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三人で鍋を囲むのは、いつぶりか分からなかった。
湯気が立ちのぼって、部屋の空気が少し曇る。
遥花の家のテーブルは、相変わらず少し狭い。
「白菜多くない?」
悠が言う。
「健康的です。」
湊が真面目に返す。
「お前、鍋のときだけ優等生ぶるよな。」
「事実。」
いつも通りのやり取り。
遥花はそれを聞きながら、箸を動かす。
少しだけ、言い出すタイミングを探している。
湊の方が先だった。
「引っ越すことにした。」
唐突ではない。
でも、鍋の音の中では少しだけはっきり聞こえた。
悠の箸が、ほんの一瞬止まる。
「へえ。」
視線は鍋のまま。
「どこ。」
感情より先に、現実的な質問。
「駅二つ向こう。会社からも遠くないし。」
「広さ。」
「今よりは広い。」
「家賃。」
「……頑張ります。」
悠が少しだけ笑う。
「無理すんなよ。」
それだけ。
遥花は、勝手に息を詰めていたことに気づく。
「ちゃんと二人で決めたなら、いいんじゃない。」
淡々としている。
でも、どこか柔らかい。
「家具、センス壊滅的だろ。俺呼べ。」
「呼ばない。」
「呼べ。」
「呼ばない。」
湊が即答する。
遥花は吹き出す。
空気が戻る。
でも、どこか違う。
今までここは、三人の拠点だった。
誰かが来て、誰かが帰って、
曖昧なまま共有していた場所。
けれど今日は、はっきりしている。
この家は、もう“三人の家”ではなくなる。
悠が鍋をよそいながら言う。
「卒業したら忙しくなるな。」
「ん。」
「社会人様だもんな。」
「やめろ。」
いつも通りの軽さ。
でも、ほんの少しだけ距離が変わっている。
悪い意味じゃない。
ちゃんと、前に進んでいる距離。
帰り際、悠は玄関で言う。
「鍵、なくすなよ。」
誰に向けたのか分からない言い方。
「なくさんて」
「なくさないよ。」
二人の声が重なる。
悠は一瞬だけ笑って、
「じゃ。」
それだけ言って扉が閉まる。
湊がぽつりと言う。
「怒られませんでしたね。」
「怒るわけないでしょ。」
遥花は小さく笑う。
でも胸の奥が少しだけ熱い。
三人で一つ、だった時間が、
少し変わった。




