子をアベルは笑って、キューウェルは呆れて、シルフェは憤然とした表情で見ていた。
「それで、どうする。迎え撃つにしても策が必要だと思うが」
「そうですね・・・いや、きっと大丈夫。シルフェ!」
「な、何?」
キューウェルの言葉に頷いた後、アベルはシルフェの肩に手を置いた。
衣服越しにアベルの体温を感じてシルフェは僅かにどもるが、アベルは精悍な笑みを浮かべて真っ直ぐにシルフェを見つめていた。
その真っ直ぐな瞳に、シルフェはありもしない帽子を下げようとして出来ないことに気付く。
「言ってくれ、シルフェ。僕はどうすれば良い?」
「・・・アベル・・・」
「僕はシルフェの策に従って動く、必ずシルフェの策を完遂させて見せる。だから・・・」
丸投げとも取れるアベルの言、だがシルフェは不快な感情を抱かなかった。
この目の前の青年王は・・・金髪碧眼の幼馴染は、いつもそうだった。
シルフェを信じ、その頭脳が弾き出す策を完璧に実行してみせた。
革命の時もそうだった、もちろん失敗もあった。
シルフェの読みが外れてアベルを危険に晒したこともあった、逆にアベルがシルフェの策通りに動かずシルフェのいる本陣を危険な状態にしたこともあった。
しかしその数多くの失敗こそが、今の2人の信頼関係を生み出してもいた。
だから・・・。
「だから、僕に民を守らせてほしい」
だからシルフェは、アベルの言葉に頷く。
彼の理想を叶えるために、全能ならざる身で最善の策を考える。
必死で、必死に、全身全霊で、アベルとその民のために。
シルフェはアベルの言葉に頷いて、告げるのだ。
「―――――策はある」
◆ ◆ ◆
侵略軍5000、国境の村々を焼きながら侵攻中。
その報せがアベル達の下に届いてからすでに7日、本格的な衝突は未だ起こっていなかった。
理由は、アベル軍が侵略軍と衝突すると瞬く間に崩れ、逃げ出してしまうからだった。
最初は何かの策かと疑っていた侵略軍も、あまりに国の奥深くまでこれが続くので本気にした。
アベル軍、恐るるに足らずと信じ切っていた。
あるいは臆病者の集団だと、侮るようになっていた。
次第に警戒は薄れ、野営の最中にも見張りが疎かになるような状況が続いていた。
しかしその中でも、気付くべきことに気付く者はいる物である。
「将軍、少しお耳に入れたいことが・・・」
「何だ、今は宴の最中なのだが・・・」
毎夜のように開かれるようになった戦勝の宴、その最中のことである。
将軍とは名ばかりの小太りの男が、宴用の巨大な天幕に入って来た無骨な騎士を邪魔そうに見やる。
天幕にいるのは彼と同じく貴族の子弟ばかり、厳格な騎士と話が合うとは思えなかったのである。
「は・・・食糧の備蓄が残り少なく、あと2日分を残すのみです」
「何ぃ? 本国から送られてくるはずではないか」
「それが・・・」
言いにくそうに首を横に振る騎士に、将軍が不満げな表情を浮かべる。
ちなみに毎夜のように将校クラスが招かれるこの宴では、兵士500人が2日生きていけるだけの食糧が消費されており、それが物資不足の原因の一つでもあるのだが・・・騎士も、流石にそれを指摘するほど正義感に燃えているわけでは無かった。
将軍自身は、補給担当の部隊の怠慢だとしか思っていないが。
「では、部隊を編成して現地調達すれば良いだろう」
ある者がそう主張する、ようは略奪をやれというわけである。
戦乱の大陸である、特に珍しい事では無い。
しかし騎士は首を横に振ってそれも否定する、なぜなら。
「不可能です、我々がこれまで通って来た村々には人はおろか碌な食糧も残されてはいませんでした」
彼らがこれまで焼いて来た村は5つ、そのいずれでも井戸水以外に得る物は無かった。
アベル軍との衝突の僅かな間隙を縫って村人たちは山や森の中に消えて、食糧などはほとんど残されていなかった。
残されていなかった、と言うより最初から無かったと言った方が正しいが、それは彼らにとっては大した差異では無い。
どちらにせよ、彼らに略奪できる食糧など存在しないのだから。
「下賤な農民共め、悪知恵を働かせおって・・・」
将軍が顔を真っ赤にして一杯で20人の貧民を養えるような高級葡萄酒の入った杯を投げ捨てると、その場にいる全員が一様に敵の卑劣さを非難し始めた。
その時である、天幕の外が俄かに騒がしくなった。
何事かと思った次の瞬間、天幕の正面から騎士階級では無い一般兵が泡を食って飛び込んできた。
「無礼者め! この天幕に入ってくるとは!」
「も、申し訳ありません! ですが、山が・・・本陣の裏の山が!」
「何だ、山がどうした!」
「山が・・・山から、山から火が!」
兵士の言動からは、外の状況が伝わってこない。
業を煮やした一同はその兵士に杯を投げつけて罵倒した後、慌ただしく天幕の外へ出た。
そして、彼らが見た物は・・・。
「・・・や、山が・・・」
誰かの呻くような声に、誰も反応を返さなかった。
彼らは国境から街道を大きく進み、そしてある山の麓に陣を構えていた。
水場も近く、この先に革命前の旧王都に続く別の街道に入る道があったからだ。
だがその裏の山から、山の中の森が・・・燃えていた。
山一面に炎が揺らぎ、そしてその揺らぎの中から無数の何かが飛び出してくる。
人間よりも巨体で、逞しい角に燃え盛る松明を繋げられたそれは・・・。
「牛だ! 牛の角に火が・・・!」
「た・・・助けてくれ!」
「柵が倒れるぞ―――――!!」
それは、数十頭の牛だった。
どこか痩せ細っている牛だが、農耕で鍛えられているのか足だけは太い。
牛の群れの角には松明がつけられており、それが周りに火の粉を撒き散らしていた。
それは陣地の柵を薙ぎ倒し、兵士達が休む幕舎を焼いて行く。
しかも何匹かの牛の背中に穴の開いた瓶が乗せられており、その中には油が・・・。
「て・・・敵襲―――――ッ!!」
そして、それだけでは終わらなかった。
牛の突入で混乱する陣地に対して、牛達とは別方向から味方では無い兵士達が突入してきたのだ。
大半は農具を武器にしたような粗末な兵だったが、それでも勢いと統率だけが正規軍に勝るとも劣らない物があった。
さらにそこへ、第3の方向から火矢が飛んでくる。
「や・・・夜襲だと!? 農民共め、卑怯なゲ」
そう言った将校の喉に矢が刺さり、もんどりうって倒れる。
次の瞬間、事態の趨勢を掴めないままに将軍とその将校たちの目前に、夜空を流れる無数の火矢が並べられていた―――――。
◆ ◆ ◆
「アベル陛下に、続けぇ―――――――ッッ!!!!」
「「「「おおおおおおおぉぉ―――――ッッ!!!!」」」」
馬に乗ったアベルが先陣を切り、シグルスの怒声に引き摺られるようにして兵達が敵陣へと突撃する。
すでに敵軍は火牛・火矢の連射によって壊乱状態にあり、この勢いで側面を突けばいかな正規軍と言えどもひとたまりも無い。
―――――我が策、成れり。
アベル軍でも希少な重武装歩兵―――キューウェル率いる重騎士団―――に周りを固められながら、軍師たるシルフェは帽子の唾に触れながら戦場を見つめていた。
炎はすっかり陣地全体に及び、肉の焼ける匂いが夜風に乗ってここまで漂ってくる。
しかしそれに不快感を感じる者は少ない、何故なら革命前の王国では貴族が趣味で人を焼くなど珍しくも無かったからだ。
「弓兵隊、前進。街道方面に逃げる敵兵の背中に向けて毒矢を打ち込んでください、味方には当てないでくださいね」
「はっ!」
シルフェが今回の防衛戦のために立てた策は、極めて単純だった。
まずわざと負け、敵軍を自国の奥深くまで引き摺りこむ。
村人達はそれまでに苦し、山や森に潜ませて後から来る敵の輜重隊を襲うゲリラになって貰う。
そして地理的条件が整った段階で仕掛けた火牛を夜間に敵陣に突入、混乱する敵軍を壊滅に追い込むと言う物である。
卑怯だろう、卑劣だろう、しかし残念ながら相手と違ってシルフェは騎士では無い。
革命もこうして勝利を重ねたのである、今さら非難される謂れは無かった。
騎士崩れ200と農民兵800、たったこれだけの戦力で正規軍5000に勝つには奇策を用いるしかない。
シルフェは己の策に対して、一切の負い目を感じてはいなかった。
「お前達の将は死んだ! この戦いは終わった! 今すぐに降伏するんだ!!」
そしてついに、戦場の中心でアベルが馬上で剣を振り上げながら叫んだ。
それを見つめながら、シルフェは己の胸の奥から湧き上がってくる熱に胸を押さえるのだった。
血と死の匂いに彩られてもない、シルフェの王・・・アベルは輝きを失わない。
「さもなければ・・・皆殺しにするぞ!!」
数は今でもアベル軍の方が少ない、しかし将を失った敵軍の士気は低かった。
焼き討ちにあって、疲弊しきっていたのもあるのだろう。
そしてそれ以上に、アベルの放つ輝きに当てられたかのように・・・。
彼らは、武器を捨てたのだった。
戦いは、終わった。
今日、この瞬間だけは・・・。
◆ ◆ ◆
緒戦の勝利、しかし戦いはそれだけでは終わらなかった。
隣国の王は緒戦の敗北に驚き、国境の貴族を中心に再三侵攻軍を編成し戦争を繰り返してきたのである。
そこにはもはや、王妃の兄の仇討ちという大義名分は存在しなかった。
ただ、「革命」という病原菌の元を断とうとする強迫観念だけがあった。
そして、アベルとその軍は侵攻軍を悉く跳ね返して来た。
2度、3度と押し寄せてくる敵軍を、数的不利な状況下で何度も何度も何度も撃退した。
食糧も無く、武器も無く、あるのはただ「防衛戦争」という大義名分だけ。
しかしそれだけに、人々は必死で抵抗した。
革命で手に入れた権利を、再び王や貴族に奪われないために。
草の根を噛んで飢えを凌ぎ、敵から奪った武器で応戦し、正義は我に在りと叫んで。
「僕は王だ、名前は無い・・・ただ、民衆の王だ! 民が諦めない限り、僕もまた諦めない!!」
青年王アベルは、膝を折ろうとする人々を鼓舞して立ち上がらせた。
毅然と馬上で剣を振り、先陣を切って敵軍に斬り込んで行った。
兵達はそんな勇敢な彼らの王を死なせたくなくて、信じられない程の動きで彼を守ろうと戦った。
アベル率いる軍は、国境から先に敵軍を進ませなかった。
いくら押しても崩れない彼らを、敵兵は不死の軍と呼んで恐れた。
「任せて・・・私に、良い策がある」
アベルの傍らに在る軍師シルフェは、前線で戦い続けるアベルとその仲間達を支えるために策を練り続けた。
敵から奪った武器や食糧を前線のアベル軍に効率的に運び、他の隣国に使者を送って援助を約束させ、敵国内部に間者を放って民衆の暴動を起こし、時に前線でアベル達を動かして敵軍を粉砕した。
内政・外交・軍略―――――ありとあらゆる場面で登場する彼女を、敵国の人間は「千の手の女」と呼んで恐れた。
「目の前の戦場は必ず僕達で乗り切る、その後のことはシルフェ達が何とかしてくれる」
「今の戦争はアベル達が何とかしてくれる、だから後のことは私達がどうにかしてみせる」
シルフェが策を立て、アベルがそれを実現する。
戦術的にアベルが状況を覆し、戦略的にシルフェが情勢を覆す。
ある意味において、バランスの取れたコンビだったと言える。
そして、シグルスやキューウェルと言った仲間達が脇を固める。
民衆も、兵士も、良く彼らを信じて戦い、限界を超えながらも戦い抜いた。
ある意味において、バランスの取れたチームだったと言える。
そして、その結果。
◆ ◆ ◆
いつの間にか、彼らは敵国の奥深くへと逆に侵入を果たしていた。
1年に及んだ戦争、戦力を擦り潰す結果になった敵国は自国内の民衆暴動を鎮圧できなくなっていたのである。
そして人々は、自分達の新たな王として隣国の革命の指導者を選んだのである。
アベル軍は攻め入ると、その街で民衆の反乱が起こって門を開く。
そのようなことが頻繁に起こった結果、アベル達は民兵を糾合しながらドンドンと数を増やして行った。
人々は貴族の屋敷や軍官舎を襲って食糧を奪い、革命歌を叫びながらアベル達について行く。
それは、一つの混乱だった。
一部分は、シルフェの策の影響を受けていたのかもしれない。
「アベル様! 敵の王宮から火の手が!」
「王は自害した模様です、我らの勝利です!」
「そうだ、俺達は勝ったんだ!!」
そして逆侵攻をかけて2か月もしない内に、王都も落ちた。
流石に精鋭の正規軍が立て籠るだけあって手こずったが、それでも兵の大部分は平民出身だ。
その士気はけして高く無く、最終的には街の門を破られて敵の侵入を許してしまった。
当然、それもシルフェの策の結果ではあったが・・・民衆のこの昂ぶりは、シルフェをしても見抜けるものでは無かったし、また御しきれるものではなかった。
人々は狂ったように、それまで自分達を搾取していた貴族達へと殺到した。
そこには畏敬も尊敬も無い、ただ怒りと欲望だけがあった。
貴族を殺して金品を奪い、貴族の娘を犯してから焼いて捨てて、貴族に取り入って儲けていた豪商を何十人もの貧民が寄ってたかって嬲り殺しにした。
絢爛さを誇った王都が、瞬く間に地獄へと変わったのである。
「やめるんだ!」
そんな中で、何とか暴走した味方を止めようとアベルは駆けずり回った。
「そんなことをしてどうする! それじゃあ立場が変わっただけじゃないか!!」
アベルが行けばその場は収まる、しかしアベルは1人しかいない。
万単位の人間が暮らす王都は、アベル達の国の街よりもずっと大きい。
それこそ、アベル1人で全てを見ることはできない。
ついにはどうすることもできずに、アベルは呆然と王都が燃えるのを見守ることしかできなかった。
これは、自分が蒔いた種だ。
自分の存在が、人々を変えてしまった・・・たとえそれが、避けようのないことであったとしても。
アベルはそう自分を責めた、何故なら目の前の光景がいつかの日に重なってしまったからだ。
アベルは焼かれる村の前で、幼馴染の少女の前で誓ったはずだったではないか。
このようなことを起こさないために、自分を王になったのではないかと。
「守るだけじゃ、勝つだけじゃダメなんだ・・・」
戦争に勝った国の王とは思えないような表情で呟く彼の傍には、無表情に帽子の端を押さえるシルフェがいた。
彼女は、呆然と呟くアベルを見上げている。
その横顔は、炎に照らされて幻想的に見える。
まるで、あの日のように。
「シルフェ、僕は決めたよ」
「アベル・・・」
「戦うだけじゃ、ダメなんだ」
戦うだけじゃ無い、勝つだけじゃ無い、守るだけじゃ無い。
それら全てを飲み込んで、もっと優しい方法で大陸を・・・世界を救う。
アベルは今日、そう決めた。
「時間はかかるかもしれない、だけどこんなことはもう嫌なんだ」
「・・・」
「たぶん、シルフェや皆の負担を増やすことになるかもしれないけど・・・」
そこで初めて、アベルは自信の無い表情を浮かべた。
不安そうな、縋るような・・・シルフェしか知らない、弱々しい「少年」のアベル。
そんな彼を見て、シルフェは想う。
自分が、自分だけは傍にいてあげなくては。
この強がりで、事実誰よりも強い輝きを持つ王を。
それでいて、子鹿のように震えているこの弱い青年を。
自分が傍にいて、助けて、支えてあげなくては。
シルフェは、強くそう想った。
「手伝って、くれるかい・・・?」
そっと伸ばされたその手を、シルフェは迷うことなく取る。
あの日のように、あの焼け落ちる村の前でそうしたように。
私がこの人を守るんだと、そう胸に秘めて。
「うん、良いよ・・・助けてあげる」
シルフェの言葉に、アベルは嬉しそうな笑顔を浮かべる。
それを見て、シルフェも幸せそうに笑う。
燃え盛る街の前で。
彼らは、2度目の誓いを立てた。
その誓いの行く末が、どうなるのか。
この時点では、知る者は誰もいなかった。
◆ ◆ ◆
―――――大陸北部、雪と氷に覆われた大地。
厳しい環境と少ない資源、豊かな大陸中央・南部に比して貧しい閉ざされた大地。
大陸南部で革命の火が起こっている最中、ここでもまた変化の兆しが見え始めていた。
コッ、コッ・・・薄暗い広間に、乾いた足音が響く。
その足音と共に薄い鉄が擦れるような音が響き、歩いている人間が軽鎧を身に着けていることがわかる。
そこは、どこかの洞穴を繰り抜いて広げられた場所らしい。
丸く穴の開いた天井からは、寒風の中で満月の輝きが妙に際立って見える。
「・・・・・・最後の族長の首、確かに持ち帰った」
外界と同じく冷え切った声で、歩みを止めたその存在は床に何かを投げた。
それは鈍い音を立てて床を転がり、最終的には満月の光の下にその姿を見せる。
いや、姿とすら言えない・・・何故なら、首から下は存在していなかったのだから。
落ち窪んだ目で虚空を見るその首は、深い髭を生やした初老の男の物だった。
近隣の村々に影響力を持つ部族の長だったのだが、それも今や過去の肩書きであった。
その時、微かに月にかかっていた雲が僅かに晴れた。
光量が増し、実はその場に無数の人間が並んでいたことがわかった。
彼らは性別も年齢も人種は様々ではあるが、共通して言えることが一つだけあった。
恐怖である。
床に転がされた生首を見て、彼ら彼女らは一様に表情を青ざめさせていた。
「ご苦労様、姉上」
対して、1人だけ上機嫌を隠さない声音で喋る人間がいた。
それは、子供だった。
大人達が居並ぶ中、一段高い位置に設えられた石造りの寒々しい椅子に腰かけている。
床に転がった生首を無邪気に見つめ、足をブラブラさせながら手を打って拍手する。
・・・他の面々が拍手をしないのが気に入らなかったのか、一度だけ手を打つのをやめて軽く睨む。
するとすぐに、追従するように静かな拍手が起こる。
子供はそれに満足そうな笑みを浮かべて、その生首を持ち帰った相手を見つめた。
「本当にお疲れ様、姉上。それで悪いんだけど、僕、そろそろ国が一つ欲しいんだ。ちょっと制圧してきてくれないかな? もちろん姉上も大変だろうから、贅沢は言わないよ。うん、隣の国のどれかで良いよ」
その言葉に、その場にザワめきが起こる。
彼らの勢力は周辺の村々を傘下に納めるだけで精一杯であり、とても国を相手取れる状態では無い。
新興も新興、むしろ勢力と呼ぶのもおこがましいような弱小。
だと言うのに・・・。
「ダメかな、姉上?」
首を傾げて媚を売るような声を出す子供の視線を追うように、一同の視線が一転に集中する。
そこには、先ほど床に首を転がした人間が佇んでいる。
夜空の雲が動き、月の光が緩やかに室内を移動する。
そして、幻想的な月の光の下にその姿を晒したのは・・・女。
10代後半だろうか、造り物めいた美しさを持つ女性だった。
高い位置に座す子供と同じ黒髪を腰まで伸ばし、黒曜石のような石で飾られた装身具を髪留めとして髪をまとめている。
瞳も同色、雪のように寒々しい肌にはそれを補うように紅い塗料で顔、腕、足・・・薄い造りの軽鎧や布の間から露出している肌にも、奇妙な紋様が描かれている。
そして何にも増して目を引くのは、凍りついたように動かない表情と冷たい目、そして・・・。
「―――――仰せのままに」
170センチはあるだろう長身の女よりもなお大きい、無骨な黒い鎌。
それを後ろ手に持ったまま、女はその場に膝をついて頭を垂れる。
表情や目と同じく冷え切った声音で、自分を「姉」と呼ぶ存在に対して跪く。
その目はけして目の前の存在を見ることなく、冷たい床を見つめていた。
「皇帝陛下」
その「姉」の言葉に、子供は嬉しそうな笑顔を浮かべる。
興奮したように席を立って、床に跪いたままの「姉」へと飛びつく。
大鎌の女は、それでも表情を動かさなかった。
月が雲に隠れると、その場から光が消える。
光が消えた後に残るのは、闇だった。
冷たく昏い闇の中で、変化の兆しが蠢いていた・・・。
一次小説とは、なかなか難しいですね。
まだまだ修行が必要ですが、これから少しずつ上手くなっていければなと思っています。
それでは、また次回、よろしくお願いいたします。