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洗面所のドアをあけ
二人でのぞき込む。
目が、線を探す。
一瞬。
一拍。
……一本。
「……。」
息が止まってたことに気づく。
「陰性、ですね。」
湊が先に言う。
声は落ち着いてる。
でも、少しだけ掠れてる。
私は、もう一回見る。
見間違いじゃない。
一本だけ。
「……そっか。」
思ったより、あっさり。
思ったより、軽い。
胸の奥に、ふっと空気が戻る。
安堵。
たぶん、それが一番大きい。
まだ早い。
仕事もある。
いろいろある。
ちゃんと考えなきゃいけないこと、山ほどある。
だから。
「よかった。」
でも。
その“よかった”の中に、
ほんの少しだけ。
本当に、ほんの少しだけ。
静かな寂しさが混ざる。
湊がそれに気づく。
何も言わない。
ただ、私の肩に手を置く。
強くない。
でも、離れない。
「安心しました?」
聞かれて、少し笑う。
「うん。」
嘘じゃない。
でも。
「ちょっとだけ。」
「はい。」
「想像しちゃってた。」
赤ちゃん。
湊。
小さな手。
抱っこしてる姿。
湊は、ゆっくり頷く。
「俺もです。」
一瞬、目を合わせる。
「怖かったですけど。」
正直。
「少しだけ、楽しみでした。」
その言葉で、胸がぎゅっとする。
洗面所の白い光の下で、
未来が、そっと引き戻される。
まだ、今じゃない。
でも。
“いつか”が、ちゃんとある気がした。
リビングに戻る。
テーブルの上の箱を片付けながら、
妙に静か。
騒がしくもなく、
重くもなく。
ただ。
一段、先に進んだ感じ。
「……湊さ。」
「はい。」
「さっき、産んでほしいって言ったの、忘れないからね。」
湊が少し笑う。
「忘れないでください。」
「そのときは、ちゃんと迎えにいきます。」
何を、とは言わない。
でもわかる。
覚悟の話だ。
私は、ソファに座る。
湊が隣に座る。
肩が触れる。
未来はまだ来なかった。
でも。
消えたわけじゃない。
手を重ねる。
静かに。
「……いつか、ね。」
私が言う。
湊が、迷いなく頷く。
「はい。」
その“はい”が、
さっきより、ずっと重かった。




