平和主義者の極悪令嬢
※後半に少し残酷な描写があります。苦手な方はご注意ください。
王国の建国を祝う記念日の夜、王城の大広間は華やかな祝賀の空気に包まれていた。
巨大なシャンデリアの炎が磨き抜かれた大理石の床を黄金色に染め、壁には歴代国王の肖像画、柱には王家の紋章を刺繍した深紅の垂れ幕が飾られている。
宮廷楽団が奏でる優雅な円舞曲に合わせ、色鮮やかな衣装をまとった貴族たちが踊り、周囲からは控えめな拍手と笑い声が上がっていた。
王族をはじめ、各地の有力貴族や外国の使節まで招かれた格式高い祝賀会である。
そんな晴れやかな席で、ひときわ人目を引く男女がいた。
「レオンハルト殿下。よろしければ、わたくしと一曲踊っていただけませんか?」
第二王子レオンハルトに声をかけたのは、リリアナという名の伯爵令嬢だった。
淡い桃色のドレスに身を包んだ彼女は、栗色の髪を可愛らしく結い上げ、頬をほんのりと紅潮させている。まだ社交界に慣れていないのか、差し出した手はわずかに震えていた。
王族に対して令嬢の側からダンスを申し込むのは、いささか大胆な振る舞いである。
しかしレオンハルトは気にした様子もなく、爽やかな笑みを浮かべてその手を取った。
「喜んで。君のような可憐な女性から誘ってもらえるとは、今夜は幸運だな」
「まあ、殿下ったら。お上手ですこと」
二人は楽しげに笑い合いながら、広間の中央へと歩いていった。
やがて楽団が新たな曲を奏で始めると、レオンハルトはリリアナの腰に手を添え、ゆっくりと踊り始めた。
金色の髪を揺らす美貌の王子と、愛らしい伯爵令嬢。
傍目には実に絵になる二人だった。
もっとも、その光景を微笑ましく眺めている者ばかりではない。
「……あれは、少々まずいのでは?」
「ええ。ヒアデス公爵家のお嬢様もいらっしゃるというのに」
壁際で談笑していた貴族たちが、小声で囁き合う。
レオンハルトには正式な婚約者がいる。
ヒアデス公爵家の一人娘、ベアトリーチェ・フォン・ヒアデス。
王国でも屈指の名門に生まれた、今年十八歳になる公爵令嬢である。
そして当のベアトリーチェは、広間の片隅でグラスを片手に、二人の様子を静かに眺めていた。
艶やかな黒髪を背中に流し、深い紺色のドレスをまとった彼女は、華美な装飾を好まない。身に着けている宝飾品も、首元に輝く小さなサファイアの首飾りだけだった。
整った顔立ちには穏やかな微笑が浮かび、その立ち居振る舞いには公爵令嬢らしい気品が漂っている。
ただし、その灰色の瞳が何を考えているのか、周囲の人間には少々分かりにくかった。
「お嬢様、よろしいのですか?」
傍らに控えていた侍女が、心配そうに尋ねた。
「何がです?」
「レオンハルト殿下のことでございます」
ベアトリーチェは広間に目を向けた。
ちょうど曲が終わり、レオンハルトがリリアナの手を取って恭しく口づけを落としているところだった。
「楽しそうで何よりではありませんか」
「ですが、殿下はお嬢様の婚約者でいらっしゃいます」
「存じておりますよ」
ベアトリーチェはグラスに口をつけた。
甘い葡萄の香りが鼻をくすぐる。
「別に、殿下がどなたと踊ろうと構いません。わたくしはダンスがそれほど好きではありませんし」
「はあ……」
「それに、男女の仲というものは、他人が口を挟んだからといってどうにかなるものでもないでしょう?」
侍女は返答に困ったように口を閉じた。
ベアトリーチェは再び広間へ視線を戻す。
ところが、ダンスが終わってもレオンハルトはリリアナのそばを離れようとしなかった。
二人は給仕からワインを受け取ると、顔を寄せ合って談笑を始めた。時折リリアナが声を上げて笑い、そのたびにレオンハルトが愛おしそうな眼差しを向けている。
やがて二人は窓際へ移動し、夜の庭園を眺めながら肩を並べた。
その距離は、婚約者でもない男女にしてはいささか近すぎた。
周囲の貴族たちも、もはや露骨に二人を見ている。
視線の先には必ず、ベアトリーチェの姿があった。
「……困りましたね」
ベアトリーチェは小さくため息をついた。
別に嫉妬しているわけではない。
ただ、ここは王国の建国を祝う公式行事である。外国の使節も列席している以上、王族の醜聞が広まるのは望ましくない。
何より、婚約者である自分がその場にいるにもかかわらず、他の令嬢と親密に振る舞い続けるのは、さすがに礼儀を欠いている。
ベアトリーチェはグラスを侍女に預けた。
「少しお話ししてまいります」
そう言って、二人のもとへ歩き出した。
人々が自然と道を空ける。
ベアトリーチェはゆったりとした足取りで自分の婚約者に近づくと、ドレスの裾を軽くつまんで一礼した。
「ご歓談中、失礼いたします。レオンハルト殿下」
「……ベアトリーチェか。何か用か?」
「少々、お耳に入れておきたいことがございまして」
ベアトリーチェは穏やかに微笑んだ。
「リリアナ様と親しくなさることについて、わたくしから申し上げることはございません。ただ、今夜は国の大切な祝賀会です。少しばかり周囲の目をお気になさった方がよろしいかと」
「……何が言いたい?」
「お二人のご様子が、いささか目立っております」
それとなく伝えたつもりだったが、レオンハルトは露骨に眉をひそめた。
「君はまたそうやって、私の行動に口を出すのか。リリアナは何も悪いことなどしていない!」
突然声を荒らげたレオンハルトに、近くの貴族たちが一斉に振り返る。
リリアナはびくりと肩を震わせると、王子の背中に隠れるように身を引いた。
「殿下……わたくし、何か失礼なことをしてしまったのでしょうか……?」
「心配するな、リリアナ。君は何も悪くない」
そう言ってレオンハルトは一歩前へ出る。
それはまるでベアトリーチェから、か弱い令嬢を庇うような仕草だった。
「……殿下、お恥ずかしいのでおやめくださいませ」
「恥ずかしいだと!? リリアナと親しくすることの何が恥ずかしいというのだ!」
広間のざわめきが徐々に収まっていく。楽団の演奏だけが、場違いなほど優雅に響いていた。
「殿下がリリアナ様と逢い引きなさるのは、わたくしの関知するところではございません。ただ、時と場所をお弁えいただきたいと申し上げているのです」
その瞬間、周囲から小さなどよめきが起こった。
逢い引き。
それまで誰も口にしなかった言葉だった。
レオンハルトの顔が見る見る赤く染まっていく。
「なっ……! 私とリリアナの関係を、そのような下品な言葉で表現するな!」
「でしたら、わたくしの誤解ということで結構です。ですが、誤解を招く振る舞いはお慎みくださいませ」
「黙れ!」
鋭い怒声が広間に響き、楽団の演奏が止まった。
レオンハルトは肩で息をしながら、ベアトリーチェを睨みつけた。
「もう我慢ならん! ベアトリーチェ・フォン・ヒアデス! 私は今この場をもって、君との婚約を破棄する!」
広間が静まり返った。
誰かがグラスを取り落とし、硬い床に砕け散る音が響く。
「……婚約を、破棄なさると?」
「ああ、そうだ!」
「本気でおっしゃっているのですか?」
ベアトリーチェの声から、わずかに温かみが消えた。
「当然だ! 私は以前から君のことが気に入らなかった! いつも澄ました顔をして、何を考えているのか分からない! 喜ぶことも怒ることもなく、ただ人形のように微笑んでいる! 正直に言って気持ちが悪いのだ!」
周囲の貴族たちが息を呑んだ。
婚約者に対する言葉としては、あまりにも酷い。ましてや相手は公爵家の一人娘である。
「殿下のおっしゃる通りですわ!」
リリアナがレオンハルトの腕にすがりついた。
「ベアトリーチェ様はいつも冷たい目で周りの方々をご覧になっていますもの。わたくし、以前から怖いと思っておりました」
「そうだろう? 君もそう思うだろう?」
「はい! 殿下は何も悪くありません!」
二人は互いに頷き合った。
ベアトリーチェはしばらくその様子を眺めていたが、やがてリリアナへと顔を向けた。
「リリアナ様。ご自分が何をおっしゃっているのか、お分かりですか?」
「も、もちろんです!」
「でしたら、一つだけ忠告しておきましょう。わたくし個人への悪口ならば聞き流せますが、度を越した侮辱はヒアデス公爵家そのものに向けられたものと受け取られかねません。そうなれば、わたくしの一存では済まなくなります」
「そ、それは脅しですか!?」
「いいえ。忠告です」
リリアナの顔から血の気が引いた。
ヒアデス。
その名を知らぬ貴族など、この王国には存在しない。
ヒアデス公爵家の歴史は、わずか三代。
初代当主ガルディウス・フォン・ヒアデスは、かつて王国を揺るがした大規模な反乱において、たった一人で二百人の反乱兵を殲滅したという逸話を持つ豪傑だった。
その武勲を認められ、国王から爵位と領地を授けられたのがヒアデス家の始まりである。
以来、反乱の鎮圧、謀反人の捕縛、国家に仇なす者の処刑。表立って語られることのない尋問や諜報活動まで、その多くをヒアデス家が担ってきた。
王国の軍部と暗部。
その双方に深く根を張る一族は、数百年の歴史を持つ大貴族たちからさえ畏怖されている。
そして、その現当主の一人娘こそがベアトリーチェだった。
もっとも、当の本人は争い事を好まなかった。
幼い頃から剣よりも本を好み、狩猟よりも庭園の散策を愛してきた。家族からも大切に育てられ、血生臭い家業とは距離を置いて暮らしている。
だからこそ、周囲の人間も勘違いしてしまったのだろう。
ベアトリーチェが穏やかなのは、ヒアデス家そのものが穏やかだからではない。
ただ、彼女自身がそういう性格だというだけの話だった。
「リリアナ様。今ならまだ間に合います。先ほどのお言葉を撤回なさってはいかがでしょう?」
リリアナの肩が小刻みに震えた。
しかし、隣にいるレオンハルトを見上げると、何かを決意したように唇を噛み締めた。
「わ、わたくしは脅しになんて屈しません! 身分が高いからといって、何をしても許されるわけではありません! わたくしは間違ったことなど言っていませんもの!」
「リリアナ……! なんと勇敢な女性なのだ! 安心するがいい。君のことは私が必ず守る!」
「殿下……!」
二人は熱い眼差しを交わした。
「……そうですか。それでは、お好きになさってくださいませ」
ベアトリーチェは小さく息を吐いた。
別に二人を助けたいわけではない。ただ、目の前に崖があることに気づかず歩いている人間がいたので、危ないですよと教えただけである。
これ以上の忠告は無意味だろう。
ベアトリーチェは軽く一礼し、その場を離れようとした。
「ふん。ようやく本性を現したか」
レオンハルトが鼻で笑った。
「やはり君は、あの忌まわしいヒアデス家の娘だな」
ベアトリーチェの足が止まった。
「……何とおっしゃいました?」
「聞こえなかったのか? 君は血に染まった手で育てられてきた、穢れた令嬢だと言ったのだ!」
今度こそ、広間から一切の物音が消えた。
王子の発言を聞いた貴族たちの顔が、一斉に強張った。
ある老侯爵は目を閉じ、隣にいた夫人は扇で口元を覆った。外国の使節たちでさえ、通訳の説明を受けると互いに顔を見合わせている。
ヒアデス家が王家の命令によって血を流してきたことは、誰もが知っている。
その一族を、王家の人間が公衆の面前で穢れていると罵ったのだ。
「レオンハルト殿下。今のお言葉は、わたくし個人に対するものではございませんね?」
「ああ、そうだ! 君を育てたヒアデス家そのものが穢れていると言っているのだ!」
「……承知いたしました」
ベアトリーチェは静かに頷いた。
祖父も父も、王国のために命を懸けてきた。
自分には到底真似できない生き方だが、彼らを恥じたことなど一度もない。むしろ、心から誇りに思っていた。
そんな家族を、彼らが守ってきた王家の人間が侮辱したのである。
「……残念ですわ」
ベアトリーチェは小さく呟くと、胸の奥に冷たいものが広がっていくのを感じた。
もはや、言い争う気も起きなかった。
彼女はゆっくりと顔を上げると、ドレスの裾をつまみ、公爵令嬢として申し分のない優雅な一礼をする。
「レオンハルト殿下。リリアナ様。お二人のお考えはよく分かりました。どのような結果になっても、後悔なさらないでくださいね」
そう言って、怒りで震える侍女を窘めながらゆったりとした足取りで広間を後にした。
* * *
第二王子レオンハルトによる婚約破棄の一件は、瞬く間に王都中へと広まった。
建国記念日の祝賀会という、王国でも最も格式の高い席で起きた醜聞である。居合わせた貴族たちの口から話は広まり、翌日には王都の社交界で知らぬ者がいないほどになっていた。
中でも人々を震え上がらせたのは、婚約破棄そのものではなかった。
『君は血に染まった手で育てられてきた、穢れた令嬢だ!』
レオンハルトが最後に放った一言である。
王家の命令によって数々の汚れ仕事を引き受けてきたヒアデス公爵家。その一族を、よりにもよって王族が公衆の面前で侮辱したのだ。
王都の貴族たちは、事態がどこまで大きくなるのか固唾を呑んで見守っていた。
そして、その言葉は当然ながら、ヒアデス家の初代当主ガルディウス・フォン・ヒアデスの耳にも届いていた。
御年七十八歳。
すでに家督を息子に譲り、表舞台から退いて久しいものの、王国においてその名を知らぬ者はいない。
かつて二百人の反乱兵をたった一人で殲滅したとされる伝説の武人であり、三代にわたって王家のために剣を振るってきたヒアデス家の礎を築いた男である。
白髪交じりの髪を短く刈り込み、老いてなお岩のように分厚い肩と背中を持つその姿は、七十八歳という年齢を感じさせなかった。
長年彼に仕えている老使用人の話によれば、孫娘が受けた侮辱を聞いたガルディウスは、ただ一言、
「そうか」
と答えただけだったという。
怒鳴ることも、机を叩くこともなかった。
ただ、書斎へ戻ると自らペンを取り、国王宛てに一通の書簡を認めた。
その内容を知る者はいない。
しかし、書簡が王城へ届けられた三日後、王都の貴族たちは信じがたい光景を目撃することになった。
国王アストリアが、自らヒアデス公爵家を訪問したのである。
その日の午後、ヒアデス公爵邸の正門前には、王家の紋章を掲げた豪奢な馬車が停まっていた。
黒塗りの車体には金色の装飾が施され、扉には王冠を戴く双頭の獅子が描かれている。前後には近衛騎士が付き従い、馬車の周囲を厳重に警護していた。
もっとも、ヒアデス家の屋敷を守る衛兵たちは、その威容を前にしても顔色一つ変えなかった。
彼らの多くは、かつて戦場でガルディウスや現当主に従っていた歴戦の兵士たちである。
やがて馬車の扉が開き、一人の壮年の男が姿を現した。
国王アストリア。
王国の頂点に立つその男は、数名の従者を引き連れ、屋敷の玄関へと歩いていった。
大広間では、ガルディウスと現当主、そしてベアトリーチェが国王を待っていた。
磨き上げられた黒檀の家具に、壁一面を飾る古い武具。暖炉の上には、初代当主が反乱鎮圧の際に使用したとされる大剣が飾られている。
華美な装飾こそ少ないものの、長い年月をかけて築かれた武門の威厳が漂う部屋だった。
「久しいな、ガルディウス」
アストリアが口を開いた。
「陛下もお変わりないようで」
ガルディウスは椅子に腰掛けたまま、低い声で答えた。
国王はその無礼とも取れる態度を咎めなかった。
幼い頃から王家に仕え、先王の時代には幾度となく命を救ってくれた男である。アストリアにとってガルディウスは、単なる臣下ではなかった。
「この度は、愚息が取り返しのつかぬことをした」
アストリアは深く頭を下げた。
「王家のために尽くしてきたヒアデス家の名誉を、我が息子が傷つけた。国王として、また父親として、心より謝罪する」
傍らに控える従者たちが緊張した面持ちで見守っている。
ガルディウスはしばらく国王を見つめていたが、やがて静かに頷いた。
「陛下がわざわざ足を運ばれた。その誠意は受け取ろう」
「感謝する」
アストリアは顔を上げると、今度はベアトリーチェへと向き直った。
「ベアトリーチェ嬢。そなたにも詫びねばならぬ」
そして、再び頭を下げた。
「我が息子の無礼、どうか許してほしい」
国王が一人の令嬢に頭を下げる。
それがどれほど異例のことか、ベアトリーチェにも理解できた。
彼女は慌てることなく、静かに一礼した。
「どうかお顔をお上げくださいませ、陛下。今回の件について、陛下ご自身に非があるとは考えておりません。わたくしへの謝罪であれば、謹んでお受けいたします」
「……そなたは寛大だな」
「恐れ入ります」
ベアトリーチェは穏やかに微笑んだ。
実際、彼女はアストリアに対して何の悪感情も抱いていなかった。
婚約破棄を宣言したのも、ヒアデス家を侮辱したのも、レオンハルト本人である。
その責任まで父親に負わせようとは思わなかった。
もっとも、王家としての責任は別の話だった。
「それで、今回の件についてだが」
アストリアが合図すると、従者の一人が分厚い書類の束を差し出した。
「婚約破棄に伴う慰謝料、ならびに今回の侮辱に対する示談金として、金貨五千枚を支払う。こちらがその証文だ」
ベアトリーチェの父が書類を受け取り、内容を確認する。
「さらに、王家の私有地の一部をヒアデス家へ無償で譲渡する。土地の権利書はこちらに用意した」
続いて差し出されたのは、王家の印璽が押された数枚の羊皮紙だった。
それだけではない。
アストリアは別の従者に命じ、複数の小切手や権利書、その他の証書を卓上に並べさせた。
王都にある建物の所有権、王家が保有する商業上の権益、さらには将来の取引に関する特別な取り決めまで含まれている。
卓上には、ちょっとした貴族家の財産に匹敵するだけの書類が積み上がった。
「これらは王家からの謝罪の証として受け取ってほしい」
ガルディウスは書類に一瞥をくれた。
「随分と持ってきたものだな」
「これでも足りぬと思っている」
「ふむ」
老人は顎に手を当て、しばらく考えるような素振りを見せた。
「まあ、よかろう」
その一言で、部屋に漂っていた緊張がわずかに緩んだ。
アストリアは小さく息を吐いた。
「それと、レオンハルトについてだが」
国王の表情が険しくなる。
「王族としての自覚を欠き、国家に尽くしてきた忠臣を侮辱した責任は重い。あれには王都を離れさせ、北方辺境の紛争地帯へ赴任させることにした」
「ほう」
「現地の部隊を指揮させる。戦場に立ち、王家のために血を流す者たちが何を背負っているのか、その身をもって学ばせるつもりだ」
ガルディウスはしばらく黙っていたが、やがて頷いた。
「よい判断だと思うぞ。戦場は人を育てる。生きて戻れれば、少しはまともな男になるやもしれん」
「……そう願いたいものだ」
アストリアは苦い顔をした。
その様子を眺めていたガルディウスは、ふと思い出したように口を開いた。
「そうだ。陛下、一つ頼みがある」
「何だ?」
「レオンハルト殿下には、出立前に一度、ベアトリーチェへ直接謝罪に来るよう伝えていただきたい」
アストリアは即座に頷いた。
「無論だ。必ずそうさせよう」
「それでよい」
ガルディウスは満足げに頷くと、隣に座る孫娘へ顔を向けた。
「ベアトリーチェ」
「はい、お祖父様」
「後の処分は、いつものようにお前に任せる」
「承知いたしました」
ベアトリーチェはにこりと微笑んだ。
「お任せくださいませ、お祖父様」
そのやり取りを聞いたアストリアは、わずかに眉を動かした。
しかし、何も尋ねなかった。
ガルディウスは既に話を終えた様子で、従者に茶を淹れ直すよう命じている。
ベアトリーチェもまた、いつもと変わらぬ穏やかな表情で国王に微笑みかけていた。
こうして、王家とヒアデス公爵家の間で起きた騒動は、ひとまず決着を見ることとなった。
* * *
国王アストリアがヒアデス公爵家を訪れてから、一週間が経った。
秋晴れの空の下、王家の紋章を掲げた馬車と、それに続くもう一台の馬車が、ヒアデス公爵邸の正門前に停まった。
馬車から降りてきたのは、第二王子レオンハルトとファルフォード伯爵家の令嬢リリアナである。それぞれ一人ずつ従者を伴っていたが、二人の表情はひどく硬かった。
門の両脇には、黒い軍服をまとった衛兵が立っている。
腰には長剣を佩き、背筋を伸ばして直立する彼らは、訪問者に一瞥をくれただけで、必要以上に頭を下げることもなかった。
レオンハルトは思わず唾を飲み込んだ。
国王である父から、ヒアデス家へ謝罪に行くよう命じられたのは七日前のことだった。
あの祝賀会での自分の振る舞いが、どれほど愚かなものであったのか。父から聞かされた話を思い出すたび、背筋に冷たいものが走る。
それでも、国王自らが謝罪に赴き、莫大な賠償金まで支払ったのだ。ヒアデス家もこれ以上、事を荒立てるつもりはないだろう。
レオンハルトはそう自分に言い聞かせながら、リリアナと共に門をくぐった。
案内された応接室は、重厚な家具と古い武具に囲まれた落ち着いた部屋だった。
窓から差し込む柔らかな陽光が、深紅の絨毯を照らしている。壁には歴代当主の肖像画が並び、その中央には、巨大な戦斧を手にしたガルディウス・フォン・ヒアデスの姿が描かれていた。
従者たちは主人の後方に控え、レオンハルトとリリアナは並んで長椅子に腰掛けた。
卓上には紅茶と焼き菓子が用意されていたが、二人とも手をつけようとはしなかった。
やがて扉が開き、ベアトリーチェが姿を現した。
「お待たせいたしました。レオンハルト殿下、リリアナ様」
深い紺色のドレスに身を包んだ彼女は、いつもと変わらぬ穏やかな微笑を浮かべている。
「本日はようこそお越しくださいました」
ベアトリーチェは優雅に一礼すると、二人の向かい側へ腰を下ろした。
レオンハルトは室内を見回した。
「……ガルディウス公爵はお見えにならないのか?」
「お祖父様ですか? もう良いお歳ですので、今日はお部屋で休んでおります」
「そ、そうか」
「はい。ですので、本日はわたくしがお話を伺いますね」
ベアトリーチェがにこやかに答えると、レオンハルトは少しだけ肩の力を抜いた。
あの恐ろしい老人が同席しないのならば、まだ気が楽である。
それに、目の前のベアトリーチェは以前と何も変わっていない。相変わらず感情の読みにくい女性ではあったが、少なくとも怒っている様子は見受けられなかった。
「ベアトリーチェ。まずは謝罪させてほしい」
レオンハルトは膝の上で拳を握った。
「先日の祝賀会では、言い過ぎた。君だけでなく、ヒアデス家の名誉まで傷つけてしまったことを深く反省している」
「そうですか」
「父上からも、ひどく叱責された。私は王族としての責任を理解していなかったのだと思う。これからは心を入れ替え、北方の前線で国のために尽くすつもりだ」
ベアトリーチェは黙って耳を傾けていた。
続いて、リリアナが立ち上がった。
「ベアトリーチェ様。わたくしも、心からお詫び申し上げます」
彼女は深々と頭を下げた。
「あの日は自分の立場も弁えず、取り返しのつかないことを申し上げてしまいました。父からも厳しく叱られ、今後は社交界への出入りを禁じられ、自宅で謹慎するよう命じられております」
リリアナの声は震えていた。
「もちろん、殿下との交際も認められませんでした。すべてわたくしの浅はかな行動が招いた結果です。どうか、お許しくださいませ」
二人が頭を下げると、応接室にはしばし沈黙が流れた。
やがて、ベアトリーチェが口を開いた。
「お二人とも、ご丁寧にありがとうございます」
その声は驚くほど穏やかだった。
「ですが、わたくしの家には、一つ教えがございまして」
「……教え?」
「ええ。人間というものは、平気で嘘をつく生き物なのだそうです。ですから、謝罪の言葉を安易に信用してはならないと、幼い頃から教わってまいりました」
レオンハルトの表情が強張った。
「そ、それは……私たちが嘘をついていると?」
「いいえ。そういう意味ではございません。ただ、言葉だけでは本心を確かめようがないというお話です」
ベアトリーチェは紅茶を一口飲んだ。
「もっとも、レオンハルト殿下については、すでに陛下から直接謝罪をいただいております。わたくしもこれ以上、王家との間に諍いを起こすつもりはございませんので、今回の件はお赦ししようと思っております」
「……本当か?」
「はい」
レオンハルトは安堵の息を漏らした。
しかし、ベアトリーチェはそこで言葉を切り、隣に座るリリアナへと視線を移した。
「ただ、困ったことにリリアナ様については、赦す理由が見当たらないのです」
「……え?」
リリアナが顔を上げた。
「わ、わたくしも謝罪を……」
「ええ、伺いました。ですが、先ほど申し上げた通り、謝罪の言葉だけでは信用できませんでしょう?」
ベアトリーチェは微笑んだ。
「そこで、わたくしなりに考えてみたのです」
彼女は卓上に置かれた小さな銀の匙を指先で整えた。
「先日、陛下からいただいた金貨五千枚を、お祖父様がわたくしに譲ってくださいました。せっかくですので、そのお金を使ってファルフォード伯爵家を潰そうかと思っております」
リリアナは一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
「……はい?」
「金貨五千枚もあれば、いろいろなことができますものね。領地の土地を買い占めてもよろしいですし、盗賊を雇って襲わせることもできます。人に命じてリリアナ様を攫わせることだって、そう難しくはないでしょう」
ベアトリーチェは楽しげに話を続けた。
「できれば、生きていることが辛くなるくらいの目に遭っていただきたいと思っております」
リリアナの顔から血の気が引いた。
レオンハルトも、呆然とベアトリーチェを見つめていた。
「……な、何を言っているんだ、ベアトリーチェ」
「何か?」
「君は……争い事が嫌いだったではないか! 平和を好み、誰とも揉め事を起こさない女性だったはずだ!」
「ええ、その通りですわ」
ベアトリーチェはあっさりと肯定した。
「わたくし、争い事は大嫌いです。できることなら、毎日を平穏に過ごしていたいと思っております」
「だったら、なぜそんなことを!」
「見せしめと、暇つぶしです」
あまりにも自然な返答だった。
レオンハルトは言葉を失った。
「実を申しますと、わたくし、お二人のことは以前から結構気に入っておりましたの」
ベアトリーチェは懐かしむように目を細めた。
「殿下がリリアナ様に夢中になっていらっしゃることも存じておりましたし、お二人が周囲の目も気にせず親しくなさっているご様子を、いつも楽しく拝見しておりました」
「……楽しく?」
「ええ。愚かな方々を眺めているのは、なかなか面白いものですから」
リリアナが小さく息を呑んだ。
「ですが、殿下は北方へ赴任なさり、リリアナ様もご自宅で謹慎されるのでしょう? そうなると、これまでのようにお二人を眺めることもできなくなってしまいます」
ベアトリーチェは残念そうに首を傾げた。
「ですので、今度はお二人が破滅していく様子を楽しませていただこうかと」
応接室が静まり返った。
壁に掛けられた時計の振り子が、規則正しい音を刻んでいる。
レオンハルトはようやく理解した。
自分は、この女のことを何一つ分かっていなかったのだ。
穏やかな微笑も、争いを避ける態度も、すべて本物だったのだろう。
ただ、それが慈悲深さを意味するとは限らなかった。
「ま、待ってくれ……!」
レオンハルトは椅子から立ち上がると、その場に膝をついた。
「頼む、ベアトリーチェ! 私が悪かった! 君にあれほど酷いことを言ったのは私だ! リリアナを巻き込まないでくれ!」
リリアナも慌てて床に膝をついた。
「お、お許しください! 何でもいたします! どうか、どうか家族だけは……!」
二人は絨毯に額を擦り付けるようにして懇願した。
その姿を見下ろしていたベアトリーチェは、しばらく考え込んだ。
「……まあ」
やがて、気の毒そうに眉を下げた。
「そこまでおっしゃるのでしたら、少し考えて差し上げてもよろしいかもしれませんね」
「ほ、本当か!?」
レオンハルトが顔を上げた。
「はい。わたくしも鬼ではございませんもの」
ベアトリーチェは立ち上がると、部屋の隅にある小さな書き物机へ歩いていった。
引き出しを開け、中から一本のナイフを取り出す。
銀色の刃が、窓から差し込む陽光を受けてきらりと光った。
彼女はそれを持って戻ると、レオンハルトに差し出した。
「では、こちらをどうぞ」
「……これは?」
「ナイフです」
「それは見れば分かる。何に使うのだ?」
ベアトリーチェは不思議そうに瞬きをした。
「リリアナ様の指を切り落としていただきます」
レオンハルトの顔が引きつった。
「……な、何だと?」
「一本につき、金貨千枚分の減刑といたしましょう。五本切り落としていただければ、金貨五千枚を使った報復は取りやめます」
ベアトリーチェは、まるで商談の条件を説明するかのように続けた。
「それをもって、誠意ある謝罪として受け入れたいと思います」
リリアナは自分の両手を見下ろした。
細く白い指が、小刻みに震えている。
「そ……そんな……」
レオンハルトは差し出されたナイフを見つめたまま、動けなかった。
あまりにも常軌を逸した提案だった。
「わ、わたくしの……指を……?」
「はい。もちろん、どちらの手でも構いませんよ」
ベアトリーチェはにこやかに答えた。
「ただ、五本まとめてというのは大変でしょうから、一本ずつにいたしましょう。途中でお気持ちが変わっても結構です」
その言葉を聞いた瞬間、リリアナの喉がひくりと動いた。
「う……っ!」
彼女は咄嗟に口元を押さえたが、間に合わなかった。
次の瞬間、激しくえずきながら床に吐いてしまった。
朝からほとんど何も食べていなかったのだろう。胃液の混じった吐瀉物が深紅の絨毯を汚し、酸っぱい臭いが室内に広がった。
「お嬢様!」
後方に控えていたリリアナの従者が慌てて駆け寄り、背中をさする。
リリアナは涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、何度も謝罪の言葉を繰り返していた。
「ごめんなさい……ごめんなさい……! もう、許してください……!!」
その姿を見た従者が、ついに声を荒らげた。
「あ、あんまりです! いくら何でも、こんな仕打ちは!」
ベアトリーチェは従者へ顔を向けた。
「まあ。そう思われますか?」
「当たり前です! お嬢様は心から謝罪なさっているのに、指を切り落とせだなんて……!」
「でしたら、貴女が代わりなさい」
「……え?」
「リリアナ様の代わりに、貴女の指を落としなさい。主人を思う忠義に免じて認めて差し上げましょう。いかがです?」
ベアトリーチェは微笑んだ。
従者は口を開きかけたが、何も言えなかった。
自分の両手を見下ろし、それから床にうずくまる主人へ視線を戻す。
やがて、唇を固く結んで俯いた。
「……申し訳、ございません」
「そうですか」
ベアトリーチェは再びレオンハルトに向き直った。
「それで、殿下。どうなさいますか?」
レオンハルトは答えなかった。
床に崩れ落ちたリリアナの姿を見つめている。
あの祝賀会で、自分は彼女に何と言っただろう。
『君のことは私が必ず守る!』
そう誓ったはずだった。
しかし、今の自分はどうだ。
目の前で愛する女性が恐怖に震え、涙を流しているというのに、何一つできずにいる。
レオンハルトは唇を噛み締めた。
「……ベアトリーチェ」
「はい?」
「一つ、聞きたいことがある」
ベアトリーチェは首を傾げた。
「その条件は……リリアナ本人でなければならないのか?」
「と、おっしゃいますと?」
「私が代わりになることは、できないだろうか」
リリアナが顔を上げた。
「で、殿下……?」
「私の指を切り落とす。それで彼女の罪を償うことはできないか?」
ベアトリーチェは少し驚いたように目を見開き、ふっと微笑んだ。
「まあ。それは素敵なお申し出ですわね」
彼女はしばらく考える素振りを見せた後、静かに頷いた。
「よろしいでしょう。殿下が身代わりになることを認めます。ただし、条件は同じです」
「ああ……分かっている」
レオンハルトは差し出されたナイフを受け取った。
ずしりとした重みが手のひらに伝わってくる。
彼は応接室の中央に置かれた小さな卓へ歩み寄ると、左手をその上に置いた。
五本の指を広げる。
右手に握ったナイフを持ち上げたところで、その動きが止まった。
刃先が小刻みに震えている。
「……っ」
切れるはずがなかった。
自分の指だ。
幼い頃から剣を握り、馬の手綱を取り、食事をし、文字を書いてきた手である。
それを、自分自身の意思で傷つけなければならない。
レオンハルトは何度も刃を近づけては遠ざけた。
額から汗が流れ落ち、卓上に小さな染みを作る。
室内にいる誰もが、息を潜めてその様子を見守っていた。
ベアトリーチェだけが、静かに紅茶を飲んでいる。
「……くそっ!」
レオンハルトは目を閉じた。
リリアナの泣き声が聞こえる。
自分が守ると誓った女性だった。
「う……うあああああっ!!」
覚悟を決めたレオンハルトが、左手の小指に刃を振り下ろした。
鋭い悲鳴が応接室に響き渡った。
卓上に血が飛び散り、レオンハルトはナイフを取り落とした。
「あああああっ! ああああああっ!!」
彼は左手を抱え込んで床に転がった。
激痛に身体をよじり、絨毯の上をのたうち回る。従者が慌てて駆け寄り、持っていた布で傷口を押さえた。
「殿下! しっかりなさってください!」
「ぎゃあああっッ!! 痛い痛い痛いーッ!!」
レオンハルトの叫び声が室内に響く。
「あ……ああ、、」
リリアナはその光景を呆然と見つめていた。
目の前で何が起きたのか、理解はしている。
しかし、身体が動かなかった。
ただ口を半開きにしたまま、血に染まったレオンハルトの左手を見つめている。
「まあ……本当にお切りになるとは思いませんでした」
ベアトリーチェが感心したように呟いた。
彼女は椅子から立ち上がると、床にうずくまる王子へ近づいた。
「見直しましたわ、殿下。リリアナ様へのお気持ちは本物だったのですね」
レオンハルトは苦痛に顔を歪めながら、どうにか彼女を見上げた。
「はあっ……はあっ……!」
「お約束通り、金貨千枚分は免除いたしましょう。こちらは殿下に差し上げます。わたくしからの餞別ですわ」
ベアトリーチェは満足そうに微笑んだ。
「さあ、あと四本。頑張ってくださいませ」
レオンハルトの表情が凍りついた。
「……え?」
「どうしたのです? あと四本で、このお話はすべて終わりです」
ベアトリーチェは指を四本立ててみせた。
レオンハルトはその指を見つめた。
全身から冷や汗が噴き出す。
左手は燃えるように痛み、視界が涙で滲む。傷口を押さえる従者の手が少し動くだけで、意識が飛びそうになる。
これを後四回など、到底耐えられない。
「む、無理だ……! もう無理だ……!!」
レオンハルトは首を振った。
「許してくれ……もう、勘弁してくれっ……!」
その声には先ほどまでの決意も気概も残っていなかった。
リリアナも従者たちも、誰一人として口を開かなかった。
ベアトリーチェはしばらく彼らを眺めていたが、やがて小さく頷いた。
「はあ……分かりました。ではここまでにいたしましょう」
彼女は使用人を呼び、レオンハルトの手当てと医師の手配を命じた。
その後、誰も再びナイフを手に取ろうとはしなかった。
結局、その日切り落とされた指は、レオンハルトの左手の小指一本だけだった。
* * *
夕暮れ時。
ベアトリーチェは屋敷の奥にある祖父の私室を訪れていた。
大きな窓の向こうには、夕陽に染まる庭園が広がっている。暖炉には薪がくべられ、部屋には古い革装丁の本と紅茶の香りが漂っていた。
ガルディウス・フォン・ヒアデスは、ゆったりとした椅子に腰掛け、孫娘の報告を聞いていた。
「……そうか。レオンハルト殿下が、自ら指を落としたか」
「ええ。殿下がリリアナ様のために頑張る姿、実にお見事でしたわ」
「ふむ。あの若造にも、少しは見どころがあったということだな。わしから陛下にも伝えておくとしよう」
老人は愉快そうに喉を鳴らした。
「それでファルフォードはどうするつもりだ? 潰すのか?」
ベアトリーチェは小さくあくびをした後で、顎に手を当てた。
「そうしようかと思ったのですが……お二人の様子を見て気が変わりました」
「ほう?」
ガルディウスは興味深そうに孫娘を見つめた。
「だって潰してしまうより、恐怖で縛っておいた方がよっぽど有益でしょう」
ベアトリーチェは指先で窓枠をなぞる。ガラス越しに外を見ると、庭園では小鳥たちが夕暮れの空を飛び交っていた。
「これから、ファルフォード家はわたくしの顔色を窺いながら暮らすことになるでしょう。殿下も二度とわたくしに逆らおうとはなさらないはずです。利用価値がある道具はきちんと使わなくては」
「……なるほどな」
「ただ困った事に、金貨が四千枚も余ってしまいました。お祖父様が陛下を驚かせ過ぎたせいでしばらく縁談も無さそうですし、今度一緒に旅行でも行きませんか?」
ガルディウスはしばらく孫娘を眺めていたが、やがて静かに笑い始めた。
「くっくっく、まったく変わらないな。可愛いベアトリーチェよ、お前は紛れもなくヒアデスの娘だよ」
「まあ、お祖父様ったら。褒めていただけるのは嬉しいですけれど、私は平和主義ですのよ」
そう言って、ベアトリーチェは祖父に微笑みを返した。
今日も変わらず、王国の平和は保たれている。彼女は目を細めて静かにカーテンを閉めた。
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