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翌朝。
昨日より、少しだけ景色が違って見える。
「マネージャー、お時間よろしいですか」
自分の声が、思ったより落ち着いている。
会議室。昨日と同じ席。
「……主任候補、お受けします」
言った瞬間、空気が少しだけ変わる。
マネージャーは小さく頷いた。
「ありがとうございます。では人事と本部に上げます。
正式発令は来月。決定するまでは通常業務を。」
もう後戻りはない。
怖くないと言えば嘘。
でも。
不思議と足は震えていなかった。
フロントに戻ると、後輩が笑顔で声をかけてくる。
「高瀬さん、今日もお願いします!」
その“お願い”の意味が、少し変わった気がした。
背筋を伸ばす。
主任になる。
支える側でありながら、背負う側にもなる。
できる。
やる。
帰宅。
ドアを開けると、キッチンから顔を出す湊。
「どうでした」
早い。
ほんとに早い。
「受けた」
一瞬止まる。
次の瞬間、満面の笑み。
「おめでとうございます!」
ちょっと大げさな程嬉しそう。
「まだ正式じゃないよ」
「俺の中では正式です」
そう言って近づいてくる。
距離が自然。
「主任」
わざとらしく呼ぶ。
「やめて」
「主任」
「やめてって」
笑いながら肩を押すと、そのまま軽く抱き寄せられる。
ぎゅっと。
強くない。
でも、逃げ場はない。
「かっこいい」
耳元で、ぽつり。
心臓が跳ねる。
「やめてよ」
「ほんまに」
少しだけ顔を上げる。
目がまっすぐ。
「俺、ちゃんとついていきますから」
その言い方。
昔なら“守る”って言ってた。
今は“ついていく”。
対等。
胸がじんわりする。
「主任、忙しくなりますね」
「なるね」
「俺も負けてられへん。
主任の彼氏ですから」
またそれ。
笑いながら顔を近づける。
「ご褒美ください」
「なにそれ」
「昇格祝い」
軽くキス。
でも今日は、少しだけ長い。
昨日より、熱がある。
受けた決意の分だけ、甘さも深い。
離れたあと、湊が小さく笑う。
「主任、顔赤いですよ」
「うるさい」
「可愛い」
そのままもう一回。
今度は少し強い。
でも荒くはない。
安心の中にある熱。
「忙しくなっても」
額を合わせて、低く。
「俺のこと、後回しにせんといてくださいね」
「するわけないでしょ」
「ならよかった」
その笑顔が、少しだけ誇らしい。
主任になる私を、ちゃんと自慢にしてくれる人。
その事実が、何より嬉しい。
ソファに並んで座る。
指を絡める。
変化の春。
でも、隣はちゃんとあたたかい。
「……主任」
「まだ言う?」
「好きです」
即座にやわらぐ。
「うん」
今日は、少しだけ胸を張って言える。
私も、頑張れる。




