8
金曜の夜から、何も変わっていない。
朝は来るし、仕事は山積みだ。
会議もあるし、締切もある。
私はちゃんと大人の時間の中にいる。
それなのに。
駅前のあの一瞬が、ふと浮かぶ。
「関係あります。」
落ち着いた声。
若いからこそ、あの静けさは危ない。
昼休み、スマホを開く。
湊から連絡はない。
急かす言葉も、甘い言葉もない。
——急がせない。
それが余計に考えさせる。
もし軽かったら、
もし押してきたら、
もっと簡単に切れた。
でもあの人は待つ。
待てると言う。
それが重い。
学生の時間は、まだ広い。
失敗も、寄り道も、やり直しもある。
でも私の時間は、もう選び続ける時間だ。
仕事を選ぶ。
生活を選ぶ。
将来を選ぶ。
その中に、誰かを入れるということは、
「好き」だけでは足りない。
同じ景色を見て、同じ責任を背負ってほしい。
飲み会帰りに偶然会える時間と、
朝の満員電車で消耗する時間は違う。
それでも。
あのとき安心した。
それがいちばん厄介だ。
夜。
悠の向かいに私は座る。
「湊、連絡してこないね。」
悠は少しだけ笑う。
「言われたんだろ。急がせないって。」
私はうなずく。
「それが、余計に考える。」
悠は何も言わない。
私は続ける。
「学生の時間と、私の時間は違う。
今は隣に立てても、その先は?」
問いかけというより、独り言だ。
悠は静かに返す。
「それを決めるのは、お前だ。」
背中は押さない。
止めもしない。
私は深く息を吸う。
安心したからこそ、怖い。
優しいからこそ、重い。
急がせてこないからこそ、選ばなきゃいけない。
境界線は、年齢じゃない。
時間だ。
私はその線を、まだ越えられない。




