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仕事終わりのホテルは
少しだけ浮き足立っていた。
ロビーのツリーは昼間よりも灯りが強くて
通り過ぎる人たちのコートもどこか華やかに見える。
自動ドアの向こうに立っている人影を見つけて
遥花は自然と足が早くなった。
「お疲れさま。」
いつもと同じ声。
「待った?」
「そんなに。」
その“そんなに”の中に、ちょうどいい時間が含まれているのを知っている。
二人並んで駅へ向かう。
吐く息が白い。
駅前のイルミネーションは
去年より少しだけ明るい気がした。
手を繋いだまま、ゆっくり歩く。
冷たい空気の中で、指先だけがあたたかい。
「寒くないですか。」
「手、あったかいから平気。」
湊が少しだけ握り直す。
人の流れは多いのに、不思議と二人の周りだけ静かだ。
光が揺れて、遥花はふと立ち止まる。
「……あれ。」
「どうしました?」
「あのさ、」
少し考える。
頭の奥で、何かが引っかかる。
去年の景色。
同じように寒くて、同じように光っていて。
「湊。」
「はい。」
「今日って、さ。」
目が合う。
一瞬の沈黙。
「あ。」
湊の表情が止まる。
「……え。」
「1年過ぎてない?」
数秒の空白。
それから、ほぼ同時に吹き出す。
「忘れてた。」
「俺もです。」
声が重なる。
大事にしてないわけじゃない。
ただ、毎日が普通になりすぎていた。
「ひどくない?」
「すみません。」
でも笑っている。
遥花が空を見上げる。
「もう1年かぁ。」
「早かったですね。」
「ね。」
光が頬に反射する。
去年の今日は、まだ少しぎこちなくて、
手を繋ぐだけで心臓がうるさかった。
今は。
自然に隣にいる。
湊が少しだけ真面目な顔になる。
「ありがとうございます。」
「なにが?」
「1年。」
遥花は一瞬だけ言葉を失う。
重くない。
でも、ちゃんとした言葉。
「こちらこそ。」
少しだけ絡める指を強くする。
「来年も、忘れるかもね。」
「その時は、思い出させます。」
「忘れてたくせに?」
「今年はです。」
また笑う。
イルミネーションの下で、特別なことは何も起きない。
でも。
隣にいる。
部屋に入ると一気にあたたかい。
コートを脱いだ瞬間、背中に腕が回る。
「ちょっと、まだ寒いよ。」
「だからです。」
首元に顔を寄せてくる。
「重い。」
「ひどい。」
けれど腕は離れない。
キッチンでケーキの箱を開けると、案の定少し崩れている。
「雑。」
「文句言うなら自分でやって。」
フォークでひと口すくって、湊が差し出す。
「はい。」
「自分で食べるよ。」
「イベントなんで。」
仕方なく口を開けると、満足そうに目を細める。
「甘い?」
「うん。」
「俺も。」
間髪入れずに言うから、遥花は笑う。
「絶対違う意味だったでしょ。」
「違います。」
ソファに並んで座る。
テレビはついているけれど、ほとんど見ていない。
ツリーの灯りだけが部屋を柔らかく照らしている。
湊が遥花の手をとる。
指先をなぞって、手のひらを撫でて、また絡める。
「落ち着きない。」
「落ち着いてます。」
そう言いながら、急に真面目な顔で見つめてくる。
その距離が近くて、遥花は少しだけ笑いを飲み込む。
キスは思ったより深くなる。
唇が離れても、距離は戻らない。
「今日、やたら甘くない?」
「クリスマスなんで。」
「昨日も一昨日も似た感じだったけど。」
「……否定できないですね。」
額を軽く合わせたまま、ふたりで笑う。
湊の手が頬に触れて、親指でゆっくり撫でる。
その動きがやけに丁寧で、遥花は自然と目を細める。
「ちゃんと、隣にいますよ。」
大袈裟じゃない声。
「知ってる。」
それだけで、十分だった。
もう一度キスをする。今度は急がない。
背中に回った手が、ほんの少しだけ強くなる。
遥花もそのまま、服の裾を掴む。
どちらからともなく立ち上がる。
「ケーキ、片付けてから。」
「後でいいです。」
「ダメ。」
結局ふたりで雑に皿を重ねる。
手が触れるたびに、視線が合って、また笑う。
廊下へ向かう足取りは、急がない。
特別な夜というより、
いつもの延長。
ただ、少しだけ温度が高い。




